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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

献血の風景 ~下校のときにつかまえて~

2014年01月30日(Thu) 07:48:41

きゃ~、血を吸うの?

タカシが一定の距離までまっすぐ近寄ってくると、敦美は口許を手でふさいで怯えたふりをした。

悪い。ごめんね。
少年はうっそりと低い声でそういうと、やおら敦美の肩を掴まえて、早くも首すじを吸っている。

あっ、もぉ・・・

いきなり恋人にキスを奪われたみたいに、甘えた声色になって。
敦美はそのまま、同級生の吸血を許していた。

貧血?

うぅん、だいじょうぶ。

敦美が軽くかぶりを振って笑うと、少年はそろそろと身をかがめ、敦美の足許に唇を吸いつけようとする。

きゃっ。ダメだよ~、ハイソックス破かれちゃう~。

声では嫌がりながらも、敦美はまんざらでもなさそうだった。

きょうのハイソックス、履き古しなんだよ~。恥ずかしいなぁ~

履き古しのハイソックスを観察されるのは本心から恥ずかしいらしく、敦美は脚をすくめたままいやいやをくり返す。

履き古しも味があって、なかなかいいよね。

少女との応接に慣れた少年も、いつかからかい口調になっていた。
ハイソックス越しに感じるべろの感触と、じわじわとしみ込んでくる唾液のなま温かさに、少女は潔癖そうに眉をしかめ、それでも少年が自分の脚を吸いやすいようにと、くまなく舐められてしまうまで、脚の角度を変え続けてやっている。

あー、もお・・・

ひときわつよく吸いつけられた唇の下、真っ白なハイソックスに赤いシミが拡がっていった。
頭上から少女の、だれかと話す声がした。
どうやら敦美は、血を吸われながら友だちに携帯をかけているらしい。

ああ、昌枝?いまどこにいるの?よかった、近くだね。
いま血を吸われてるんだ。タカシくんに。
こいつ、きょうは喉渇いてるみたいで、しつこいの。
ごめーん。応援に来て~、

呼ばないで。だれも。

少年は顔をあげて、彼女に訴えた。

えっ、だって・・・血がたくさん欲しいんでしょ?
よかったら、マキと美也子にも声かけてあげるよ。

うぅん・・・

少年はきまり悪げに、かぶりを振った。

きょうは、二人だけでいたいんだけど。

血の気が失せかかった少女の頬に、ほんのりと赤みが戻っていた。

ごめーん、やっぱいいわ。あたしひとりでなんとかするから。
その代わり、あしたのおそうじ当番よろしくねっ。

敦美は携帯を切ると、貧血によろめきながら、傍らのベンチに腰を落ち着けた。

しょうがないなー。もうっ。

表向きふくれながら、恋人の気遣いが嬉しかったのだろう。
隣に腰かけた少年に抱き寄せられるままになって、
さっき咬まれたのとは反対側の首すじに、ヒルのように貪欲な唇を、吸いつけられていった。
はにかみながら。甘えながら・・・
貧血になっちゃうよ・・・って、顔しかめながら。照れながら。



あとがき
描くともなしにキーを叩いていたら、お話ができあがりました。(#^.^#)

郁夫ちゃん、遊ぼ。

2014年01月29日(Wed) 07:54:16

あなた、なにかに憑(つ)かれてるんじゃない?
妻の貴和子に言われて、郁夫は怪訝そうに妻を見返した。
この写真、ヘンだよ・・・
貴和子が指し示したPC画像―――それはほかならぬ、郁夫自身の女装した姿が写されたものだった。
決して視られてはいけないものを、妻に見つかってしまった。
浮気現場の証拠写真などよりも、はるかに恥ずかしいものだった。

「女装なんて、浮気されるよりも恥ずかしい」
面と向かって、そう言われたこともある。
それは結婚してしばらく経って、十代のころから続けていた女装趣味がばれたときの妻の言葉だった。
言葉の棘の鋭さに苦悶する彼の心境などお構いなしに、妻はたたみかけるように言ったのだった。
「全部捨てるわよ。いいよね?」
通販サイトのページをクリックするのに二時間もためらった挙句買った、初めての婦人もののスーツ。
初めての外出のとき、ドキドキしながら身に着けたウィッグ。
思い入れのある品々は、目にするのも忌まわしい汚物として、妻の無同情な手によって葬られていった。


そのときのことを”初犯”と呼ぶのであれば、いまはもう”累犯”と呼ばれてしまうのだろう。
「まだそんなことしているの!」
妻の絶叫は、ほぼ絶望に等しい本音を帯びていた。

あなた、子供なん人いるか、わかってる?
子供がいくつになったのか、自覚してる?
絵里だって、美優だって、お父さんがそんなことしてるなんて聞いたら、どう思う?
あの子たちと同年代の服着てるんだよ?

そう、郁夫のはまり込んでしまった趣味の対象ほとんどは、セーラー服女装といわれれる、女子中高生の制服にあったのだ。
このまま家庭崩壊まで、突っ走るのか。
どす黒い矢が心臓に突き刺さり、奥の奥までえぐり抜いていくような感覚に、郁夫は声にならないうめき声をあげる。

ところが数秒して、妻の目の動きが止まっていた。
「あなた、なにかに憑かれてない・・・・・・?」
PC画像を見つめる瞳には、疑念と恐怖が渦巻いていた。

もう責めないから、ありのままを言ってちょうだい。
女装していると、どこがいいの?
いや、いちいち否定したりしないから、思ったままを言ってちょうだい。
書くほうが伝えやすい?ボールペン持ってこようか?

矢継ぎ早の詰問に、郁夫はもうなにも話したくない・・・と、胸のふさがる思いだったけれど。
妻は強いて彼にボールペンを持たせて、書くようにと言った。
抵抗あるのはわかるけど・・・一家のあるじとしての義務だと思ってちょうだい。
気がつくと妻は正座していて、大真面目に彼のことを見つめていた。

だれか優しいお姉さんのような人が、いっしょに寄り添ってくれるような感覚。

どれほど時間がかかったのか、自分でも定かではない。
しいて書いたのが、この一行だった。

妻はいままでのように気味悪がるのではなく、夫の書いた一行を、じーっと見て、なんども読み返しているようだった。

あのさ、思うんだけど。

もうこれ以上、なぶりものにするのはよしてくれ・・・
そう思った郁夫の想いとは、まるでちがうことを妻は口にした。

ここに写ってるの、ほんとうにあなたなの?
あたし、思うんだけど―――
これって、その「優しいお姉さん」そのものなんじゃない?


貴和子の祖父は、地元の大きな神社の神主だった。
会ったのは結婚の時と、ひ孫が生まれた時に一度ずつ、会わせに行ったときだけだった。
その男が、あのときよりも長く白くなった顎鬚を垂らして、いま郁夫のまえにいる。
齢はとうに、八十を過ぎているだろう。
これで四回目になる訪問のいずれもが、いかにも神主らしい、真っ白な衣冠束帯姿であった。
眉毛はまぶたに垂れ下がるほど太く、それが男の表情をよりいっそうわからないものにしていた。

あなたも知っているでしょう?うちの祖父、憑きもの落としができるの。
あなた行って、お祓いしてもらってきてください。

お願いですから・・・妻の言をむげにするという選択肢は、すでに存在していなかった。

人に向かって口にするのはもとより、ボールペンで描いてさえ恥ずかしさを覚える、その感覚。
だれか優しいお姉さんが、寄り添ってくれている という感覚。
それはしかし、女性の服装で街の夜昼を徘徊する愉しみを覚えた彼にとっては、なくてはならないものだった。
そのひとはいつも、彼に触れるばかりの距離感で、影のように寄り添ってくれていて。
なにかを話しかけたり、励ましたり、慰めたりしてくれていて。
おかげで、いままでのいろいろなこと―――会社の上司につまらないことを言われたりとか、仕事上のつまらない齟齬とか、家族との些細ないさかいとか―――ひとつひとつは取るに足らないいろんなストレスの集積が、たまりたまって自分の心と体を蝕むのを、確実に和らげてくれていた。
―――だいじょうぶ。だいじょうぶ。わたしがついているから。
「優しいお姉さん」はいつも声にならない声でそう囁いて、郁夫のことを励まし続けてくれていた。
それは母にも妻にもない、彼の全てを赦し包んでくれる、蜜のように甘く寛容な優しさだった。

「お祓いをしてもらう」ということは、その「優しいお姉さんとお別れをする」ということに直結するのだと。
宗教にうとい郁夫にも、すぐにわかった。
それは嫌だ。どうしても気がすすまない。
何度も繰り返し拒んだ郁夫に対して、しかし主導権を握っているのは明かに貴和子のほうだった。
女装をしている、ということは、夫婦の間でそれくらい、決定的な力関係を生んでしまっていた。

家族のことを、考えないの?
いつまでもそんなことをやっていて、本当に許されると思っているの?
自分の義務を果たしてください。

秘密の画像を発見したそのときと同じ剣幕に立ち戻って、妻はたたみかけるようにそういって。
さいごにぽつりと、言ったのだった。

あなたのしていることって、その「優しいお姉さん」とやらと浮気しているのと、同じじゃないの。

ひとりで妻の祖父のもとに向かう道々、なんど思ったことだろう。
お別れしたくない。
何度も自分のことを救ってくれたお姉さんを、退治などしたくない。
家庭と職場との板挟みで悩む、たった独りの道を迷いつづける彼にとってのさいごの慰めまで不当に奪われようとしていることに、どうしても納得することなど、できなかったけれど。
夫であり父親であること。
社会のなかで生きていくためのそうしたよりどころを失わないためには、彼のまえに敷かれた道は、すでにひとつしか残されていないのだった。

現れた貴和子の祖父は、孫娘からすべてを伝えられているのだろう。
十数年ぶりの面会に、どうあいさつをしたものかと戸惑う彼を、有無を言わせず社殿の奥へと促していた。
神主というよりも仙人のような白髪と白髯の持ち主は、しばらくのあいだ、孫娘の夫のことをじーっと見つめた。
なにかを見通すかのような、冷徹な視線だと思った。
妻の無同情な目と、似ているようでもあり、まるきりちがうようでもあった。

あの・・・郁夫はおずおずと、問いかけた。
なにかに憑かれていると、あなたもお考えですか?
男はしずかに口を開いた。
呟くような、表情のない声色だった。
憑いているともいえるし、そうでないともいえる。

自分に寄り添う慕わしい影とは、本当に妻のいうように、浮気のようないかがわしい関係なのか?
そうしたものを慰めとして抱きつづけることは、家族に対する犯罪行為なのか?
もしもそれを失ってしまったとき、自分はいったいどうなるのか?なにをよりどころにしていけばいいのか?

訊きたいことは、いろいろあった。
神主といえば、宗教人だろう。
人の心の悩みを解決するのだって、役割じゃないのだろうか?

けれどもそうした郁夫の想いなど無縁なように、彼はさらに奥の間へと彼を促し、正座をさせた。
有無を言わさず、「悪魔祓い」をするというのだろう。

「お祓い」は、ものの数分でおわった。
まるで、おまじないのような、他愛なさだった。
「帰んなさい」
ぶっきら棒にそういわれたとき、神主はお祓いをするのをやめたのだろうか?と思ったくらいだった。
「たぶん、だいじょうぶだろう、と、貴和子に伝えんさい」
男は訪いをいれたときと寸分変わらないそっけなさで、郁夫にそういった。
「たぶん、な」
部屋を出ていく時、ちょっとだけ振り返って、神主はそうつけ加えると、郁夫のことを玄関まで見送るでもなく、自分のねぐらへとひきあげていった。


神主の霊験は、あらたかだったのだろうか?
郁夫の女装熱は、すっかり冷めていた。
ひた隠しにしていたセーラー服を妻が捨てると宣言したときも、出勤前のネクタイ結びに熱中しながら、なんの感興もなく頷くだけだった。
彼が女装をすることも絶えて無くなり、家庭にはうわべだけにせよ、平穏が戻った。
仕事は順調とも不景気ともいえないままに、ただ淡々と進行していって、
子供たちは結婚して独立し、彼は定年を迎え、そして夫婦で退職金を分け合って、離婚した。


いったいなにが、残ったのだろう?
あてもなく散策に出かけた公園の前は、柔らかな陽射しに包まれていた。
妻は分与された財産を老人ホームに入金して、ホームで作った仲間の中心になって、第二の人生を生き生きと過ごしているという。
娘たちは孫の顔を見せにお祖母ちゃんのいるホームを訪れることはあっても、郁夫が独り棲んでいる自分たちの実家であるはずの家には、近寄らなかった。
きっと、妻からすべてを聞かされているのだろう。
子どもたちにはなにも言わない。それが夫婦の間の約束だったはずなのだが。
彼らとはもう二度と、顔を合わせることはないのだろう。
自分には、もうなにもない。
家族の望む通りの平凡なサラリーマン人生を波風なく通り過ぎて、残されたものは独りきりの生活と、古い物たちに囲まれた日々。
あのお祓いは、けっきょく妻に利用されたというだけのことだったのか?
妻にとってのみ都合のよい後半生を、夫婦が過ごすために、彼はたいせつな宝物を失った。

浮気された。
彼の胸をもっとも強く突き刺したはずの妻の嘆きは、おそらく、愛情の裏返しとしての嫉妬などではなく、自分の夫が彼女のなかに女としての値打ちを認めなかったことへの怨嗟にすぎなかったのだろう。

たしかに、体裁のよいだけの月日は過ぎた。
そして、さいごまで夫を愛することができなかった女は、老いさらばえた身をそむけて去って行き、自分の幸せだけを追いかけて、いまは彼とは別の世界で暮らしている。
気がつくと、公園の入り口の手前で、郁夫は立ち止っていた。
公園のまえの通りは、細道だった。
周囲にあるのは、数十年まえと変わらない、あるいは郁夫がまだ若い頃から変わらない、昭和のたたずまい。
ふと彼は、だれかの聞き慣れた声を耳にしたような気がした。
「郁夫ちゃん、遊ぼ」
その声には柔らかなぬくもりがこもっていて、切ないほどの優しさと甘えたくなるような深い響きを帯びていた。
「ずっと離れていたね。でももういいんだよ。よくガマンしたね。えらかったね。だから、いっしょに遊ぼ」
塀の向こうに伸びた道は、行き止まりのはず。
その塀の陰から姿を現したのは、濃紺の襟首に三本のラインの走る、古風なセーラー服姿。
三つ編みに結わえた黒髪を肩先に揺らした彼女は、白いおとがいを輝かせ、無邪気な笑みを湛えている。
「郁夫ちゃん、遊ぼ」
少女の微笑みに郁夫はゆっくりと頷くと、白く乾いた道を、少女の佇むほうへと、しっかりとした足取りで近寄っていった。

”吸血病” ~純情な彼。~

2014年01月27日(Mon) 07:29:12

放課後になっても、雰囲気のよいこのクラスは、ほとんどの者がすぐに教室を出ようとはしなかった。

仲良したちの輪のなかで。
顔色の蒼いものの割合が、ぐんと増えていた。
いまのグループの6人のうち、すでに渉を含めた4人が、蒼い顔になっていた。
顔色のいかんにかかわらず彼らの関係は変わりがなかった。
すでに血を吸うものは相手をさがして血を吸ってしまった後だったから。
じじつ、蒼い顔の4人のうちひとりは、仲間のひとりを咬んでいた。
たぶんあとの2人は、他所でだれかに咬まれるのだろう。

渉の想い人である香坂朋恵は、女子ばかりの別のグループにいた。
朋恵の顔もまた、むざんな鉛色と化していたが、友人たちにその変化をとがめだてされた形跡はない。
彼女たちのなかでも、グループ内の吸血は行われているようで、
さっきもなにやら切羽詰った表情になった顔の蒼い子が、まだそれほど顔色を悪くしていない子を誘って、教室の外へと出ていった。
いまごろグラウンドの片隅か校舎の裏手あたりで、ひとりがもうひとりの血を味わっていることだろう。

朋恵は、紺のラインの入ったハイソックスを履いていた。
さいしょに咬まれたときに履いていたのと、同じやつだった。
彼女のハイソックスは、健康そうな肉づきをもったふくらはぎを包んで、真新しい白さを滲ませていた。

彼女を咬んだ同級生の力武は、彼女の脚から抜き取ったハイソックスを、渉に手渡してくれていた。
自分が血を吸った相手の履いていたハイソックスやスカートは、本来戦利品にしても構わなかったのに。
朋恵の渉への想いを知ってしまった力武は、それ以上ふたりの間に割り込んでこようとはしなかったのだ。
あの日咬まれた三人の男のクラスメイトの履いていたハイソックスは、遠慮なくものにしていったのだけれど。

「野見山くん、いっしょに帰る?」
おおー。
向こうから躊躇なく近寄ってきた朋恵に、渉の友人たちは冷やかすような、羨ましいような声をあげた。
「ほらほらっ、しっかりやれよっ、野々宮クン!」
仲良しの春山に背中をどやしつけられた。
渉は応える代わりに、おまえなんか早く咬まれてしまえ!といい、言われたほうは「怖わーっ!」と叫んだが。
どちらの声色にも、邪気はなかった。
渉は朋恵といっしょに教室を出たが、きょうはお互いの家までいっしょにいることはないと思っていた。
彼女の履いているハイソックスは真新しく、そういうときにはたいがい、力武との先約があるからだった。

「ゴメン、きょうはここで失礼するね」
両手を合わせて白い歯をみせる朋恵は、これからクラスのガキ大将のところに血を吸われに行くようには思えなかった。
「おう、わかった。じゃあまた明日」
渉もさりげなく声を投げて、あとをふり返らずに別れてゆく。
明日―――朋恵の顔色は、いちだんと蒼さを増してくることだろう。
片手で撫でた首すじの咬み痕は、まだじんじんとした疼きを滲ませていた。
朋恵を誘う日には、必ず決まって前もって、渉のことを咬んでいくのだった。
たぶん家に着いたら、そのままベッド行きだな・・・渉はひっそりと呟いた。

その日の四時限めの授業中、力武が席を起って、渉のところにやって来て。
「わりぃ」
両手を合わせ、伏し拝むようなしんけんな顔つきをした。
教師は二人のことを完全に無視して、授業を進めている。
渉は席を起ち、保健室へと向かった。
「ダメだ、満員」
力武は情けなさそうに、渉をかえりみる。
保健室のベッドは、供血者に占領されていて、
養護の先生すらが、保健室の床に寝転がっていた。
白い衝立の向こうから、あお向けになった脚だけがみえた。
肌色のストッキングにブチッとひとすじ裂け目が走っているのまで、渉はしっかりと目にしていた。
階段の踊り場で吸血を済ませると、先に力武が教室に戻っていって、
貧血を起こした渉はちょっとのあいだその場でうずくまって、気分が落ち付いてから授業に戻っていった。


朋恵が力武の部屋でハイソックスを咬み破られているあいだ、
そのすぐ階下の寝室では、渉の母親が力武の父親の相手をしていた。
女ふたりは、顔を合わせることはなかったけれど。
壁ひとつ隔てた向こうとこちらでベッドのきしむ音やかすかな吐息とを交し合いながら、
お互いがお互いの気配を、感じ取っていた。
壁の向こうが自分の母親ということも、むろんあった。
けれども母娘のどちらもが、そのとき力武の家にいったことなど、顔にも見せず、もちろん話題にもしなかった。

「野見山くんのハイソックスも咬んでるんだったよね?」
「うん、これ、きょうのやつ」
だらりと伸びたハイソックスに滲んだ赤黒いシミは、まだ赤みをじゅうぶんに宿している。
彼氏の身体のなかをめぐっていた熱情の証しが、靴下の汚れに変わり果てているのを、彼女は無感動に眺めていった。
「ふぅん、ヘンだね。ふたりとも」
「ああ・・・そうだな・・・」
さっきからあんなに、朋恵の血を吸ったのに。
力武は、喉がカラカラになっているのを感じていた。
―――いいじゃないか、姦っちまえよ。お前ぇだって男だろうが?
晩酌をしながらの親父の言いぐさを、力武は思い出していた。
―――友だちの彼女だって、エエじゃないか。
―――だってあの子も、お前ぇに彼女の血を吸われるの指くわえて見てんだろう?
親父はたぶん、誤解している。いや、それともオレが案外根性なしなのか?
けれども見栄やそのときの欲求だけで、壊していけないものがある。
力武は乱暴者だったが、外貌に似あわないものを持った男だった。
だからこそ・・・大人しいようでいて芯の強い渉が、みすみす朋恵の血を吸われていることに腹を立てないのだろうから。
「そろそろ帰んな」
男はぶっきら棒に、部屋の隅に立ちすくむ少女を背にして、窓の外に向けてあごをしゃくった。

「ヘンだよね。渉以外の男子と二人きりで逢ってるなんて。なんだか浮気しているみたい」
肩を並べていっしょに帰る下校途中、朋恵はあえて話題にした。
彼女にしては、思い切って口にしたのが、語気からすぐにそれとわかった。
「浮気じゃないよ」
「うん、そりゃそうだけどさー」
自分の相手は渉だけ。心にそう決めている朋恵にしてみれば、どっちつかずのいまの状態が、なんとももどかしくなるのだろう。
とはいえ、吸血の相手は変えることはできないし、渉にはそもそも、吸血衝動がないのだった。
渉にしても、自分の想いがときどきわからなくなる。
恋人の生き血を、ムザムザと吸い取られてしまっているというのに。
力武に対する怒りの感情が、まったくといっていいほど湧いてこないのだった。
朝家を出るまえには、きょうはどれを咬ませてやろうか?なんて思いながらきょう履いていくハイソックスを択んでいたりとか、
朋恵の首すじの咬み痕に血が浮いているのをみて、「咬まれたろ~」なんて冷やかしている自分がいた。
いっしょに歩く朋恵の足許を盗み見て、ちく生、きょうも真新しいの履いてきてるな・・・軽い嫉妬に胸を刺されることも、もちろんあるけれど。
力武がどうやら、朋恵のことを丁重に扱っているらしいこと。
朋恵と逢うまえには必ず彼に、哀願するような視線を送ってくること。
そんなあたりが、もしかすると怒りの矛先を鈍らせているのかもしれない―――渉はそう自分に言い聞かせようとした。

母親が浮気しているらしい。
そんなうわさが入ってきたのは、同級生のあいだからだった。
お前の母さん、力武の父さんとつきあってるの?こないだ家に入ってくの、視たぞ?
そんな声に、さいしょのうちこそ、PTAでいっしょだからね・・・と応えていたけれど。
どうやらほんとうだったらしいことは、夜更けトイレにたったとき、
リビングの灯りがまだ点いていて、両親の会話がおぼろげながら聞こえてしまったことでそれと知れた。
母さんは決まり悪そうにしていたし、父さんは淡々としていた。
どういうわけかそういう父さんのことを、男らしいと感じている自分がいた。

力武は、並はずれて忍耐力が強かった。
卒業するまで、とうとういちども、朋恵に対して異性として手を触れようとはしなかった。
だいぶ経ってから、初めて朋恵を抱いた渉は、恋人が処女だったことを知った。
意外ではあったけれど、守るべきものを守り通してくれたことを、渉は心から感謝した。
それでも力武のふたりへの訪問は、継続していた。
致死量にははるかに満たない量の”献血”は、三人の関係に何ら深刻な問題を惹き起こさなかったのだ。
渉が大学を卒業して就職すると、朋恵にプロポーズをし、朋恵はよろこんで受けてくれた。
それでも力武の訪問は、絶えなかった。
むしろ血を吸う二人が同居を始めたことが、彼の便利にもなっているかのようだった。
それでも力武は、朋恵を抱こうとはしなかったし、独身を通しつづけていた。

「力武くん、朋恵さんのことがほんとうに好きなんだね」
あるとき渉の母親の彩夜(さよ)が、ぽつりと言ったのが、なぜかひどく胸にこたえた。
それは、力武が晩(おそ)すぎる縁談を言下に断ったときいたときのことだった。
「あのまま、独身を通すつもりなんだろうね」
母親の言に、渉は深く頷いた。
本気で好きに慣れないとわかっている女と結婚するなんて、相手に失礼だ。
やつはそう言ったらしい。
母親と力武の父親の情事は相変わらず続いていたし、父親は妻と吸血鬼との不倫関係にとやかく口をはさむことはないらしかったが。
「あたしたちは、身体だけの関係だから」
そんなことを息子に向かって平気で言えるような齢に彼女もなっていたし、
そんな彼女の勝手な言いぐさを笑って返せるような齢に、彼もなっていた。
「おれ、あいつにちょっぴりだけ、おすそ分けしようかな」
「お前たちがよかったら、そうしなさいよ。ぜひ」
嫁に不義をはたらかせようとする息子のくわだてに、彼女はそくざに賛成していた。
「ぜひ」というひと言に、本音があるような気が、渉にはしていた。

たぶんね。
あいつ、受けないと思うよ。
でもどうかな、わかんない。やってみないと・・・
妻の反応は、意外に慎重なものだった。
守り通してきたものを、いまさらお互いに崩すだろうか?
崩してしまった後、渉との結婚生活がうまくいくのだろうか?
すでに二児の母になっていた朋恵には、一抹の不安があったのだろう。

「案ずるよりも、生むがやすしだと思うなあ」
母親はそれについて、あっけらかんとそういった。
「だって、母さんだってあれだけ浮気しておきながら、父さんと別れないじゃない」

たぶんね。
あいつ、そんな感じじゃ受けないと思うよ。
あなたがあいつに、命令するくらいじゃないとね。
朋恵の微妙な笑みのなかに、女の計算が働いているのをなんとなく感じながらも。
渉は一筆箋に、万年筆で丁寧な字をたどらせていった。
なにを書いたのかは、朋恵も知らされていない。

念願の・・・
そんな感じであったらしい。
感激に満ちた感謝のメールは、まるで新婚初夜の花婿のようだった。
親友の十数年越しの濃いの成就に、満面の笑みをはじけさせて、渉は一抹の悔しさをしまい込んでゆく。
「水曜と金曜は、きみの妻 ということで」
一生、友だちだもんな。
渉はそう呟いて、まだ力武のベッドのうえにいるはずの妻に向けて、メールを送る。
「おめでとう。ゆっくりしておいで。待っているから」

”吸血病”余話  体育館の片隅で ~息子の血を吸った少年の父親と~

2014年01月27日(Mon) 06:34:37

野見山渉(わたる)が体育の授業のさいちゅうに、
吸血鬼化した同級生の力武に初めて咬まれていたとき。
そのようすを物かげから見守る、ふたつの人影があった。
ひとりは血を吸うものの父、もうひとりは血を吸われるものの母だった。

おー。あいつもなかなか、やるじゃない。
同級生たちを組み敷いて、つぎつぎと首すじを咬んでいく息子の姿に、
父親は涼しげな目線をそそいで、息子の奮闘ぶりをたたえていた。
あっ。さいごがお宅の、息子さんか・・・
傍らの女が気にするようなことを、男はあっけらかんと口にする。
思ったことは何でもずけずけと口にするが、悪気はない。
どうやらそういうタイプの男のようだった。

渉の母親の野見山彩夜(さよ)は、そんなふたりの少年たちのようすを、表情を消して見つめつづける。
どうやら観念したらしい息子が自分から体育館の床に寝そべり、目を瞑るのを見て。
ちょっとだけなにかを言いたそうに口を開きかけて、
けれども傍らの男の視線を感じると、いちど開きかけた口を、また噤(つぐ)んでゆく。
目のまえの息子は、身体じゅうのあちこちを咬まれて、生き血を吸い取られていった。
ほかの男子たちと同じように、抵抗のそぶりひとつみせないで。
立て膝をして、すり足をして。そんな動作さえもが、緩慢になっていって。
時おりけだるげに芋虫のように寝返りを打ちながら、
体操服の襟首に赤黒いほとびを散らし、赤いラインの入ったハイソックスにも同じ色のシミを拡げてゆく。
三人居合わせた男子のうち、首すじを咬まれたのも、ハイソックスにシミを拡げたのも、息子がさいごだった。

どうやらあいつ、息子さんの血がいちばんお気に召したようだね。
独りごととも話しかけているともつかない態度で息子の”活躍”を褒めちぎっていた傍らの男は、
初めて正面切って、彩夜に話しかけてきた。
どうやらそのよう・・・ですねぇ。
彩夜は仕方無げに、ほほ笑んでいた。
全くあの子ったら、初手からあんなに大人しく餌食にされちゃって・・・
親の血を引き継いだ息子が、その血を惜しげもなく吸い取らせていってしまうのを、
悔しいともあっけなさ過ぎるとも、なんとも名状のしがたい想いで見守りながら。
自家の血を親子ながら吸い取られてしまうことへの悲哀や切なさと、
その血が相手の親子を愉しませていることへのある種の不思議な誇らしさとを、
彼女は同時に感じていた。

蔓延する”吸血病”に、街ぜんたいが支配される。
行き着く先が明らかになったことが、彼女を諦めへと導いていた。
ほぼ同時に、夫がだれかに咬まれ、会社のOLや同僚の妻を相手に吸血に耽っていることも、彼女の背中を押していた。

うふふ。たまんなくなってきた。
男はちょっぴりだけ、痴愚な顔つきになっている。
女はすぐにそれとさっして、よそ行きのロングスカートのすそを、軽くたくし上げてやった。
彩夜の足許を染めるのは、脛の透けるように生地の薄い、黒のストッキング。
ふだんは肌色しか身に着けない彼女は、男と逢うときだけは、相手の好みに合わせていた。

ふだんから身なりをきちんとすることを心がけていた彼女は、あの日もスーツ姿でPTAの会合に出向いていた。
昨日までは工務店を経営している気さくな同級生の父親が、顔色を蒼ざめさせて変貌していたのを見て。
いっしょに会合場所を訪れた、香坂朋恵の母親とふたり、顔を見合わせて。
男はちゅうちょなく、現れた女ふたりを餌食にしていった。
ふたりの首すじを咬んで、意思を支配してしまうと。
男は尻もちをついた女たちの足許に這いつくばって、ストッキングを穿いたふくらはぎをいやらしく舐めはじめた。
穿いていた肌色のストッキングをブチブチと噛み破かれながら血を吸われて、
彩夜はそのときようやく、血を吸われた女は相手の吸血鬼に征服されるという噂を、思い出していた。

観念し切った顔をして吸血された香坂の母親がぐったりとなると。
自分の血は香坂夫人以上に時間をかけて啜られるのを、彩夜は感じた。
その日ふたりの婦人は貞操を喪ったが、
自分のほうがたしかに、回数が多かった。
彩夜はしっかりと、男の寵愛を実感した。
夫以外は初めてだったはずの身体が躊躇ない反応をすることと、
起きあがった自分が香坂夫人ともども、落ち着き払って身づくろいをしてしまったことに戸惑いつつも。
彩夜は男に向かって、つぎの会合の予定は明日でもかまわないと、よどみなく口にしていた。
もの分かりのよい彩夜の態度に目を見張った香坂夫人もまた、
同じ時でも、二人だけでお逢いしてもいいですと、口にしていた。

息子のクラスの体育の授業は、すでに体育館から校庭に移動していた。
けれども吸血に耽る四人の男子はそのまま体育館に居残っていた。
教師はそれを、注意しなかった。
息子が同級生の少年に生き血を吸い取られてゆくのを目の当たりにしながら、
彩夜は息子の血を吸っている少年の父親に、黒のストッキングの脚を咬まれていった。

ずぶ・・・
ふくらはぎを冒す尖った犬歯が、微妙な痛痒さを伝えてくる。
薄地のナイロン生地がぱりぱりと裂けて、足許を締めつける緩やかな締めつけがほぐれていって、
ひざ小僧が露出するほどに裂け目が拡がるのが、なぜか小気味よく思えてならなかった。
礼儀と常識だらけの日常から解放されるような・・・一種不思議な感覚だった。
女は気前よく、もう片方の脚も差し伸べて、
ご丁寧にもロングスカートをたくし上げて、ストッキングを破らせてゆく。
墨色に染まった女の脚が、男の慾情をくすぐるのも承知のうえで、女は黒をまとってきた。
少年が息子の血を吸い終えるまでのあいだ、彩夜は立ちすくんだまま、少年の父親への供血をつづけた。

少年たちが立ち去ると、ふたりは体育館のなかに入っていって、
彼らが愉しみに耽っていたあたりに、足を踏み入れた。
吸血の現場を隠ぺいするために少年たちが行ったモップがけは、かなり雑なものだった。
彩夜はさっきまで息子がいたあたりにしゃがみ込むと、わずかに残った血のしずくに見入っていた。
息子のものらしい血のしずくは、まだ乾ききっておらず、ひっそりとした輝きをたたえている。
女は指先でそれを掬い、唇へともっていった。
かすかなほろ苦さが、母親の鼻腔を衝いた。
あたりに散っていた息子の血をすべてそのようにして舐め取ってしまえたのは・・・
彼女のなかにも吸血衝動が目ざめてきたからなのだろうか?

彼女がそうしているあいだ、男は体育館の倉庫から、マットを一枚引きずってきた。
なにをしたいのか、よくわかった。
つぎの授業があるのかないのかすら、訊かなかった。
そういうことは日常的に行われていたので、
教師たちは見て見ぬふりをしていたし、生徒たちも教師の指導に大人しく従っていた。
息子が血を吸い取られたその場所で、母親は息子の血を吸った少年の父親に、ブラウスを剥ぎ取られていった。
いけませんわ。主人に悪いわ。
彩夜は口で男を制しながらも、その場で姿勢を崩し、男が自分の素肌を吸いやすい姿勢を取り、唇を重ね合わせてゆく。
自分のセリフが単に、罪滅ぼしや情婦をそそるためのものに過ぎないことを、すでに十分に理解していた。
ロングスカートの奥に荒々しく肉薄してきた逞しい腰が、女の局部を冒したとき。
虐げられる歓びが、女の身体の芯を突き抜けた。

”吸血病”

2014年01月26日(Sun) 08:19:12

”吸血病”が街に襲いかかってきたのは、ある日突然のことだった。
発生源が隣町であることは、どういうわけかだれも疑うものがいなかった。
その病が隣町を支配したのは、かなり以前のことだったはずなのに、
どういうわけか周囲には拡散することがなかったのだが、
あるときだしぬけに、なんのきっかけも認められないまま、
この街にも、入り込んできた。

血を吸われたものは、翌日別人のような蒼白い顔をして現れるから、すぐにわかった。
首すじには、ふたつ並んだ咬み痕。
それまで活発だった子も、ぼーっとするようになって、
けれどもふつうに授業を受けて、仲間と一緒に登下校をくり返すのだった。
不思議なことに、この病気で命を落としたものは、ほぼ皆無のようだった。

さいしょのうちこそ教師たちはあたふたとし、対応に追われ、
どこかに電話をしたり、書類を書いたり調査に出向いたり、
学校だよりに「吸血病が流行っています。ご注意を」なんて見出しをつけて、
まるでインフルエンザのときのように生徒全員に配布してみたり、
あまり効果のなさそうなことを、それなりにしていたようだったけれど、
しまいに”吸血病”がまん延してしまうと、もはやなんの対応もとろうとしなくなったようだった。
死者が出ていないことが、大きな理由のひとつだったのかもしれない。
僕たちですら、そのうち”吸血病”の流行を、さして深刻視ないようになっていた。


さいしょに隣町から入り込んだ吸血鬼がなん人いたのか、そんなことすらわからなかった。
というのも、血を吸うものの多くは、すでに感染してしまった周囲の人間たちだったから。
あるものは感染すると真っ先に自分の家族を狙い、家族全員の首すじを咬んでいた。
かと思うと別の家では、ひとりの知人の訪問をくり返し受けて、全員が彼に咬まれてしまっていた。
家族それぞれが別々のものに咬まれるケースも、少なくなかった。
夫は勤務先から、妻はご近所の奥さん仲間から。
子どもたちは学校のクラスメイトや、あろうことか先生から、”吸血病”を感染させられた。

症状は顔色が悪くなるのと、首すじに咬み痕が残るのと、あとは行動が緩慢になって始終ぼーっとしていることだった。
それ以上、日常生活にはまったく支障がないのが、特徴といえば特徴だった。
だれかの血を欲しがる・・・という症状すらも、出るものと出ないものがあった。
すぐに症状があらわれて、周囲にいる人間に見境なくとりつく者もいるかと思うと、
忘れたころに発症する者、かなり早い段階に咬まれたはずなのに、いっこうに発症するようすのない者もいた。

いちど吸血すると、血を吸ったものと吸われたものとの間には、新たな関係が芽生えるようだった。
というのも、いちど相手の血の味を憶えてしまうと、なん度もくり返しおなじ人間から吸血するのがつねだったから。
いちど血を吸われたものが別のものに血を吸われることもなくはなかったが、どちらかというと少数派のようだった。
というのも、吸血の要求はかなり頻繁で、複数の吸血鬼の相手をするのは、体力的に難しいからだった。
”吸血病”に罹患した者は、たいがい7~8人くらい、そうした供血者を作ると、それ以上新たな襲撃は行わない。
一定の食欲が満足されると、もうそれ以上拡大することはなくなるのだった。
つまり、”吸血病”に罹患すると、周囲の7~8人程度が感染して、
さらにそのうちのなん人かが発症して、同じ所行をくり返す・・・というわけだ。
このままいけば、街じゅうが吸血鬼化するのは、時間の問題のように思われた。
”吸血病”は、だれひとり死者を出さないという不思議な経過をたどりながら、街じゅうを蔽いつくそうとしていた。


クラスの三分の一が咬まれた段階で、僕はまだ、だれからも咬まれていなかった。
きょうふつうに接して、いっしょに騒いでいたやつが、つぎの日になると別人のように蒼い顔になって登校してくる。
さいしょのうちこそ僕たちは、そういうやつのことを気味悪がって避けていたけれど、
それが三人四人、六人七人、そして十人を超えてくると、そういうわけにはいかなくなってきた。
三分の一の人間を「しかと」していたら、学校生活が成り立たないではないか?
だんだんと、”吸血病”に対する僕たちの対応は、もっと冷静なものになってきた。
病気の流行と「同居」している という感覚が強くなっていた。
隣の席のやつが蒼い顔で登校してくると、すでに感染したやつが、「おっ、お前もか?」って声をかける。
咬まれたほうも、案外平気である。
「あー、隣のクラスの××に咬まれてさあ・・・」
なんて、咬んだやつのことを淡々と口にしている。
さすがにクラスのムードメーカーの三人娘といわれた、神田昭子、水森敦美、田所千恵子の三人が、そろって蒼い顔をして教室に入ってきたときには、だれからともなく「おー!」とどよめきが湧いたものだったが。

そのうちに、僕の中でひとつの欲求が芽生えてきた。
ある特定の女子の血を吸いたくなったのだ。
みんな次々に咬まれている。
僕も彼女にしても、いずれは咬まれて血を吸われてしまう。
彼女がそうなるまえに、僕が彼女の首すじを咬みたい。
そのためにはもう、自分の血なんて惜しくない。だれかにくれてやってしまおう。
そんなふうに想った女子・・・それは同じクラスの香坂朋恵のことだった。

香坂とは、小学校のころから同じ学校だった。
母親同士が仲が良く、だから顔を合わせることも多かった。
彼女ががらりと変わった、別人のようにみえたのは、中学に入ってすぐの頃だった。
入学して2~3ヶ月、僕は新しい友達とわいわいやることに夢中だった。
母親同士が仲が良いからといって、それが子ども同士の関係に与える影響は、そんなに大きくはない。
香坂は僕とは違う仲良しグループに属していたし、一年のときには違うクラスだったから、なおさらそうだった。
そう思い込んでいた僕の心の中身が入れ替わったのは、6月頃、彼女とぐうぜんすれ違った時だった。
濃紺の制服に黒のストッキングを穿いた彼女は―――別人のように大人びてみえた。
学年があがって同じクラスになると、僕は彼女と面と向かって口をきくのも難しくなっていた。

なんとか香坂の首すじを咬みたい。
というか、ほかのやつに咬ませたくない。
ぐずぐずしていたら、ほかのやつに香坂を取られてしまう。
彼女のまえですっかり小心になってしまった僕にとって、
吸血鬼の持つ力と欲求は、なによりの武器のようにさえ思えていた。

あるとき僕は、隣の席の水森が蒼い顔をして登校してきたのを見て、思い切って声をかけてみた。
「僕の血を吸わないか?」

水森はふしんそうな顔をして僕を見、すぐにかぶりを振った。
「オレ、男は興味ないから」
すでに母親と妹と、たまたま居合わせた妹の友だちまで咬んできた・・・という。
そう、どんなところにも、人の生き血を狙うやつはいるのだった。
香坂の周りにも・・・家族や友達にひとりやふたり、”吸血病”に感染した人間がいるに違いなかった。

父さんが蒼い顔になったのも、ちょうどそのころだった。
「僕の血を吸ってくれない?」
父さんが血を欲しがるのなら、血をあげるのも親孝行になるのかな。そんな気持ちもあったから、
当然そうしてくれるだろうと思ったのに、父親のこたえは意外だった。
「バカ、家族の血なんか吸えるか」

母さんが蒼い顔になったのは、それから数日後のことだった。
相手は、おなじPTAの役員だという。
言いにくそうにしていたが、それは相手が男だったかららしかった。
神妙な顔つきで報告する母さんに、父さんは意外なくらい鷹揚に、「それでいい」とだけ言った。
うかうかしていると、自分のなかの欲求が高まって、妻のことを咬んでしまうから。
そんな配慮もあるようだった。
そういう父さんも、勤めている会社の若いOLを三人も咬んじゃっていたというのを知ったのは、だいぶあとになってから。
母さんは僕の悪戯を見つけたときのように「まあまあ・・・」と苦笑をしただけで、
吸血の相手が異性だと知っても、それほど気にかけている様子はなかった。

そんな僕にも、やっとチャンスがめぐってきた。
体育の授業のときだった。
先週から蒼い顔になった力武のやつが、球技をしている最中に呼吸が上がってしまい、その場にへたり込んだのだ。
ダン、ダン、ダン・・・ッ
ボールのはずむ音が、体育館の広い空間を、耳鳴りがするようにこだまする。
「おい、だいじょうぶかよッ!?」
僕たちが声をかけると、力武は大柄な身体をよじらせるようにして、苦しげに白い歯をむいた。
「だれかの血が・・・吸いたい・・・」
「えー・・・」
周りの連中が、声をあげた。
すたすたと避けるように立ち去るものまでいた。
けれども力武の親友の武本は呟いた。
「しょうがねえな」
僕の隣の須々田も、無言で頷いた。
「ほかに、咬まれてもいいってやつ・・・?」
武本が周りを見回すと、さすがに尻込みするものが多かったが、僕は迷わずに手をあげていた。
「おっ」
予期していないところからの支援の手に、武本と須々田は僕の手を握り締めた。
親友の窮地を救いたいものたちの、連帯感があったのは間違いないだろう。

「ほら」
蒼い顔をいっそう蒼くして歯を食いしばっている親友のために、武本が体操着の襟首をはだけてやると、
「うぅう」
言葉にならなかったが、たぶん感謝を表したかったのだろう。
力武は武本を抱きすくめると、首すじを咬んでいった。
「あ、痛(つ)うぅ・・・っ!」
武本は大仰に声をあげたが、さほど痛そうにはみえなかった。
僕と須々田は、武本の肩や腕を抑えて、暴れられないようにしてやった。
抑えつけた腕のなか、武本の二の腕は力を失っていった。
ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ・・・
ひとをこばかにしたような音をたてて、武本の血を吸い取ると。
白目を剥いて転がってしまった武本をそのままにして、力武は須々田を狙った。
「おいおい・・・っ」
さすがに須々田があわてて、とっさに身をかわそうとしたけれども遅かった。
僕は須々田を後ろから掴まえて、逃げられないようにしたし、そうするまでもなく力武は、須々田のことを真正面から掴まえていた。
須々田も同じ経緯で、力武に首を咬まれた。

「すまねぇな」
力武は、ふたりに対する吸血を手助けした僕にそういうと、こんどは僕のほうへと近寄ってきた。
力武の口許には、吸い取ったばかりの親友たちの生き血が光ったままだった。
自分の顔がこわばるのが、自分でわかった。
「ああ、悪りぃ悪りぃ」
力武は体操着のすそをめくって、口許と頬とを大雑把に拭いた。
真っ赤な血が、体操着にべたべたと貼りついて、いっそう不気味なものになっていたが、
僕はもうそれ以上気にしなかった。
近寄ってくる力武をまえに、自分から体育館の床のうえに身を横たえた。
体育館の床は硬く、背中にごつごつときた。
目をつぶった僕のうなじに、力武の息遣いがあたった。
同級生の男子の息遣いが、まっすぐに迫ってきた。
それは、獣じみた熱気を持っていた。
数秒後、僕は自分の首のつけ根に、なにか尖ったものが埋め込まれるのを感じた。

ずずっ・・・じゅるうっ。
ほかのやつが咬まれているのをはたできくのと、自分の血を吸われているのを耳もとで聞くのとでは、ずいぶん違った。
ナマナマしい欲求が、身体にじかに伝わってくる。
尖った犬歯を刺し込まれた傷口は痛痒く疼き、けっして苦痛ではなかった。
どちらかというと、体操着の肩先に撥ねた血のなま温かさのほうが、気になったぐらいだった。

「悪りぃ、悪りぃな」
力武はそうくり返しながら、僕から吸い取った血を口許からしたたらせたまま、さいしょに襲った武本が寝そべっている足許へと這い寄った。
武本のふくらはぎは、赤と青のラインが鮮やかなハイソックスに包まれている。
「どういうわけかさ、脚を咬みたくなるんだよな」
力武は僕に言っているのか、たんに独り言をつぶやいているのか、どちらともとれない感じでそう口にすると。
武本のふくらはぎの、肉づきのいちばん良いあたり―――ちょうどラインの真上だった―――に、ゆっくりと咬みついていった。
ちゅー。
面白いような吸血の音だった。
ダン、ダン、ダン・・・
ボールの音の響きは遠ざかっていて、体育教師は僕たちを取り残して、練習場所を体育館の向こうの隅へと移動していった。

武本がほんとうにぐったりとしてしまうと、こんどは須々田の番だった。
須々田も濃紺のラインが三本走ったハイソックスを履いていた。
おなじことだった。
ちゅー。
ひとをこばかにしたような音をたてて、須々田は顔をしかめながら、血を吸い取られていった。
さいごに力武は、僕のところに戻ってきた。
「お前ぇも悪りぃな。ふだんそんなに仲良くしてるわけでもないのにな」
やつはそういった。
「構わないさ」
僕がこたえると、
「でも、まんざら関係ないわけでもないんだよな。うちの親もPTAなんだ。お前のお袋さん、うちによく来るんだぜ」
へえ・・・そんなものなのか。まあ、そんなに大きな学校ではないから、そういうこともあるのだろう。
母さんと香坂の母親も、仲良しだしな。
「咬んでもいいか?」
重ねて訊いてくる力武に、
「好きにしなよ」
僕は気前よく、そういった。
赤のラインのハイソックスは、きょうおろしたばかりだったっけ。
唇を吸いつけられるのが新品のやつで、恥を掻かずに済んだかな。
どうやら靴下破りが好みらしいこいつのために破らせるのなら、悪くないな―――そんな不思議な感情が、僕のなかに芽生えていた。
ちゅー。
僕の血も、あっけらかんとした吸血の音とともに、ずいずいと体内から抜き取られていった。

こんどは僕が、香坂を襲う番だ。
そう思っていた。
早くしないと、香坂をほかのやつに取られてしまう。
体育館で寝そべったまま血を吸われた須々田が履いていたのは、香坂がよく履いているハイソックスと同じ柄だった。
白地に濃紺のラインが三本走ったハイソックスは、かなり流行っていて、男女どちらもにも好んで履かれていたから、そういうことは珍しくなかったのだけど。
濃紺の三本のラインに赤黒いまだら模様を散らしながら吸血に耽る力武の顔つきと、
顔をしかめながら吸血されている須々田のようすとが、記憶のなかにひどく鮮明に刻み込まれていた。
そして時折、その須々田の顔が、香坂のそれと入れ替わってしまうことに、僕は苦しんだ。

体育の授業が終わった後も、
トイレに行ったとき、咬まれた同士で顔を見合わせて、お互いの顔が蒼くなったのを確かめ合って笑った時も。
吸血衝動は芽生えなかった。
下校途中でたっぷりと道草を食ったのに、それでも普段と変わりがなかった。
身体から力が抜けたようになって、よけいな気負いがなくなったようで、気分は決して悪くはなかったけれど。
かんじんのものは湧き上がってこなかった。
「あら、野見山くんじゃないの」
聞き覚えのある声が、僕のことを呼び止めた。
僕はドキッとして、ふり返った。
声の主は、香坂朋恵だった。
香坂は須々田と同じ柄の、濃紺ライン三本のハイソックスを履いていた。

いかん、いかん。
総身に鳥肌が立って、そのくせ顔がほてっているのを感じた。
血を吸い取られてしまったのに、どうして顔がほてるのだろう?
けれども間違いなく、僕の心身に訪れた変化は、気になる女子をまえに硬直してしまう、あのときの感覚のままだった。
「おう、これから帰り?」
僕はつとめてなんでもないような顔をした。
「顔、蒼いね」
香坂は核心をついてきた。
「ああ、力武のやつに、咬まれちゃった」
僕はなんでもないことのように、そういった。
香坂はそれでも怯えるどころか、目線をまっすぐに僕のほうへと向けてくる。
「そうなんだ・・・それは災難だったね」
「そうでもないさ」
きみの血を吸えるんだから・・・なんて口にする勇気は、どこにもない。
いま吸血衝動が押し寄せたとしても、果たして僕は香坂のことを組み敷いたり首すじを咬んだりなんて、できるのだろうか?
「訊きたいんだけど、血を吸われるとすぐに、だれかの血を吸いたくなるの?」
えっ?えっ?そんなこと、訊くなよ・・・
僕は戸惑った。もしそうだと僕が答えたら、香坂は僕に血を吸わせてくれるとでもいうのだろうか?
「うん・・・」僕はあいまいに、なま返事をした。
「そうなるのかなって、思ったんだけど」
案外、普段と変わらない・・・そういうと、香坂は納得したようだった。
「そういうものらしいね」
「え?そうなの?」
「うん、あたしの両親も咬まれちゃったんだけど、ふだんと変わりがないっていうし。”吸血病”にかかった人って、血を吸えるタイプとそうじゃないタイプと、両方いるみたい。野見山くんの場合はきっと、血を吸わないほうなんだよ」
えー・・・
僕は目のまえが、真っ暗になったような気分になった。
自分の言葉が僕にどれほどのダメージを与えたのか、まったく関心がないように、香坂はつづけた。
「そういう人って、心が優しい人なんだよね。野見山くんは血を吸われても、たぶんそうなるかなって思ってた」
ほめられているのか、見くびられているのか・・・
僕は複雑な気分になっていた。
「でも力武くんに咬まれるなんて、いかにもありそう」
「あいつがガキ大将だから?」
「ううん、そうじゃなくって・・・だって野見山くんのお母さんも、力武パパに咬まれちゃってるじゃない。あら、知らなかった??」


香坂が与えてくれたさいごの情報は、僕のことを決定的に、打ちのめした。
力武の親父がうちの母さんの血を吸っていて、
息子の力武が僕の血を吸っている。
まるで親子で支配されてしまっているようだった。
「気にしないでね。あたしの母さんも、力武パパの奴隷になっちゃってるんだから」
香坂はこともなげに、そういった。
ほんとうにそうなのか・・・?
だとしたら、だとしたら・・・
香坂、きみが咬まれる相手も、もしかして力武・・・?
僕の焦りや悩みなどいっこうに察していないらしい香坂の後ろ姿を、僕はただぼう然と、見送っていた。


「やっちまった。女子の血はやっぱりいいな」
力武は得意げに、自分の自慢を見せびらかしていた。
「うおー、お前だれを咬んだんだよ?」
武本が羨ましそうに、力武を見た。
「そうだそうだ。だれなんだよ?俺たちまだ、だれの血も吸ってないんだぜ~」
須々田もまた、吸血衝動に恵まれなかったらしい。
かといってお互い誰もが、咬まれる一方の境遇に堕ちたことをさほど深刻にはうけとめていなかった。
むしろそんなことにならないほうが気が楽・・・そんなことも、だんだんとわかってきた。
「うるせーな!お前えらには秘密だ、極秘!」
力武は弟分ふたりを追っ払うように、逞しい腕を振って威嚇した。
二人が「ちぇ」と言いながら立ち去り、僕も立ち去ろうとすると、あろうことか力武は、僕のことだけを呼び止めた。
「お前にだけはいっとく。俺が血を吸ったのは、香坂だ」
ああ・・・やっぱり・・・
目のまえが真っ暗になるようだった。
「けれどもな」
力武は今まで見せたこともないような、親しげな笑みを浮かべていた。
「お前えにはたぶん、勝てねぇや」
え?
問い返そうとする僕に、力武は小さな紙袋を手渡した。
「これ、香坂の履いていたハイソックス。お前にやるから」


「ふつう自分で咬んだハイソックスは、巻きあげることにしてるんだけど」
そうだったな。僕たち男子のハイソックスさえ、力武は咬んだあと僕たちの足許から引き抜いて行ったっけ。
「香坂は抵抗しなかったぞ。来たな・・・って顔して、平気で咬まれて。そのあと足許をねだったときに、言うんだ。あたしのハイソックス、野見山くんに渡してくれない?ってさ。
たぶんオレはこれからも、香坂の血を吸う。
でも香坂は俺には、なびかない。きっと。
お前のお袋さんとは、ちょっと違うな。
僕の恋敵はそういうと、あっさり負けを認めたように、僕に紙袋を差し出した。
紙袋を通して、柔らかな衣類の感覚が、指に沁み込んできた。
じいっと紙袋を見つめる僕に、力武はいつもの調子を取り戻していた。
「袋の中身は、オレ見てないんだ。入ってるのは案外、香坂のパンティかもよ」
たちのわるい冗談をひとつぶっこくと、「おいっ!」背中をどやしつけた僕に笑い声で応えて、やつは駆け足で立ち去っていった。

未亡人の身の処しかた。

2014年01月25日(Sat) 06:56:58

左戸崎俊二がなくなったのは、59歳のときだった。
難病の末とはいえ、早すぎる死だった。
彼の死をもっとも悲しんだのはもちろん家族だったが、
おなじくらい悲しんだのは彼の子供たちをたぶらかしていた吸血鬼だった。

左戸崎の息子と娘はそれぞれ成人し、結婚して独立していたが、まだ少年少女のみぎりから、彼の毒牙にかかっていた。
左戸崎はふたりの子供を守ろうとけんめいだったが、彼らが自発的に血を与えるようになったのをみて、子供たちと吸血鬼の間に割って入ることをあきらめるようになった。
吸血鬼が息子や娘に対して自らの欲求を満たすためだけに近づくのではなく、心から打ち解けた関係になったのを知ったからだった。
「あくまで”和解”ですよ。”降伏”ではないですからね」
さいごに観念して自分の首すじを吸血鬼に咬ませるときまで、左戸崎はそう言い張りつづけていたし、
吸血鬼も決して、彼のプライドをないがしろにするような言動をとることはなかった。

やがて左戸崎の娘は吸血鬼を相手に処女を喪い、息子もまた結婚を控えた婚約者を紹介して、挙式前夜に花嫁の純潔をプレゼントした。
娘の夫となった男性も、娘と吸血鬼との交際を知った上でのプロポーズで、結婚後のふたりの交際を淡々と認めていた。
自分たちの最もたいせつなものを与えることで、結婚後も彼との関係をつづけ、深めることができたことに、ふた組の夫婦は満足を感じていた。

けれども左戸崎の妻だけは、やや例外に属していた。

「家内だけは、勘弁してください。お願いですから」

左戸崎はなんといわれても、自分の妻のひろ子だけは、咬ませまいとしたのだった。
ひろ子自身はもちろん、子供たちの血を吸っている男のことを不気味におもい、恐怖に感じ、いとわしい存在として避けていたが、夫と同様の理由から、やがてそういう嫌悪の情を感じなくなっていた。
夫までもが咬まれたときには、つぎは自分の番・・・と密かに覚悟さえ決めていたのだが、夫の懇願を吸血鬼は尊重して、彼女が40を過ぎるまで決して、彼女に近づくことはなかった。

転機は、数年後に訪れた。
ある日左戸崎の血を吸った吸血鬼は、彼の血の味に異変を訴え、病院での受診を強く勧めたのだった。
血を吸うことで相手の病気を予知する能力を持っていることがわかると、左戸崎はしぶしぶではあったが、吸血鬼に彼の妻の血を吸うことを認めたのだった。
彼がそこまで妻に対する吸血を渋ったのは、彼らが既婚の女性を襲うときには必ず、その女性を犯すとしっていたからだった。
「あんたがうちの家内に執心なのは、よくわかっています。けれどもどうかそれだけは、勘弁してもらいたい」
左戸崎は吸血鬼にそう訴えつづけ、吸血鬼は彼の願いを容れつづけていた。
じっさい彼がいちばん執心していたのは、左戸崎の娘でも、息子の新妻でもなく、ずっと年配のはずのひろ子だったのだが。

初めてひろ子のことを、吸血鬼にゆだねるとき。
左戸崎自身も同席して、妻が血を吸われるのを見守った。
そして、意中のひとを抱きとめた吸血鬼がつい夢中になって過度に吸いつづけそうになったり、妻自身がうっとりとなって血を吸わせつづけそうになると、「そこまで!そこまで!」と、強く制止をかけるのだった。
吸血鬼の妻を守り通すという、ほかのだれにもできないことを、彼はずっとつづけ通したし、
吸血鬼もまた、ひろ子の病気予知に必要な量の血だけで、満足していた。
「健康診断」の名目であっても、彼が最愛の妻の血を許してくれたことに、じゅうぶん満足していたのだった。


弔問客がすべて引き取って、家族だけになると。
吸血鬼は悲しみながらも左戸崎の娘をつかまえて奥の部屋に引きずり込んで、血を吸って抱きしめていった。
表情を消した娘は、一時間ほどして部屋から出てくると、自分の夫に謝罪するように頭を下げ、彼は淡々とそれに応えてゆく。
彼女は首すじの咬まれ痕を掌で抑えながら兄嫁に近づいて、彼女を目で促した。
兄の目のまえのことだった。
兄も無言で妻を促していた。
彼女もやはり謝罪するように夫に黙礼すると、洋装の喪服姿をおずおずと、ふすまの向こうへと沈めてゆく。
女ふたりがふたたび仏前に畏まったときには、それぞれの穿いていた墨色のストッキングには、派手な裂け目が入っていた。
薄墨色のナイロン生地にじわりと浮いた裂け目から露出した脛には、咬み痕が綺麗にふたつ、吸い残した血をチラチラとあやしている。
「お父さん、妬いているわよ」
ひろ子が目で笑うと、二組の夫婦は「ほんとうに」と、含み笑いで返してゆく。

翌日の弔いの席でいちばん号泣したのは、当の吸血鬼だった。
なにも知らない周囲のものたちは、故人と彼との親密さを推し量らないわけにはいかなかったし、彼の悲しみようにもらい泣きするものも少なくなかった。
病気を予知することはできても、死病から救うことまではできない―――けれどもそのことすらが、赦せない、受け入れられない、そんな想いが彼の胸の奥に去来していたのだった。

夫が骨になり、傍らに写真立てを置かれて。
息子夫婦や娘夫婦も立ち去って日常に戻ってゆくと。
ひろ子は毎日喪服を着て、夫のまえで手を合わせる静かな日常に入ることになった。
吸血鬼は隣室から、仏前に向かって頭を垂れていた。
左戸崎への遠慮から、ひろ子と同室することすら、遠慮していたのだった。
生前からのその習慣を、彼は律義に守り通していた。

「いらっしゃい」
ひろ子は男に、声を投げた。
え?とふしんそうに顔をあげる吸血鬼に、ひろ子は手招きをした。
ふたりのあいだに禁域のように横たわるふすまのレールを、彼はためらいながらまたいでゆく。

ひろ子は夫の写真に深々と頭を垂れると、吸血鬼と並んで黙礼をした。
それから彼を促して差し向かいになると、目を瞑っておとがいを仰のけた。
「どうぞ。主人から言いつかっておりますの。貴男への形見分けは、わたし自身―――ということを」

訪れた奇跡に男は驚き、驚喜し、歓喜した。
夫のまえではじめて欲情を込めてその妻を抱きすくめると、彼は激しくうなじを噛んだ。
ほとび出た血潮が喪服を濡らし、漆黒のブラウスやスカートに、撥ね痕を光らせた。
押し倒された未亡人は、自分の唇を唇でふさがれたのを感じ、喉もとに押し寄せる熱い呼気に圧倒された。
いいのかしら。ほんとうに、いいのかしら・・・?
そんな戸惑いも、一瞬のことだった。
荒々しくブラウスを剥ぎ取った掌が、彼女の乳房を揉みしだき、スカートのすそを割ってゆく。
清楚にみえた黒のストッキングは太もも丈で、そのうえを黒のショーツが引き降ろされていった。
ショーツに手をかけた彼のために、女は腰をすぼめて応じてゆき、自らの貞操を守っていたさいごの衣類が取り除かれるのを、目を閉じたまま感じ取っていた。
「これからは貴男のために、喪服を着るわね」
女が囁くと、男は黙って頷いて・・・年来の親友の妻に、心からの愛情を降り注いでいった。
猛り立った一物が股間にもぐり込んでくるのを自覚しながら、彼女は心のなかで呟いていた。
きょうからはわたくし、このひとのために生きるわ。あなた、ごめんなさい。そして、ありがとう・・・

ある若手実業家の回想

2014年01月20日(Mon) 23:54:54

顔をあげると、ずり落ちかけたひし形もようのハイソックスの脚が立て膝をしているのが目に入った。
足首には脱がされたショーツがまだからみついていて、
大きく開いた太ももの間には、逞しい筋肉に覆われたむき出しの臀部がのしかかっていて、激しい上下動をまだくり返している。
そのうごきがようやく熄(や)みかけたのを見計らって、俺は自分の相手をつづけていた女体のうえから身を起こした。
腰が浸かりきるほどのめり込んだ女体は、半開きに弛んだ口許から、歯ならびの良い前歯をむき出していた。
あれほどしつように重ね合わせた唇は、鮮やかに刷いた紅が色落ちもせず、女の口許をむごいほど艶めかしく縁どっている。
別人のように弛みきった目鼻立ちから、取引先の社長夫人の秀でた容貌を見いだすのに、すこしばかり時間がかかった。

気がつくと、俺の相棒は、自分の相手の少女をまだ畳に抑えつけた格好のまま、ニヤニヤしながらこっちを窺っている。
「処女だった。ちょっと動きが硬いが、好い身体しているぜ」
やつは自慢げにそううそぶいたが、俺は応えなかった。
少女は真っ赤な顔をして、畳を背にしたままやつのことを睨みつけていたが、喪ってしまった事実を言葉にされたのがこたえたのか、ぐったりとなって身体から力を抜いた。
「交代するかね?」
男の言いなりに、俺は頷くと、初めて女を放した。
俺たちは即座に身体を入れ替わると、俺は娘のほうに、やつは母親のほうへと、やおらのしかかっていった。

気を抜いて寝そべったままの自分のうえにべつの男がのしかかってくるのをみると、少女は声をあげて制止しようとした。
却ってそのしぐさにそそられた俺は、思わず奮起してしまっている。
獣の昂ぶりは、稚さなすぎる肢体を支配することに対するわずかばかりのためらいを、いっともあっけなく吹き飛ばした。
抵抗しようとするか細い腕を力任せにねじ伏せると、はだけた胸にしゃぶりつくように舌をあてがっていった。
やつに穢された素肌はなま温かく、さっきまでの痴情の余韻を含んでいる。
どうせ汚れた身体―――そんな意識が、かけらほど残っていた俺の良心をかき消して、恥知らずに逆立った逸物を、少女の股間にあてがっていった。

人妻が抱ける。うまくすると、母娘丼ができるんだが―――
やつの怜悧な瞳の輝きから逃れることができずに、ついうかうかとやつの持ちかけてきた話にのってみたら。
獲物は・・・俺の取引先の社長の夫人と娘だった。
若いうちから事業なんて始めるものではない・・・と、今ならつくづくそう思える。
組しやすそうな外見に乗せられて、ひとりの取引先に俺が突っ込んだ資金は、致命的なほど巨額だった。
その金をくわえ込んだまま、相手が倒産寸前にまで追い込まれたという事実を聞かされて、俺は思わず頭に血がのぼっていた。
やつがもっともらしいしたり顔をして、俺の傍らに腰かけたのは。
そんな時分のことだった。


さいしょの相手に選ばれたのは、この母娘ではない。
ほかならぬ俺自身の、叔母夫婦だった。
どんなふうに話をつけたのか、やつは叔父をうまいこと言いくるめて、夫婦でホテルに呼び出した。
俺が部屋に入っていったときにはもう、叔父はぐるぐる巻きに縛られていて、恨めしそうな顔をして俺を見あげた。
けれども叔父はどう丸め込まれたものか、抵抗するつもりも、まして、よからぬくわだてに参加した甥のことを怒鳴りつけるでもなく、ただうっそりと憂鬱そうに、黙りこくっているだけだった。
「さきに姦らせてもらったぜ。遅く来たのがいけないんだぞ」
初めてのことにびびった俺が逡巡したことを、やつはさりげなく咎めると、ズボンのチャックを引上げて、自分のいた場所を俺に譲った。
見慣れたよそ行きのスーツを着崩れさせた、半裸の叔母を目にした瞬間―――俺は自分のなかに、悪魔が入り込んだのを感じた。


俺の腕のなか、少女はほとんど抵抗らしい抵抗もせずに、若い肢体をゆだねきっていた。
初めて通り過ぎた嵐のあと、あろうことか初体験の相手とは別の男の相手までさせられて。
ただでさえ弱い彼女の頭脳は、完全に思考停止してしまったようだった。
太ももにぬるぬるとまとわりついた体液は、きっと紅いのだろう・・・そんなことをチラと思いはしたけれど。
俺はあえて少女の下半身を確かめずに、まだ生硬な股間を、むごいほど容赦なく、えぐり続けていった。
冒した回数は、やつより多かったかもしれなかった。
―――悪いが、娘の処女はおれがもらうよ。初体験だと、抵抗されたりとか、いろいろ不都合があるからな。
役得だ、といわんばかりにほくそ笑んだ横っ面に、勝手にしろよとほざいていた俺がいた。
ちょっとだけもったいなかったかな、という想いは、とっくに消えていた。
処女を奪うことには、さすがにしょうしょう、罪悪感めいたものを感じていたのかもしれない。


悲劇の主人公は、先日の叔父と同じくロープでぐるぐる巻きにされていた。
取引先の社長だった。
ふさふさとした白髪に囲われた、不健康に浅黒い頬は、ほとんど蒼白になりかけていたが。
充血した眼は獣のような輝きを秘めていて、汚されてゆく妻や娘に、いっしんに注がれていて。
抗い、戸惑い、やがて堕ちてゆくふたつの女体のあいだを、交互に行き交っていた。
やつは、すんでのこと俺から巻き上げたカネもろともドボンしようとした社長のまえに、茶封筒を突きつけた。
なかには少なからぬ万札が入っているのが、ほかのふたりの男にも、見て取れた。
「要らん!」
社長は目を剥いたが、強い語気を裏切って、目線は弱々しかった。
「服を破ってしまったのでね」
奪った貞操の見返りではない・・・ということを言外に含ませると、男はがっくりと肩を落とした。
女房と娘の身体を借金のかたに奪られた、という感覚だけは、さすがに受け入れがたかったのだろう。

「あくまでフェアな、男女の交際です。奥さんとお嬢さまにはお断りになる権利もありますが、あなたはよもやそんなことを勧めはしないでしょう。当方もそう信じてやまないものです。あなたはわたしどもの特殊な性癖を理解して、寛大に振る舞ってくださった。まったくありがたいことです。病んだ男ふたりを、ご家族ぐるみで救ってくださった。あくまでそういうことです。あなたはご家族が当方と交際するのを快諾された。交際期間は、この男との約束を履行するまで。そういうことですよね?」

立て板に水を流すような、口調だった。
もの慣れた相手にかなわないとみたのか、それとも自分の中になにか別の性癖を覗き見てしまったのか、男は拍子抜けするほどあっさりと、無言の頷きをかえしてきた。
男はズボンを脱がされ、パンツ一枚にされていた。
むき出しの股間に、透明な粘液がほとび散っているのがちらと見えたが、視てはならないものを視てしまったような気がして、わざと見ないふりをした。
ズボンを脱がされた理由を、男はじゅうぶん察知したのだろう。
裂かれたブラウスや精液でまだらもようのシミをつくったスカートは、父親が運転する高級車のおかげで衆目にさらされることはないはずだが、ズボンを台無しにしたらフロントから出ることもままならなかっただろうから。
男は最終的に、金を受け取った。
「全額、妻と娘の服代にする」
とまで、不思議と強い語気で、確約までしていた。

決着がついたのを見届けると、やつは俺のほうに向きなおって、言った。
「つぎは、きみの奥さんの番だね」
まるで、行きつけの飲み屋をもう一軒はしごするような、こともなげな調子だった。
緩慢な仕種で身づくろいを始めた女どものほうには、目もくれていなかった。



忌々しいほどスッキリしてしまった脳裡に、やつの言葉が刻印されるように灼きついていった。
さっきの社長夫婦と同じようにやるから。
自分の奥さんがイクのを見ると、始末に負えなくなるものらしいな。夫という人種は。
もしもどうしても気が進まないのなら・・・そうだな、借金のかたに奥さんに夜伽をさせる。そういうことにしようじゃないか。

俺はやつの車で自宅に乗りつけると、一目散に玄関に向かった。
借金で建てた豪邸のデラックスなたたずまいなど、当然目に入りはしなかった。

妻の美智子は、旧家の令嬢だった。
世間知らずでは人後に落ちないところがあったが、それでも俺の事業の状況が抜き差しならぬものになっていることは知っていたし、事業が破たんした場合、その家族にどういう運命が訪れるのか・・・ということについても、ある程度は覚悟していたようだった。
それでもそれは、あくまで頭のなかでの理解にすぎないのであって、実際そういう境地に陥った場合、どういうことになるのかはきっと、そのころの美智子には実感できてなかったに違いない。
新婚初夜のそのときまで、美智子は男を識らない身体だった。


「あの男と、ホテルまでいっしょに来てくれ。え?俺は部屋には入らない。送り迎えだけだから」
息せき切ってかいつまんだ話を、美智子は驚くべき理解力で洞察した。
俺の顔つきを見てはっと息を呑み、すこしうろたえたような戸惑いを見せ、サッと顔色を蒼ざめさせたが、ほとんど口も利かずに身支度をはじめ、小ぎれいなスーツに身を包むと、俺より先に男の車の後部座席へと乗り込んでいった。
隣に腰かけた俺は、なにも知らないような態度で傍らに座り背すじを伸ばす美智子のいでたちを盗み見て、はっとした。
白いジャケットを羽織ってわからないようにしていたけれど、漆黒のワンピースと黒のストッキングは・・・喪服だった。


ホテルのフロントでチェック・インをして。
そろそろここで・・・という目色をしたやつの顔つきなどまるで無視して。
俺は往生際わるく、部屋の廊下までいっしょだった。
やつはいやな顔ひとつせずに俺の同行を許し、美智子もまた感情を消した顔で、俺とつかず離れずの距離を保っていた。

初体験だと、いろいろ不都合があるからね。

いつかどこかで耳にした記憶のあるやつの囁きが、なぜか耳の奥によみがえった。


部屋に美智子を引き入れると、やつは俺を通せんぼするようにちょっとのあいだ、俺とドアのまえに立ちはだかった。
「紳士協定」
やつがひと言そういうと、俺はなにも言えなくなっていた。
「きみのために」
みじかく言葉を切って、やつはその場にちょっとかがんで、ドアストッパーをかけた。
「気が済んだら、これを外してドアを閉めてくれますね?」


部屋のなか、美智子は神妙に、背もたれのない椅子に腰を掛け、うつむいている。
やつは俺に背を向けて美智子のほうへと歩み寄ると、
背後から両肩を抑えて、おもむろに首すじを吸った。
左右に代わる代わる、熱っぽく重ねられる口づけに、妻は身を固くして、うつむき続けていた。
男はなおも美智子ににじり寄ると、足許にかがみ込んで、黒のストッキングのふくらはぎを吸った。
俺はジリジリしてくるのをこらえかねながら、それでも部屋のなかに踏み込むような無法をしてはいけないのだと、自分に言い聞かせていた。
やつの唇が、にゅるにゅる、にゅるにゅると、清楚な薄墨色に染まった妻のふくらはぎを、撫でつづける。
ヘビの生殺しのようだった。
これと同じ想いを、叔父やあの社長もしたというのか・・・
人妻をふたり、生娘をひとり、やつのために往生させた。
その手助けをした俺が、こんどは自分の妻を狙われる。
因果応報・・・そういわれても、おれはきっと「むごい!」と、自分勝手なことを口にしたに違いない。
そう、俺の美智子は、あの女たちとは、別格なのだ。
けれども、ああ、美智子は諦めきった表情をして、男のなすがまま、ワンピースの襟首をほどかれて、胸元に手を指し入れられてゆく。
ふと振り返った美智子の唇を、やつの唇がとらえた。
偶発的なものではない。お互いの息が合っていないと、ああはうまくいかないだろう。
ふたりは、唇をぶっつけ合うようにして、口づけを交わして・・・深くむさぼり合っていった。

ベッドに投げ込まれた美智子のうえに、やつの身体がなだれこんだのをしおに、俺はドアストッパーを外した。
バタンと音を立てて閉ざされたドアは、もう開かれることはなかった。
視たらきっと、興ざめする。そんな直感が脳裏をかすめた。たぶんその直感は、ただしいものなのだろう。
それでもちょっとのあいだ、俺はドア越しの気配を窺おうとして、硬いスチールドアとにらめっこをしていたが、なんの気配も伝わってこないのがわかると、肩をそびやかして立ち去った。
俺が紹介した三人目の人妻に、やつは大いに満足を覚えるだろう。


一時間の約束が、二時間半にもなっていた。
フロントに控えるホテル従業員たちの怪訝そうな視線を無視して長時間、ホテルのロビーでで待ちかねていた俺は、エレベーターが開くたびに腰を浮かして降りてくる人間を確かめつづけていたが、何十回目かに開扉されたドアの向こうにふたりの姿をみとめて、ほっと安堵を覚えた。
ふたりの距離は、あからさまに縮まっていた。
心細げに佇む美智子のすぐ傍らに、護るように寄り添うやつの姿があった。
小柄な美智子に覆いかぶさるような巨躯は、きっと俺よりも逞しいに違いない。

やつは俺に余裕たっぷりに会釈を投げて来、俺も負けずに余裕をとりつくろって、顔を上向けて応えてやった。
ひと呼吸おくれて、美智子が謝罪するように深々と、俺のまえに頭を垂れた。
頭を垂れなければいけないのは、俺のほうだったかも知れないのに。
「お約束どおり、美智子さんをお返ししますよ。早くうちに帰って、奥さんにおれのことを忘れさせてあげてください」
やつが俺の妻を名前で呼んだのは、この時が初めてだったが。
美智子はそのことにさして違和感も不審感も持たなかったらしく、ひと言「すみませんでした」と、もういちど俺に頭を垂れた。
後ろめたさがつよかったのだろう。いつも控えめな美智子の声は、いっそうくぐもって耳に響いた。
後ろめたい?本来後ろめたいのは、俺のほうのはずなのに。
ではなにがいったい、後ろめたい?もしかしてお前は、俺以外の男に感じてしまったのか?
かたくなに表情を消した横顔からは、なにもうかがい知ることはできなかった。
「ご苦労さま」
どうこたえていいかわからない俺は、ひと言そういうと、「帰ろうか」そう言葉を継いだ。
帰る・・・そうはいっても、ここは自宅から車で30分も離れたところだった。
「行きましょう」
当然のように男の車に乗ろうとする美智子に、逆に促されていた。
先頭に立ったやつの足許を視て、ぎょっとした。
スラックスから覗いた足首が、透けて見える。
やつが穿いていたのは、女もののストッキングだった。
ふと美智子の足許をみると、おなじ色合いのストッキングが、彼女の足許を染めている。
美智子がまとっていた黒のストッキングは、情夫の手で脚から引き抜かれて、情夫のごつごつとした脚を包んでいて。
美智子はそれとおそろいのストッキングで、自身の足許を染めている。
おそろいということなのか。
俺はやつの悪趣味をなじる以前に、妻のストッキングを脚に通しているのを認めることによって、美智子を完全にモノにされてしまったことをいやというほど思い知らされていた。

「ちょっと、見せつけ過ぎたかな?」
後日そんなふうに持ちかけてきたやつに。
「そんなことはない。あれでいいのじゃないか」
俺はそう、応えてやっていた。


車内ではお互い、ほとんど無言だった。
それぞれがそれぞれの胸の奥に抱いた想いを、反芻するのに余念がなかったのだろう。
ものの30分もそうしていたはずなのに、不思議なことに、気詰まりな沈黙では、決してなかった。
遠くからもよく見える俺の家の大造りなたたずまいは、どこか作り物めいて見えた。

車を降りるとき。
やつは後部座席にいる俺を振り返っていった。
「おれとの友情の証しに、きみは自慢の愛妻である美智子さんを、俺にプレゼントしてくれた。もちろん無償でね。おれは美智子さんの身体だけが目的の男だから、きみの家庭を壊すつもりはない。あとはふたりで、うまくやってくれ。交際期間は・・・どうしようか?無期限というのは、虫が良すぎるかな」
「それでもよろしいんじゃないですか?」
俺よりもさきに、美智子が応えていた。
美智子は行きとは違って、帰り道はやつの隣の助手席に腰を下ろしていた。
「そのたびに、俺がお前の間違いを忘れさせてやるよ」
俺はいったい、なにを言っているのだろう?
美智子は俺のほうを振り返ると、いった。
「そうね。早く忘れさせてくださいね」
え?
美智子の顔をもういちど見返すと、口許だけに泛べた含み笑いに、はっとするほどの華やぎがよぎった。
いやな予感がした。


社長の娘の塾は、月、水、金だった。
それ以外の火、木、土には、俺たちが社長宅で、帰りを待っていた。
華やいだワンピースの妻に、制服姿の娘。
そのふたりがふたりながら、凌辱されるありさまに、社長は戸惑い、おろおろとして、さいごに惑溺してしまっていた。
叔父の家でも、おなじことだった。
年齢的に子どものできる危険のないはずの老妻が、ひどく若やいだまなざしを若い情夫たちに注いでいって、スカートの裏側を精液まみれにさせてしまうのを、なんども目の当たりにするうちに。
「すっかり若返ったわね」妻にそうからかわれながらも、叔父は彼女に対する凌辱の儀式への招待を、いちども欠かさずに受けつづけたのだった。


愛煙家だったやつの訪問が、重なると。
どちらの家に満ちるようになった、煙草の芳香が。
我が家にもやはり、満ちるようになっていた。
それはたいがい、俺のいないときに行なわれるようだった。
どんなふうに乱れるのか。どんな声で喘ぐのか。
美智子は俺に、聞かれたくなかったらしい。
それでもおおむねその経緯を承知しているのは。
俺自身がやつに頼み込んで、密会の場を垣間見させてもらっているから。

初体験はいろいろ面倒。

やつにそう言われないようになるには、かなりの忍耐と熟練が必要だったけれど。
興ざめなものにちがいない。そう思い込んでいたその光景は・・・いや、それ以上はもう、なにも言うまい。


数年後。
妻と娘を取り戻すべく奮起した社長は、俺への借財を全額返済した。
それ以前に、俺は資産家だった叔父の援助のおかげで、事業の業績を完全に立て直していた。

正確にいえば、社長の借財は数万円だけ、残されていた。
そのわずかに残った“借財”のため、男は自分の妻と娘とを凌辱されつづけていたし、
それと引き替えに、自身もその儀式に招待される権利を獲得していた。
叔父もまた、迷惑だ迷惑だと愚痴をこぼしながら。
なぜか自分の妻目当てに訪れる獣たちのことを、拒み通すことはなかった。
法事帰りの喪服のまま乱れる妻をまえに、老い先短かい自分の供養はこんなふうにやってほしい・・・などと、言い出す始末だった。
俺の所はもちろん、訪問がもっとも頻繁だった。
美智子は時折、やつの出席する結婚式に妻役として同行して、宿泊するときにはやつの苗字で名前を書き入れるようになっていた。
やがて美智子は、妊娠した。
父親がどちらであるのかは・・・想像に任せたい。
やつは、「きみの場合も娘さんを征服したいね。それにはまず、美智子に娘を生んでもらわなければ」と主張していた。
近親相姦がもとより彼のなかでタブーでないことは、今さら言うまでもないだろう。
「家庭を壊さない」そういったやつの公約は、いまのところまだ守られている。
なにかが造り変えられてしまっている・・・そんな想いが度々よぎりはするのだが。
以前にまして尽くしてくれる妻のお腹には、ふたりの愛の結晶―――ということになっていた―――が、日増しにその存在感を高めてくるのだった。


あとがき
朝ざっと描いたものを見直してからあっぷしたのですが・・・
うーん、いままでになく、ダーク?いまいち? ^^;

挙式の延期

2014年01月17日(Fri) 07:47:57

挙式の日取りを、三回も延期したのは。
わたしの生き血を狙う、吸血鬼のため。
やつはわたしの血を吸い、母をも襲い、そして・・・いちばん襲われてはならない、婚約者の初美まで、襲ってしまった。
処女にはむやみと手を出さないというその吸血鬼は。
母を襲った時にはその場を去らせず、自分の女に変えてしまった。
父もまた、母のことを止め立てすることができなくなっていて。
鄭重に迎えに現れる吸血鬼に、苦笑で応えるばかりだった。
そんな両親のありさまを視てしまっているわたしにとって。
新妻を侵されまいとして実行できたのはただ、挙式の日取りを延期することだけだった。

最初はふしぎそうにしていた、彼女の両親が、真相を知ってしまったのは。
不幸にして、彼女の密会の現場が、自宅にふり変わったころのことだった。
夫婦ながら襲われた彼女の両親は、もの分かりよく相手を務めるようになってしまっていて。
むしろわたしに挙式を早めるようにと、せきたてるのだった。

三度延期した、披露宴―――
初美は名前のとおり初々しく、そしてあでやかだった。
新婚初夜のその晩は、気を利かせて現れなかった・・・と思っていたら。
ホテルに宿泊した初美の友人代表の子と、わたしの叔母と、初美の妹とを。
一夜にして三人も、自分の奴隷に変えてしまっていた。

そして今夜は、ああ・・・
やつの足音が、近づいてくる。
初美は心持頬を紅潮させて。近づく足音に、聞き入っている。
披露宴のあととおなじ、純白のスーツに身を包んで・・・

スポーツハイソの時代

2014年01月17日(Fri) 07:41:18

その頃の俺が部活のときによく履いていたのは、
紺のラインが三本走った、白地のハイソックス。
まん中のラインが上下のそれよりも太いタイプは、そのころの流行だった。

部活のサークルでは、ユニフォームはもちろんおそろいだったけれど。
ソックスまでは部費がまわらなくて、自前になっていた。
だからスポーツハイソの柄は、人によってまちまちだったのだ。
それがかえって・・・やつの目線を惹きつけてしまったのは。
俺たちにとっては不運だったのか、はたまた名誉だったのだろうか。

やつはチームのなかの一人に接近して、いともやすやすと籠絡していて。
キャプテンが堕ちてからは、話の進み具合が、いっそう早くなっていた。
やつは練習のあいだずうっと辛抱づよく、体育館の隅で待っていて。
練習が終わると俺たちは、「しょうがねぇな」って舌打ちし合いながら、やつの処に近寄っていって。
めいめい、スポーツハイソの脚を差し向けては、咬ませてやっていた。

さいしょに俺が、咬ませてしまうと。
三本のラインの周りに、赤黒く撥ねた血が、不規則なまだら模様になって散らばった。
ちょっぴり眩暈を感じていると。
「ボクのも、いいよ。ほらさ」
って。
おなじ柄のハイソックスを穿いたゼッケン5が、俺のゼッケン4の隣に並んできて。
臆面もなく吸いつけられてくる飢えた唇に、神経質そうに顔をしかめた。
競い合うように代わる代わる脚を差し伸べた俺たちが、早くもダウンしてしまうと。
「おぉい、山田。里丘っ!こっち来いよ。援軍に来てくれ~」
音をあげた声色に、やつらは「おれもかよー」って、ぶーたれながら、近寄ってきて。
しょうがねえなあ・・・って、口々に言いながら。
練習中にずり落ちかけたハイソックスを引き伸ばして、やつの相手を始めるのだった。
山田と里丘の履いているやつは、上下が黒でまん中が朱色の、ハデなラインが入っていて。
そのどちらもが、かぶりついてくる牙に、吸い取ったばかりの血を撥ねかされて。
「ったく、もう!」
口々に声をあげながらも、やつが存分に血を吸い取ってしまうまで、相手を続けるのだった。

「このおっさん、お前が履いているみたいなやつ、好みなんだな」
里丘がほろ苦い笑いを泛べて、あお向けにぶっ倒れた俺の顔を覗き込む。
やつはふたたび、俺の足許にうずくまってきて。
もう片方のハイソまでずり降ろしながら、よだれでぐしょぐしょにしてしまっていた。
「お前もこんど、履いて来いよ」って強がる俺に。
里丘は「おれのはおれので、お洒落なの」と、自慢とも言い逃れともつかないようなことを抜かして、びっこをひきながら体育館から駆け去っていく。

残り当番に択ばれたのは、俺と山田。
案外俺の紺色三本線のハイソとおなじくらい、山田の履いている朱色のラインのやつにもご執心らしかった。
ぴちゃぴちゃ、クチャクチャと、いやらしい音を立てながら。
16歳の血潮は体育館の床を濡らし、男の唇を浸してゆく―――


あれからなん年、経ったのか?
残り当番をしている俺を見かねた同級生の須見和子が、いっしょになって。
黄色と黒のラインのソックスを引っ張りあげて、俺の相棒をつとめてくれるようになって。
いつか俺たちは、つきあうようになって―――夫婦になっていた。

けっきょく、なんでもありかよお。
ハイソの柄なんか、どうでもよかったんじゃないか?

俺がそんなふうに愚痴るはめになったのは。
就職した和子がスーツを着てあらわれて、肌色のストッキングをブチブチと噛み破られるのを目にしたときだった。
やつはじつに旨そうに、和子のあしもとにかじりついていた。
そういえば。
未亡人していたお袋が、貧血を起こした俺の身代わりにって、黒のストッキングの脚を咬ませてやっていた時に。
やつは嬉しそうに、お袋の穿いていたストッキングを、みるかげもなく咬み破っていたっけ。

それからさらに、年が過ぎて。
やつはそれでも、俺たちの近くに棲んでいて。
息子たちの履いているサッカーストッキングにまで、物欲しげな目線を這わしている。
「小父さん、ハイソックスが好きみたいだからね」
上の子は悧巧そうな目をクリクリとさせて、そういった。
彼の選んだ私立校では、男子は濃紺の半ズボンに、おなじ色のハイソックス。
・・・・・・すでに手なずけられてしまったあとだった。

若い掛け声のエコーする、体育館。
そこには見ず知らずの若者たちが、俺たちとは違うイデタチで、汗を流している。
あのころ脚を並べていっしょに咬まれていった連中が、ふと懐かしくなっていた。

これで何度め・・・でしょうか? ~堕ちた男たちの日常~

2014年01月17日(Fri) 05:24:32

供血行為というものは、いちど許してしまうともう、病みつきになってしまうものらしい。
都会からこの街に赴任してきた羽月昂(はつき たかし)の場合も、まさにそうだった。

ほとんどなにも聞かされずに当地に赴任してきたのは、何か月まえのことだろう?
払えないほどの負債を抱えたかれにとって、この地は最良の身の隠しどころになるはずだった。
血を吸われることと引き換えに手に入れることのできた、安住の地。
そういうことが公然と行われるとだけは聞かされていた彼は、妻の帯同だけは当初、かたくなに拒んでいたはずなのだが・・・
いちど血を吸われてしまうと、仲間を増やしたいという願望に克(か)てるものは、もうなにもなかった。

赴任当日から義務づけされていた、不思議な慣習。
それは、勤務のときには必ず、ひざ下丈の長靴下を着用することだった。
ストッキングのように薄手のナイロンに透ける自分の脛を目にしたときに。
なにやら女になったような・・・という妖しい気分に囚われたものだったが。
いまや・・・夫婦ながら、ひとりの血なし鬼の愛人になったようなものだった。
「血なし鬼」。
この街では平和裏に同居している吸血鬼たちのことを、そう呼んでいた―――


血なし鬼たちは、横たわる夫婦の首すじや足許に慕い寄ると、
思い思いの部位に、着衣のうえから、噛みついてくる。
さいしょのうちは服が血浸しになるのに閉口したが、
着衣ごしに刺し入れられてくる牙がもたらすあのたまらない痛痒さ・・・それがすべてを忘れさせた。
服代は正規の給与以外に別途に支給されたから、経済上の不満はまったくなかった。

軽い貧血に、心地よい眩暈と陶酔を催すころ。
昂は傍らに横たわる妻の澪が、悩ましげな吐息を洩らしはじめるのに、いやでも気づかされる。
妻の生き血にご執心な相手の男は、左右の首すじを代わる代わる咬み、
はだけたブラウスごしに乳房のつけ根に唇を這わせ、
ふくらはぎや太ももに食いついて、穿いているストッキングをチリチリに裂き堕としてしまうと。
ショーツを足首まですべらせて、夫の視ている面前で、その妻を男女の営みへと引きずり込んでゆく。

相手は地元の土建屋の親父だった。
禿げかかった白髪頭を、てかてかに光らせて。
えへへへ・・・うへへへ・・・
弛んだ口許から、だらしなくよだれをしたたらせながら。
洗練されたスーツやワンピースに身を包んだ都会妻に、臆面もなく、のしかかってゆく。

人並みの嫉妬はあったけれど。
妻を抱かれてしまうこと。妻を汚されてしまうこと。
夫の前で、着衣をふしだらに着崩れさせて。
鼻息荒く迫ってくる親父の唇を、重ね合わされて。
同じように息をはずませて、応じ合ってしまう身体と身体―――
そんな光景を目の当たりにすることが、いまは妖しい昂ぶりとなっていた。

外が明るくなって、勤務に就くころには。
親父は夕べのなごりなど毛ほどもみせずに、得意先の土建業者に早変わりしていて。
いつも以上にてきぱきと、商談をまとめていって。
得がたいパートナー然として振る舞うのが常だった。
妻の澪もまた、てきぱきとかいがいしく家事をこなす主婦を演じていて。
これまた夕べはなにごとも起きなかったような顔をして、夫に尽くすのだった。
名残りといえば、ひとつだけ残された痕跡―――幾度咬まれても、痕はさいしょに咬まれた一箇所しか残らなかった―――が、首すじに赤黒い痣となって残るのだが。
かなり遠くからでもそれと識別できる熱烈な痕跡は、昂を少なからず苦しめたものの。
自身もまた薄黒い長靴下を脚に通してしまうと、都会にいたころの彼とは別人の、この街の住人としての弁えを発揮してゆくのだった。


親父は三日に一度、いや二日に一度は彼の事務所を訪れた。
もちろん、ストッキング地の長靴下を咬み破って、昂の生き血を吸うためにである。
親父が来訪を告げると、上司にひと言あいさつすると、それまでの執務を捨てて、
衝立で四方を仕切られた打ち合わせテーブルへと向かう。
親父が物欲しげな顔をしているかどうかで、その日の来意がただの商談なのか、生き血目当てなのかがすぐにわかった。
来客の顔色を察すると、昂は黙ってスラックスを引き上げて、薄黒く染まった脛を血なし鬼の口許へと差し伸べてやる。

自宅のほうへは、すでに出入り自由となっていた。
親父は女を抱きたくなると、いつ何時でも構わずに羽月家の玄関のインタホンを鳴らして、澪を呼び出した。
ふだんはさいしょだけでも、親父は夫の取引先としての慇懃な態度を捨てなかったが。
女が着替えて自分のまえに立つと、それまでの擬態をかなぐり捨てて、獣のようにのしかかってゆく。
いつぞやは、女に着替えするゆとりすら与えずに、
エプロン姿のままの澪を鼻息荒くリビングに押し倒していって。
夫の帰宅を背後に感じながら、なん度も股間をえぐりつづけていることもあった。

そんなふうだから、事務所に来る・・・ということは、必ずしも澪をねだりにきたとは限らずに、
むしろ純粋に、昂の血を吸いに来たということが少なからずあった。
もちろん・・・彼の退勤時刻にあわせて事務所に現れて、ひとしきり夫の血を吸ってから、夫の帰宅のあとを追いかけて、その妻までねじ伏せる・・・ということも、ないではなかったが。

すべすべとした感触の、光沢をよぎらせた薄手のナイロン越し。
赤黒く爛れた唇や舌が、ぴちゃぴちゃ、にゅるにゅると、ヒルのようにしつように吸いつけられてきて。
なま温かいよだれが、くまなくしみ込まされてきて。
薄いナイロンの舐め心地を、ひとしきり愉しむと。
こんどは一転して牙をむき、かりり・・・と皮膚に咬みついてくる。
パチパチと裂ける靴下ごしに、刺し込まれる牙の熱さを覚えながら。
昂はなん度となく、失禁した。
それくらい、親父の牙に帯びた毒は刺激的で、濃厚だった。

昂の事務所に来たからといって、親父が澪までも求めるとは限らなかった。
当然そうなると思い込んで、血を吸わせていたら。
悪酔いしたみたいにふらふらになったころ。
もうええ、きょうはあんたの血だけで、じゅうぶんたんのうした。
親父はそういうと、昂の頬にキスまでして、来たとき同様ふらっと事務所から出ていってしまうのだった。
たしかにそういうときの咬みかた舐めかたは、じつにいやらしくしつようなものではあったけれど。

かと思うと、サーヴィスのつもりで澪がいつも穿いているナイロンハイソックスを脚に通して出勤したときには。
ひと舐めしただけで、「これ澪さんのだな?」と見抜いてしまうと。
やはり貧血で酔いつぶれたようになった彼の耳もとに、「きょうの仕事はもうええから、あとで家に来い」と囁き残して、やはりぶらっと事務所をあとにして、
言われたとおり会社を早引けして帰宅してみると、夫婦のベッドの上、親父と澪とが、いまや組んづほぐれつの真っ最中・・・ということもまた、厳然としてあるのだった。

一度などは。
澪に言われるままに、彼女の黒のストッキングを穿いて、家で彼を出迎えたことがあった。
透ける足首を視ただけで、親父は炯眼にもそれと察して。
薄いナイロン生地に透けた彼の足首にキスをすると、たちまち彼を気絶させて。
身体から力の抜けた彼を気絶させるなり、澪の手をひいて夫婦の寝室に引きずり込んでいた。


上司殿は上司殿で、相も変わらずふんぞり返っていた。
自分のところに、やはり昂のところと負けず劣らずの頻度で現れる彼の得意先が来ると、
昂と隣り合わせの打ち合わせテーブルに向い合せになって、気前よくスラックスのすそをひきあげてやる。
彼の妻はそれなりの年配のはずだったが、彼の取引先に言わせると、絶世の美人だということだった。
「あいつら、血を吸わせてくれさえすれば、どんな不細工な女だって絶世の美女というわけさ」
上司殿はエラそうに背すじを伸ばすと、飼い犬にエサでも投げ与えるようにして。
「ほれ」と言うと、スラックスをたくし上げた脚を、来客の前に投げ出すのだった。
上司殿の得意先もまた、上司夫人にぞっこんだった。
彼の場合は必ずといっていいほど、夫人相手のセックスにもつれ込む。
しつような吸血に遭った上司殿が酔いつぶれたようになって、打ち合わせテーブルに突っ伏してへたり込むと。
「なあに、だいじょうぶ。すぐにしゃんとおなりになるさ」
そう言い捨てて、一路上司夫人の待つマンションへと、直行するのだった。
「服を脱がされるのを視られるのが嫌」
夫人のそんな想いを容れてか無視してか、彼女の夫が帰宅するころには、夫人は素っ裸になって、来客へのもてなしに余念がなくなっているという。
「いつもいつも、ちょうどいい按配のときに戻られるんだな。これが」
取引先の得意げなうそぶきに、昂はわかったような相槌を打ってしまっている。

上司殿の夫人が、日常的に輪姦されている―――そう聞いたとき、昂は安堵と共感を覚えていた。
親父がこのごろ、彼に無断で澪のことをお寺や公民館に連れて行って。
彼自身の得意先相手に、澪にセックスのサーヴィスをさせている・・・そう聞いてしまったものだから。
「羽月の奥さんは、なん人相手にした?」
露骨に訊いてくる上司殿に、「6人だそうです」と応えると。
上司殿はくすぐったそうに肩をそびやかして、「あんたの奥さんも、好き者だな」とかいいながら。
「うちのやつは二けたに乗ったぜ」なんて、ヘンな自慢をするのだった。
「おめでとうございます」
昂が神妙に頭を下げると、
「奥さんが二ケタに乗ったら、お祝いに一杯行こうか」
上司殿は完全に、地酒の毒にやられているらしい。
もっとも昂にしても・・・上司殿の陰口など、いえた義理ではなかったけれど。

「あのひとがしつこかった日の夜って・・・あなたも激しいのね」
けだるそうに呟いた澪の悩ましげな顔つきが、ありありと記憶によみがえってきた。

ご城下狼藉異聞

2014年01月12日(Sun) 09:35:33



雨の降りしきる作事場であった。
夜だというのに無数の人夫が、うずくまるように背中を丸め、黙々と地を掘っている。
あちらのものは、四人がかりで大石を担ぎ出し、
向こうのものは、小石を拾い集めて塚を積み上げている。
老若男女、身分の差もまちまちで、人の衣服も粗末なもの、一見して名のあるものとおぼしきもの、とりどりであったが。
だれもが人間業とは思えぬほどの素早さで、目の前の仕事を片づけてゆく。
そのあいだ雨はひと刻も止まず、人々を打ちつづけていたが。
だれひとりとしてそれが身にこたえると感じるものもないらしく、ものともせずに作事にいそしんでいた。

「あれ、幻真(げんしん)さま、お久しゅうごぜえやす」
幻真がふり返ると、野良着姿の年配の男が、目を細め眩しげにこちらをみている。
「よう、治五郎どんか。まことに久しいの。いつ以来であったかな」
「慶長のころでごぜぇますだ。あれから何度かお呼びを賜っておりやすが、なかなかお声がかけられんで」
治五郎と名乗る野良着の男は、申し訳なさそうに目じりを垂れたが、
幻真はそのようなことは気にならないらしく、手を振って男の陳謝を打ち消していた。
「それよりも、娘ごとは逢えたか」
「へえ、ここにおりやす」
傍らでうずくまっていた娘が、だしぬけに起ちあがる。
これもまた、貧しげな野良着姿。
けれども活気に満ちた笑みは、すべての顔色を鉛色に消している夜の闇を射とおすようだった。
「何より何より」
幻真は笑っている。
「そもじたちとは・・・どれほどになるかのう」
「はあ、かれこれ百五十年ほどになりますような。わしらの子孫はいまごろ・・・どこにおりますことやら」
「ここに住むもの皆が子孫であると思えばよい」
はたから聞いていると奇妙な会話であったが、だれもがそれを不思議とも思わないらしく、
ふり返るものはおろか、手を休めるものさえいなかった。




高桜藩五万石。
実高はおよそ十万石といわれ、ひなびたこの国の諸藩のなかではきわだって豊かであったのは。
藩侯の善政宜しきを得て、城下は殷賑をきわめていた。
困難を極めると予想された治水工事も、予定の半分の費えと日数で見事に仕上がりをみせたことは、
その実高をあげるのにおおいに貢献があったと言われるが、
あれほどの作事がどうしてそのようにとんとん拍子になったのかを知る者は、あまりなかった。
まして、あばれ河をみごとにせき止めているあの大きな堤防が、たった一夜にしてできあがり、
いまでも一夜堤といわれる所以など、庶民の知るところではなかったのである。




高桜のご城下は、このかいわいでも一二を争う宿場町でもあった。
痩せ身に骨張った頬をもつ、五十年輩とみえるお武家がこの宿にあらわれ、長逗留を決めこんだのはそのころのこと。
一見して旅人とわかるその風体にも似ず、男は軒を連ねる旅籠には見向きもせずに、一見の大店(おおだな)めざして歩を進めていった。
男が目指した高力屋は、このご城下でもとりわけ店構えの立派な、呉服問屋であった。

人の足しげく行き交う正面から堂々と入ってゆくと、古参の女中がひとり、目を丸めて男を視た。
どんぐりまなこに分厚い唇、置物のように恰幅のよい身体つきをした女中は、珍しい訪客に口をあんぐりとさせている。
「あんれ、まあ。お武家さま・・・もしや幻真さまではございませぬか」
「いかにも幻真である。あるじはおられるか」
「へえ、へえ」
女中が奥へと引き取ると、ほとんど入れちがいのように高力屋があらわれた。
五代目の主人である高力屋庄次郎は、四十年輩の小男で、つるりとした人好きのする面貌と如才無げな物腰の持ち主だった。
四代前のとき、長男が非道な行いを重ねていたのを斥けて、働きものの次男坊があとを継いでから、この家は代々庄次郎を名乗っているのだが、
遠祖の兄庄一郎を回心させ僧侶として生き続けさせたのが幻真と名乗るお武家だということは、代々のあるじだけが口伝えに伝える当家の秘伝となっていた。

ひとしきり久闊を叙し合うと、庄次郎は、
「おときさん、おときさん」
みずから手を叩いて、お内儀を呼びつけた。
現れたお内儀は、お勝手で御飯支度の最中であったらしい。
締めていたたすきをほどきながら現れると、身を二つに折るようにして幻真にお辞儀をした。
「おときさん、ここはもういいですから、今夜は幻真さまのお世話を頼みます」
庄次郎は手短かに告げると、そそくさと商いに戻ってゆく。
ひと言お内儀に耳打ちするのを忘れずに―――

朝まで、表には出なくてよろしいですからね。


「ご城下には、どんな御用で?」
幻真とはすでに気安い間柄であったお内儀のおときは、気さくでサバサバとした口調であった。
あるじの古いなじみであると夫から聞かされている幻真に、
遠慮もせず、狎れすぎもせず、つかず離れずの距離を保っているようだった。
それは幻真にとっても、好ましい関係だった。

「ウン、数日か半月ほど、やっかいになる。じつは女に懸想をした」
男もまた、軽々とした語調だった。内容の濃さとは裏腹に。
まるで焼き芋でも買いに来たような口ぶりがおかしかったらしく、妻女はほほほ・・・と、忍び笑いをする。
「幻真さまでしたら、どんなおなごでもすぐに、着物のすそを割りましょうほどに」
「ははは。はしたないことを言うでない。相手は武家の妻女なのじゃ」
女は目を見開いて、息をのむ。

数日か半月というのは、目当ての女を堕とすのに所要の日数なのだろう。
なんとお手の早い・・・
女が思ったことを、幻真はほぼ見通していたようだった。
「武家の作法というのは、面倒なことよ。そなたなら、宿をとればすぐさま、気安うしてくれるというのにな」
あてがわれた部屋で二人きりになったのを良いことに、臆面もなく肩を掻き抱こうとしてきた猿臂が伸びてきた。
「あらあら、おたわむれを」
お内儀はたくみに、伸びてきた猿臂を避けようとする。
「まだ昼日中でございましょうに」
けれども女のあらがいも、ほんのひとときのことに過ぎなかった。
畳のうえに圧し臥せられたお内儀は、「ああ・・・」とひと声うめいて、男の口づけに、けんめいに応えてゆく。
幻真の喉の奥に、脂の乗り切った人妻の艶めかしい呼気が、濃厚に充ちた。

しつようなくらい熱っぽく唇を重ねると。
「よろしいな?」
男は謎めいた笑みを浮かべ、念を押すようにお内儀を見つめた。
「はい、つつしんで」
お内儀もまた、男に劣らぬ謎笑いを泛べて、言葉を返してゆく。
男の唇が、結わえるように濃く重ね合わせていた女の唇からそれていき、おとがいからうなじへと、流れていった。
女は息をはずませて、その身をかすかにわななかせている。
なん度回を重ねても、このときばかりは気が張るものらしい。
男の唇は、しばらくのあいだ女のうなじを撫でるように這いまわっていたが。
一点をここと決めると、ググッ・・・と力を籠めてきた。
男の口許から覗いた犬歯は鋭利な尖りをみせ、お内儀の首すじに深々と埋められてゆく。
「ああ・・・」
お内儀は悲しげに声をたてたが、男はゆるさなかった。
見るからに値の張りそうな着物の衿足に、赤黒い血潮がぼとぼととほとび散る。
「ああ・・・ああ・・・ああ・・・」
生き血を吸われていることを実感しながら、お内儀は男の腕の中で、もはや抗おうとする気色を見せなかった。
着物の汚れを苦にするふうもなく、ひたすら小さくなって、男の欲求に応えつづけてゆく。
くちゅ・・・くちゅ・・・
生き血を啜る音が、人を遠ざけられた密室の畳を、深く静かに浸していった。


もろ肌を脱いだ着物は、帯で縛りつけられたようにして、まだ女の身体に残っている。
すその前は割られ、足袋を穿いたままの肉置きのよい脚が、太ももまで露わになっている。
男は女の豊かな乳房をまさぐりながら、乳首を吸い、唇を吸い、うなじにつけた噛み痕を吸った。
「幻真さま、お強い」
すでに男女の交わりを果たした後の女の満悦が、お内儀の総身にみなぎっている。
夫の庄次郎は、まだせわしなく商いの渦中に身を置いている時分だろう。
しかし、城下一の甲斐性とうたわれた夫の働きぶりも、迫ってきた夕暮れも、女には関心のないことだった。
いまはひたすら、夫よりも十は年上にみえるお武家の逞しい身体が迫ってくるのに身を任せ、痴情をあらわにひたすら、乱れるばかり。
夫は稼ぎ、妻は不義をはたらく。
いいじゃないの。あたしは商家の女。お武家さまとはわけがちがう。
いまはただ、ひたすらに。酔っていたい。莫迦になっていたい。
女はなおも求め、男はなん度も身を重ねた。

男の掌が、まだおときの乳房にあった。
片手間のようにまさぐる手つきが、痴情の余韻をまだやどしていて、
時おり想いを深めて素肌に迫ってくる。
こんな有様をこの大店の使用人が目にしたら、ひっくり返ってしまうだろうか。
それともそ知らぬ顔をして、通り過ぎてゆくだろうか。
あるじのお仕込みのよろしいこの店のことだ。きっと素通りしてゆくに違いない。
男はおもむろに、女に訊いた。

「おみよは幾つになった」
「ハイ、今年で十六に」
おみよはおときが嫁いですぐにもうけた娘で、男の児に恵まれなかったこの家の惣領娘だった。
あるじは働き者ではあったが、子種にめぐまれないらしかった。
なかには口さがないものがいて、あの娘もお内儀が嫁ぐまえに、実家の使用人相手にできた子だと陰口をたたくものがあったのだが、それは違うと幻真は思っていた。
つるりとした娘の面貌は、おときよりもむしろ、庄次郎に似ていたのだから。

「あの小娘も、わしと初めて契ってから、はやみとせになるか」
幻真が露骨なことをいうと、おとせもさすがに母親の顔に戻っていた。
「困りますよ、あまり軽々しく仰ると。評判になります。嫁にいけなくなります。婿も取れなくなります」
「そなたとの仲も、ご城下で知らぬ者はおらぬまい」
「妾(わたくし)と嫁入り前の娘とでは、違いましょう」
「ははは。そう申すな。あの娘には近々、婿を取って、跡取りを決めねばなるまい」
幻真はまるで、この大店のあるじのようなことを言う。
「幻真さまのお種が、いただきたかった」
女もまた、こわいことを口にした。
「わしの種ではの・・・そんなものができたら、寺に入れて坊主にするしかない」
あるじだけが知っているという、この家の長男坊の仕儀を、このお内儀は聞いているのだろうか?
「わしの部屋には、おみよも寄越せよ」
「妾しだいでございますとも」
「ということは、母娘で毎晩通うということだな」
「おたわむれが過ぎます」
「構わぬ、そなたも時には亭主と寝るがよい。娘に代わりを務めさせれば済む話」
「まあ」

今夜はつきっきりですよ、というお内儀に、幻真は悪戯心を沸かせていた。
「あるじとも一献、まいりたいの。今夜はおとき、夫婦の寝間に戻るがよい」
「え・・・?」
抱いてはくださいませぬの?と言いたげなおときのおとがいを掴まえると、男は囁いた。
「あるじの前で乱れるのも、また一興であろうが」

ははは・・・ふふふ・・・
性悪な男女の忍び笑いが、昏くなった窓辺を染めた。
あるじは幻真の、たちのよくない性癖をじゅうぶん心得ているのだろう。
今ごろ早手回しに、お銚子の支度をしているはずであった。





「ご下命を受けてきた」
河原太郎左衛門は、おごそかな顔をして、妻女の芙美に告げた。
「であるからによって、そなたも左様心得るがよい」
「は・・・はい」
瞬時でもうろたえたことを恥ずるように、芙美は茶室の畳に三つ指を突いて頭を垂れた。

仲睦まじい夫婦のあいだで、茶事は日課のようなものであった。
「ご逗留のあいだ、わしはこの茶室には足踏みをしない。人も立ち入らせない。よいな」
「心得ました」
神妙に頭を垂れる芙美は、夫の言を反芻するように、須臾の間目線を畳の上にさ迷わせた。
「名誉のことであるぞ」
「もとよりのことでございます」
芙美は初めて夫の目を見返した。
当家に嫁入って、はや二十年が経とうとしていた。
すでに嫡子の勇之進は一家をたて、夫婦とは別棟を構えている。
大身の家柄にして、初めてできることではあった。
「かえってそのほうが、好都合であろうの」
夫の言いぐさに、妻もまた肯いていた。

夫婦の間で交わされた謎めいたやり取りに、耳をそばだてるものはいなかった。
太郎左衛門は語り終えると、なにごともなかったような顔つきで、妻女にいった。
「さて、もう一服いただこうか」




幻真と名乗るその五十年輩の男は、藩では古くから、ひどく重んじられ畏れられているという。
彼の事績がもっとも古く残るのは、あの治水工事のときのことだった。
出どころ不明の人々を差配した幻真は、一夜にして堤を築きあげ、あばれ河の氾濫を防いだのである。
それがかれこれ、百五十年も前のことだった。

そのおなじ人間が、まだこの世にあって、しばしば城下に現れるという。

さいごに現れたのは、二十年ほど前だった。

藩政を壟断していた家老が驕慢のあまり家中を乱したさい、ご公儀にも知られずにことを裁くことができたのは、ひとえに幻真のおかげであったという。
秘密裏に永の暇を賜った悪家老の家の末路も、だれ知らぬものはなかった。
はばかりの多いことだったので、記録に残されることはなかったから、見聞きした者たちがいなくなったあかつきには、すべてが忘却のうちに葬られることだろうが・・・

当時四十を過ぎたばかりであった家老には、嫡子夫婦と己の妻、それに還暦を過ぎたばかりの母儀をもっていた。
永蟄居を命じられた当主が引き籠る離れからは、母屋で行われていることすべてを、気配で察することができたであろう。

嫡子は寺に入り、お家は断絶。

夫に去られた若妻は、たちまち幻真の餌食にされて、邸の広間で幻真に組み伏せられ、生き血を吸われた。
白昼の狼藉に泣き叫ぶ声が、邸じゅうに響き渡ったといわれている。

家老の妻女もまた、自らの節操を泥濘にまみれさせる仕儀と相成った。
それは離れにほど近い庭先で行われたという。
驕慢に満ちた態度もとともに謳われた城下一の美貌を悔しげに歪めながら、
豪奢な打掛姿で幻真に対し、脂の乗り切った膚をあらわに庭先で乱れたという。

年老いた家老の母儀さえも、おなじ災厄を免れることはなかった。

家老の広壮な邸は売り払われ、跡地には女郎宿がたった。
幻真がどこぞから連れてきた手練れの女将が差配する宿で、
気位と精気を抜き取られた妻女たちは、武家の身なりのままに客をとって、春をひさぎつづけたという。




「なんとか儂だけで、ご勘弁願えぬものですかな」
河原太郎左衛門は、なにごともなかったような温顔で、相手を視た。
男が唇を吸いつけたあとには、かすかにではあったが、まだ赤い血潮が撥ねている。
傷口に帯びた痺れるような疼きは、尋常のものではない。
修練を積んだ武家ですら、取り乱しかねないほどの、濃い誘惑に満ちている。
じんじんと疼く傷口に顔をしかめながら、太郎左衛門はなおも、淡々と告げていた。
「芙美にこのような目をみさせて、あれの節操を試すようなことをするのは、不憫ですでな」

幻真と名乗るこの男の、苗字すらも訊かされていない。
はたしてそれが本名なのかどうかすら、分明ではないという。
そのような素性妖しきものに、わが妻女を―――
ひとりの男として、そう思わないわけにはいかなかった。
まして、藩の権柄づくで妻女の節操を地に塗れさせるなどという恥辱を受けるいわれは、どこにもなかった。
いっそのこと・・・若者のように暴発しかけた太郎左衛門のことを制したのは、三十年来の上役だった。
「儂にも所存がある。こたびのことは、忍んで享けよ。まずは幻真どのに逢うてから所存を決めてもよろしかろう」
短慮はならぬぞ、といったその上役もまた、妻女を密通されていたと知ったのは、だいぶあとのことだった。

「貴殿を辱めるつもりは、毛頭ない。御当家の名誉を穢すつもりも、もちろんない。家老殿のことがどうやら、悪く伝わっているようですな」
幻真の言葉に、太郎左衛門は、もしやご下命の内容は僻事ではないかと思ったほど、彼の態度は慇懃を極めていた。
けれどもその見通しは、すぐにくずれた。
―――ご妻女に、懸想をしておる。見染めたのは、昨年の秋。晩龍寺に参詣されておられたであろう。
男の言い方は、直截的だった。
晩龍寺は、例の家老の嫡子が隠棲している寺であった。
遠縁でもある河原家は、しばしばこの寺に詣でて、かつての家老の嫡子とも親交があったのである。
そのときの妻女の立居振舞も、帯びていた着物の柄も、なにもかもが、芙美のそれと符合していた。
―――ご妻女をお見かけしてから、儂は狂ってしもうた。この鬱念晴らすには、ひと夜ふた夜では、とうていすまぬ。
掻き口説く口ぶりはまるで狂人のようであったが、同時に男がただ者ではないことも、太郎左衛門は知るのだった。
お城に出仕して数十年。そのあいだに見聞きしたこと、交わしてきた言葉のすべてが、この男が瞠目に足る人物であることを告げていた。
小半時も言葉を交わしていたであろうか。
さいごに力なく呟いたのは、太郎左衛門のほうであった。
「この齢で、妻女の不義を見届けることになるとは、思いも寄りませなんだよ」
「不義ではござらぬ」
幻真は言下にいった。
「ご厚誼と承りたい」





茶釜のお湯が沸き立つシュウシュウという音を耳にしながら、芙美は淡々と茶事に集中した。
傍らに居住まいを正しているのは、夫ではない。
そもそも夫以外の男を一人でこの茶室にあげたことは、初めてだった。
男女でひざを交え、差し向かいになるということが、思わぬ恥辱をもたらす・・・武家の婦女として当然わきまえてきたはずのことであった。

客間で引き合わされた幻真は、思いのほか涼やかな面貌をもっていた。
頬の輪郭が濃く彫りの深い顔立ちに永年の労苦が滲んでいるのを、炯眼なこの婦人は、ひと目で見ぬいていたのだった。
百年以上もまえに一夜堤を築かれた・・・というのも、僻事ではないような。
そう思わせる風儀が、この男には漂っていた。
それと同時に―――
この男は極端なくらいの脆さをも、兼ね備えている。
それに気づかないわけには、いかなかった。
深手を負って、息も絶え絶えな男。
それだのに、己に無理強いして、ほほ笑みしか見せていない。

永年連れ添った自慢の妻女を、いよいよひきあわせる というときに。
太郎左衛門は幾度も逡巡し、己の逡巡を恥じ、己を叱りつけて強いてこの座に自らを引き据えた。
余所着に使っている緋色の単衣に身を包んだ芙美が姿を現して、客人の視線に注視されると。
思わず、生贄を捧げるもののやり切れなさが男を一瞬浸したけれど。
太郎左衛門もまた、人の目利きでは妻女に劣るはずもなかった。

十年に一度。
節操高き武家の女を数名、懐抱せねばならない性を、河原家として受け容れる覚悟が、一瞬にしてできあがっていた。
「当家自慢の妻女でございます。ふつつかではございますが、どうぞご存分に果たされますように」
太郎左衛門は、これから芙美を穢そうとする男に、深々と頭を垂れた。
「貴殿の欲するところは、当家の名誉とするところにて候」

しずしずと去ってゆく妻女の衣擦れの音が遠ざかってゆくのを、太郎左衛門は目を細めて聞き入っていた。


育ちの良い、楚々とした立ち姿。
武家の妻女らしい、無駄のないきびきびとした立居振舞。
ふとした口吻から窺える、深いたしなみと高い教養。
そのいずれもが、幻真を惹きつけてやまなかった。
あの晩龍寺での、参詣の折そのままであった。

晩龍寺の住職は、十年前に失脚した家老の嫡子であった。
芙美との面談に応じた彼は、男子としては繊弱な細面に笑みさえ浮かべて、当時のことを語ったのだった。

わたしこそが、罰を享けねばならなかったのです。妻女にそれを追わせてしまったのは、拙僧生涯の不覚でありました。
身を淪(しず)めて身体をこわした妻女を身請けして、尼寺に入れて下さったのも幻真さまでございまする。
いまは恨みも消え果て、ただ感謝と誇りだけが、不思議と胸中を去りませぬ。
妻女の身から若妻の生き血を召されたこと、昼日中からうら若き身で幻真どのの煩悩を去らしめたこと。
妻女のしたことを、拙僧いまは誇りに感じておりまする。

はたして妾(わたくし)は、誇りを感じることなどできるだろうか。
これからなされてしまうことに対して・・・

芙美がもの想いに耽った一瞬の隙を、幻真は見逃さなかった。
気がつくともう、彼女自身の身体が男の猿臂に巻かれているのを知って、芙美はうろたえた。
「なりませぬ」
かまわず、男の唇が芙美の襟足を這い、うなじに近寄せられる。
「なりませぬ」
掻き抱いた両掌が、着物のうえから芙美の肢体をまさぐり、節くれだった指先が、えり首に忍び込む。
「なりませぬ!」
女は身を揉んで抗ったが、婦女を凌辱することに狎れた男のやり口を遮ることはできなかった。
無体な狼藉など、この身に及ぶとは、夢想だにしなかった数十年の生涯の果て―――このような恥辱を享けねばならないのか?
芙美は悔しげに唇を噛み、忍び泣きに泣いた。

男はそれでも容赦なく、手を緩めることなく芙美を責めつづけた。
解かれた帯は茶室の隅にとぐろを巻いていた。
結わえをほどかれた黒髪は背に波打って、ユサユサと揺れつづけた。
はだけられた襟足から覗く乳房の輝きに、女は恥じ入って目を逸らしたが、
下前を割られていたことには、不覚にも気づいていなかった。

ヒルのようにヌメヌメと這う唇に、グッと力が込められる。
ああ・・・
生き血を吸われてしまったら。もうおしまいだ。
女の想いとは裏腹に、尖った異物が素肌を冒した。
圧しつけられた犬歯が皮膚を破り、ずぶずぶと埋め込まれる。
首すじに撥ねた血潮のなま温かさが、濃い敗北感となって女の胸に黒い影を落とした。
夫が何日もかけて、己の血だけで満足してもらおうとしていたのは、このためだったのか。
じりじりと痺れるような、咬み痕の疼き。
そのままじゅるじゅると啜られるたびに、頭のなかが真っ白になり、魂まで吸い取られるような気がする。
それが悦びに変化するのに・・・さして時間はかからなかった。

男の掌が、あらわになった乳房をわがもの顔にまさぐりつづける。
ああ・・・
いちど受け容れてしまったら、どうして耐えることができようか。
膚を許す殿方は、夫ひとり―――つい数日前まで、そのつもりであった。
永年心を温め続けてきた想いが、いまや覆されようとしている。
その事実が、こともなげに、目のまえにあった。

しみ込んでくる指先の感触が。
あてがわれてくる唇の熱さが。
命がけで節操を守ろうとする女の手足を、痺れさせる。
「なりませぬ。な・・・なりませぬッ!」
芙美は歯を食いしばり、河原家の妻女としての務めを全うしようとした。
手足をばたつかせ、男の意図をさえぎることで。
下腹に衝きあげてくるものが、すべてを塗り替えたのは、そのときだった。
ずぶ・・・
女にも、切腹ということはあるのかもしれない。
芙美はあとから、そう思ったという。
衝きあげてくるものは硬く猛くいきりたっていて、女の秘所に乱入してきた。
熱いものを吐き散らされるのを感じ、自分の節操が好みから喪われたと知ると、
女の身体から、すべての力が去った。

なり・・・ませぬ。いけ・・・ませぬ。人がまいります・・・
女はなよなよとした声色で、甘く囁きつづけていた。
芙美は歯を食いしばり、河原家の妻女としての務めを果たそうとしている。
足袋を穿いたままの脚を大またに開いて、男の劣情を我が身に受け止めて。
河原家の妻女の貞操を蹂躙されることを、自らの歓びに変えていったのだ。

ご主人・・・さまよりも・・・いえ、太郎左衛門よりも・・・幻真さまが・・・好き。

障子一枚隔てた外では、折からの寒気に震えながら。
妻の裏切りを言葉で洩れ聞いた男は、べつの昂ぶりから、もういちど身震いをする。
つぎは、勇之進の妻女の番じゃな。
十七で嫁いできたばかりの、まだ童顔の稚な妻。
幻真どののお口に、合うだろうか―――
魂の入れ替わった男は、驚きながらも不承不承に肯いた跡取り息子が目じりに泛べた好色の翳りを、見逃してはいなかった。
救国のひとを、煩悩から救ったことで。
汚された節操は、じゅうぶんに報いを受けたのだろうか。


あとがき
珍しく、二時間くらいかかりました。A^^;
ひさびさの時代ものの登場です。
前作は、「武家女房破倫絵巻」。
このたいとるで、けんさくしてみてくだされ。^^

これで三度め ですね。

2014年01月11日(Sat) 20:01:12

これで三度めですね・・・
羽月昂(はつき たかし)は目をあげて、打ち合わせテーブルの向かいの男を視た。
泥や塗料に汚れた薄緑の作業衣姿のその男は、すでに還暦にもなっているのだろうか。
白髪頭の髪の毛もまばらになりかけていて、見るからに尾羽打ち枯らした感じの親父だった。

いつも、すいやせん。
親父は蒼ちょびれた頬を申し訳なさそうにすぼめながら、しょぼしょぼと頭をさげた。
貧相で、みすぼらしい男。
けれども身なりで判断するよりは、まだしも人柄はよさそうなのを羽月はいままでの三回のやり取りでそれとなく察していた。
どうにも喉が渇いて、やり切れなくなりやして・・・それで羽月さまのお力を借りたいんでごぜえやす。

仕方ないですね。
羽月はちょっぴりだけ、迷惑そうな色をよぎらせて、あわててそれを引っ込めた。
気に入っていただけているということでしょうから・・・まあよしとしましょう。
彼は当地に赴任してきてすぐに新調したスーツのスラックスをたくし上げると、自分の脛を男のほうへと差し伸べた。
ひざ下までの靴下が脛を蔽っていたが、薄い生地ごしに脛の白さが透けて見えた。
靴下の生地は、ストッキングのようにしなやかで、かすかな光沢さえツヤツヤと滲ませていた。
親父は腰をかがめると、まるで土下座か跪きでもするように、羽月の足許にかがみ込むと、
薄い靴下のうえから、ふくらはぎに唇を吸いつけてゆく。

ちゅう・・・っ

薄いナイロン生地のうえに、唇が這う音。そして、唾液のはぜる音。
しばらくの沈黙のうち、親父は唇をうごめかし、喉を鳴らして・・・羽月の血を口に含んでいった。
羽月はテーブルのまえに腰かけたままの姿勢で、親父のやり口に、静かな視線を向けている。
時おり迷惑そうに、靴下に走る裂け目が拡がるのを顔をしかめたりしていたけれど。
薄手のナイロン生地のうえをしつようにすべる唇や舌から、脛をへだてようとはしなかった。
痛痒そうな、くすぐったそうな翳りが頬をよぎるのを、つとめて押し隠そうとしていたけれど。
それはいったい、なにに由来するものだったのだろう?

三度の来社の三度とも。
こうした行為を目当てにしてのものだった。
親父が、白髪頭がひざに触れんばかりに最敬礼をして立ち去ると。
羽月は表情を消したまま、派手に引き破られた靴下を、穿き替えていった。



これで五度めになりますね。
羽月は親しげに、白い歯をみせてそういった。
いつもいつも、すみません。
親父の鄭重さは、依然と全く変わりがなかった。
大げさなくらいに身振り手振りで羽月の好意を称揚すると。
ものの数分で、沈黙の刻が訪れる―――
いままでと同じだったのは、そこまでだった。

さて。
口許についた血潮を拭い取ると。
親父は改まった口調になった。
羽月は自分の身体から吸い取られたばかりの血潮が、油汚れのした手拭いでむぞうさに拭き取られるのを、感情を消した目線で見守っていた。
さいきん、ちょっとお顔の色がよくなさげですが・・・平気ですかいの?
親父の口調は、あくまでも気遣わしげなものだった。
エエ、だいじょうぶですよ。
身体の不調を強いて押し隠した声色に、親父も羽月自身も、気づいていた。

お代わり・・・と言っちゃなんでごぜぇやすが。
親父はしわがれ声を、いつもより心持ち上ずらせている。
羽月はちょっとだけ眉をひそめたが、親父をたしなめようとはしなかった。
今夜、お宅におじゃまするわけには、参りませんかの?

思い切ってぶつけられた言葉を、葉月はしっかりと受け止めている。
妻とこの親父とは、面識がないわけでもなかった。
過去に、地元のなにかの行事で、夫人同伴で出向いたとき。
親父はわざわざ羽月夫妻を呼び止めて、慇懃に挨拶をしていったのだから。

あれ以来・・・ひと目惚れってやつですかね。
ああ、そういうことなのですね。
羽月はつとめて、感情を隠している。
血が足りないようですから、寄付するということでしたら、妻に言って聞かせましょう。
まるで棒読み口調で、羽月は自分の妻をはげ頭の親父に明け渡すことを告げてやった。

それはそれは・・・まことにありがたいお志で。
親父は卑屈そうに、揉み手をしながら照れている。
まばらな白髪の合い間から覗く頭皮が、まるで酔っ払ったみたいに赤らんでいることなど、気にも留めないで。


「お帰りなさい、お疲れでしょう?」
帰宅してきた夫の顔色をみて、妻の羽月澪(みお)はそういった。
このごろ毎日のように、夫が「献血」に励んでいることを、それとなく聞かされていたから。
この街にきて、すでにふた月が経過していた。
夫が赴任してきたのは、それよりひと月前のことだった。
街には吸血鬼が棲んでいて、危険だから。
それでも随(つ)いていく・・・という妻の口調を、夫はあくまでも頑なに遮りつづけていたはずだった。
その夫の論調が崩れるのに、半月と要しなかったのは。
いったいどういう、気持ちの変化によるものだろう?
ただし夫に護られるように日常を送っている澪は、まだ吸血鬼に遭ったことも、生き血を吸い取られた経験も持っていない。

〇〇土建の親父さん、わかるよな?
え?
晩御飯の支度で、気持ちがおろそかになっていた。
あやうく聞き逃しかけた名前が、妙に鼓膜にこびりついたのは。
二度ほど夫の行事に付き添った際慇懃にあいさつをしてきた親父の態度が、どことなく印象に残っていたから。
貧相で卑屈そうな親父は、田舎臭い語調でくどくどと挨拶をしてきた。
それは都会育ちの澪には、へきえきするほどの慇懃無礼さではあったけれど、彼女たちに対する悪意や敵意は、微塵も感じられなかった。
ええ、わかるわよ。ご近所の法事のお手伝いにあがったときにお逢いしたわよね?
彼女の応えに、夫は満足したらしい。
こんど、ご挨拶に行くから。そのつもりでいてくれないか?
夫の声色がいつになくしゃちこばっていて、語尾に引きつるような震えがあることを聞き逃さなかった彼女は、
けれども賢明にも、エエわかりました・・・とだけ、応えていた。
ごあいさつですとやっぱり、きちんとした格好していかなくちゃいけないですよね?
念押しするような問いに、夫の声色はやや落ち着きを取り戻している。
そうだね。ぼくもスーツで行くから、つり合いの取れるようにしたほうがいいね。
いったん言葉が切れたので、それでしまいかとおもったが。
ストッキングは必ず、穿いていくように・・・
夫の声色はふたたび、昂ぶりに似た震えを帯びていた。


田舎に赴任した夫のあとを追うようにやってきた妻が、洗濯物のなかに真っ先に見出した見慣れないものは。
出勤のときには決まって履いていくという、ストッキング地の薄い長靴下だった。
時おりそれらは、新しいものに履き替えられて、戻されてきた。
いちどだけ。あれは、法事の手伝いに連れ出された翌日のことだっただろうか。
夫は破けたままの靴下を履いて、帰宅してきた。
ひざ下からつま先まで、じわっと滲むようにに走る伝線に、彼女は目を見開いた。
しつように噛まれた痕だと、すぐにわかった。
大きな破れ目がふたつ・・・そのすき間からは、あきらかに咬傷と思われる傷痕が、白い皮膚に浮いていた。


あんたも奥さん、呼び出されたんだって?
羽月の上司がざっくばらんに、話しかけてくる。
いつもの打ち合わせテーブルだった。
ふたりのスラックスのすそは、ひざのあたりまでたくし上げられていて。
足許にはひとりずつ、作業衣姿の男どもが、うずくまるようにかがみ込んでいて。
申し合わせたように履いている薄い靴下のうえからは、欲情を帯びた舌と唇とが、ヌルヌルといやらしく、這いまわっている。
きみも察しているとは思うが・・・ここの事務所で、薄い靴下を穿くのはね。
自分の女房が穿いているストッキングを噛み破られるための、予行演習というわけなのさ。
かくいうわたしも・・・
言いかけた上司を遮ったのは、上司の足許にとり憑いた、五十年輩の男。
くひひひ。。。だんな、もうそれくらいで、ええでしょう?
苦笑いには、苦笑いのお返しが待っていた。
まったく・・・ひとに恥を掻かせおって。
にらんで見おろした視線には、それでも言葉ほどのとげとげしさはない。
上司の舌打ちを嬉しげに受け止めた相方は、
いつもごひいきに、あずかってますんで・・・
そういうとふたたび彼の脚を抱きかかえると、弛んでずり落ちかけた長靴下をさらにずり降ろしてやろうと、ピチャピチャと舌を鳴らしつづけてゆく。
おかげで都会育ちの女房は、こてこての田舎おやじと深い仲・・・あーあ。
二軒目の居酒屋で飲み過ぎて酔いつぶれるときみたいに、上司の姿勢が崩れたのは・・・明らかに献血のし過ぎによるものだった。
聞かされる一方の羽月もまた、失血に目がくらんできたのを覚えている。
穿き替えてやった二足目の靴下は・・・じつは妻が何度か足を通したひざ下のストッキングだった。
炯眼な親父のことだから、きっとその事に気づいているに違いない。
二足めのほうが、はるかにしつようないたぶりをみせていたのだから・・・


あ。うぅん・・・
腕の良い鍼医にでもかかるように。
さしのべたうなじに牙を埋め込まれた澪は。
黄色のカーディガンの背中を揺らしながら、こたつに突っ伏していった。
でぇじょうぶですかい?奥さま?
親父の囁きに、かろうじて頷き返すと。
にんまりと笑んだ口許から、尖った牙がむき出しになった。
ああ・・・
止め立てするいとまもなかった。
男は澪の両肩を抑えつけると、うなじにがぶりと、かぶりついていった。
ばらばらと撥ねた血潮が、見慣れた黄色のカーディガンの肩を濡らした。

急な要求だった。
明日の訪問を待ちきれないと・・・退勤のときまで居座った親父を、とうとう家まで連れ帰ってしまったのだった。
見慣れた黄色のカーディガンに、ボウタイつきの白のブラウス。こげ茶色の膝丈スカートの装いに。
親父は舌なめずりせんばかりに、悦んだ。
お酒の用意を・・・といって、澪が引き下がると、
クックク。羽月のだんな。あっしが今夜来るって、奥さんに言い含めておかれてたんですかい?
いつもの下卑た口調で、ささやいたのだった。
見慣れた服装にすぎないものが、親父にはほどよい色気と映ったらしい。
ブラウスもスカートも、以前はよそ行きだったものを着古して、普段着になったのを知っている彼としては、
装いそのものの値打ちを見抜いた男に、ただならないものを感じるばかり。
あのお姿のまま、頂戴しますぜ。
男はとどめを刺すように、羽月に囁いた。

男に持たされた地酒を、夫が飲んで。
夫が逢わせた妻の生き血を、男が口に含んでゆく。

質の悪いアルコールがまわって、羽月がソファに倒れ伏すと。
男は遠慮なく、澪をたたみに押し倒した。
夫の見守る目のまえで、スカートのすそを乱されながら。
澪は自分の抵抗が形だけのものになりつつあるのを、実感しないではいられなかった。
自分の身体に絡みついてくる、嫉妬に満ちた夫の視線。
それはある種の妖しい歓びを含んでいることを、感じてしまっていたから。

ご馳走しちゃって・・・いいのかしら?
夫に向かってそう声を投げたとき。
ご馳走するって、なにを・・・?
そう自問する、自分がいたけれど。
なんだっていいじゃない。お客が欲しがるものをもてなすのが、一家の主婦の務めなのよ。
それははたして、自分自身の声だったのか。
咬み入れてきた牙に植えつけられた、毒液のなせるわざだったのか。

足許に唇を這わされて、ストッキングによだれが沁み込むのを感じたとき。
真新しいやつを穿いていてよかった。
澪はすなおに、そう感じていた。
この男が味わい慣れた、夫の長靴下よりも質が良くない・・・といわれたら、それこそ恥だと思ったからだ。
主人が観てるんだもの。
思いきり、破かせちゃおう。
思いっきり、乱れちゃおう・・・

仮装レース

2014年01月06日(Mon) 08:04:20

仮装レース。
それは運動会のとき、全校生徒のまえで行なわれる、意味深な行事だった。
出場者は男子のみ。
希望制で、年によって多かったり少なかったりした。
僕の年は決して多い方ではなかったけれど、それでも6人1レースのところ5レースまではあったから、いつもの数がどれくらいだか、おおよそ察しはつくだろう。
スタートラインに立つのは女子生徒の制服を身に着けた男子と、その10メートルほど後ろにべつの男性。
こちらはなにも、学校の生徒とは限らなかった。
なにしろこのレースは、街に棲みつく吸血鬼を慰労する趣旨のものだったから。
逃げるように全速力で走る男子を、後方からスタートした吸血鬼が追いかける。
距離は学校の行程半周ほどで、200メートルもあっただろうか。
たいがいのものが逃げ切れずに、後ろから抱きすくめられてしまう。
罰ゲームはその場で行なわれた。
首すじを吸われてへたり込む者。
息荒く大の字になって、好き放題に血を吸い取られてゆく者。
そしてだれもが例外なく、白や紺のハイソックスを咬み破られてしまうのだった。

翌日になると。いや、早い場合はその日のうちに。
負けた男子生徒は、自分が身に着けた制服の持ち主を連れて、勝者のところに伴っていく。
そこで勝者はいま一度、勝利の味をかみしめるのだ。
自分がキャッチ・アップした男子の彼女や妹の生き血で、牙を染めながら・・・

そんな結末がわかっていながら。
どういうわけかこのレースには出場希望者が絶えなかった。
なかにはわざとゆっくり走ったり、立ち止まって抱きすくめられてしまうものも、あとを絶たないのだった。
意外にも、負けず嫌いなはずのスポーツ選手のなかにも、そういう者がいた。
彼らは“男らしく”負けを認めて、いつも自分が咬ませているサッカーストッキングの代わりに彼女のハイソックスを気前よく咬ませてやると、自慢の彼女を紹介して寝取らせてやっているのだった。
ほかならぬ僕自身、そういうことをしてしまった。

その日、満場の歓声に囲まれながら。
僕はレースの途中で立ち止まると、後ろから追いついてきた男子に抱きすくめられ、首のつけ根にチクリとくる痛痒い衝撃をこらえていた。
身長が180センチ近くある僕が着れるような制服を持っているのは、学年にひとりしかいなかった。
それは、同級生の宙(そら)だった。
大柄で伸びやかな四肢とそれにふさわしいおおらかな性格の持ち主は、万年学級委員としても名前が通っていた。
僕に後ろから抱きついたやつは、同じクラスの蛭村というやつだった。
スポーツ万能で鳴らし、クラス対抗の試合では必ず主将を務める僕とは正反対に、いつも教室の隅っこで小さくなっている男。
ほんとうは頭の切れは悪くないのに、そんな態度だから人からも甘く見られて、診ているこっちが歯がゆくなるようなやつだった。
そんな彼と僕とが意外にウマが合うことを知っているものは、クラスでも限られた人間だけだった。

やっぱり立ち止まると思っていたよ。
同じ部活の副キャプテンをやっていた服部は、苦笑いをしていた。
やつも僕の前のレースで負けて、彼女の制服を着たまま、たっぷり吸血されたばかりのところだった。
相手は確か・・・彼の実の叔父さんだったと思う。
きょうかあしたには、彼女もまた、お嫁に行けない身体にされてしまうのだろうか?

いつまでたっても現れない蛭村を、僕の方から呼びにいかなければならなかった。
蛭村は放課後になると逃げるように教室を出、行方不明になっていたからだ。
やつの居場所は、すぐにわかった。図書室だった。
すでに宙(そら)も図書室に着いていて、俯いて小さくなっている蛭村の隣に座り、彼の顔を覗き込むようにしながら、何やら話しかけていた。
「富沢くーん。よかった、来てくれて」
宙は僕を見ると、ほっとしたような顔をした。
「蛭村のやつ、ほんとに煮え切らないんだから」
ただでさえ引っ込み思案な蛭村が、女子相手に満足な受け答えをできるようには思えなかったし、もっと深い理由もあった―――蛭村は、僕の彼女である宙に恋していたのだ。

「蛭村くんって、どんなことが好きなの?」
「蛭村くん、つきあっている彼女いないの?」
「いっしょに映画、観に行こうか?彼にナイショで」
歩く道々宙はしきりに蛭村に話しかけたけど、こっちがイライラするほどやつの返事はぱっとしなくて、たまに返事を返してもなにを言っているのかさっぱり要領を得ない有様だった。
「そうだ」
宙はいいことを想いついたらしい。
「蛭村くん、競争しよ」
え?蛭村は意外そうな顔をして、宙の顔を見あげる。
そう、ちびの蛭村は宙よりも10センチ近く背が低かったのだ。
「あそこの四つ角まで。ちょっと距離あるけど、走れるよね?よぅーい、ドン!」
有無を言わせぬ勢いだった。
ひと足早く宙が駆け出し、僕に背中をどやされた蛭村があとを追った。

宙は制服のグレーのスカートをひるがえし、全速力で逃げるように駈けてゆく。
もと陸上部だった彼女の脚は、男子でもなかなか追いつけない速さをもっている。
蛭村の身体に力が入ったのは、中盤からだった。
ムキになったように背すじを伸ばし、ものすごいストライドで宙との距離を詰めてゆく。
ゴール間際に蛭村は宙に追いつき、後ろから羽交い絞めに掴まえた―――ひるがえったスカートがすぼまって、紺のハイソックスを履いた伸びやかな脛が、めまぐるしい足取りを止めた。

はっ、はっ、はっ・・・
ふぅ、ふぅ、ふぅ・・・
男女どちらもが、肩で息をしていた。
ゆっくり歩いた僕がふたりに追いついても、まだひざ小僧を抑えて、うずくまりそうになっていた。
「おめーの勝ちだ。早よ、血を吸え」
僕がぶあいそに蛭村をせっつくと、宙はさすがに苦笑いをしている。
「蛭村くん、いいよ。ほら、噛みなさいよ」
宙は蛭村をそそるように、ずり落ちかけた紺のハイソックスを、ひざ小僧のすぐ下までぴっちりと引き伸ばした。

昂ぶりに熱したかさかさの唇が、真新しい紺のハイソックスのうえに圧しつけられる。
彼女の脚の線に沿って微妙なカーブを描く縦縞のリブに、かすかな唾液が散った。
こうなるともう、やつの本領発揮である。
やつは閉じていた唇からおもむろに牙をむき出すと、ナイロン生地の上から彼女のふくらはぎに埋め込んだ。
ちゅうっ・・・
饒舌だった宙が、シンとなって黙りこくった。

ちゅう、ちゅう、ちゅう・・・
細目になった少女は、ちょっとのあいだうっとりとした視線をさ迷わせたけれど。
蛭村が唇を放すと、にっこり笑った。
「やったね」
たくまぬピースサインに、蛭村は照れたように笑った。
「悪りぃ」
僕に向かって義理堅く頭を下げるのを、平手て軽くぶっ叩くポーズをとると、
「あとは好きにやりな」
そういって、僕はふたりに背を向けた。

有効期限は、一週間。
そのあいだ、レースの勝利者は、敗者の彼女を自由にしていいことになっていた。
副キャプテンの服部は、彼女が彼女の実の叔父に奪(と)られやしないかと始終はらはらしていたし、事実四日目くらいに僕のところにやってきて、「とうとうモノにされちゃったみたい」と告げてきた。
話題の深刻さのわりに照れ笑いなんかしていたのは、いったいどういう風の吹き回しだろうか?
「あいつ、それでも一番好きなのは俺なんだって言ってくれたんだ」
なんて単純な奴!

おなじ日、海辺のベンチで、僕は宙と蛭村が肩を並べているのを遠目に見ていた。
三人連れだって散歩に脚を伸ばして、(やつは義理堅くも、宙とのデートのときでさえ、しばしば僕のことを誘うのだった)ちょっとのあいだふたりきりにしてやったのだ。
強い風に乗って、彼らのやり取りは筒抜けだった。
「蛭村くんは、どうして催眠術を使わないの?」
「うーん・・・」
相も変わらず、煮え切らないやつだ。
「だってそうしたほうが、女の子はきみに夢中になっちゃうわけだし、みんなその手で狙った女の子を落としちゃっているんだよ」
「それはそうなんだけど・・・」
「あたしが富沢の彼女だから、遠慮してるのかな」
「それももちろん、そうなんだけど」
「・・・ったく、煮え切らねーな、お前はっ!」
いつの間にか僕は、二人の間に割り込んでいた。

毎回この二人は、デート初日と変わらない駆けっこをしていた。そう、もちろん、全力疾走で。
宙は絶対逃げ切ろうと脚力を強め、蛭村は絶対逃すまいとさらにストライドを拡げる。
いつも教室でうずくまるようにして本ばかり読んでいる人間とは別人のように、そのときだけは機関車なみの活力を示すのだ。
しばらくもじもじしていた蛭村は、それ以上ぐずぐずしていると僕にぶんなぐられるとでも思ったのだろうか、きっぱりと口を切った。
「だって、催眠術なんか使っちゃ、宙が宙じゃなくなっちゃうだろ?」

「ふーん・・・」
宙は珍しく、感心したような視線で蛭村の横っ面を見た。
やばい。こいつ、蛭村なんかに惚れかかっている。
僕が一番危機を感じたのは、この瞬間だったかもしれない。
「宙はいつも分け隔てなくつきあってくれて、さぞかし厭に違いないのに、ハイソックスの脚を噛ませてくれるよね?オレ、だからきみのことが好きなんだ」
あー、言っちゃった。イッちゃったよ、あいつ・・・どーするんだろ・・・
僕は宙が自分の彼女であることも忘れて、ことのなりゆきに息を呑んだ。
「そうなんだ。ありがと」
宙は軽々と彼の言葉を受け止めると、言った。
「あたしも蛭村くんのこと、好きよ」

さいしょにね、彼がレースに出るんだって訊いた時、あいてが蛭村くんだというから、よしなっていったの。
だれも富沢が勝って思ってたけど、あたしは途中で立ち止まっちゃうと思っていた。
だってそうじゃないと、蛭村くんはいつまで経ってもあたしに告白できないし、そうしたらいつものウジウジ病から脱出できないじゃない?
富沢から聞いて知ってると思うけど、富沢とはね、将来結婚することになってるの。
だけどね、あたしでよかったら、たまに逢って襲われてあげる。
いやなやつに苛められたときとかでも、おいでよ。
彼氏のいる女の子を征服して、ちょっぴりいい気分になれるかも。
自慢になるよね?
彼氏はそんな連中束にかかってきてもビクともしない最強男だし、
彼女は魅力たっぷりのミス3年4組なんだから。

僕は見てしまった。ふたりのあいだの距離が急速に狭まって・・・唇と唇がふれあってしまうのを。
見てしまったけど、見ないふりを決め込んだ。
蛭村はまたさいげんなく遠慮するだろうし、宙は僕の態度に大笑いするに違いなかったから。

蛭村のウジウジ病は、卒業するまでにおおかた治っていた。
どうやら親友の彼女に憂さ晴らしをするのは、健全ではないストレス解消法だという当たり前のことに気がついたかららしかった。
相も変わらず彼女はできなかったけれど。
僕はたまに、蛭村が宙をデートに誘うのを、黙認してやっている。
純情なやつのことだから、とうぶん彼女はできなさそうだったから―――ちょっとのあいだ寝取らせてやってもいいんじゃないのか?
僕のなかでもうひとりの僕が、白い歯をみせて笑っている。
たまには負けてやれよな・・・と。


あとがき
ものすごくヘンテコな青春物語になっちゃいました。(^^ゞ

愚かな娘。

2014年01月06日(Mon) 05:01:17

ヘビに睨まれた蛙のようなものだったに違いない。
娘の真奈美が学校帰りに、初めて吸血鬼の餌食になったときには。

この街に棲む吸血鬼は、好んで脚から吸血する。
娘のときも、そうだったという。
寒風に頬ぺたを真っ赤にした少女は、路地裏に追い詰められて。
キャーとひと声叫んだのもつかの間、あっさり首すじを咥えられていた。
貧血を起こしてその場にへたへたとへたり込むと。
男のお目当ては、娘がいつも学校に履いていく、紺のハイソックスだったらしい。
丸太ん棒みたいに横たわった肉づきのよい太ももやふくらはぎは、やつらにとって好餌以外のなにものでもなかったろう。
太っちょな真奈美は、父親よりも年上の飢えた吸血鬼相手にうら若い生き血を気前よく振る舞う羽目に遭っていた。

妻が餌食にされたのは、娘がハイソックスを一ダースほども破かせてしまったあとだった。
うかつにもほどがあるというほどの、警戒心のなさだった。
娘の家庭教師を自薦してきたその男を、不用意に家にあげてしまうと。
いつものように紺のハイソックスをびりびりと破きながら娘の生き血を愉しんでいる光景を垣間見てしまった妻は、
すぐに自分の穿いている肌色のストッキングも、男の毒牙に引き裂かれてしまっていたのだった。

ゴメン。あなたと別れたい。
思いつめた顔をしてそう切り出されたとき。
わたしになにができたというのだろう?
吸血鬼の情夫のもとに走るという妻を止めだてするには、ふたりの交際を認めてやる以外に道はなかった。
「奥さんは純情だったんだね。ご主人の英断に感謝するぜ」
男の言いぐさは決して嬉しいばかりのものではなかったけれど、最初に餌食にされた妻が、娘の手前とはいえ凌辱を免れ、以後三度も男のその方面の欲求を容れなかったことだけでも、自尊心を満足させるしかなかった。
「あんなに堕ちない女は、珍しい。まず貞淑なほうだと自慢していいと思うぜ」
男はそういいながら―――妻を日常的に、犯している。


ただいまぁ。
娘が学校から、戻ってきた。
見るからに、あまり悧巧そうではない顔つきだと、父親ながらにそう思った。
そばかすの浮いた、赤ら顔。
善良そうなどんぐりまなこに、うそのつけない性格。
両親のどちらに似たのだろうか?

お母さんは?
寝室で小父さまの御相手だよ。じゃまするなよ。
意味深にわたしが呟くと、すぐにそれと察していた。
「ふたりのじゃまはしないように」というわたしの言いぐさをどう受け取ったのか、ちょっと尊敬したようなまなざしを投げると、黒タイツの脚を二階の自室に向けた。


遠くでキャーッという声がする。
声の主は二階の勉強部屋にいた。
いまごろ、通学用の黒タイツを噛み破らせているのだろう。
ひとの娘を掴まえて、クチャクチャと下品な音をたてて生き血を啜る男のにんまりとした笑みが、目に浮かぶようだった。
入れ替わりに現れた妻は、わたしの腕の中。
皮肉にも、男との関係が生じてから、夫婦のセックスも復活していた。
同時に二人の男に抱かれても、罪悪感を持たない女になっていた。

なによりもこたえられないのだよ。
愛し合っている夫婦の間に割り込んで、亭主公認で奥さんを寝取るのが。

男の勝手な言いぐさに、苦笑いで返すことができたのは。
きっと・・・妻が自分の手に戻ってきたからに違いない。
だれかと共有する・・・という形であったとしても。
昏い世界に身を浸しているとき以外は、仲の良い夫婦。和やかな幸せ家族。
そんな平穏が戻ってきたのは、吸血鬼の出現がきっかけだったとは。

皮肉な想いを押し隠して、わたしは熱情を込めて妻を掻き抱く。
階上の部屋からは、生き血を啜られる処女の、妙なる声色が漏れつづけていた。

せっかちなやつ。

2014年01月06日(Mon) 04:44:19

せっかちな奴だなぁ
俺はため息交じりに、やつを見た。
やつの口許から滴っている血は、女房のものだった。
そして生き血を吸い取られた身体は、土気色になって、やつのすぐ下にあお向け大の字になっている。
死なせたわけじゃないだろうな?
変わり果てた女房の顔色に、さすがの俺もそんな気遣いをしたのだが。
俺の心配をよそに、女はかすかに両肩を上下させて、苦しい呼吸をしていた。
まだだいぶ、残っているよ。
やつはにんまりと嗤う。

家のなかに入るまではカサカサに干からびて死にかけた顔つきをしていたのが、現金なものだった。
奥さんの身体のなかには、必要なだけの血を残してある。ほかでもない、あんたの奥さんだからな。全部吸い尽くすようなへまはしないさ。
そう言いながらも、まだもの欲しげな顔つきを隠さないのが、やつの図々しいところだった。
すその短いワンピースの下からにょっきりと伸びた太ももに、舌なめずりをせんばかりなのだ。
肌色のパンストを穿いた女房の脚が、ひどくやつをそそったらしい。
好きにしろよな。
俺がやけっぱちのようにそういうと、やつは抜け抜けと、露骨な要求を突きつけてきた。
女房のパンストを噛み破ってくれ、って、俺に言ってみな。
ちく生。なんてやつだ。
俺は歯噛みしながらも、身体じゅうの血管がドクドクと弾むのを覚えた。
そう、俺の体内には、マゾヒスティックな恥ずかしい血潮がめぐっている。

俺の女房のパンスト、たっぷりいたぶり抜いてみせてくれ。

やつの恥知らずな要求に上乗せをしてやったのが、お気に召したらしい。
お前から言いだしたんだからな。俺は乗り気じゃなかったのに、頼み込まれてしかたなくやったんだからな。
なん度も責任逃れを公認させようとするのも煩わしく、俺は女房のワンピースのすそを思い切りめくりあげてやった。
どうぞ、召し上がれ。
ウフフ。いただきます。
男は嬉しげに、女房の太ももにしゃぶりついていった。

いちど血を吸った女は、必ずモノにすることになっている。親友の妻でも例外はない。いいな?
今さらわかり切った説明を、まるで念押しするようにくどくどと説明をする。
俺はいい加減に頷くと、
大いに不満だが、まぁしょうがない。
努めてどうでもよさそうな口ぶりで、やつが妻の貞操を汚すことを許可してやった。

なん年ぶりかで電話をかけて来て。
家にあがり込むとすぐさま、女房の生き血をねだられた。
血が足りないんだという。
もともとそういう目的で家にあがり込んできたのを、俺は何となく察していたので、ご希望どおりに女房を襲わせてやった。
俺の入浴中に・・・
女房のやつ、なにも知らずにお相手をして、キャーとひと声叫んだだけで、あとは気前よく生き血を振る舞う羽目になっていた。

激しい上下動をくり返すやつの腰の動きに合わせて、女房の身体がユサユサと揺れた。
意思を喪った女体は、弄ばれるままに体位を変え、男の欲望を満たしてゆく。
そのうちに・・・意識の戻った女が、好むと好まざるとに関わらず生き血を吸われ、凌辱されていくのを。
それでも俺は、じっと見つめつづけているだろう。

親友の女房をつかまえて、こともなげに生き血を吸い、凌辱していく男。
自分の女房の生き血を吸われ、目のまえで犯されるのを愉しげに見守る夫。
きっと俺たちは・・・似合いのコンビに違いない。

吸血居酒屋

2014年01月06日(Mon) 04:21:50

「キャーッ!だめぇ・・・」
ショートカットの髪を掻きのけられて、真由美は俺の目のまえで、首すじを吸われていった。
きょう一緒に酒を飲むやつ、人間の生き血を吸うやつなんだぜ?
俺がそういって、暗に遠慮するように言ったのに。
真由美はどういうわけか、ひどく積極的だった。
分け隔てをするのが嫌いな性格が、かえって「吸血鬼」呼ばわりされる男のことを不憫に感じさせたらしい。
居酒屋のこあがりで、いきなりそんなことするわけないじゃない。
そういって堂々と、俺の行きつけの居酒屋ののれんをくぐったのだ。
オレンジ色のワンピースに、陽灼けした膚。キビキビした足どりをした脛も、肌色のストッキングが白っぽくみえるほど、小麦色に灼けていた。
おいおい、そのイデタチは、やつのためにあまりにも刺激がきつ過ぎるぜ・・・
思った時には、すでに後悔が始まっていた。

遅れて現れたやつは、真由美のことを、例によっての巧みな話術で引き込んだ。
社交的な真由美は黒い瞳を輝かせて、意識してか無意識か、ウキウキとした視線をやつに投げる。
あー。あー。いけないパターンだ。
知らず知らず蜘蛛の巣に引っかかったチョウを狙うジョロウグモのように、やつの目つきがただならなかった。

血を吸うって、ほんとなんですか?彼が言うんですけど。
ああ、もちろんほんとうだとも。
嘘!ウソでしょう?
じゃあ、試してみるかね?
エエ、やってみて。

売り言葉に買い言葉。
いや、ジョロウグモの投げた罠だったに違いない。
やつはまんまと、真由美の無防備な首すじに唇を近寄せて・・・吸いつけてしまった!

ちゅう・・・っ
驚きに目を見張る真由美が引きつらせた頬に、頭をこすりつけるようにして。
やつはなおもしつっこく、唇を蠢かせる。
バラ色のしずくが伝い落ちて、オレンジ色のワンピースのえり首を浸す光景に、俺は思わずイッてしまっていた。
そのまま押し倒されていって・・・冒頭のような仕儀に相成ったのだった。

ちゅちゅっ・・・じゅるじゅるっ。
やつはあからさまな音を立てて真由美の血を啜り取ると、やおら身を起こしてハンカチで口許を拭いている。
慣れたやり口だった。
無理やりキスを奪っておいて、次の瞬間は紳士面 というやつだ。
真由美も真由美で、のしかかってくる体重が去ったとみるや、遅れまいとするように素早く身を起こしている。
「失礼」
やつが取り澄ますのに負けないように、
「いえいえ、どういたしまして」
さすがにちょっと俯いていたが、まんざらでもなかったのだろうか?
口許にちょっぴりよぎった微笑が、まぶたに残った。
追い打ちをかけるようなひと言が、鼓膜にも残った。
「お口に合ったようで、嬉しいです」

三人連れだって、居酒屋をあとにすると。
そのあとふくらはぎまでねだられて噛ませてしまった真由美は、ストッキングの伝線をひどく気にしていたけれど。
「こんどご一緒するときは、穿き替え用意しなくちゃね」
次回があることを、しっかり期待しているのだった。

おいおい、カンベンだぜ。一回きりの約束だぜ。
真由美とは秋に、結婚するんだからな。
俺の抗議などものともせずに、やつは真由美の血を吸いたくてたまらない・・・と、しきりに催促する。
きみ抜きで逢っても、かまわないかね?
そうまで言われてしまうと・・・あの居酒屋に連れ出すしかなかった。

「お猪口をふたつ」
え?と訊きかえす俺に、
「このひとは要らないでしょ?」
こないだだって、ひと口も飲まないんだもの。お酒がもったいないわぁ・・・
真由美は伸び伸びとした口調で、うそぶいている。
「こちらのお目当ては、あたしの血ですものね」
肩をすくめてふふ・・・っと笑う。
さ、どうぞ と言いたげに。
真由美はうなじを差し伸ばした。
いつの間にか、俺の隣をすり抜けるようにして、やつの隣へと移動している。
やつの牙が、これ見よがしにむき出されて、真由美の首すじに咬みついていった。

ちゅうっ・・・じゅる・・・っ
恋人の生き血を啜られる音を耳にしながらのお酒は、やけにほろ苦かった。

「やだ・・・あ・・・っ。貧血ぅ・・・」
ホテルの密室で俺相手のときにしか洩らさないような声色で。
真由美は生き血を、吸われつづける。
とうとうミニのワンピースのすそをまくって、太ももまで許してしまった。
圧しつけられる唇の下、肌色のストッキングがパチパチと裂ける。
「新しいのおろしてきて、よかったあ。恥掻くとこだった」
形の良い唇がヘンな安ど感を洩らす下、真由美の穿いているストッキングが、唯々諾々と破かれていく。
裂け目はじょじょに拡がって、整然と流れるナイロン糸が、引き破られた蜘蛛の巣のようにいびつに歪んでいった。

へろ・・・へろに、なっちゃいましたっ。
勝手なものだ。
逃げるように座を移してきた真由美は、俺の肩によりかかるようにして、とろんとなってしまっている。
「どうするんだ?これから」
「それはこっちが訊きたいぜ」
男二人はちょっとの間にらみ合ったが、もとより悪友同士のことだった。
それに、知らないわけではなかった。
やつらのルールでは、いちど血を吸った女は、親友の妻であっても犯すことになっているんだと。

「ほらほら、選手交代!きみが寄っかかるのはこっち」
しきりに甘えかかってくる真由美を支えてやりながら、こんどは俺のほうから席を替えてやる。
「あらー、冷たいわねん」
奇妙な巻き舌で拗ねてみせると、隣に来たやつの肩にもたれかかった。
「男ならだれでもいいんだろう」
畳み掛ける俺に。
「そんなことないもん。ユウタとこの人だけだもん」
すでに俺は、やつと同列になっていた。
そんな俺の気分を察したのか察していないのか。
やつは悠然と、真由美を抱きとめていた。
「もう片方の脚も、パンスト破り愉しませてもらおうか?」

真由美はじっと息を詰めて、自分の太もものあたりを見おろしている。
きょうのワンピースは、真っ赤なミニ。
まるで先手を打つように、
「子供っぽいでしょ」
と口をとがらせて照れてみせていたけれど。
ゾクッとするほどの風情だった。
そういえば、吸血鬼に襲われる淑女は、たいがいこんな服装をしていたかもしれない。

とっくに気がついていた。
真由美がきょう、穿いているのは。太もも丈のストッキング。パンストではない。
たくし上げられたワンピースのすそから覗いた健康そうな太ももから、
ゴムをちょっぴりだけ降ろして、素肌のうえから咬ませてやっていた。
「首すじだって、じかに咬むんだもん。脚だって意味は同じよ」
あとで真由美はそう言ったけれど。
絶対、意味深であったはずだ。
そのあと坂道を転がり落ちるようにして・・・
真由美は俺にしか許したことのなかった茂みの奥に、やつの毒牙を埋め込ませてしまったのだから。
いや、案外と。
「意味は同じ」
だったのかもしれない。
そう。
やつに真由美の首すじを咬ませた瞬間、すべては塗り替えられてしまったのだろう。

あお向けになって、白目を剥いて。息も絶え絶えに肩を上下させている女を前に。
やつは上目遣いに、俺を見る。
「いちど血を吸うと、親友の奥さんでも犯すことになるわけだが・・・」
分かり切ったことを、念押しするような、口調だった。
「かまわないさ」
つとめてサバサバとした口調で、俺は応える。
「さいしょから、結婚前の身体をあんたに進呈するつもりだったんだからな」
語尾が震えたのは、屈辱のせい?それとも、さっきからしきりに胸をそそり続ける妖しい昂ぶりのため?
結婚前の身体・・・といっても、すでに真由美とはセックスを経験している。
だからこそ、気楽に捧げられるものなのかもしれない。
彼らの間では処女は尊重されていて、みだりに犯すことは許されていない。
けれどもセックス経験者が相手の場合には、必ずといっていいほど、女は凌辱をも受け容れさせられるという。

たしかお袋が、そうだったな・・・
目のまえに居る男が、昼下がりから、書斎にこもりきりの亭主の目を盗んで、お袋を抱いていた。
あるいは親父も、すべてを知った上で、書斎に陣取りつづけていたのかもしれない。
親子二代、同じ男に嫁を寝取られるのか。
ほろ苦いものが胸をよぎったが、未来の牧岡夫人を籠絡した吸血鬼が彼女の身体のあちらこちらを想い想いに牙で侵しつづけていくのを、熱っぽい視線で見つめてしまっている自分がいた。

不埒な腕の中でいびつな夢をむさぼっている女は、半開きになった唇から、淫らに輝く白い歯並びを覗かせている。
ああ・・・ああ・・・だめぇん・・・
半ば意識が朦朧となりながらも、されていることだけは自覚しているらしい。
ハイソックスと同じ丈までずり降ろされた太もも丈のストッキングを、ふしだらにたるませながら。
女はゆっくりと、下肢をひらいてゆく。
あしたになったらおそらく―――
「あなた夕べは、しつこかったね」
しらっとそんなことを、口にするのだろう。
まくれあがったワンピースを着た真由美の身体に、やつの臀部が筋肉を緊張させて、ググ・・・ッと沈み込んでゆく。
あー、モノにされちまう。おれの未来の女房が・・・
思わずそんなことを口走ると、やつはこっちを見て、ニヤッと笑う。
俺もほろ苦い笑みを返しながら、頷き返してやる。
おめでとう。今夜はたっぷり、汚してくれ。
それからこれからは、うちの嫁をよろしくね。末永く・・・

吸血鬼は処女を犯さない。

2014年01月06日(Mon) 02:39:08

「嫌っ!イヤッ!ダメーッ!!」
紺色のハイソックスを履いた脚をばたつかせて、真由香ちゃんは目いっぱい嫌がっていた。
生き血を吸い取られてぐんにゃりとした、ボクの目のまえで・・・
ボクの血を吸って酔い酔いにさせちゃうと。
吸血鬼の小父さんは、ボクの彼女のうえにまたがった というわけ。

子供のころから懐いていたのをいいことに。
そう。真由香ちゃんと知りあうずうっと前から、おねだりされていた。
ヒロシがお嫁さんをもらうときには、ちゃんとわしに紹介するんだぞ って。

約束を果たしたお礼が、きょうのありさまだった。
初デートのボクたちを、遠くの遊園地に連れていってくれた小父さんにとって、
入園料は安すぎる投資。
帰りにひと休み・・・ということで立ち寄った小父さんの邸のなか。
ドラキュラ映画はとんとん拍子にクランク・イン。

遊園地でこっそりもらったばかりのファースト・キスは。
小父さんの慣れた唇で上塗りされて。
嫉妬でムラムラきているボクのまえ。
制服のブラウスの胸のボタンを、ひとつひとつ外していって。
前ではずれるブラジャーを着けてきたのは、ボクのためでも、もちろん小父さんのためでもなかったはず。
だのに器用にまさぐる指先に、するするとほどかれた衣裳の下、
まさか目にするなんて期待していなかった、彼女のCカップ。

頬っぺたを舐め、首すじを舐め、乳首を舐めて。
生き血以上のおねだりを始めたのは、ごくしぜんな成り行きだった。
ピンク色をした乳首は小父さんの唾液を光らせて、ピンと立っていた。
パンツを脱がされた真由香ちゃんは、あそこまで舐められちゃって。
乳首の立ったおっぱいを丸出しにしたまま、エビみたいに仰け反って。
「イヤッ!イヤッ!だめええっ!」
目じりの涙はわかるけど、口許からよだれまで、垂らしちゃっていた。

けれどもはずみで洩れたひと言で、ボクはじゅうぶんに報われていた。
「あたし処女なんだからッ!初めてはヒロシとじゃなきゃ、ヤなんだからッ!」

これには小父さんも、お手あげのようすだった。
「わかった。わかった。でももう少しだけの辛抱・・・」
そんなことを言って気を持たせながら、たくし上げたスカートのなかに顔をうずめて、
にゅるり、にゅるり、にゅるりん・・・と。
彼女のあそこを、舌先でなぞっている。
「うぐぐぐぐぐぅ・・・っ」
真由香ちゃんの口許から、またもよだれがしたたり落ちた。

けんめいに、けんめいに、こらえてくれて。
小父さんは名残惜しそうに、真由香ちゃんを解放した。
「いい彼女持ったね。おめでとう」
いいにくそうな祝福に、ボクは心のなかで快哉を叫び、小父さんはそれを見通してチッと舌打ちをするのだった。

それから週に2、3日。
ボクたちのお邸訪問は、ほとんど義務づけだった。
小父さんは、喉が渇いて仕方ないんだ と、真由香ちゃんに訴えて。
真由香ちゃんは、ヒロシといっしょじゃなきゃ、やです って反論して。
けっきょくふたりして、小父さんのところに「遊びに」いくのが習慣になっていた。

さいしょにボクが、目いっぱい血を吸われてぐんにゃりとなって。
へろへろになったボクの目のまえで、こんどは真由香ちゃんが首すじを咬まれる。
ちゅーっと吸い取られる血潮さえもが、残り惜しくて、もったいなくって。
ブラウスの襟首を真っ赤に染めて、べそをかきながら生き血を吸い取られて。
けれども処女の生き血を捧げて、それからが本番。
塾の時間までのたっぷり1時間というもの、小父さんの唇と舌が、真由香ちゃんの理性に挑みかかる。


「軽い子」だって、評判だった。
あんまり悧巧そうじゃないってことも、噂になってた。
けれども真由香ちゃんは、そうではなかった。
小父さんの舌をとろかすほどの処女の生き血の持ち主だったし、
ボクのためにあれほどがんばって、処女を守ろうとしてくれていた。
そばかすだらけの頬を、思いっきり引きつらせて。
ぶっとい太ももを、短いスカートからはみ出し放題にばたつかせて。
中途半端な長さのハイソックスがずり落ちた脚を、エッチな褥になりかねないじゅうたんの上で踏ん張って。

「もう、耐えきれない。あたし、姦られちゃうよぅ」
お邸を失礼しての帰り道、真由香ちゃんはふと立ち止まって、ボクをふり返る。
「どうせ姦られるんだったら、ヒロシに抱かれてからにしたいよう」
紺のブレザーの金ボタンが、夕陽を受けてキラリと輝いた。
目じりにぽっちり浮いた涙は、さっきのよがり涙の名残りでは、なかったらしい。

うちでする?
いや、家族がいるよ。
真由香ちゃんとこは?
パパ、もうおうちに戻ってる・・・
学校戻って、教室でする?
バカっ。あした恥ずかしくて学校来れないじゃない。
なんと・・・公園ですることになった。
生け垣の向こうだから、見えないよね・・・?
真由香ちゃんはさいごまで、人目を気にしつづけていた。

こんなことはもちろん、ボクだって初めてだ。
けれどもそのくせ、ボクのあそこは勃ちあがって、ズボンを脱ぐのが大変だった。
真由香ちゃんは、いつでもいいよ・・・って言ってくれたけど。
当の本人がドキドキしてるのが、ガクガク震える手足から、じゅうぶん過ぎるほど伝わってきた。
どうすればいいんだ?こんなでいいのか?
エッチな雑誌で得た知識を総動員して。
草地のうえにあお向け大の字に横たわった真由香ちゃんに、身体を重ねていって。
むき出しのお尻が、外気に触れてすーすーするのが、気になったけど。
とうとう・・・奥の奥まで、入り込むことができた。一発で!

身体を離して、お互いの熱気が去ると。
ボクたちはどちらも、、相手から目をそらしていた。
いけないことをしちゃったかなあ・・・って、後悔が。
ちょっとばかり、胸をかすめたりしたものだから。
その気まずい雰囲気を、ひと声で吹き飛ばしたのは真由香ちゃんのほうだった。
「あっ!!!」

どうしたの?どうしたの?なにかまずいことでもあった??
しつこく問い質すボクにも、なかなか答えてくれなかった真由香ちゃんが、
まるで悪魔の封印でも解くように、恐る恐る言ったのだった。
「あたしもう、処女じゃないんだよね?小父さんにわかっちゃうよね?セックスしたことのある女は、必ず抱くっていってたよね?」
あー・・・
なんということだろう!

2日後。
ふたり連れだって訪れた、小父さんのお邸で。
ボクの目のまえでいつものようにくり広げられる、臆面もない誘惑に。
真由香ちゃんはあっさりと、屈していった。

ほぅら、ひと口血を吸っただけで、ばれちまった。
小父さんは、羞ずかしそうに口ごもる真由香ちゃんのおでこを人差し指でピンとはじくと、
さあ、きょうこそは、良い子になっていただこうかな?お嬢ちゃん。
そういって、無抵抗な身体から、制服のブラウスを剥ぎ取っていった。
おっぱい丸出しの素っ裸に、スカートとハイソックスだけを着けているのって、とてもイヤラシイ眺めだと思ったけれど。
あふれるほどの歓びをボクに悟られまいと、しんけんにしかめ面を作っている彼女には悪くって、とうとう口にすることはできなかった。
「わしの誘惑を三度もこらえる子は、いまどき珍しいんだがな」
小父さんのそんな慰め言葉も、なんのフォローにもならなかった。

素っ裸にスカートにハイソックス。
そんな恰好で真由香が犯されるありさまは。まるで悪夢のようにボクの脳裏を去らなかった。
もちろんそんなことは、ひと言も口にしなかったのに。
いったいどこをどうやって、伝わったのだろう?
早くも、つぎの訪問のときからだった。
「ヒロシ、こういうの好きなんだよね?」
彼女は息荒くのしかかる小父さんに、ブラウスを剥ぎ取られながら。
イタズラっぽくボクの顔を窺って。
スカートとハイソックスだけを着けたまま、
ずぶずぶ、ずぶずぶ、小父さんの一物を深々と埋め込まれていって。
ボクよりも大量の精液をびゅうびゅう放出されるままに、ゆだね切っていくのだった。

お邸通いが、やめられない。
真由香ちゃんに腕を引っ張られるときもあったけど。
以外にも、ボクから誘うときも多かった。
「イカサレちゃうよっ」はしゃぐ彼女に。
「ダメダメっ」にやけるボク。
「いやらしい」さいごに彼女に小突かれる。
やがて小父さんはボクの家でも、彼女の家でも、真由香を抱くようになっていた。

ふと気がつくと、小父さんの誘いが遠のいていた。
それまでは。
週に2回までの約束が、3回になり、もっとになったのが。
やがて月1がいいとこになっていた。
それでも真由香の通っているお嬢様学校は、品行方正な生徒がほとんどだったので。
月1もの頻度でセックスをしているような女の子は、ほとんどいないはずだったけど。

「アンパイだと思われちゃったのかなー」
悔しそうに唇を噛む真由香のことを、どう慰めていいのかわからなかった。
けれどもその穴埋めをするのは明らかに、ボクの役目だった。
月1だったセックスの頻度は、やがて週2になり、ほとんど毎日になっていった。


「あたしの夢なんだー」
ホテルのベッドで、真由香は脚をぶらんぶらんとさせてみる。
OLになった真由香の足許は、かつての寸足らずの紺ハイソにかわって、
ひざ下ぴっちりの黒のハイソックスだったり、スケスケの肌色のパンストだったりするのだけれど。
時おり交わす、セックスの後の会話は、ひどくなまなましかった。
「結婚式を挙げた夜にね、あなたは小父さまにロープで縛られちゃって。新婚初夜を奪われちゃうの」
彼女はいまでも、小父さんの再来を信じている。
アンパイに「格下げ」になったといっても、それでも小父さんは、思い出したように真由香を襲う。
それは決まって、ボクとのデートの帰り道。
「栄養補給や性欲処理でもかまわないんだ、あたし」
あなたの妻になっても、小父さまの奴隷を続けたい・・・そういう真由香と、来月はいよいよ挙式を迎える。
小父さんの名前はもちろん、招待者の筆頭に書き入れられていた。

真っ赤なハイソックス

2014年01月03日(Fri) 13:23:25

吸血鬼に血を吸われたら、自分も吸血鬼になっちゃうの?

きっとそれは、だれからも訊かれるような、使い古された質問だったに違いない。
ボクが訊いたその相手は、たったいまボクの生き血を吸ったばかりの吸血鬼だったから。

そんなことはないね。

吸血鬼は、即座に答えてくれた。
吸い取ったばかりのボクの生き血を、まだ口許にチラチラと光らせながら。
男はパパよりもずっと年上の、冴えない顔色をした小父さんだった。
仲良くなってからはいつも「小父さん」と呼ぶようになっていたから、ここでも以後は小父さんと書くことにする。
たんに「吸血鬼」って書くと代名詞みたいだし、忌まわしさばかりが先に立つようなイメージがあるから。
小父さんはつづけて、こんなふうに説明してくれた。

小父さんがケンイチの血を吸ったからって、ケンイチはすぐに吸血鬼になるわけじゃない。
もちろん死ぬほど吸ってしまうと、そういう場合もあるけれど。
ただし血を吸われつづけていると、じぶんも無性に血を吸いたくなるようになるんだ。
わしほどではないが、多少の催眠技術も使えるようになるし、
籠絡した相手の生き血を、あるていどまで愉しむことができるようになる。
もっともふだんは普通の人間と変わりなく暮らすことになるし、
吸える血の量も、そんなに多くはない―――

そういうものなんだね。ありがとう。

ボクがお礼を言うと、小父さんはふたたびボクの首すじに唇を這わせて血を吸った。
チュウチュウと音を立てて、それは美味しそうに―――

けっきょくボクは、小父さんになん度も逢って、逢うたびに生き血を吸わせる関係になった。
生き血を吸い取られるあの切ない感覚が病みつきになってしまって、むしょうに愉しくなってしまったのだ。

わしはお前を、たぶらかしておるんじゃぞ。

小父さんはボクの耳もとでそう囁いたけれど。
そうするまえにかぶりついた首すじから撥ねた血で、もう唇を真っ赤に濡らした後だった。

わかっているさ。

ボクがつとめて冷然と応えて、小父さんの首を抱くと。
小父さんはそのまま、シャツをはだけたボクの胸元に牙を降ろしてきて、
心の臓ちかくの豊かにながれる血潮をゴブゴブと嚥(の)んでいった。

ボクの顔色は以前よりちょっぴり蒼ざめてきて、それでもふつうの人間のように暮らしていた。
血を吸い取られながら、いつかボクも、だれかの血を吸いたい・・・そんなふうに思いつづけていた。
血を吸いたい相手―――それはほかでもない、おなじクラスの相添朋子のことだった。

トモちゃん―――ふだんはそう呼んでいるから、ここでもそう書くことにする。
トモちゃんはそんなに美人じゃないけれど、クラス一のしっかり者で、いつも学級委員を務めていた。
気が強くてはっきりとものを言うので、ボクを始め男子たちもたじたじになることが多かったけど、
どういうわけかボクはそんなトモちゃんに、心のなかで惹かれはじめていた。
いつもやり込められている女の子を、へこましてやりたい。
さいしょはそんな、子供じみた感想に過ぎなかったかもしれないけれど。
トモちゃんが好んで履いている真っ赤なハイソックスを、生えかけた牙で噛んでやりたい・・・そんな衝動はきっと、それまでの仕返し願望とはべつのところから芽生えたものに違いなかった。

ボクはその願望を、むろんだれにも言わず黙っていたけれど。
小父さんは密かに、それを感じ取っていたらしい。

血を吸いたい女子が、いるんだろ?同じクラスの子かい?

彼がそう訊いてきたのは、初めてうちに来た時だった。

さいしょから、ママの生き血が目当てだった小父さんは、
突然の訪問を受けたママがうっとりとなっちゃって、まんまとうなじを噛ませちゃうと。
ママがじゅうたんの上に尻もちを突くまでチュウチュウと生き血を吸いつづけて、
唇を真っ赤に濡らしてしまっていた。
ボク以外の人の血で小父さんの唇がべっとり濡れるのを見たのは初めてだったし、
まさかボクの代わりにママの血が小父さんの唇を濡らすことになるなんて、夢にも思っていなかったけど。
どうやら小父さんはママの生き血が気に入ったらしく、
ママが気絶してしまってからもしばらくのあいだ、ママのワンピース姿の上に、覆いかぶさっていた。
ママの生き血をチュウチュウ美味しそうに吸い取っていく小父さんの満足そうな横顔を盗み見て、
どうやらママに叱られることはないだろうことにホッとしたボクは、
ママの生き血は及第点だったらしいことが無性にうれしく、誇らしい気分になっていた。

ボクもちょっぴりだけ、お相伴にあずかった。
もちろん人の血を吸うのは、初めてだった。
「身内の者の血のほうが、さいしょはなじむものだから」
小父さんに促されて初めて含んだ生き血は、ほんのりと暖かく、心の奥まで潤すような味わいだった。

若い子の血は、さらに美味いぞ。

小父さんはそそのかすように、ボクの横顔を窺ってくる。
どうしても、ボクの理想の相手がだれなのか、知りたいらしかった。

だれなのかちゃんと言わないと、わしが先に襲ってしまうかも知れないからな。

そこまで言われてしまうと、ばれるのももう、時間の問題だなって思えてきて、
ボクは相添朋子―――トモちゃんの名前を初めて口にした。

どんなところが気になるんだ?って訊かれたから。ありのままのことを答えていた。
しっかりしていて、気が強くて、なんとなく気になるんだ  って。
小父さんはくすぐったそうな含み笑いをしてボクを視、ボクの言い分が気に入った、というように強く頷き返してきた。
そして初めての人間を誘惑するときの手口を、ボクに手短かに説明してくれた。
どんな方法でするのか・・・それはここでは書けない。あくまで仲間内の秘密だから。


放課後ボクの誘いに応じて公園にやって来たトモちゃんは、タータンチェックのジャンパースカートに黒のトックリセーター、脚にはひざ小僧の上まで伸ばした黒の長靴下を履いていた。
「あー、ホントだ。紅葉綺麗だね。ケンイチこういうことはよく気がつくんだよなあ」
ほかのことには鈍感・・・そう言いたげな皮肉を裏に隠したような、いつもの毒舌だったけど。
トモちゃんはいつもの男言葉で、ひどく感心したようにあたりの木々を見あげていた。
ボクたちはそこでちょっとの間話し込み、そして術を使った。
目のまえで掌を2~3回ひらひらさせるような、他愛のない術に、しっかり者のはずのトモちゃんはいともあっさりと引っかかった。
とろんとなって姿勢を崩したトモちゃんのまえに小父さんが姿を現した。

独りでやれるか?

ウン、なんとかする。

人ひとりをさいしょから相手にするのはもちろん初めてだったけど。
ここで引いたら小父さんにもトモちゃんにもバカにされるような気がした。
ボクはぐったりとなったトモちゃんをベンチの上にあお向けに寝かせて、
首すじのあたりを懸命に、生えかけた牙で引っ掻きつづけていた。
あまり深くない擦り傷からバラ色の血がしずくとなってにじみ出てくるのに、数分はかかっていた。

初めて口にしたトモちゃんの血―――ママのよりもほんのりと淡い香りがするような気がした。
いちど味わってしまうと、あとはとめどがなかった。
ボクは女の子の首すじに初めてつけた傷口に夢中になってしゃぶりつき、蒼ざめるほど喪われたボク自身の血の穴埋めをするように、熱心にトモちゃんの血を求めつづけた。
気の強いトモちゃんも、目を瞑って気絶してしまえば、ただの従順な生き血の供給者に過ぎなかった。
小父さんはいつの間にか、姿を消していた。だれか別に、血をくれる人間のところに行ったに違いない。
もしかするとそれは、ボクのママかも知れなかったけど、そういう心配はさておいて、ボクは初めて味わう獲物に夢中になっていた。

もう。

トモちゃんはボクをにらんで、人差し指と中指とを揃えて、ボクのおでこを小突いた。
知らなかった・・・ケンイチって、吸血鬼だったんだ。
みすみす血を吸い取られてしまったことを悔やむように、トモちゃんは眉を寄せて、悔しそうに唇を噛んだ。
ボクが相手じゃ不服だったのか。そもそも血を吸われたのが気に食わなかったのか。
あたしも吸血鬼になっちゃう・・・トモちゃんは泣きそうな顔でそういった。
それはさいしょボクが抱いたのと、おなじ誤解だった。
ボクは手短かに、事情を説明する。
小父さんがボクにしたときほど手際のよい説明じゃなかったし、つっかえつっかえ、時々声がつんのめっての説明だったけど。
どうやらトモちゃんは、自分が吸血鬼にならないで済むとわかってくれたらしい。
それに、死ぬほど吸い尽くされてしまうわけではない・・・ということも。
けれども、それで彼女の舌鋒が鋭さを減じたわけではなかった。

紅葉じゃなくって、ほんとはあたしの血を吸うために呼び出したのね?

トモちゃんの顔に、卑怯者って書いてあるような気がした。
まっすぐな性格の彼女は、だますとか、逃げるとか、そういうことを何よりも嫌っていたのだ。

ごめん。

ボクはそういって、うなだれるしかなかった。
間髪を入れず目いっぱいの非難が襲いかかってくるのは、確実だった。
そうなる前に、ボクはぴしゃりと言っていた。

でも、きみの血が欲しかったんだから。他の誰でもいいわけじゃ、なかったから。

殴りつけるような語調に、トモちゃんは驚いたようにボクを見た。
気の弱い男子という、男の子としては全くありがたくない評価をボクに決めつけてしまっていた彼女にとって、
ボクは、いつもおどおどと口ごもっているのがお似合いなやつだったのだろう。

塾の前とかにこんなことされるのって、すっごく迷惑!

トモちゃんが口を尖らせた最大の理由は―――どうやら塾に遅れてしまうことにあったらしい。
これから、塾・・・?
 って訊くボクに。
十五分後に〇〇進学教室。いまから行ったってもう、遅刻だよ。
 トモちゃんはすでに、負けを自分自身に宣告している。
そんなことあるもんか。
 ボクはとっさに時計を見、ここには自転車で来たとトモちゃんに言った。
でも貧血で、授業どころじゃないだろう?
平気よ。
 答えは言下に、かえってきた。
服汚れてないし。
 そういって彼女は、トックリセーターの丸めた襟で、首すじのあたりを覆い隠した。

間一髪、塾には間に合った。
肩で息をしているボクに、トモちゃんは冷やかすように言った。

せっかくあたしから血を吸ったのに、もうエネルギー切れなんじゃない?

いつものぞんざいな口調だった。
けれどもそのあとに、彼女は耳を疑うようなひと言を、つけ加えてくれた。

8時過ぎにさっきの公園で待ってなさいよ。気が向いたら行ってあげるから。

なにかを言い返そうとするボクの言葉を、「授業始まるからっ」って、苦も無くさえぎって、彼女の姿はぼう然としているボクを残して、教室に消えた。


それ以来、トモちゃんとボクの付き合いが始まった。
学校のだれにも知られることはなかった。
だってトモちゃんは学校では相変わらず男子相手にも堂々としていて、気の弱いボクのことなんか鼻にも引っかけなかったのだから。
あの晩彼女は、約束通りふたたび公園にやってきて、ボクの願望のままに、黒のハイソックスのうえからふくらはぎを噛ませてくれた。

こんなことしたからって、あたしへこまされたりしないからね。

こちらの気持ちを見透かすように、そんなことを憎々しく口にしながらも、ハイソックスのふくらはぎにねっちりと噛みつくボクを励ますように、「もっとつよく噛んで!」と逆に命令口調になっていた。
お目当ての真っ赤なハイソックスも、女子高生みたいな紺のリブ柄のやつも、彼女は惜しげもなく脚をさらして、噛ませてくれた。
「貧血になりそう」とか、あからさまに文句を言いながら。


だいぶうまくやっているらしいな。
小父さんはひっそりと、ボクの傍らで囁いた。
彼との関係も、相変わらず続いていた。
ママの生き血だけでは不足だった小父さんは、パパとも仲良くなって。
たまの訪問のときにふたりが居合わせると、パパまでも、夫婦ながらの献血につき合わされる羽目になっていた。
血を吸う相手は最低でも数人は必要なのだという。
そうじゃないと、せっかく血をくれる人に負担をかけ過ぎてしまうからな。
表向きは冷やかな口調だったけれど、そのことを彼が案外苦にしていることを、ボクはなんとなく察していた。

小父さんはボクの履いているサッカーストッキングのうえから、ふくらはぎを噛んだ。
真新しい白い生地に、赤黒いシミがじんわりと滲み、拡がってゆく。
足許からキュウキュウと洩れる吸血の音と同じくらいにうっとりしながら、ボクはその眺めに見入っていた。
ボクがハイソックスを履いたトモちゃんの脚を噛みたがるようになった原因は、彼の病が伝染ったからのような気がしてならなかった。
ボクがサッカーストッキングを履いた脚を嬉々として噛ませてしまっているように、ママもまた、肌色や黒のスケスケのストッキングを、小父さんに噛み破られるのが習慣になっていた。小娘みたいにきゃあきゃあはしゃぎながらばたつかせる脚に、ねっちり、ねっちりと、唇を吸いつけられながら・・・
そう、ママとボクとはそのころには、気の合う共犯者同士になっていた。
小父さんはボクのサッカーストッキングを見る影もなく噛み剥いでしまうと、ボクに言った。

お前の相手は、新鮮な血の持ち主のようだな。

トモちゃんの血を吸いつけているボクの血のなかに、彼女の血が混じって来たのだろうか?
ボクの無言の疑問を、やはり無言で肯定しながら、小父さんは言った。

その子の血を、わしにも分けてくれないか?


ゾクゾクするような経験だった。
約束通り公園に現れたトモちゃんは、
訝しそうにボクの連れの年配の男を見、もの問いたげにボクの顔を見、
男ふたりの顔を見比べているうちに共通点でも見出したのか、すぐに得心がいったようだった。

この人、あなたの先生?

初めてあたしの血を吸った時も、この人そばにいたよね? って、彼女はつけ加えた。
彼女の慧眼ぶりと、小父さんのことを「先生」と呼んだとっさの適切な表現力には、小父さんも感心していた。
初めて人を襲う仲間のために介添えに立つことがあっても、犠牲者の側が自分のことを記憶していることはめったにないのだという。
さいしょのうちは、気が気じゃないはずだからね・・・ 小父さんは襲われる側の気持ちも、よくわかっていた。

いつもママが相手しているんだけど、とうとう貧血でぶっ倒れちゃってさ・・・

言い訳をするボクに、「言い訳はやめなさい」彼女は手きびしい顔になって、

あなたの一族では、教え子の獲物を味見する風習でもあるんですか?

小父さんに真顔で訊いていた。
小父さんは真顔で、応えていった―――その通りだ。
トモちゃんはなおも小父さんを厳しくにらんでいたが、逃げ道はないと悟ったらしい。

あたし、ケンイチのいるところでしか、あなたには逢わないですから。

まるでクギを刺すような言いかただった。

その日トモちゃんは、ボクが気に入りの真っ赤なハイソックスを履いていた。
ボクは右側の、小父さんは左側のふくらはぎに、唇をすべらせてゆく。
まずボクが噛みついて、彼女の生き血で真っ赤なハイソックスを濡らすと、
顔をあげたボクの目のまえで、今度は小父さんが真っ赤なハイソックスごしに牙を埋めてゆく。
これだよ。これなんだ、ボクが求めていたのは・・・
突然どす黒く閃いた衝動が、ボクの身体の芯を貫いた。
ボクのなかですっかり大きな存在になった彼女が、小父さんに咬まれて血を味わわれる―――そして小父さんは、ボクの抱いていたいびつな願望を裏書きするように、

旨い血だ。

たしかに、そう呟いてくれていた。
深い響きのある声色だった。

小父さんは、トモちゃんの履いているハイソックスのうえからなん度も唇を這わせ、脈打つ血潮を吸い、また吸った。
足許からの献血がひとしきり済むと、ベンチの背もたれにもたれかかったトモちゃんの上体にのしかかって、こんどは首すじを咬んでいった。
小父さんの腰がトモちゃんのチェック柄のプリーツスカートのすそを割るようにしてのしかかり、
トモちゃんはがに股になって、小父さんの身体を迎え入れるような感じになった。
ふたりの吸血鬼によって噛み破られた真っ赤なハイソックスは弛んでずり落ちて、脛の途中で皺くちゃになっていた。
チュウチュウ・・・キュウキュウ・・・
まるで恋人の接吻を受け容れる少女のようにあお向けの姿勢になって、トモちゃんは小父さんに血を吸い取られてゆく。
のしかかる逞しい両肩をさえぎろうとした両腕はへし折られて、いつの間にか小父さんの背中にまわっていた。
渇いた衝動が衝きあげたのは、そのときだった。
ボクはやおらトモちゃんの足首を抑えつけると、牙をむき出して、
ハイソックスが脱げてむき出しになったふくらはぎを、がりり!と噛んでいた。

ゴクッ・・・ゴクッ・・・
じゅるうっ。ごくん。

ふた色の吸血の音が、競い合うようにトモちゃんのうえに覆いかぶさる。
強張っていた四肢から、籠められた力がじょじょに抜けてゆき、小父さんの背中にまわされた腕はだらりとベンチの上に伸びていた。
小父さんはやっと顔をあげて、ボクのことも促した。
トモちゃんはそれでも、意識を失わずにいた。
さいしょはボク相手でも気絶しかけたトモちゃんも、ボクへの供血体験で、少しずつ慣れてきたのだろうか?
さすがに蒼白な顔をした彼女は、自分の身体から吸い取った血で唇を濡らしている男ふたりを、それでも気丈ににらみつけていた。

気がすんだかしら?

強姦された後の女学生みたいな、つとめて冷やかな口調だった。
小父さんはあっぱれ、という顔をして、彼女にジャケットを着せかけてやり、独りで家に帰れるか?と訊いた。

大丈夫です と、あくまで冷やかに言う彼女。
それでも送る と、意地を張るように口にしたボクに。
じゃあ・・・と彼女は、ボクの腕に腕を添えてきた。
起っているのがやっとだということが、添えられてきた腕を通して伝わってきた。

万が一にも、ボクが言い出す前に小父さんから「送ってやれ」なんて言われたら、彼女は多分、ボクに腕を添わせることはなかっただろうし、もしかするとそれっきりで、ボクたちの仲も終わりだったかも知れなかった。
もちろん彼女を独りで帰らせても、結果に変わりはなかっただろう。
家族にはすべてを内緒にしているらしい彼女が隠し通せる状態ではなかった。
ボクはいったんボクの家に来るよう彼女にいい、彼女は素直にそれを容れて、一時間ほど休んでから、やはりボクに送られて自分の家に戻っていった。


それからは、トモちゃんの血を吸うときに小父さんを交える機会が多くなった。
小父さんは、二人だけの時間を大事にするように・・・とすすめてくれて、そういうときにはみだりに割り込んでくることはなかったけれど。
そうなるとボクもかえって気兼ねが生まれて、つぎの機会には自分のほうから、小父さんを誘うようになっていた。
ふたりの吸血鬼が、女の子ひとりを襲う―――といっても、分け前は平等、ということには、必ずしもならなかった。
さいしょに言われたように、半吸血鬼が吸える血の量と、本物の吸血鬼が吸い取る血の量とでは、比べものにならなかったからだ。
おまけに小父さんは、噛みかたが上手ならしかった。
「負けちゃダメだよ。小父さんは噛むの上手だから。あれならふつうの女の子だったら、いちころだよ」
二人きりで逢っているとき、トモちゃんはにらむような目つきでボクにそういったけれど。
じっさい彼に咬まれる瞬間のトモちゃんの顔つきは、ボクのとき以上に「うっとり度」が高そうだった。

痛そうでいて、そのくせうっとりしちゃう。

吸血鬼に咬まれた女の子たちのだれもがそういうように、「痛い度」と「うっとり度」とが共存していて、咬むのが巧みなやつほど後者の方をより色濃く相手に残すらしかった。
「うっとり度」の高さは、ともするとはたで眺めている男性―――襲われている女性の夫とか恋人とか―――にも乗り移るらしかった。
ボクはしばしば、小父さんに咬まれてうっとりした表情を泛べるトモちゃんの横顔に嫉妬し、欲情し、牙にあやした毒液を滾らせてしまうのだった。
白状してしまうと、「きょうはじょうずに噛んだね」って彼女に褒められるときほど、その傾向が強かった。
そう、ボクはひそかに、小父さんに咬まれる彼女を視て、欲情を覚えていたのだった。

トモちゃんはボクたちのために、自分の友だちを数人、紹介してくれていた。
「みどりちゃんは吸血鬼愛好会とかいうのに入ってるから、大丈夫。さやちゃんとまどかちゃんも、おなじサークルだから、OK。かなちゃんは家がお店屋さんだから、店の手伝いがあるとき見逃してあげる気があるんなら、紹介してもいい」
そんな感じだった。
ボクは新しい獲物たちにも、夢中になっていた。
とくにさいしょに名前のあがったみどりちゃんは、小父さんと共同で沈没させたのだけど。
紺のブレザーにチェック柄のスカート、胸元にはふわふわリボン、足許には濃紺のハイソックスというお嬢様スタイルには、いっぺんで舞い上がってしまっていた。
お父さんが医者だという彼女はお小遣いをうんともらっていて、自分の着る服は自分で買っているほどだったから、「きょうの服には血を撥ねかさないで」とキツい顔をするトモちゃんと違って気前がよかった。
ご自慢のふわふわリボンが血浸しになっても、「もっとやってえ」なんてのたまわってしまうし、
たまに履いてくる真っ白なハイソックスにあからさまに血が撥ねるのを気にかけながらも、恥ずかしがりながら噛ませてくれた。
良家のお嬢様をモノにする愉しみを、彼女は身をもって教えてくれたのかもしれない。


「あなたの先生、あたしにアプローチかけてるの」
久しぶりに二人きりで逢ったトモちゃんは、ボクのことを相変わらずの上目遣いでにらみながら、そんなことを言った。
「え?」と訊きかえすボクに、
「さいしょはケンイチがいないときには逢わないって約束だったでしょ?でもケンイチとふたり誘った時に、あなた来なかった時があったじゃない。あのとき初めて、二人きりで逢った」
ボクはどきりとした。
そのときはたしか―――みどりとの先約が入っていたのだ。
みどりを紹介してくれたのはそもそもきみじゃないか・・・という見苦しい言い訳は、さすがにしてはいけないのだと、いくらボクでもわかった。
「それからは、三度に一度は、二人きりで逢ってる」
ボクの顔つきに現れるすべての感情を読み取るように、彼女は静かにそういうと、とどめを刺すように締めくくった。
「とにかく、そういうことだから。隠しておくのは卑怯だと思うから、いちおう言っとく」
それきり彼女は目を瞑り、身を仰のかせる姿勢になった。
吸血鬼に血を吸わせるときのポーズ。いつのまにかそんなポーズが、すっかり様になっていた。
ボクは彼女の首すじに、むき出した牙を埋めた。
嫉妬に狂った牙だった。
ごくり・・・ごくり・・・
熱く滾る血潮が、彼女の体温のままに、口に含まれ、飲み込まれてゆく。
なにかを訴えかけるようなその熱さが、渇いた喉を撫でるように、通り過ぎていった。
綺麗につけた噛み痕をハンカチでぬぐうと、ジャケットのすそをまくりあげ、セーターとブラウスをたくし上げてすき間を作り、わき腹に牙を埋める。
うっ・・・!と身をしならせるのを抱きすくめて、さらに血を啜り取る。
すっかり丈が短くなったチェック柄のプリーツスカートをはねあげて、太ももをあらわにすると、慣れた手つきで撫でつけて、それからおもむろに牙を埋める。
左右両方に、代わる代わる。
むっちりとした肌のみずみずしさが、突き入れた牙をまわりじゅうから押し囲んきた。

かつては知的な雰囲気で、手の届かないところにあったはずの濃紺のハイソックスも、この淫靡な遊戯の小道具に堕落していた。
小春日和の陽射しをツヤツヤと照り返す真新しい生地は、脚の線に沿った縦すじのリブを鮮やかな浮き彫りにした。
ボクは唾液をたっぷり含んだ唇で愛撫するように、ハイソックスのうえから唇を這わせて、わざわざ真新しいのをおろしてくれた彼女の足許を、いやらしくいたぶり抜いた。

唇で加えられる強引な凌辱にリブが歪みねじ曲げられるのを厭うように、
彼女はずり落ちかけたハイソックスをなん度も引っ張りあげたけれど、
それは噛み破らせるまえに目いっぱい愉しませるために違いなかった。

あー・・・
ふくらはぎのいちばん肉づきの良い部位に牙を埋めると、彼女は低く短く呻いた。
ちゅうっ。
活きの良いピチピチとはずんだ血潮が、ボクの喉をなま温かく濡らす。
なん度も、なん度も、かぶりついて。
ピンと引き伸ばされた濃紺のハイソックスを、あちらといわず、こちらといわず、思い思いに噛み破っていった。
あー・・・
彼女がもう一度唸ると、もう片方の脚にもしゃぶりついた。
噛み破られたハイソックスが弛んでずり落ちていくのも構わずに、ボクはなん度も噛んでいった。
彼女も乱されてゆく着衣をかえりみもせずに、ひたすらボクへの供血を、果たしていった。


「ん。いいよ・・・」
ボクを視るときと同じ上目づかいで、小父さんをにらみながら。
公園のはずれの雑木林のなか、朋子は古木に身を持たれかけさせていた。
小父さんは朋子の両肩を抱いて、唇を彼女のおとがいに近寄せていく。
二対の唇が、触れ合うほどに接近した。
えっ。キスを奪うの?
それはボクですらまだ、許されていない行為。
じゅうぶんに思わせぶりに近寄せられたふたつの唇は、しかし交わることはなかった。
小父さんの唇はおとがいの下に擦りつけられ、あごに力を込めていた。

じゅるうっ。

木洩れ陽の下、静かな光景のなかで、生々しい吸血の音がひときわ、まがまがしい不協和音を響かせた。
「だめ・・・」
彼女の目じりには、涙が洩れている。
「うっとり度」たっぷりのねちっこい咬みかたにイカされてしまったのか。それともほかの理由からか。
けれどもその涙は、ほんの気まぐれのように、一時的なものだった。
吸血は少量だったらしく、彼女のようすには目だった変化はなかった。
「履いてきちゃった。新しいやつ」
彼女は誘うように、濃紺のハイソックスの足許を吸血鬼に見せびらかす。
「ケンイチにも黙って来ちゃった」
「悪い子だ。お仕置きだね」
「はい、小父さま」
朋子はボクのときには絶対見せない従順さで目を瞑り、足許にかがみ込んでくる小父さんの牙を待った。
そうしてそれから長いこと、おニューのハイソックスが小父さんのいたぶりでくしゃくしゃに弛み落ちてゆくのも構わずに、ご馳走しつづけていった。
「おい・・・」
自分でも自覚しないくらい自然に、ボクはふたりに声をかけていた。

「よくわかったね」
朋子が感心したように、ボクを見る。
小父さんも予期していたかのように、落ち着いた目線で見据え返してきた。
心が怯みかけるのをこらえながら、ボクはつとめて平静にいった。
「これ以上ボクの視ていないところで彼女に手を出すと、こうだよ」
恰好だけにしても・・・自分の血を吸い取られた関係の人にパンチをくり出すのは、初めてのことだった。

醜い争いには、ならなかった。なりようもなかった。
ほんとうであれば、あのままみどりを追いかけて、彼女の一家全員を自分の奴隷に堕としてしまうというありかたも、順当と言われる展開だったのだろう。
いずれにしても、ボクが選んだのは、朋子だった。
教え子と争うことは禁忌とされる彼らのルールに従って、小父さんはあっさりと引き下がった。
他人の獲物を勝手に横取りすることも、彼らの間では認められない行為のひとつだった。

「負けたよ。そんなに彼女が良かったんだな」
「初めてだから・・・ってわけじゃ、ないですよ」
ボクは彼のまえで言い張った。
朋子に対する想いを穢すものは一点たりとも、その存在を認めたくなかったのだ。
「わかった。わかった。降参するよ。多少フェアでなかったことも謝罪する」
小父さんはどうやらほんとうに、降伏したみたいだった。
彼との逢瀬が始まってから終始硬い表情だった朋子が、初めて目線を和ませたのを、ボクは見逃さなかった。


わしはもう、お前への断りなしにこの娘のまえには現れない。
あとはお前たち二人で、愉しむがよい。
どうしても喉が渇いたとき恵んでもらうことは、あるかもしれない。
けれどもそれは、それだけのことだ。
ただし、憶えておくがいい。
いずれお前たちは結ばれて、娘は女になるだろう。
けれどもいちど男と交わった女は、夫以外の男に吸血されるときには相手の求愛を容れることになる。
処女の生き血を尊重する我々は、みだりに処女を汚したりはしない。
けれどもいちど識ってしまった女は、そのかぎりではない。
むしろそのまま放っておくほうが、ご婦人に対して失礼 というものではないかね?
いちど得た獲物は、だいじにとっておくがよい。
そうでないと、いつなんどき、わしのようなのが奥さんをこそ泥に来ないとも限らんからな・・・


小父さんの捨て台詞は呪縛のように、ボクの行動を縛った。
ママがどうやら小父さんの恋人になっているらしいこと、パパもそれを禁じてはいないらしいこと、
そうした三人の関係に、ボクたち夫婦はけっして忌まわしさを感じていないこと、
それでいて・・・彼女をほかの男に抱かれてしまうことは、いまのボクにはあり得ないことだった。
初めて血を吸って支配したはずの少女は、永久にボクの支配者であり続けて、
小父さんはやはり、永久にボクの先生であることを思い知っている―――深い幸福感をもって。

夫婦で連れだってあるくとき、かつての憧れの少女はいまでも、真っ赤なハイソックスを脚に通す時がある―――


あとがき
新年そうそうだから・・・というわけでもないのですが。 笑
ココでは珍しいくらい、まっとうな?エンディングのお話になりました。^^
めでたし、めでたし♪