そのころはちょうど、ライン入りのハイソックスが流行っていたころでした。
男子のあいだでも、クラスの五人にひとりはライン入りのハイソックスを履いていました。
体育の時間には、色とりどりのラインの入ったハイソックスの脚が、目いっぱいグラウンドを駈けていたのです。
もっとも僕の中学は田舎だったので、そういうイデタチをしていたのは、
ごくかぎられた都会出身の生徒だけでしたが。
開設されたばかりの田舎の事務所に父が家族を伴って赴任したのは、数か月前。
すでに、夏の陽射しもかげりを帯び始めた季節でした。
その日も体育の時間を終えて、ひとり教室に戻るところでした。
いつもは仲間といっしょに行動するのですが。。。
―――仲間というのは、いずれも都会出身で父親が同じ事務所に勤務している間柄でしたが―――
その日に限って、なんとなくはぐれてしまったのです。
体育館から校舎に戻る途中にささやかな木立ちがあって、いつもそこを通り抜けるのが習慣でした。
木立ちの途中で、僕の足が止まりました。
だれかがうずくまって、体育館の壁にもたれかかっているのです。
同級生の坂尻君でした。
気分が悪いといって、体育の授業を休んでいた彼は、学生服のままでしたが、
ティシャツに短パン姿の僕たちからみると、そのようすもひどくくたびれた、暑苦しいものに映りました。
そのときの僕は、白のティシャツに紺の短パン、黒と赤のラインが入ったハイソックスという姿でした。
ハイソックスの柄なんか、つい最近まで忘れていたのですが。
坂尻君のほうが、憶えていてくれたのです。
どうしたんだい?気分よくないの?
坂尻君はいつも顔色がわるく、性格も暗いほうだったので、
ふだんあまり言葉を交わすことのなかったクラスメイトでした。
じつは吸血鬼だ…っていう同級生もいました。
この街に以前から棲んでいる人のなかには、そう呼ばれている人がなん人かいました。
地元のかたとおつきあいをするのはいいけれど、気をつけてね。
母の口癖でしたから、母もきっとこちらに越してきてすぐにそのことを知ったのでしょう。
だからなんとなく僕たち都会派も、坂尻君のことを避けていたのかもしれません。
坂尻君は僕の問いかけに応えるように、顔をあげました。
そのときチラリと口許から、尖った犬歯が覗いたのです。
わざとだったんだ…あとで彼はそういってくれましたが、不思議と恐怖は感じませんでした。
じつは仲良しの都会派だった健也君も幹彦君も、とっくに彼らに咬まれていたのです。
なんだ。お前まだなのか~?
まるで女の子とのキスの初体験でも自慢するように、
彼らはライン入りのハイソックスをずらすと、
ふくらはぎにくっきり浮かんだ咬み痕を見せびらかしてくるほどだったのです。
なんとなく、血を吸われたことのないこちらのほうが、引け目を感じるような雰囲気でした。
どうしたの?具合よくなさそうだね?保健室行った?
僕は矢継ぎ早に、坂尻君に訊きました。
なんとかしゃべってもらいたい。なぜかそう感じたからです。
やがて正気づいた坂尻君は、眩しそうに僕を見上げてこういいました。
―――きみ、悪いけど血をくれないか…?
けっこう思い切って言ったんだぜ?好きな女の子に告る気分だったよな。
あのころはまだ、「告(こく)る」なんて言い方はなかったはずです。
だいぶあとになって、本人からそのときのことを訊いた時、彼はそういったのです。
院政で言葉すくなな彼にとっては、やっぱり懸命だったのでしょう。
―――血が足りないんだよね?
僕は確かめるように、そう訊きました。
彼は無言でうなずき返してきました。
不思議と、恐怖感はありませんでした。
これでやっと、健也や幹彦と同じ経験をできる…
それがいけない経験だったとしても、むしろ僕の中では一種のそんな安堵感さえ、感じていたのです。
ちょっと待ってね。
僕はそういうと、彼のぼんやりとした視線の前、
ランニング中にずり落ちてたるみかかっていたハイソックスを、きっちりとひざ下まで引っ張り上げました。
―――ハイソックス履いたまま咬ませてくれっていうから、金かかるんだよな~。
健也のそんな呟きを、ありありと思い出したからでした。
うずくまる坂尻君の斜め向かいに腰を落として,ライン入りハイソックスの脚を恐る恐る差し出すと、
彼ははじめて、にっこりとしました。
今まで見たことのない、人懐こい顔つきでした。
チクッと痛みが走り、彼の犬歯が食い込んできました。
皮膚を破られるときの痺れるような痛みが一瞬よぎり、けれども思ったほど痛くはありませんでした。
わるいね。
彼はそういうように、僕の脚を咬みながらちらりと上目づかいで僕の顔色をうかがうと、
僕の脚を両腕でくるむようにして身動きできなくしてしまったうえで、
そのままグッと犬歯を埋め込んでしまったのです。
ああっ。
思わず洩らしたうめき声に、彼は満足したようでした。
しきりに唇をうごめかせ、喉をクイクイ鳴らしながら、
僕の血を啜り取っていったのです。
貪欲な飲みっぷりに、本能的な恐怖もかすめましたが、
むしろ、吸い取られていく血液が皮膚を通り抜けていくときの痛痒いような感覚が心地よい疼きになって、
吸血されてしまうという行為に、僕は夢中になっていたのです。
こっちもいいかな?
さいしょにつかんだ右足を放すと、彼はもう左の足首を握り締めてきます。
痛いほどの握力でした。
ああ、いいよ。
僕は気軽に、応えてやりました。
右足に履いたハイソックスは、たるんでずり落ちて、
咬まれたふくらはぎのあたりには、べっとりとした血のりが、赤黒く滲んでいました。
もう履けないもんな…
思わずそう洩らすと、彼は悪いね、と言いながら、おなじように僕の左足にも咬みついて、
ハイソックスを横切るラインをくしゃくしゃにたるませながら、赤黒いシミで塗りつぶしていくのでした。
都会の子のハイソックスの脚を咬んだの、初めてなんだ。
もっと咬むかい?
いいの?
ご遠慮なく。
僕はそういって、伸ばした脚をうつぶせに横たえてやりました。
軽い貧血のせいか、頭がちょっとふらふらしたけれど。
彼の吸いっぷりだと、まだもうすこしは相手をしてやったほうがいいと考えたのです。
いい舌触りしているんだね。
僕の皮膚が?とおもったら、彼はまだハイソックスを話題にしているのです。
都会の子たちって、みんな女の子みたいにハイソックス履いているだろう?
気になってしょうがなかったんだ。
きみの友だちはほとんど咬まれちゃって、相手がいるものだから手を出せないし。
そうしたら父さんがくじを引き当ててきてね。
くじ引き…?
怪訝そうに顔をあげようとする僕を軽く制した彼は、なおも続けるのでした。
婦人会が、仕切っているんだ。
それでくじ引きで、だれがだれの血を吸うか、決めているんだ。
ほんとうにくじ引きにしているかどうかは、わからないけどね。
うまい具合に、のどの渇いた順番に、割り当てていくんだから。
きみのお父さんの事務所に、うちの父さんが下働きで雇われていてね。
お父さんともよく、話をするらしいよ。
さすがに、お宅の息子さんの血を吸わせてくれ…なんて話題は、まだみたいだけど。
さいしょに血を吸う相手は、顔見知りにすることが多いんだって。
そのほうが、血を提供するほうも安心できるからって。
でも都会の人って、変わっているね。
なかには自分のほうから、見ず知らずのひとのほうがいいって言ってくる人がいたらしいよ。
そのほうが変に気を使わなくっていいからって。
きみの母さんは近所づきあい、都会の人たちだけなんだって?
妹さんも、都会派の子たちとしか、つきあっていないんだってね。
だいじょうぶ。僕たち親子で、みんな堕としてあげるから。
僕の母さんね、吸血鬼になっちゃった村の顔役の爺さんの相手をさせられちゃって。
ほとんど家に帰ってこないんだ。
だからきっとそのうちに、都会のご家族の血にありつけるだろうって、父さん言っていたんだよ。
でもやっぱり…君の血っておいしいね。
ハイソックスも、いい舐め心地だね。
そういえば、咬みつく前に。
坂尻君は僕の履いているハイソックスをもの珍しそうにまじまじと見て、
咬みつく前に、それはしつっこく舐めまわして、
よだれをたっぷりとしみ込ませていたのです。
汗臭くって、嫌じゃない?
僕がそう気遣うのも、聞こえないふりをして。
あとがき
↓の続編にあたります。
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