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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

吸血病 ~自分の生き血の使い道。~

2014年02月12日(Wed) 08:14:03

街には、吸血病が蔓延していた。
それは多くの場合、知人を媒介にして感染し、数人に1人の割合で吸血衝動を発症して、さらに次の犠牲者を生んでいた。
感染した者は、吸血衝動を発症しない者も含めて例外なく、いちど血を吸われてしまうと、自らの血を吸われたい衝動を抑えることができず、特定の相手を対象になん度も吸血に耽る感染者の餌食に、すすんでなっていくのだった。
それが社会的に表ざたにならなかったのは―――死亡者が1人も出なかったためだった。

「ゴメン、どうしても我慢できない・・・」
母さんは父さんに目を合わせずにそういうと、「仕方ないね」という父さんに謝罪するように頭を垂れて、エプロンを脱いでゆく。
「悪いけど、晩御飯は二人で食べてね」
エプロンを脱いだ下は、すでによそ行きの服装だった。
親戚へのお呼ばれや父兄会とかで見慣れた、クリーム色のブラウスと紫のタイトスカート。
この服もまた、赤黒く汚されてしまうのか・・・
こういう夜はひと晩戻らずに、明け方になって土気色の顔になって戻ってくる母さんは、いつも着衣を自分の血でびしょびしょに濡らして戻ってくる。
いつだったか、帰宅してきた母さんと玄関ではち合わせをしたときに思わず、言ってしまった。「ホラーだね」
母さんは、決まり悪そうに苦笑いするだけだった。

行き先は、わかっていた。
初めて母さんが、そうやって自分から血を吸われに出かけた翌日に、
同級生の蛭沼が、なにやら言いにくそうにゴモゴモと口ごもりながら近寄ってきて。
鞄のなかに隠していた紙包みを、こっそりとぼくに渡したのだった。
中身は、その晩母さんが穿いていたパンストだった。
パンストだったもの―――といったほうが、適切だったかもしれない。
夕べまでは母さんの足許にきちんと装われていたそれは、見る影もなく破れ堕ちて、肌色の記事に不規則な赤黒のまだら模様をつけていたのだから。
いつから―――?
上目遣いにそう訊いたぼくに、蛭沼はやはりゴモゴモと聞き取りにくい声で、「一週間前に・・・お願いして・・・そうなって・・・」と、意味不明な言葉を呟いて。
なん度訊きかえしても、言っていることの意味は判然としなくて、ぼくは彼と母さんとのなれ初めを聞き出すことを断念したのだった。
以来、ふたりのあいだでは、この話題にはあまり触れない・・・という黙契が成り立っている。
もちろん父さんとも。

もっとも父さんのほうは、やはりどうしても気になるらしかった。
母さんが出かけたあとに、向い合せになった食卓で、ぼくに向かって独り言のように、呟いたのだ。
「蛭沼君って、どんな子なんだい?」
うーん、大人しいやつかな・・・
なるべく父さんを刺激しないような表現をさがしたあげくが、こんなていどの言い方にしかならなかった。
大人しいというか、陰気なやつ。
無口でほとんど声を聞いたことのないやつで、友だちもいなかった。
しいて言えばクラスのなかで、ぼくと少しだけ話をするくらい。
果たしてそれで、友だちと言えるのか?
けれども彼は、それでもじゅうぶん嬉しかったらしい。
無口で人付き合いが苦手でも、淋しくなることはあるのだから。
ところが反面、学校の成績はびっくりするほどよかったし、運動神経もじつは抜群なのだった。
女子受けするはずのそうした美点はけれども、めったに発揮されず、体育の時間でも彼はいつも隅っこのほうにいた。
クラス対抗の試合のときだっけ。時おりみせる隼のように俊敏な動きを発揮して、彼がチームの窮地を救ったのは。
けれどもその前後を含めて終始目だたない彼の行動は、それ以上クラスメイトたちの注目を浴びることはなく、試合が終わることにはみんなの記憶の彼方に埋没してしまっていたのだが。
むしろ―――故意に目だたないように振る舞っていたのかも知れなかった。そのころまでは。

取りつく島もないような反応しか示さなかった息子から、それ以上なにかを聴き出そうとするのをあきらめた父さんは、
表情を消した食事の手をすすめた。
カチャカチャいう食器の鳴る無機質な音だけが、父さんと二人きりの食卓に漂いつづけた。

いずれ、だれかに血を吸われちゃうんだ。
そんな諦めの感情を抱いたのは、いつの段階からだっただろうか。

母さんが、だれかに血を吸われてしまった。
吸血鬼が身近な同級生だということを、本人の態度でわかってしまった。
三日に一度は血を吸われに出かける母さんのことを、父さんがとめなくなった。

そんな両親の振る舞いも、おおいに影響を持っていたのかもしれないけれど。
毎日のようにだれか一人か二人、顔色を蒼く変えて登校してくるような日常がそうさせたのは、まちがいなかった。

だんだんと。
鉛色の肌の持ち主の割合が、ぼくのクラスのなかでも増えていった。
男子にしては白いぼくの膚が血色を帯びているのを、だれかれとなくチラチラと盗み見る。
そんな視線がどこかくすぐったく、優越感を覚えるようになっていた。
その日もぼくは、体操着で、いつものように校庭を横切っていた。


白く乾いた校庭の土の彼方に、人影がひとつ、ぼくのことを待ち受けている。
それが蛭沼で、かれがなにを意図してぼくを待ち伏せているのか、すぐに察しがついていた。

母さんはいつも、蛭沼に誘われた翌朝に家に戻ってくると。
穿いているパンストは、チリチリに咬み破かれていた。
長い靴下が好きらしいね。
父さんとぼくの間でも、そんな会話が交わされていた。
どうやら父さんは、蛭沼と逢って和解したらしい。
あるいは、蛭沼が父さんのことを、待ち伏せしていたのだろうか。
父さんも出勤のときには三日にいちど、スラックスの下にストッキングみたいに薄い靴下を穿くようになっていた。
ぼくはその日は、白地に紺のラインが三本入った真新しいハイソックスを履いていた。
校庭の乾いた土の上、陽の光を浴びた白のハイソックスは、眩く輝いていた。

「悪いね」
すべての説明を省略して、蛭沼はぼくの目のまえに佇んでいた。
強圧的に立ちふさがった、というよりは。
ひっそりと佇んだまま、動かない。
そんな態度がじつは支配的で、有無を言わさない意思に満ちていることを、ぼくは心のどこかで察していたけれど。
彼がぼくを従属的な立場に堕とそうとする意図を秘めていながらも、ぼくのプライドに極度に気を使っていることも、容易にそれと察することができた。
「きみならいいかな」
ぼくはなるべく気軽そうな声色をつくって、彼に応じていった。

吸血は、校庭の隅っこにある雑木林のなかで行われた。
そこには古ぼけてゆがんだベンチがしつらえられていて、以前かれが同級生の菰田真由美の脚を吸っているのを目撃したこともあった。
濃紺の制服のスカートの下に菰田が履いていたのは、黒と黄色のラインの入ったハイソックスだった。
白地のハイソックスに赤黒い点々が不規則に撥ねていたのが遠目にもわかって、
その光景に、ぼくはなぜだかどきり!としたのだった。


ぼくは菰田の座っていたのとおなじ、ベンチの隅っこに腰を降ろして、紺のラインの入ったハイソックスの足許をくつろげた。
「どっちから吸うの」
「両方・・・かな」
「好きにしなよ」
「悪いね」
「かまわないよ」
「じゃ」
彼はむぞうさに唇を近寄せて、ぼくの首すじを吸った。
尖った異物が皮膚を冒すときの、痛痒い感覚を、彼はぼくの皮膚の奥へと滲ませてきた。

うっとりとするようなひと刻だった。

調子に乗ってちゅーちゅーと安っぽく吸い上てゆくのを、ぼくはいったんは「お前なー」って、たしなめたけれど。
彼に対する批難は、どう考えても通りいっぺんのものに過ぎなかった。
両肩を抑えつけられるままにぼくは蛭沼に身体をゆだねていって、体操着の胸ぐりを赤黒く浸しながら、血を吸い取られていった。
キモチいい。
これじゃあ、母さんも、父さんまでも堕ちてしまったのを、悪くいうわけにはいかなかった。
堕ちてしまう という表現すら、どうかと思う。
だってぼくたちは、血が足りなくて困っている仲間に、献血をしているだけなんだもの。

失血にちょっぴり肩をはずませたぼくの顔色を、つぶさに点検するように見回してから。
「靴下、破くね」
蛭沼はイタズラっぽく笑うと、ぼくの足許にかがみ込んでくる。
ぼくはけだるげにかぶりを振り、それでもぼくの履いているハイソックスを愉しませてやるために、緩慢になった動作のまま、ずり落ちかけたハイソックスをひざ小僧の真下まで、引き伸ばしてやった。
「ありがとう」
お礼の言葉に、真実味がこもっていて、ぼくはちょっぴりだけ、ぞっとした。
足許を引き締めるナイロン生地に、生温かいよだれがじわじわとしみ込んでくるのを感じて、ぼくはちょっぴり肩をすくめてみせた。

初体験は、ものの三十分ほどもかかっただろうか。
あたりはすでに、昏くなり始めていた。
クラスメイトたちはきっと、ぼくの身に起きていることを察しながらも、状況をそのままに打ち捨てて、散っていってしまっていた。
ぼくのハイソックスは、しつこいいたぶりにさらされて、ずるずるとずり落ちていって。
そのたびにぼくは、ずり落ちたハイソックスを引き伸ばしてやって。
なん度もなん度も、咬ませてやった。
赤黒く撥ねた血が、ホラーな感じだったけれど。
白い靴下に赤黒いシミが拡がるにつれて、ぼくはその様子を面白そうに観察する余裕をもつようになっていた。
さいごに蛭沼は、ぼくの唇に唇を重ねてきて。
まるで恋人同士みたいな濃厚なキスを―――といっても、ぼくは女の子とのキスもしたことがなかった―――ねっとりと交し合ったのだった。

「時々、きみの血を吸うから」
「ああ、いいよ」
「案外と、あきらめがよかったんだね。もっと早く襲えばよかった」
「きみならいいかなって、前から思っていたんだ」
「サンキュー」
他愛なく交し合わされる言葉たちが、ふたりの関係を形づくっていった。
母さんや父さんのことは、話題にならなかったし、しなかった。
なんとなくその部分を触れるのは、お互いに気まずかったのかもしれない。
「三日にいっぺんくらい・・・かな」
「いいね。それくらいだと、助かるよ」
そう返事してしまってから、ふと気がついた。
三日にいっぺん。
ぼくたちは、三人家族だった。


「すみません、喉渇いちゃって・・・」
部活の帰りにジュースをねだるようにして、蛭沼が上がり込んでいたのは、ぼくの家。
「困るね、ほんとうに」
父さんはことさらに顔をしかめて、蛭沼はどこまでもしおらしく「すみません」と頭を下げる。
けれども父さんは、招かれざる客を、拒むつもりではないようだった。
「・・・気が確かなまま、女房を襲われちゃうわけにはいかないから」
そういって、勤め帰りのスラックスをたくし上げてゆく。
父さんが紳士用だと言い張っている黒のストッキング地の長靴下は―――室内の電灯の下、ラメみたいなどぎつい光沢を放っていた。
三日にいっぺん。
そういいながら、家族三人が招待を受ける(する?)頻度はまちまちだった。
蛭沼が、吸血する相手の都合を好意的に汲んでくれた結果、そうなっていた。
父さんが血を吸われるのは、決まって週末。
かなりまとまった量だった。
ネクタイやワイシャツは商売道具だから―――そういう彼はそれでも、自分が血を吸われるときにはきちんとしたかっこうをしていないと気が済まないらしく、いつも勤め帰りにスーツのまま彼を迎え入れていた。
たくし上げられたスラックスの下、蛭沼は父さんのふくらはぎに唇を吸いつけて、薄い靴下もろとも、皮膚を冒してゆく。
這わされた唇の下、ストッキング地の靴下はブチブチと音をたてて裂け目を拡げ、父さんはそのうちに「うーん!」と唸って、その場に転がってしまう。
蛭沼はくそ真面目な性格を発揮して、うつ伏せになった父さんの両脚を咬んで、両脚に穿かれた靴下を代わる代わる、咬み破ってゆく。
「義理堅いんだね」
苦笑するぼくに彼はへどもどと笑い返して、その様子がおかしくって、ぼくは笑い転げてしまう。
「つぎはきみの番」
ご指名を受けたぼくは、制服のズボンをたくし上げてうつ伏せになると、
赤のラインが二本入った白のハイソックスを見せびらかした。
「こないだ体育のときに、履いてたやつだね?目をつけてたんだ」
「やらしいな、お前」
「ま・・・いいじゃん」
ぼくはなにも応えずに、息を詰めて見守る母さんのまえ、うつ伏せになって脚を伸ばす。
隣でうつ伏せになった父さんの足首が、黒くて柔らかそうなナイロン生地に透けているのがみえた。
紳士用の薄い靴下には、足の裏に補強のあるといっていたけれど。
やっぱり父さんのやつは、紳士用だったんだな・・・妙なことに感心しながら、ぼくは足許でチュッという音があがるのを耳にし、同時に脳天から血の気が引くのを感じた。
なけなしの、ぼくの生き血―――
それを青春の情熱にぶつけるために脈打たせるか、
吸血鬼になった悪友の渇きを慰めるための飲み物にしようが、
自由といえば、自由だった。

どうせなら、全部吸っちゃってくれよ。全部がダメなら、せめて気絶させてくれよな。
おなじ状況をなん度も経験させられるうちに。
ぼくはそのたびに、わざと手加減する蛭沼に軽い憤りを感じていた。
もうろうとなった視界の彼方。
母さんはえび茶のスカートのすそを乱しながら、飢えた唇の間近にふくらはぎをさらしていって。
肌色のストッキングをブチブチと噛み破られながら、生き血を吸い取られてゆく。
喘ぎを泛べた口辺に洩れる白い歯が、淫靡な輝きを秘めている。
母さんはやがて、首すじも侵されて。
胸の開いたブラウスの襟首に赤黒い飛沫を撥ねかしながら、ゆっくりとソファの上へと、倒れ込んでゆく。
ちゅーちゅー。
ちゅーちゅー。
ひとをこばかにしたような音をあげて、蛭沼は母さんの生き血を、飲み耽った。
ぼくの身体にも脈打っている、おなじ血を。
まるで慰みもののように、弄びながら。
頬をべっとりと、濡らしながら。
かれはぼくとぼくの家族の血を、好みつづけてゆく。
どうしてこんな気分に、歓びを見出すことができるのだろう?

蛭沼の誘惑を享ける頻度は、ぼくが一番高かった。
母さんのときには、父さんに気を使って、父さんの目を盗んで不在のときの訪問が多かったし、(今夜は例外)
父さんは金曜の夜に、気前よく一括払いするか、つきあいゴルフが入っているときに、それが日曜の朝になるかのどちらかだったけれど。
ぼくの場合は「三日にいちど」の約束が、ほぼ毎日になっていた。
学校でいつも顔を合わせるから、手軽だったのかもしれない。
授業の合間の休み時間とか、短パンの下からハイソックスの脚をさらす体育の時間とか、
校庭や廊下の隅っこ、そんなときはもちろんのこと。
授業の真っ最中にも吸血に耽ろうとする彼の行動を咎めたり妨げたりするものは、蒼い顔だらけになった教室のなかには、もうだれもいなかった。
ネチネチとした吸血に、日常的にさらされながら。
家族のなかでいちばんしばしば襲われることに・・・ぼくは奇妙な優越感を覚えていた。

血迷った蛭沼に組み敷かれながら、母さんはえび茶のスカートのすそを乱して、脚をあらわにしていった。
破れ落ちたストッキングを、足許にまだからみつけながら、
腰のうごきを、ひとつにしていった。
その行為がなにを意味するのか―――もちろん自覚しないわけには、いかなかった。
けれどもそのことさえもが、ぼくのなかでは歓びに転化していた。
母さんが、蛭沼に愛されている。
母さんが、蛭沼を悦ばせている。
父さんもそんな母さんのことを、赦してあげちゃっている。

似合いの夫婦だった。
気前よく生き血を振る舞う父さんと。
父さんから吸い取った生き血を、干からびた血管に脈打たせながら、蛭沼は血を吸った男の妻に挑みかかる。
息子の同級生を相手に、母さんは惜しげもなく、みずから婦徳を穢してゆく。
三人が三人ながら、それぞれに愉しまれて。
荒らしが過ぎ去るとぼくたちは、共犯同士のうしろめたさから言葉を交わさずに、自分たちの血のりを浸す板の間を、雑巾で拭きとっていた。


その誘いが来たのは、こういう関係が始まって、ふた月もたったころだった。
ぼくはいつものように、体育の授業のあと、校庭を横切っていた。
白の短パンに、ハイソックス。
きょうのやつは、白の無地だったけれど。
授業中に発情した蛭沼のために、赤黒い飛沫を派手に散らしていた。
吸い取られた血を滲ませたハイソックスの脚を、衆目にさらすのが。
このごろひどく、快感になっていた。
「従属させられているのを周りに視られているのって、なぜだか昂奮するんだよね」
ぼくは臆面もなく、蛭沼にそういった。
「今度から、授業も短パンで受けるかい?」
蛭沼の冗談に、案外それいけるかも―――って言い出して。
こんどは彼が、くすぐったそうに含み笑いを泛べる番だった。
「ところでさ」
彼は真顔になって、言った。
「女子の制服を着てみない?」
え・・・?
鼓膜を震わせてくる囁き声の内容が、あまりにも刺激的だったので。
ぼくはつい、訊きかえしている。

オレの指定する女子の家に行って、その子の制服を借りてくるんだ。
ふたつ返事で、貸してくれるはずだから。
きみはそれを着て、女子生徒になり切って、オレに襲われる。
どうだい・・・?

ぼくたちの前に、歪んだ世界の新たな風景が、かぎりなく拡がっていった。


制服を貸してくれたのは、同級生の菰田真由美だった。
以前、ぼくが血を吸われるようになるちょっと前、校庭の隅っこの雑木林で、ぐうぜん吸血されているのを目撃した女子だ。
あのときはたしか、黒と黄色のラインの入ったハイソックスに、真っ赤な血を散らしていたっけ。
その時彼女がどんな顔つきをしていたのか、重要なことの筈なのに、まるきり記憶がなかった。
制服姿の女子が吸血されている―――そんな姿にただならぬ昂奮を抱いたのは、間違いのないことだったのに。
きっとそれは・・・彼女があまりにも無表情だったからに、違いなかった。

「制服・・・?」
菰田真由美はそう問い返して、席についたままぼくを見あげた。
無関心なのか。感動のない性格なのか。
彼女の声は無機質だった。
けれどもその冷然とした声色に、ぼくは不快感をもたなかった。
おずおずと近寄って、「きみの制服貸してほしいんだけど」って口ごもりながら話しかけたぼくのことを、
さして不審に思ったふしがなかったことが、ぼくを落ち着かせてくれた。
「いいよ。あたし大柄だし、きみなら制服着れるかも」
濃紺のベストに、おなじ色のプリーツスカート。
どこにでもありそうな、ありふれた制服が。
ぼくのなかで、いっぺんに、特別な服装に映るようになっていた。

「ハイソックスも、あたしのやつ履いてみる?」
菰田家は、ぼくの家から歩いて十五分ほど離れた洋館だった。
お父さんはお金持ちらしかった。
新築の家の室内は明るく、けれどもどこか、そらぞらしい感じがした。
「あたしん家(ち)、一家全員血を吸われているの。あたしはあのひとに、父さんと母さんは、あのひとのお父さんに」
そうなんだ・・・
相槌を打とうとして、言葉の内容のただならなさに気がついて、がく然とした。
三日にいっぺん。
ぼくにはそういっていた言いぐさの裏には、どうやらいろんなべつの事情が隠れているらしかった。
こまかい詮索をするのは、やめにした。
ぼくは留守宅にあがりこむと、両親の寝室を借りて、自分の制服を脱ぎ、きちんと折り畳まれた濃紺の制服を、ひとつひとつ、身に着けていった。
丸襟のブラウスのボタンは、男子のものとは正反対の側についていて、はめるのに意外に手間取った。
菰田真由美がそれを見ていたら、きっと笑うだろう、と、おもった。
それからぼくはおずおずとスカートを腰に巻きつけ、濃紺のベストを羽織り、胸元に赤いリボンを締めてゆく。
「リボン曲がってる」
部屋から出たぼくを見ると、彼女は言下にそういってぼくの前に立つと、着崩れていたあちこちを直してくれた。
さいごに彼女は、言ったのだ。
「ハイソックスも、あたしのやつ履いてみる?」

口許を唾液で濡らした少年が菰田家のインタホンを鳴らしたのは、それから30分ほど経った頃だった。
菰田真由美は、蛭沼の相手をするのに慣れているようだった。
「あたしのほうが先なの?」
笑いながら、肩先にかかった黒い髪の毛を払いのけ、首すじをあらわにすると。
男は立ったまま、真由美を壁に抑えつけ、首すじを吸った。
「ぁ・・・」
咬まれた瞬間、彼女は目を瞑り、長いまつ毛が震えて、白い歯をみせた。
ひどくセクシィだ・・・って、はじめて思った。
ブラウスの肩先を赤く濡らして、その場に尻もちを突くと、濃紺のスカートから覗いたふくらはぎにも、飢えた唇が迫った。
白一色のハイソックスに這わされた唇が、しなやかなナイロン生地をたちまち、赤黒く変えてゆく。
「蛭沼くん・・・飲み・・・すぎ・・・」
少女は顔をしかめて、その場に倒れ込んだ。

「つぎ、お前」
蛭沼は、喉をカラカラにさせているらしい。
たいがい女を犯してくると、そうなるんだ・・・って、言っていたっけ。
あいつ、うちに寄ったんだな。
短パン姿の蛭沼が脚に履いているのは、間違いなくぼくの箪笥の抽斗から失敬してきたおニューのハイソックスだった。
あお向けに転がされ、両肩を抑えられ、首すじに牙を迫らせられて・・・
獣じみた呼気が、いつも以上に昂ぶりを込めている。
昂ぶっているのは、ぼくも同じ・・・
女装趣味があるわけじゃない。少なくともその頃は、そうおもっていた。
けれども、身にまとう女子の制服は、勝手が違うというだけで、あらぬ昂奮をもたらしていて。
痛いほどつかまれた二の腕で皺寄せる、長袖のブラウスに。
ふゎさふゎさ・・・と、腰周りをそよぐスカートの頼りなさ。
そして・・・初めて脚に通した、同級生の女子の履いていたハイソックス。
そのどれもが、ぼくのことを、あらぬ境地に連れ去ろうとしていた。
ざくっと咬み入れられた牙が、いつも以上に熱っぽいのは。
気のせいなのか?それとも彼にも、ぼくの興奮が伝染ったのか?

数刻のあいだ。
菰田真由美とぼくとは、代わる代わる蛭沼の相手をして、生き血を吸われつづけた。
彼女の足許も、ぼくの足許も、散らされた血潮になま温かく濡れていた。
どちらが持ち主なのかわからない赤い飛沫が、彼女の家の客間のじゅうたんを濡らし、
ぼくたちはいつか、ひとつになったような錯覚に陥っていた。
ぼくが彼女なのか。彼女がぼくなのか。
彼女は蛭沼の脚から、ぼくの愛用のハイソックスを引き抜いて自分の脚に通し、蛭沼に咬ませていった。
ぼくは彼女の口真似をして、

いやあッ!ダメっ!何するのッ!?蛭沼くんのバカっ!

多少の抗いさえ交えて、襲われる女子生徒を熱演していた。
ぼくの熱演ぶりに、蛭沼も、菰田真由美も、感心を通り越して、熱狂さえあらわにして。

やだあ、佐多くんったら、あたしの口真似どこで覚えたの?
そういいながら、肩が触れるほど近づいてきて。
ね いっしょに血を吸われよ。愉しまれちゃお。
いままで見せたこともない親しみを、顔つきと呼気に滲ませていた。

彼女の息遣いが、ぼくのなにかを変えていた。
吸血鬼になったやつは、一生独身なんだ。いろんな女を襲わなくちゃならないからね。
怜悧にきこえた彼の言に、一抹の寂しさがこもっていたのに、初めて気がついた。
「ばかね」
女らしい直観で、すべてを気づいていた少女は、そういってぼくのことをからかった。
ぼくたちはこれから、どうなっていくんだろう?
妄想のなかで。
菰田真由美とぼくとが、ふたり並んで、OLのスーツを身にまとい、等しく女として蛭沼に襲われる。
そんな風景が、よぎっていった。

玄関で、インタホンが鳴っている。
菰田真由美の母親が、帰宅してきたのだろう。
かまうものか、と、ぼくは思う。
このあとぼくは、女子生徒の制服で、帰途につく。
足許には、血に濡れたハイソックスを履いたまま。
街じゅうの人たちに、視られて歩きたい―――
狂った理性は限りなく、妄想を拡げていくのだった。


あとがき
二時間かかった・・・時間切れ?^^;