淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・
洋館の淫らな夜 ~キースの場合~ 3
2018年12月09日(Sun) 08:26:27
君たち、初めてじゃないな?
慧眼な兄はひと目で見抜いた。
ええそうよ。
リディアはあっさりと、火遊びを認めた。
良家の令嬢にはふさわしくない習慣が、日常化していた。
どれくらい逢っているの?
かすかな嫉妬にかられてキースは訊いた。
週に二回・・・かな?
リディアは恋人を振り返った。
恋人にセックスの頻度を確認するような顔つきだった。
いつかどこかでこんなやり取りを見聞きしたような気がしたが、いつのことだったかすぐに思い出せなかった。
じゃあ、さっきの鬼ごっこもお芝居?
キースは、新婚初夜の花嫁が処女ではなかったことを知った花婿のように興ざめた顔をして、いった。
「ええそうよ、だからお兄様のためにふたりで話し合って、さいしょのときのようすを再現したの」
「じっさいにはもぅすこし、痛がってたけどね」
茶々を入れる吸血鬼に令嬢は、忠実な再現よ、と、訂正した。
「お兄様については大丈夫。
ドキドキの初体験しっかり拝見したわ。
ほんとうはあたしとのほうがおつきあいが先で、
彼がお兄様の血を欲しがったから、お兄様のこと書き置きでおびき出したの」
なんのことはない、かれが兄としてあれほど迷ったことを、妹は兄にたいして、なんの罪悪感もためらいもなく実行に移していたのだ。
不思議と腹は立たなかった。
なによりも、吸血される愉しみをリディアと共有していることに、キースは昂奮を覚えた。
「あたしの血だけじゃ足りないから、兄さんを襲ってってお願いしたの。いけなかった?」
リディアの諧虐味を帯びた言いぐさが、キースの被虐心をくすぐった。
「ぼくに関しては、なんの問題もなかったよ」
キースはくすぐったそうに自分の首すじを撫でた。
ちょうど妹が、同じ部位をどす黒く滲ませていた。
「おそろいだね」
キースは言いながら、自分の咬み痕に親指と人差し指をあてがってふたつ並んだ牙の間隔を測ると、それをそのままリディアの首すじにあてがってみせた。
ふたつの咬み痕は、ぴったり同じ間隔だった。
ばかね。
わざわざ寸法を測ろうとする兄を、妹は笑った。
きみのストッキングはわしときみとでさんざん愉しんだけど、妹さんのタイツは3人で愉しめるね。
ベンチに腰かけたリディアはきゃっきゃっとはしゃぎながら、ロングスカートのすそをおひざの上で抑えたまま、もう片方の脚もためらいなく差し伸べていき、
吸血鬼は黒革のストラップシューズを履いた令嬢の足首を抑えつけながら、すらりとしたふくらはぎから黒のタイツをびりびりと噛み剥いでいった。
キースはキースで、お手本に咬ませたストッキングに赤黒いシミを滲ませているのを臆面もなく外気に曝しながら、
真新しいタイツが噛み剥がれてだらしなくずり下ろされてゆくのをウキウキと見守って、さいごには自分の手でガーターもろとも足首まで引き降ろしてしまい、妹に黄色い叫びをあげさせていた。
遠くから声がした。それは若い女の声であたりをはばかる声色をしていた。声の主は黒のドレスに白いエプロンを着けていた。兄妹の家のメイドのお仕着せだった。
「ジュリア!どうしたの!?」
女主人はわれにかえって令嬢の威厳を取り戻した。あまりの豹変ぶりに兄が肩をそびやかした。
「奥さまが急にお戻りです、リディアさま」
ジュリアは狼狽を隠さなかった。
屋敷に戻ったときにはもう、屋内はほとんど真っ暗になっていた。
兄妹の母であるダイアナは、夫君の留守中をいいことに、恋人のリデル氏を自邸に連れ帰ってのご帰館だった。
逢引き先のアパルトマンから電話で侍女のジュリアをたたき起こすと、前もって家の様子を聞き出して、
兄妹が寝入っていることを聞き出すと、きみの家の夫婦のベッドできみを辱めたい――というリデル氏の願望をかなえるため、急きょ戻って来たのだった。
ただジュリアは、「マデリーンも寝ているの?」と問う女主人の問いに、この末娘の行状だけはかばい切れなかった。
ダイアナは自分の血を最もよく引いている娘の行動に疑問を持たなかった。
そして、自分の留守をいいことにマデリーンがマイケルと出かけていることを次女の態度から察すると、フンと鼻を鳴らして軽く受け流したのだった。
もっともマイケルが夜遊びに出かけたという情報は、マイケルの父でもあるリデル氏から、とっくの昔に筒抜けだったのだが。
シャワーの音を立てるわけにはいかないので、ふたりはそのままそれぞれの自室で寝むことにした。
肌に染みついた血潮は、吸血鬼が余さず舐め取ってくれたから、気にする必要はなかった。
兄妹の陰部にまで舌を這わせる吸血鬼に、さすがに初心なふたりは顔を赤らめたけれど。
年ごろになってからは初めて目にするお互いの陰部に這う舌を、そして陰部そのものを、目をそらさずに見つけ合った。
キースのそれは、妹の視線を受けて、昂ぶりにそそり立っていた。
それを目にして思わず「おっきぃ…」と洩らした妹のまえ、彼の昂ぶりはさらに勁(つよ)さを増していた。
ふたりは、母とリデル氏のなれの果てから、興味をそらすことができなかった。
肉親に対する関心と、男として女としての関心とが、半々だった。
初めて邸内に足を踏み入れた吸血鬼は、兄妹と侍女とをいざなって、屋敷のあるじのベッドルームのなかを、顔を並べて覗き込んだ。
すごい…
そういいかけてあわてて声を潜めたリディアの口許を、吸血鬼は手早く掌で制した。
キースも、息をのむ思いだった。
それほどに、ふだんあれほど見栄っ張りで子供たちにはむやみと行儀作法に厳しいダイアナの乱れかたは、日常を逸していた。
出かけていったドレス姿のまま、彼女はベッドのうえで抱かれていた。
せわしなく首すじに接吻する情夫の熱情を、かぶりを振って遮ろうとして果たせずにしまったのも、明らかに計算のうちだった。
熱っぽく交わされる唇と唇の激しさが、ふたりのあいだに芽ばえたものがきのうきょうのものではないことを告げていた。
我が物顔にダイアナの腰のくびれを掻き抱く腕は逞しく、痩せ身で神経質な父とは似ても似つかなかった。
面と向かっても、パパはかないっこないわね…リディアは冷酷に断定した。
キースは、腰までたくし上げられたドレスの裾から覗く脚に、目をくぎ付けにさせていた。
脱げかかったストッキングがしわくちゃになりながら、かすかな灯を受けて光沢を滲ませているのに、目が離せなかった。
貴婦人が堕落したように見えるわね――と、リディアは兄の想いを代弁した。
傍らに控えていた吸血鬼はキースの肩を抱き、唇を重ねた。
彼はキースのなかに芽ばえかけた母親に対する憎悪を感じていた。
それを他へと逸らすための口づけだった。
キースは重ねられた唇に、ようやくわれを取り戻した。
同性の接吻でわれにかえる自分をどうかとも思ったが、なによりも、恋人がそばにいるという心強さがすべてを救った。
彼の胸の奥から父親を裏切って不倫に興じる母親への憎悪は消えて、不道徳に歓びを見出すもの同士の共感へと塗り替わった。
「あたしもストッキング、穿いてみようかな」
兄の気持ちを見透かすように、リディアが囁きかけた。
気がつくと、すぐ傍らで吸血鬼が、侍女のジュリアにのしかかっていた。
「たまらなくなってきた」という呟きは聞こえていたが、母親の濡れ場に夢中だった兄妹はもう、上の空だった。
首すじに血を吸っているとばかり気配で感じていたけれど――吸血鬼はジュリアの首すじを吸っていただけではなかった。
メイドの黒のドレスの裾をたくし上げられて、リディアはすすり泣きながら、犯されていった。
身近で目の当たりにする処女喪失に、キースはさらなる昂ぶりを感じた。
黒タイツの脚をすくめながら、ジュリアは身体をガチガチに固くしながら、太ももを開かれ、挿入を受け入れてゆく。
やがて男の強引な上下動がジュリアの腰に伝わり、熱烈に応じていくのを見つめながら、
血を吸い取られて洗脳された自分が、ジュリアの変節を嗤うわけにはいかないと思った。
リディアは、ジュリアが目のまえで犯されるのを目にして、つぎは自分の番…と観念し、
ひとつ年上の女奴隷が自分よりもひと足早く女になるのを、ウットリとした目で見つめていた。
長い夜が明けた。
兄妹が共犯同士になり、母親の不倫を目にし、忠実なジュリアが処女を喪った夜が。
その日はさすがに兄も妹も、マイケルとのデートから帰ったマデリーンも、白い顔をして家で大人しくしていた。
夜明け前に情夫を送り返したダイアナも、珍しく昼間で寝ていた。
ジュリアだけがかいがいしく、いつもの務めを果たしていた――メイドの装いの裏側に、初めての痛みの名残りの疼きを押し隠しながら。
「やつにママの生き血を吸わせてやりたい!」
激情に声を上ずらせて、キースは吐き捨てるようにいった。
「賛成」
リディアは冷めた声で、証人の宣誓でもするように、片手をあげて兄に応じた。
「パパを裏切ったママは、死刑に値するわ。あのひとに血を吸い尽されて、ヒィヒィ言わされるところを視てみたい」
すこし目的をはき違えていないか?キースはほんのちょっとだけ疑問を感じたが、妹の語気に異議をはさもうとはしなかった。
その晩ふたりは吸血鬼を窓から自邸へと呼び入れて、母親の寝室へと案内した。
首すじから血を流した息子と娘を目にして、ダイアナは不審そうに二人を見比べたが、その背後に黒マントの男の姿をみとめ、初めて悲鳴をあげた。
生で観るドラキュラ映画は、数分間で終わりを告げた。
部屋じゅう逃げ回ったママは、ネグリジェ姿のまま寝室を逃げ回り、つかまえられて、首すじを咬まれてしまったから。
息子や娘と同じように首すじに血をあやした女は、せめて貞操だけは守ろうとした。
夫婦のベッドのうえ、両腕を突っ張って抵抗するダイアナの姿に、
キースは「しらじらしい」と舌打ちをし、リディアは「リデルさんのために守っているのね」と、冷ややかに見つめた。
そして、強引に腰を静めてくる男に、ネグリジェに包まれた肉づき豊かな腰があっさりと応じ始えてしまうのに、
「ジュリアよりぜんぜん早い」と、キースはなおも詰るのだった。
こうして誇り高い名門の令夫人であるはずのダイアナは、自分の夫以外に夫の親友のリデル氏と、吸血鬼までも受け容れて――娼婦に堕ちていった。
「お兄さんも来たの?」
やって来たキースをみて、マイケルは気軽に声をかけてきた。
キースは最初、自分に声をかけて来たのが誰だか、わからなかった。
マイケルは女の子の格好をしていた。
フリルのついた白いブラウスに真っ赤なベスト、腰から下は赤と黒のチェック柄のスカートに、ひざから下はアミアミの真っ赤なハイソックスを履いている。
見覚えのある服だと思ってよく見ると、マデリーンのものだった。
マイケルに女装癖があるのは以前から聞いて知っていたけれど、じっさいに目にするのは初めてだったし、
ましてそれがマデリーンの服だと思うと、妹が侮辱されているような、ちょっと不愉快な気持になった。
「お兄さん」と呼ばれるのも心外で、まだ認めたわけじゃないから、と、奇妙な反撥を感じたのだった。
「お兄さん」と言いながらも、マイケルはキースよりも年上だった。
だから、よけいにからかわれているような気がした。
彼はキースの顔色を察すると、素直に言葉を改めた。
「きみもこんなところに足を運ぶようになったんだね、キース」
おとといの夜、妹を犯していた男――そんな男と口を利くのは潔くない――キースはまだ、そういう子供っぽい潔癖さも持っていた。
同性愛をしながら…だって?でも、彼との関係は、決して不純なものじゃない。
「マデリーンとは本気だよ」
マイケルは真顔でいった。
「そう、それなら良いけど」
キースはやっとのことで、そう応じた。
そして、妹の履いていたアミアミの真っ赤なハイソックスを履いているマイケルの足許を、眩しそうに見つめた。
順番は、マイケルのほうが先だった。
招ばれていたのは全員が十代の青年で、まるで予防接種の順番みたいに、閉ざされたドアの外に行列を作っていた。
「いったい、いつから我が学園は吸血鬼を受け容れるようになったのか」
マイケルが声をひそめて、いった。
「きみが引き込んだんだろう」
「いや、きみだ」
「そんなことはない」
「案外、学院長だったりしてね」
たしかに、学院長の許可なしに教室を使うことはできない。
そして、きょうのこの教室に居座っているのはほかでもないあの吸血鬼だったのだ。
夕べはママを。
おとといはキースやリディア、それにジュリアまでを。
あれほど好き放題にものにしていったというのに、どれだけ喉をカラカラにしているのだろう?
見ず知らずの少年たちを、こんなにも毒牙にかけて。
べつの嫉妬が、キースのなかをかけめぐる。
「よそうよ、きりがないぜ」
マイケルがたしなめた。マデリーンの服を着ているので、まるで下の妹にたしなめられている気分だ。
ほかにも、ふたつ前の少年が、どうやら母親のものらしいよそ行きのスカートスーツを身に着けていて、
学園はいつになく、妖しく華やいだ空気を漂わせていた。
「ぼくね、マデリーンを未来の花嫁として、彼に紹介することにしたんだ」
そう言い残してドアの向こうに消えたマイケルの後ろ姿を、見逃すことはできなかった。
細目に明けたドアの向こう、マデリーンの服を着て抱きすくめられたマイケルが首すじを咬まれてゆくのを目にして、
マデリーンが咬まれているところを想像しないわけにはいかなかった。
そして、いつかここには、リディアの服を着て来ようと、心のなかで思った。
高慢ちきな少女だ、と、キースは思った。
屋敷では、父親の帰国を祝うホームパーティーが開かれていた。
招かれたのはリデル氏のご一家。
母親であるダイアナの愛人であるリデル氏とマチルダ夫人、令息であるマイケルとその妹のキャサリンだった。
その日は、マイケルとマデリーンの婚約パーティーをも兼ねていた。
マイケルがそれを、父親のリデル氏を通して望み、それを支持したダイアナが夫を説得した。
「まだ早すぎる」と最初は渋った父親のジョナサンも、妻には逆らえずに、親友の息子がまな娘を犯すことに同意した。
――もっとも周知のように、実際にはすでに彼のまな娘は、とっくに篭絡されてしまっていたのであるが。
その夜のパーティーでは、マイケルとマデリーンが二人きりで過ごす部屋まで用意されていた。
マイケルが妹のキャサリンを、キースに正式に紹介したのは、その場でのことだった。
「代わりというわけじゃないけれど」
相変わらずデリカシーに欠けたいいかたで、彼は妹を紹介した。
さすがの彼も、きょうは女の子の服装ではない。
彼の女装癖は周知の事実で、必要以上に男らしい父親のしかめ面をかっていたが、彼以外にマイケルのその風変わりな習慣を咎めるものは、この席にはだれもいなかった。
タキシードに身を固めたそのマイケルが紹介した妹のキャサリンこそが、キースが高慢ちきだと感じた相手その人だった。
眩いほどの美少女だった。
二重瞼の大きな瞳に、きっちりと引き結んだ真っ赤な唇。誇り高い金髪に、ぬけるような白い肌。
肩まであらわにしたドレスの胸もとは豊かなふくらみを帯びていて、つい先日までローティーンだったとは思えないほどだった。
「ぼくがきみの妹を犯す代わりに、きみはぼくの妹を姦(や)る。濃い関係だと思うけどどうかな」
マイケルはひそひそ声でそういって、キースの顔色を窺った。
そしてその顔つきに、興味と反感とが半々にあらわれているのを見て取って、義兄となるこの年下の青年が予想通りの反応を示したことに満足した。
「結婚することを犯すっていうのは、やめたほうがいい」
キースはどこまでも潔癖にそういうと、紹介されたキャサリンの掌をとって挨拶の接吻しようとした。
キャサリンは自分の掌を相手の男が丁寧に扱っていないと感じたらしい。
不機嫌そうに顔をしかめ、キースがとった手を振り払った。
仰天するキースに鋭い視線を投げると、キャサリンは兄の腕を取って、「行きましょ」といった。
義姉となるマデリーンをも無視した行動だった。
「おやおや、いけないね。お父さんはお前にそんな行儀作法を教えた覚えはないよ」
父親のリデル氏が、娘をたしなめた。
「そうそう、親同士はこんなにうまくいっているんですからな」
痩身のジョナサン氏もまた、リデル氏に同調した。
彼の首すじに赤い斑点がふたつ滲んでいるのを、その場にいるだれもが目にしていた。
帰国そうそう、彼は夫婦のベッドで組み敷かれ、吸血鬼に咬まれていた。
相手は、息子や娘を冒し、そのうえ妻までもモノにした男だった。
すべてを認める代わりに、吸血鬼はジョナサン氏にすべてを語ってくれた。
妻とリデル氏とが、夫以外誰もが知っている仲になっていること。
今後夫婦で円満にやっていくには、ダイアナとリデル氏の関係を認めて、こころよく受け容れるしかないこと。
家族全員が彼に血を吸われ、妻はリデル氏だけではなく彼の支配も受け容れてしまっていること。
同じく血を吸われた息子とは同性愛の関係を結び、上の娘のリディアも処女の生き血を捧げつづけていること。
短時間の吸血で洗脳されてしまったジョナサン氏は、寛大にもすべてを受け入れた。
そして妻を呼ぶと、夫婦の寝室を潔く明け渡し、ひと晩ふたりの好きなように、愉しみを尽くさせてやった
そして同じように、こんどはリデル氏を呼ぶと、彼にも夫婦の寝室のカギを渡し、ひと晩ふたりの好きなように、愉しみを尽くさせてやった。
どちらの晩も、間男たちはダイアナに対する想いを遂げると、歓びを分かち合いたいと願う夫のジョナサンを寝室に引き入れて、縛られた彼のまえでその妻を愛し抜いていったのだった。
妻の愛人として受け容れたリデル氏に、ジョナサン氏はすべてを打ち明けた。
子ども達の世代で、吸血鬼を受け容れる風潮が生まれている。
息子も娘も、そしてわたしたち夫婦まで、その毒牙にかかってしまった。
わたしの家とかかわると、貴男の家族のなかにも犠牲者が出かねない…と。
リデル氏はいった。
この街に出没する吸血鬼は強欲で好色だが、決して人は殺めないときいている。
だとしたら、家庭内に吸血鬼を受け容れることは、妻に愛人を迎えることとそう変わりはないのではないか?
それに、貴兄の懸念はすでに時機が遅くて、息子の恋人であるご令嬢も、どうやらすでに毒牙にかかっているようですね…と。
リデル氏の言葉を裏付けるように、
彼がジョナサン夫人と愉しい一夜を過ごした同じ晩に、その息子は婚約者のマデリーンを伴って吸血鬼の館へと赴き、
未来の花嫁の生き血を捧げ、その肉体までも共有することを誓わされていた。
マイケルがモノにした処女は、マデリーンだけではなかった。
義兄となるキースに、彼はただならぬことを囁いた。
「キャサリンをきみの妻として差し出すけれど――彼女は早熟だ。すでに男を識っている。相手はほかでもない、実の兄であるこのぼくだ。
あらかじめ告げておくのが礼儀だと思うから、きみには話しておく」
結婚後も兄妹の関係を続けるつもりなのか?と訊くキースに、マイケルはいった。
「きみがリディアとの関係を続けるようにね」
すべてが、走馬灯のように過ぎていった。
結婚を明日に控えた夜、キースは自宅での最後の夜を過ごしていた。
屋敷の中庭では、婚約者のキャサリンが、明日の華燭の典にまとうはずの純白のドレスを一日早く身にまとい、
吸血鬼に裸身をさらそうとしていた。
衆目の前で行う誓いの接吻をまえに、キースは花嫁の両肩を抑えつけておとがいを仰のけ、
首すじへの接吻を果たさせてゆく。
長い長いケープを夜風になびかせながら、キャサリンは物怖じひとつせずに凛と佇み、そのまがまがしい牙を受け入れた。
ずず…っ。じゅる…っ。
幾人もの若者、そして人妻たちのうえに覆いかぶさった吸血の音が、未来の花嫁にも訪れるのを目の当たりに、キースの心は揺れたけれど。
高慢な少女の肩先を抑える手にこめられた力は、弱まることがなかった。
純白のドレスに真紅のしずくひとつ滴らせることなく、吸血鬼はキャサリンの血を飲み干した。
夫としての義務をキースが黙々と果たすのを、キャサリンは軽蔑したように視ていたが、
やがて抱きすくめられたまま夢中になってしまうと、未来の夫の目をはばからず、
「いやん!あぅん!はぁあん!」
と、良家の令嬢にあるまじきはしたない声をあげつづけた。
それは、自分の実家と婚家の名誉を辱めかねない行為であったけれど、どうしても止められないものだった。
立て続けの吶喊は、まだ少女である身体には猛毒のような刺激を与えつづけたので、キャサリンは思わず涙声で洩らしていた――
「忘れられなくなりそう」
と。
忘れる必要はないよ。きみは感じつづければ良い。
キースはそう囁いて、彼女の手首を芝生の上に抑えつけた。
「許してくれるのね…?」
初めて神妙な顔つきになった花嫁に、キースは額に接吻をしてこたえた。
「ひと晩、嫁入り前の夜を愉しむといい」
潔く背を向けた未来の夫に、キャサリンは聞こえないように囁いた。
「あなたも楽しんでね」
中庭に面したバルコニーに佇むふたつの影が、花嫁の不道徳な振る舞いに熱い目線を注いでいた。
キースとリディアだった。
「うちもリデル家も、めちゃくちゃになっっちゃったわね」
上目づかいで兄を見あげるリディアは、含み笑いを泛べている。
「そうだね。でも、だれもが愉しんでいるのなら、それでいいんじゃないのかな」
「マデリーンに子供ができたみたいよ」
「マイケルの子じゃないらしいね」
「生まれた子が女の子なら、あのひととつき合わせるって言っていたわ」
「それが良いかもしれない。――男の子だったらきっと――」
「あなたみたいに、妹や彼女をあのひとに差し出すようになるはずね」
「実の親子でも、血を吸い合うのだろうか」
「きっとそうよ、愉しむに決まってる」
キャサリンの結婚を記念して、その母親のマチルダの貞操も、堕とされることになっていた。
彼女も旧家の生まれで、もの堅い婦人だった。
上流社会きっての賢夫人とうたわれ、親友の妻同士であるふしだらなダイアナとは似ても似つかなかった。
その彼女が、夫とダイアナの不倫に気づいたのは、むしろ“彼ら”がぐるになって、知らしめたのだという。
ベッドのうえで乱れる二人を前に絶句し逆上したマチルダの背後には吸血鬼が忍び寄り、
夫を詰る声はすぐさま、血を吸われるものの悲鳴に変わった。
ダイアナとリデル氏とが明け渡したベッドのうえに、マチルダは吸血鬼ともつれ合うようにして投げ込まれ、
黒タイツの脚を舐め尽されていった。
狎れたやり口で自分の足許が辱めらるのを、マチルダ夫人は悔し気に眉をひそめて耐えた。
そのあとの吶喊も、娘が体験した身体を自分までもが受け容れさせられるという異常な状況に気をのまれながらも、涙ひとつみせず耐え抜いた。
彼女は意地の強い婦人だったので、目もくらむ凌辱をさいごまで毅然と受け止めたのだった。
――殿方を愉しませるためにまとっているわけではない
咬み破られたタイツを脱ぎ捨てた夫人は、そういいながらも気前よく、手にしたタイツを愛人として受け容れた男に与えていった。
貞淑なご婦人ほど愛着がわくと囁く吸血鬼に魅せられたように、マチルダ夫人は首すじから血を流したまま情夫を見あげ、
「今度お逢いするときには、もっと舌触りのよさそうなものを選んで、穿いてあげますね」
といった。
長年貞淑に仕えてきた妻が堕ちるところをかいま見させられたリデル氏はちょっとだけ複雑な顔つきだったが、
握手を求めてきたジョナサン氏の手を握り返す力はつよかった。
「あたしたちくらいは、まともな関係じゃないとね」
リディアは、ニッと笑って、白い歯をみせた。
兄の前で初めて吸血鬼に咬まれて兄に「堕とされちゃったみたいだね、お姫様」とからかわれたときと、同じ笑みだった。
リディアが口にした「まともな関係」とは、「まともに愛し合う関係」のことだと、キースにはすぐにわかった。
「じゃああたしたちも…しましょ」
リディアは兄とのへだたりを、さりげなく縮めた。
兄妹としては、すでにふさわしくない近さだった。
「きみももうじき、結婚するんじゃないのか」
「かまわないわ」
リディアが呟くのと同時に、キースはリディアを抱きしめていた。
「同じ血をはぐくむ同士――仲良くやりましょ」
小賢しい囁きを止めない唇を、キースの唇が熱く塞いだ。
しつような接吻にむせ返りながら、リディアが呟く。
「やっぱり初めてのときは、兄さんと迎えたかった」
兄の婚約者のおめき声が聞こえる外気を避けるように、ふたりはリディアの部屋へとさ迷い込んだ。
荒々しく押し倒す影に、ベッドに埋まった影が囁く。
「好きにして」と。
部屋の隅に佇む、もうひとつの黒い影が、部屋にわずかに人影を投げていた燭台を吹き消した。
侍女のジュリアだった。
「おめでとうございます。お幸せに――」
そっと立ち去る後ろ姿を満足そうに見やりながら、リディアはいった。
「あの子もお兄様のこと、好きだったのよ。お嫁さんが浮気で帰ってこない夜には、あの子のことも呼んであげてね」
あとがき
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
結末をつけるためかなり端折って描いてしまいました。(^^ゞ
キースのお嫁さんをだれにするのかはちょっと葛藤がありまして。
母親と情夫との濡れ場を目撃している傍らで犯されてしまった侍女のジュリアも候補の一人です。
濡れ場を目撃して昂ってしまった吸血鬼氏の性欲処理のため、むぞうさに純潔をむしり取られてしまうのですが、
はからずもキースが目撃した処女喪失の場面は、未来の花嫁のものだった――というのもありかな、と思ったので。
あとは、リディアとの兄妹婚のセンも考慮しました。
籍を入れる入れないの問題にこだわるのでなければ、同じ家で暮らしている兄妹というのはありがちなことですし、
男と女のことですから、そこに芽ばえてはならないはずのものが芽ばえることも、決して皆無とは思いませんから。
でも最終的には、母親の情夫の娘である高慢な美少女が当選しました。(笑)
すでに処女ではない花嫁を吸血鬼に捧げようとする夫に侮蔑の視線を投げた彼女ですが、
そこはまだうら若い女性。さいごは「忘れられなくなりそう」と、純情な涙を流します。
淫乱な血は父譲りでしょうか?
もの堅い賢夫人であるマチルダはちょい役でしたが、好きなキャラです。
地味な黒タイツを舐め尽されたあと、こんど脚に通すのは、肌の透けるなまめかしいストッキングというパターン――
使い古されているかもしれませんが、なん度描いても嬉しいシーンです。
欲を言えば、端折ってしまったシーンで、それまで色濃かったリディアの怜悧で奔放なところとか、
その忠実な侍女であるジュリアの出番がほとんどなかったこと(ラストシーンはおまけです)、
淫らな人妻だったダイアナや、もともともは一番大胆だった最年少のマデリーンにはもう少し場数を踏んでもらいたかったというところでしょうか。
洋館の淫らな夜 ~キースの場合~ 2
2018年12月09日(Sun) 07:59:10
つづきです。
吸血鬼に魅入られてしまった青年と吸血鬼との逢瀬が延々とつづられてきましたが、
つぎは妹を巻き込んでいくくだりです。
なん度めかの逢う瀬のときだった。
吸血鬼はそろそろ、キースとその妹のことについて、仕掛けてみることにした。
きみを侮辱してるつもりはないんだ、キース。
きみのくれたプレゼントを、僕なりのやり方で愉しんでるだけなんだ。
吸血鬼はそう言いながら、キースのふくらはぎをいつものようにあちこち咬んで、
彼の履いているライン入りのハイソックスを、見るかげもなくびりびりと噛み破いていった。
キースはどこまでも、のんびり構えていた。
「あーあ、ずいぶんハデに破くんだね。
ママにばれないようにしなくっちゃ。
きみと逢うときに履いてくる長靴下は濃い色に限ると思ったけど・・・どうやら関係ないみたいだね。
こんどはさいしょのときに履いていた、ハイスクールに通うとき履いていく紺色のやつがいいかな。」
吸血鬼は、彼がどんなハイソックスをなん足くらい持っているのか、先刻承知のようだった。
「通学用のやつはきみのためによぶんに用意しておくから。
学校のそばに棲んでいる吸血鬼がうちの制服が気に入っていると知ったら、校長先生も悦んでくれるかもね
・・・そんなわけないか。」
キースはおどけて肩をすくめた。
左右まちまちの丈にずり落ちたハイソックスの足許を見下ろしながら。
ところでさ。
吸血鬼は憂鬱そうな声でいった。
このペースでいくときみの血は、あと1週間くらいで吸い尽くされて・・・きみの身体のなかは空っぽになる。
そうかもね。ここのところかなり頻繁だったから・・・
キースは意外なくらい冷静な反応をしめした。
まるで恋人同士がセックスの頻度を確認するように。
「吸血行為は、吸血鬼と人間のあいだで交わされる、もっとも崇高な儀式なのだ。
きみとの関係はぜひ長続きさせたいから、頻度を落とす必要がある。
吸血鬼が青年に飽きたとか、寵愛が落ちたというわけではなく、むしろ恋人の体調を心づかっての言葉だった。
けれどもキースはすぐには引き下がらなかった。
「ボクは我慢できるよ。
君にとってあの友愛の儀式――かれらは一連のあの行為のことをそう呼んでいた――は、きみの生命につながることなんだろう?
ボクが来てあげられないとしたら、そのあいだだれが君の相手をしてあげるというんだろう?
君が淋しい想いをするなんて、いてもたってもいられなくなるよ!」
いったいどこに、これほどまでに吸血鬼である彼のことを気にかけてくれるものがいるだろう?
かれを死なせるわけには決していかない・・・吸血鬼は改めてそう感じた。
語り合いながらキースは、ストッキングがずり落ちるたび引っ張りあげていたし、吸血鬼は始終かれの足許に唇を吸いつけ舌を這わせていった。
きみの代わりにリディアを連れてきてくれないか?
紅茶を切らしているなら、コーヒーをいただこうか・・・そんなさりげない口調で、吸血鬼はキースの妹の血を要求した。
血を提供するための身代わりに妹を要求するなんて・・・
そういうそぶりを一瞬みせた青年はしかし、その人選がじつに適切だと思い直さないわけにはいかなかった。
彼がこよなく愛するキースの血ともっとも似た血を宿しているのは、血を分けた兄妹であるリディア以外に考えられなかったから。
きっと彼は相手がボクの妹のことだから、こんなにも胸を割って前もっての相談をしてくれたのだろう。
吸血鬼はなおも躊躇うかれの耳許に囁いた。
鼓膜の奥底に、毒薬を沁み込ませるように。
――彼女が自分の血を自分自身のためだけに使うか、飢えた者と分かち合う気になるのかは妹さん自身の大人のレディーとしての判断だ。
この件に関しては、きみにはなんの責任もない。ただ僕に機会を与えてくれただけなのだから・・・
いつかどこかでこんな出まかせを言ったような・・・
吸血鬼はそんなことを思いながら、すでに己の腕のなかでウットリとなっている青年の首すじを、もう一度がぶりと咬んでいた。
「わかった。きみのリクエストに応えてリディアを紹介するよ。妹もきみのことを気に入ってくれると良いんだけど」
青年は気前よく、吸血鬼に自分の妹の生き血を振る舞うことを請け合った。
同性の恋人である吸血鬼に、妹の生き血をプレゼントする―――
このプランは、想像力と好奇心に富んだ青年を夢中にした。
夕べ誓いのキスまで交わしあったその計画で、キースは朝から晩まで頭がいっぱいになっていた。
――きみの妹さんにも、都合というものがあるだろう?
だから、わしは3日間待つことにするよ。
きみが妹さんを連れてウェストパークに入ってきたら、いつでも姿を見せられるよう用意をしておくから。
どうしても妹さんの都合がつかなかったり、話しかけるチャンスがなかったり、きみの決心が鈍ったりしたら、
3日めの晩にきみ一人で来てくれないか?そうした場合には・・・愉しい罰を与えてあげよう。
恋人のそんな寛大な申し入れに、キースは内心、彼をそんなに待たせるなんて心外だと感じていた。
けれどもたしかに、相手のいることでもあったから、親友の申し出通りの3日以内ということで誓いのキスに応じたのだった。
できれば期限ぎりぎりに独りで深夜のウェストパークを散歩したくなかった。
かれは妹たちや親たちのスケジュールを確認する作業から取りかかった。
父親はおとといから2週間の予定でフロリダに出張に出ていた
――それこそわが吸血鬼氏のように翼でも生えていないかぎり、妻が浮気しようが、息子や娘たちが吸血鬼と仲良しになろうが、なにもできないはずだった。
母のダイアナは、あすは一日じゅうスケジュールはなく、あさっての夜はかねて"うわさ"のあるリデル氏とミュージカルを観に行くはずだ。
帰りはきっと、遅くなるにちがいない―――そう、たぶん真夜中だ。
下の妹のマデリーンは、そのすきを狙って恋人のマイケルとデートのはずだ。そして肝心のリディアは―――なにも予定がないはずだった。
真新しいストッキングのパッケージの封を切るときは、いつも気分がときめくものだ。とくに愉しい計画のある場合は!
キースは鼻唄交じりに封を切ると純白のストッキングに唇を押しあてる。いつもの儀式だった。
今夜のストッキングを脱ぐときにはきっと、鋭利にきらめく恋人の牙をいくつも受けて、キースの熱い血潮に染まって淫らなキスの雨を降らされながら、剥ぎ取られていくはずだった。
このごろは自分で脱ぐことが減って、血潮をたっぷり含んでぐしょ濡れになったやつを恋人の手で脚から抜き取られる機会が増えていた。
ハデにカラーリングされてぐっしょり濡れそぼったストッキングを剥ぎ取られるようにして脱がされるとき、
キースはまるでレイプを愉しむ少女のように、マゾヒスティックな歓びにうち震えながら、されるがままになるのだった。
「御機嫌ね、お兄様」
軽くハミングしながら足音を近づけてきて、妹の部屋の開けっ放しになっていたドアに寄りかかった兄を、リディアは読みさしの本を置いて振り返った。
美しい金髪が肩先に揺れて、窓辺から逆光となって降りそそぐ夕陽が、その輪郭を染めた。
キースが妹の髪に眩しそうに目を細めたのは、夕陽のつよさのせいばかりではなかった。
目のまえの乙女がその身体に宿した血液は、純潔の誇りを湛えているはずだ。
それは必ずや、かれの恋人をもっとも悦ばせる種類の飲みもののはず――
捧げる獲物の価値の高さにキースの胸は躍ったが、反面自分の分身のような存在を汚してしまうことへの畏れが、鋭くかれの胸をさした。
吸血鬼が予期しなおかつ危惧した心理――いみじくも彼は、「きみの決心が鈍ったら」と言っていた――が、妹想いの兄の胸にきざしたのだった。
「どうしたの?お兄様?」
なにも知らない(という態度をリディアは決め込んで、キースは信じ込んでいた)少女は、無邪気な微笑みをにこっと浮かべ、キースは息苦しそうなあえぎを隠しきれないままに言葉をついだ。
「ちょっと・・・散歩しない?」
「いいわよ。この本を読み終わったら」
リディアはいったん置いた分厚い本の、まだまん中くらいのページを開きながらいった。
キースが思わずげんなりした顔をすると、リディアは可笑しそうに声をたてて笑った。
「ばかね。信じた?そんなわけないじゃない」
リディアは読みさしだったはずのページを抑えていた手を、しおりを挟みもせずに放すと、分厚い革装の本をベッドに投げ込んだ。
「きょうのお勉強はもうおしまい。
最高じゃない!
パパはずっとお留守、ママはだれかさんとデート。
マデリーンもそんなイカれたママの目を盗んで火遊び。
素晴らしい家族愛だわ。
おうちに取り残されたのは、要領が悪くておばかさんな兄貴と、くそ真面目な妹。
お似合いの兄妹ね!」
少女はけたたましい声で笑った。
キースはちょっぴり不平そうに、
「おばかさんはご挨拶だね」と言ったけれど、
一見おしとやかに取り澄ました優等生な妹の小気味よい毒舌に、本気で怒ったようすはなかった。
「おばかさんじゃなくて?」
リディアはイタズラッぽく笑った。
「きみが決めることさ」
「いいプランでも?」
「さぁ・・・?」
兄はもったいぶって受け流した。
「乗ってもいいわ」
リディアは席を起って髪をかきのけると、花柄のロングスカートをお行儀わるくサッとたくし上げ、タイツに綻びのないのを確かめた。
「あたしの用意はいいわよ」
「それはけっこう」
キースは口笛を吹いた。
リディアが無造作にスカートをはね上げたとき、黒のタイツを履いたすらりとした脚がちらっと覗き、舞台裏をカーテンが押し隠すようにすぐに視界を遮ってしまったけれど、
そのわずかなすきに、リディアの身につけたタイツが真新しさを感じさせる艶を帯びているのを、兄は見のがさなかった。
その日のロングスカートは紫とスミレ色の小さな花模様があしらわれていて、ところどころに草色の小さな葉をつけた長く長く伸びる茎がツタのように絡み合っていた。
リディアがそれと見越してわざと新しいタイツに脚を通したことまでは、キースには思いも及ばないことだった。
兄が妹を吸血鬼に遭わせる計画に胸をはずませている頃、それとは裏腹に妹は、兄にばれないように、初体験の乙女をいかに演じるかを思い描いて、胸をはずませていたのだった。
「白のストッキング素敵ね」
リディアはキースの足許を見つめて、いった。
あながち口先だけではないらしく、リディアは真新しい純白のストッキングに包まれた格好の良い兄の脚に、ちょっとのあいだ見とれていた。
「きみは世界で数少ないボクの味方だよ」
「唯一じゃなくて?
残念ながら・・・キースはそうやり返したいのをかろうじてこらえた。
「逢わせたいひとがいる」
「ハンサムな男の子?」
「化け物かもね」
「場合によっては」
リディアはひどく大人びた顔つきをして言葉をついだ。
「ハンサムな男の子より退屈しないかも」
「男の子は退屈?」
「とくにマイケルみたいなのは」
「マデリーンが発狂する」
「あの子のまえでは言わないわ」
「腹黒な姉さんだ」
「心優しい姉よ」
リディアは訂正した。
「その心優しい乙女に期待して」
兄は淑女に対するように、妹に手を差し出した。
リディアはまるでお姫様のように、片方の手でスカートのすそをつまみ、もう片方の手で兄に手を預けると、あとも振り返らずに部屋を出た。
濃いオレンジ色の夕陽が、群青色に暗くなった快晴の空に鮮やかに映えていた。
兄妹はゆっくり大股に歩みを進めながら、広壮な邸宅や古い城壁に控えめな区切りを縁取られた、この雄大なパノラマを見るともなくふり仰いでいた。
大股にゆっくりと歩みをすすめる二対の脚は、
片方は夕闇のなかでもきわ立つ純白のストッキングに包まれ、
もう片方は花柄のロングスカートのなかに黒タイツで武装した女の武器を、さりげなく隠していた。
兄に比べて妹のほうはひと周り半ほど身体がちいさく、背丈は兄の肩にやっと届くくらいだった。
「きょうはウェストパークはお休みのようね」
目的地に着いてみたら遊園地は休みだったとき間抜けな恋人に向けるようなからかいの目の色をして、リディアは兄を見上げた。
彼女は白くて細い指先にピンと力をこめて、閉ざされた公園の入り口に貼られたポスターを指さした。
"CLOSED"
と赤い字で大きく書かれた下には、「芝生の手入れのため」と、ご丁寧にも添え書きがされている。
「さあどうかな?」
兄は余裕たっぷりにウィングした。かれの手にはぴかびか光る小さな鍵が握られていて、それは重たく厳めしい錠前の鍵穴に、ぴたりと収まったのだ。
「素晴らしい!」
少女は手を叩いて、金髪を揺らして小躍りした。
「爺やから借りておいたのね?なんて手回しがいいこと!」
「これでも"おばかさん?"」
ちょっと得意げに肩をそびやかす兄に、
「こだわるのは、男らしくないわ」
リディアは相変わらずの減らず口で応じた。
耳障りに軋む鉄製の扉の向こう側は、塗りつぶされたような漆黒の闇だった。
「どうするの?」
さすがに立ち入りかねてリディアが金髪を揺らせると、それを合図にするように、公園じゅうの照明にパッと灯りが点った。
それらは、園内ぜんたいをくまなく真昼のようにするにはかなり不足だったが、闇に慣れかけた目には眩いほどの明るさに思えたし、昼間とは趣のちがう光を受けた芝生がグリーンのじゅうたんみたいになだらかな起伏のある園内に広がる光景に、少女は夢中になった。
「綺麗・・・!」
リディアはこんどこそ、ときめきの声をあげた。
「ステキよ、兄さま」
リディアは近くの手すりに腰かけてあたりを見回す兄に駈けよって、頬ぺたにキスをした。
夕風にあたったせいか、その頬は冷たかった。
有頂天になった少女の後ろで公園の入り口の重たい鉄扉が音もなく再び閉ざされ、"CLOSED"の看板が裏返されたことに、少女は気がつかなかった。
裏返された側には、「ロケ中のため関係者以外立入禁止」と、書かれていた。
なかからかりに悲鳴や叫び声がしたとしても、それは撮影中のドラマか映画の科白の一部としてしか、見なされないだろう。
リディアが重ねてきた接吻の感覚が、キースの頬にまだ残っていた。
甘美な温もりを帯びた彼女の唇は柔らかく、蠱惑的であった。
いったいこの唇を、将来どんな男性が獲得するのか、キースは多少の嫉妬を交えて思いめぐらした。
否、彼女にはそんな未来は待っていないかも知れない。
今宵彼女は兄の手引きで吸血鬼に逢い、穢れのない処女の生き血を啜られるのだ。
挙げ句、名門の令嬢であるはずの彼女は吸血鬼の女奴隷に堕とされて、なみの結婚はできない身体にされてしまうかもしれない。
今宵与えられる処女を支配するのはかれの親友であり恋人ですらある男だから、
リディアがこの公園内で徒らに十七歳の娘ざかりの生命を断たれる気遣いはなかったにしても。
兄に与えた栄誉を、妹も享受することは、キースの頭のなかでもじゅうぶんに予想されていた。
招かざる客人は、街灯の灯りの及ばない薄闇の彼方から姿を現した。
そのタイミングはキースでさえ称賛の口笛を洩らしたほどの鮮やかさだった。
短く刈り込んだ銀色の髪、どす黒い褐色の頬、ギラギラと輝く瞳。
お約束どおりの黒マントは、夜風に翻るたびに真紅の裏地があざやかに映えた。
「キャーッ!」
リディアがいきなり悲鳴をあげた。
恐怖に震えたか細い声は、園外までは届きそうになかったが、兄さんとおしゃべりしているときよりは軽く1オクターブは高かった。
あわてる兄をみて、リディアはこんどは笑い声をはじけさせた。
「お兄様にしては上出来よ!素晴らしい演出だわ。ついつり込まれてノッちゃったじゃない!」
はしゃぎ切ったリディアは恭しく片膝を突く吸血鬼に手を与え、ゆうゆうと接吻にこたえた。
「そんなことして!咬まれたらどうする!?」
キースは眉を八の字に寄せ、妹の軽はずみをたしなめた。
けれどもそれとは裏腹に、彼自身もだんだん気分ノッてきて、声色が芝居がかってくるのが自分でもわかった。
「お兄様は自分のお友だちが怖いの?」
「そういう問題じゃなくて・・・」
いい募ろうとするキースをまるきり無視して、リディアは背を反らせて吸血鬼と対峙するように向き合った。
灯りを受けて輝く長い金髪が夜風に流れて肩先にたなびき、紅潮した横顔が、挑戦的な視線を吸血鬼にそそいでいた。
――お似合いのカップルだ。
心のどこかからそんな呟きがして、キースはあわててそれを打ち消した。
やめさせなければ。
キースの胸に、遅まきながら兄としての自覚が芽生えた。
やつの牙は呪われている。あの尖った犬歯の切っ先に含まれた毒がまわったら・・・!
手の届く距離に、白く透き通ったきめのこまかい肌があった。
襟ぐりの深いブラウスから覗いた胸許が、灯りをうけていっそう気高く輝いていた。
あの気高い素肌を汚させてはならない。
「いけない・・・リディア・・・!」
兄のことを無視して、リディアはフフン、と、わざと小生意気な笑いを浮かべた。
「ムードと衣装は合格として、演技力のほうはどうかしら?
どこまで本物に迫れるのかしら。
兄からよく聞いていると思うけど、バストをおさわりしながらチューするなんて、古い手はなしよ。
あたし、助平なだけの退屈な男の子は願い下げなの」
いけない、リディアは彼に本気でケンカを売っている。相手が本物の吸血鬼だとも知らないで。
焦りを覚えたキースは、ふたりの間に割って入るようにして、
「リディア、今夜のきみは、ちょっときみらしくないな。
もっとクールにいこうよ。
こういうのはどうだい?
ボクがきみの前で、彼に血を吸わせてみせるんだ。
ボクだって、いきなり妹を咬ませるわけにはいかないからね。納得できる?」
リディアは嬉々としてキースのことを見上げた。
「お兄様のことだから、まさかひとにいきなり咬みつくようなやつを連れては来ないって思ってるわ。
レディの肌にいきなり咬みつくなんて無作法は、最低だもの。想像するだけで・・・おお嫌!」
――"おお嫌!"らしいぜ?気の毒な相棒君。
キースは半分ほっとして、半分は吸血鬼に同情して、彼を見た。
「怖くなったら、遠慮なくお逃げ」
キースは内心、かれが血を吸われているあいだに妹が怯えて逃げてくれることを願いながらそういうと、シャツのボタンをふたつ外して、吸血鬼のほうを向いた。
いつもの"儀式"だった。
キースが傍らの樹に身をもたれかけさせて、恋人の口づけを待つ乙女のように、おとがいを仰のけて目を瞑ると、
吸血鬼の唇の両端からむき出された牙が、すんなり伸ばしたうなじに、まっすぐ降りてきた。
象牙色をした犬歯がキースの首筋に埋まり、咬み痕を覆い隠すように吸いつけられた唇が、白い皮膚のうえを熱っぽく這いまわる。
やがて牙がひときわ力を込めてグイッと刺し込まれる気配とともに、
干からびかけた唇の端からバラ色のしずくがひとすじ、透き通るほど白い皮膚のうえを、たらーり、と、伝い落ちた。
「凄い・・・」
リディアは逃げもせず、兄が吸血されるシーンに、魅入られたように熱中した。
吸血鬼がキースの首筋から牙を引き抜いてかれの両肩を放すと、かれは目をひらいてうっとりとした目で恋人を見上げた。
それから、たるみかけた白のストッキングをきりりと引き伸ばして、芝生のうえにひざを突き、今までもたれかかっていた樹の幹に両手でつかまって身体を支えた。
吸血鬼はキースの足許にかがみ込んで這い依ると、革靴の足首をギュッと握って抑えつけ、白のストッキングのふくらはぎを舐めるようにして唇を吸いつけた。
キュウッ・・・
ひとのことをこばかにしたような、あからさまな音があがった。
純白のストッキングにみるみる紅いシミが拡がって、吸血鬼はゴク・・・ゴク・・・と喉を鳴らして、キースの血をむさぼった。
き・・・効くぅ・・・
キースはいつもの癖で、長いまつ毛をピリピリと震わせた。
暖かい血潮が傷口を抜けてゆく痛痒い感覚が、かれの胸の奥をじりじりと焦がしていった。
「もっと・・・もっと吸って・・・」
キースは額にうっすらと汗を浮かべて、うわ言のように口走った。
「ひと晩ガマンさせちゃって、ゴメンよ。その代わり今夜は、気のすむまでボクを辱しめて・・・」
もうリディアのまえでも、どうでもかまわなかった。
装いもろとも辱しめられながら生き血を吸われる歓びを、身近なだれかに見せびらかしてしまいたかった。
リディアの純潔な血を兄として守り抜くよりも、むしろ兄としては誇らしく捧げるべきだと思った。
随喜に目の前がかすんできた。
気がつくと、樹の根元に尻もちをついていた。
かれは、緩慢な動作でずり落ちたストッキングを直していた。
「ますます興味深いわ」
リディアは眸を輝かせていた。
「兄をそこまでにしてしまうなんて、あなた素敵ね。でも完全に信用したわけじゃないわ」
「ひどく慎重なのだね、マドモアゼル」
「もちろんそうよ。かけがえのない乙女の血をお捧げするためのお相手選びですもの。慎重な女の子は、念には念を入れるものよ」
真に迫った吸血シーンに恐れをなして逃げ出すどころか、リディアは彼に自分の血を吸わせることを本気で考えはじめている。
「退屈なの、あたし」
いつだか彼女は、たしかにそういっていた。でも、その退屈しのぎのために、あの致命的な牙を択ぼうというのか?
兄とおなじ選択を?
もっともかれのときだって、さいしょから希望してこうなったわけじゃない。
「兄とは息が合ってるようね。あたしとはどうかしら?」
「お試しになる?」
伸びてくる腕をあわててうけ流して、少女は懸命にいった。
「お芝居が上手でも、み入ったトリックかもしれない」
「ひとつの可能性ですな」
吸血鬼は否定しなかった。
「巧妙な詐欺行為?」
「獲物が美しい乙女なら、試みる値打ちはあるでしょう」
「でなければ、すべてが夢かも」
「もちろんそれも、あり得ます」
「夢だと賭ける!」
「どういう方法で?」
「かけっこ!」
少女は勇ましくこたえた。
「よろしいでしょう」
「いいの?あたし、クラスではリレーの選手なのよ」
果たして彼女は、ロングスカートでリレーの競技に出場したことがあるだろうか?と、キースは首をひねった。
「お好きなだけお逃げなさい。五つ数えたら、あとを追いかけます」
「いいわよ、手かげんしないで。なんなら、五つを早口で数えても?ども、まんまと逃げられちゃったら、お気の毒さま」
リディアはもう勝ったと言わんばかりに、彼女より頭ふたつ上背のある吸血鬼を、挑発するように見上げた。
ふたりの身長差をみて、キースはリディアをひとりで連れ出したことをすこし後悔した。
恋人の欲情を満足させるには、リディアの身体はちいさ過ぎた。
つぎにリディアを逢わせるときには、侍女のだれかか、リディアの下の妹のマデリーンを交えなければいけないと思った。
「用意はよくってよ」
リディアはきらきらと挑戦的に輝く眸で、吸血鬼を見た。
「では、どうぞ」
吸血鬼は余裕たっぷり、獲物の少女に逃走を促した。
吸血鬼はわざと、五つをゆっくり数えた。
花柄のロングスカートを腰のまわりにひらひらさせながら、か弱く舞う蝶のように覚束ない足取りで、少女はゆっくりと逃げまわり、
そのあとをぴったりと寄り添うようにして、吸血鬼があとにつづいた。
競技はあっけないほどすぐにおわった。
リディアに追いついてもすぐには捕まえようとせず、十歩ほどよけいに走って、手近なベンチのすぐそばで、彼女のことを捕まえた。
リディアは立ったまま、首すじを噛まれた。
煌々と輝く灯りの下、柔らかそうなうなじの肉に黄ばんだ犬歯が埋まるのがキースの目にありありと映り、
抱きすくめられた腕のなかリディアが痛そうに顔をしかめた。
白く透き通る肌を這う唇からは、バラ色のしずくが静かな輝きをたたえながら、たらたらと滴った。
小刻みにわななく細い肩が昂りにはずみ、刻々と変わる彼女の面差しが気持ちの変化を物語る。
力ずくで仰のけられたおとがいの下、深々と食いついた白い柔肌からは、バラ色の血潮がいくすじも流れた。
ああっ。なんて美味しそうにっ・・・!
キースは心のなかで、激しく舌打ちした。
嫉妬も羨望もありの舌打ちだった。
兄であるかれの目の前でリディアの血を吸う吸血鬼にも、悩ましげにかぶりを振りながらも牙を受け入れてゆく妹にも、同時に嫉妬していた。
いきなり素肌に咬みつくのは、無作法ではなかったのか?
「おお嫌!」ではなかったのか?
あのいまいましいやつは、細くて白いリディアの首すじに、ツタがからみつくようなしつようさで飢えた牙を迫らせてゆき、
リディアもまた、いちど咬まれてしまった傷口をなん度も吸わせてしまってゆく。
ついにはまるで求めあう恋人どうしのように、汚れを知らない生娘にはおぞましかるべき吸血に、みずから耽るように応じてゆくのだった。
やがてリディアはみずから姿勢を崩すように傍らのベンチに腰を降ろした。
貧血になったのか…?と兄は思ったが、そうではなかった。
彼女は花柄のロングスカートをはしたないほどたくしあげると、
あらわになった黒のタイツを履いたふくらはぎに、赤黒く爛れた唇がヒルのように吸いつくのを面白そうに見つめるのだった。
タイツのうえからぴったりと這わされた唇の下にあざやかな裂け目が走り、それが裂けた生地ごしに皮膚を蒼白く透き通らせながらつま先へと伸びていくのを、
キースもリディア自身もウットリとして見つめつづけていた。
堕とされちゃったみたいだね、お姫様。
キースがおどけて声をかけると、リディアはイタズラっぽく笑い返してニッと白い歯をみせた。
そして嬉し気にピースサインまでして、兄に応じるのだった。
―つづく―
洋館の淫らな夜 ~キースの場合~ 1
2018年12月09日(Sun) 07:53:49
はじめに
何年かまえ、病気をして臥せっていた時に、携帯に打ち込んでいたお話を載せてみます。
長らく未完で放っておいたのですが、それもどうかと思ったので。
さいしょは未完のままあっぷしようかと思ったのですが、描いていた当時からラストは一応見えていたので、完結させることができました。
数年間の断層があるので、どこから描き継いだかバレバレかもしれませんね。(笑)
舞台は珍しく、西洋です。
吸血鬼ものの洋画でも観るような気分で愉しんでもらえると嬉しいです。
吸血鬼と同性愛的な関係を結んだ青年と、その妹たち、母親、母親の情夫やその家族――などが登場人物です。
洋館の淫らな夜 ~キースの場合~
石造りの高い城壁が、オレンジ色の夕焼けをおおきく遮っていた。
頭上にはすでに、藍色の闇が夜の訪れを告げている。
城壁に遮られているぶんたけ空は藍色の部分が広く、けれどもまだ色褪せしていないオレンジ色の夕焼けも、まだじゅうぶんにその存在感を主張していた。
その城壁のすぐ下の、闇に覆われかかった芝生のうえ―――
長い金髪をたなびかせながら、少女がひとり走ってきた。
こげ茶のロングスカートをユサユサと、重たそうに揺らしながら。
走りのはやさが少女にとってもどかしいものであるのが、容易にわかった。
そして、かなり狼狽しているということも。
少女のあとを追う影は、あきらかに異形のものだった。
短く刈り込んだ銀色の髪、深い皺に覆われた褐色の頬、口許から時おりチロチロとはみ出た牙には、
いま襲ったばかりのメイドから啜り取ったバラ色のしずくを、まだ生々しく滴らせている。
異形の影は、倒れたメイドの身体を乗り越えて、年若なメイドよりもさらに若い女主人に追いすがってゆく。
飢えた男の鼻先を、薄闇に透ける白のフリルつきのブラウスが、蝶のようにか細く舞った。
脚にまとわりついたこげ茶のロングスカートを重たそうに捌きながら逃れようとする少女の歩幅に合わせるように、
血に飢えた男は少女のあとからびったり寄り添うようにして追いすがって、
頃合いをみてか細い肩を後ろから抱きすくめると、力ずくであおのけた首すじに、がぶりと食いついた。
"ouch!"
少女は鋭く叫んだ。
さきに餌食にされた彼女のメイドが咬まれたときに発したのと、おなじ言葉だった。
ぱらぱらっ・・・と飛び散る血潮が、黒い影となって夕闇に散った。
抱きすくめた肩ごしに、吸血鬼は舌なめずりをして、
令嬢に接するのにはにつかわしくない意地汚いやり口で、つけたばかりの傷口に舐めるように唇を這わせた。
ちゅうっ・・・
ひとをこばかにしたような、恥ずかしいほどあからさまな音が、這わされた唇から洩れてきた。
少女は立ちすくんだまま、血を吸われた。
ふたつの影はしばらくのあいだ、揉み合うようにもつれあったが、
やがてちいさいほうの人影が耐えかねたように姿勢を崩すと、傍らのベンチの上にもたれ込むように尻餅をついた。
男が追跡を手かげんしたのは、どうやらこのベンチの在処を見当にしたようだった。
吸血鬼はどうやら、好色なたちらしい。
少女の身につけているこげ茶のロングスカートを腰までたくしあげてしまうと、
あらわにされてすくませた脚に、タイツの上から唇を這わせていった。
上品な接吻ではないことは、明らかだった。
ふくらはぎから内腿、足首と、まるでタイツの舌触りを愉しむように、男はあらわにした少女の脚のあらゆる部位にくまなく接吻を這わせていった。
真っ白なタイツには、たちまち紅いシミがあちこちに撥ねた。
"ouch! ouch!"
咬まれるたびに少女は、身を仰け反らし金髪を振り乱して叫んだが、男はかまわずに、この手荒なあしらいに熱中し続けた。
思ったよりもあっけない、拍子抜けするほど他愛のない"手続き"だった―――吸血鬼に生き血を吸い取られちゃうということは。
闇の向こうから伸びてきた腕がツタのようにからみついて、キースのことを後ろから羽交い締めにすると、
背後からぴたりと寄り添ったその人影は、おもむろに彼の首すじを唇に含んで、
この青年の理性を、痺れるような疼きで突き崩していった。
ずぶずぶと根元まで埋め込まれた魔性の牙は、活きのよい若い血潮を吸い出したのと引き換えに、
妖しい陶酔で理性や警戒心を萎えさせてしまう毒液を、かれの体内に注ぎ込んでいったのだ。
もしかするとほんとうは、すこしは抗ったり、じたばた暴れたりしたのかも知れない。
じじつあとでかれが気づいたときには、現場の泥が半ズボンの太ももにまで撥ねて、乾きかけてこびりついていたから。
けれどもキースのいまの記憶では、あの記念すべき晩、
かれはいともやすやすとたぶらかされてしまって、飢えた吸血鬼相手に、
由緒正しい名門のあと継ぎ息子の血を、十代後半の若い肉体から気前よく振る舞ってしまっていたのだった。
皮膚の奥深く埋め込まれた牙を通して、自分の身体に手ひどいあしらいをする相手の意思が伝わってくるような錯覚を、キースは覚えた。
ありがたい・・・若いひとの生き血にありついたのは久しぶりだ・・・渇いた喉がしんから癒える
・・・と、キースの生き血の質を褒め、なによりもひどく悦んでいた。
このままおとなしく血を吸わせてくれるなら、決して死なせない・・・もぅ少し血を吸って気がすんだら生かして家に帰らせてあげる。
・・・とさえ、口走っているようだった。
「きみは妹さんのことを気にしているね?ここで逢うことになっていた」
キースの生き血をひととおり吸いおわると、吸血鬼は首すじにつけた傷口から牙を引き抜いて、耳許に囁いた。
「どうしてそれを?」
キースはビクッとして、まつ毛のながい瞳をあげた。
「わしは、血を吸った人間の心のなかが読めるのさ」
恐怖にゾクッと震えるキースに、吸血鬼は裏腹なことを呟いてくる。
「ある意味それは残酷なことだぜ?たいがいのやつらはこっちのことを忌み嫌っているからね・・・」
「あぁ、そういえばたしかにそうだね・・・」
キースは相手の男の口調に、屈折した寂しさがあるのを感じた。
理性を酔わせるためにかれの血管に染み込まされた毒液に、同情と共感とが織り交ざっていった。
キースは吸血鬼のもの欲しげな視線が、いちどならず自分の足もとにさ迷うのを感じた。
舐めるようにしつような視線がからみつくのは、濃紺の半ズボンの下から覗いている、ふくらはぎだった。
発育の良いキースのふくらはぎは、半ズボンとおなじ色のストッキングで、ひざ小僧のすぐ下までキッチリと覆われていた。
真新しい厚手のナイロン生地は、太めのリブをツヤツヤとさせている。
ハイスクールから邸に戻ったばかりの彼は、ちかくの公園で待つという妹のリディアの書き置きを手に、制服を着替えもせずにふたたび邸を出てきたところだった。
「きみ、ストッキングに興味があるの?」
吸血鬼は図星を突かれたように一瞬目を見開いて、すぐに苦笑しながら肯定した。
「よかったら、きみにあげようか?学校のやつだから、ボク同じのをなん足も持っているんだ。
それとも、このまま噛ませてあげようか?」
吸血鬼は手短かに、咬んだあとできみの脚から抜き取りたいと答えた。
ずいぶんコアなんだね・・・青年は笑った。爽やかな笑いかただった。
そこには蔑みのニュアンスは全くなく、むしろイタズラ仲間としての軽い共感があるのを、吸血鬼は感じた。
「いいよ。噛み破っても。気が済むまで愉しんだら、脱いであげるから。
その代わり、きみがさっき言ったように、ボクのことを生かして家に帰してくれるかな?
そうしたらお礼に、きみのためにもぅ一足、ストッキングを履いてきてあげてもいいよ」
吸血鬼は嬉しげにほくそ笑んだ。
―――よかろう。取引成立だ。
抵抗をやめたキースのことを草むらにねじ伏せた吸血鬼は、
かれのふくらはぎにストッキングのうえからなん度も噛みつきながら、
その体内に脈打つ若々しい生き血をちゅるちゅると吸い出してゆく。
かなりの貧血で頭のなかが朦朧となりながらも、キースは自分が死ぬような気がしなかった。
しばしば、いびつによじれずり落ちたストッキングを自分の手で引き伸ばしてやり、わざと噛ませてみたりしたほどだった。
失血で息をはずませながら、青年はうわ言のようにいいつづけた。
「ねぇ、こういうのはどうだろう?
きみは人の生き血を欲しがっていた。
ぼくはきみの希望を快く受け入れて献血に応じてあげた。
だからきみがぼくから獲た生き血は、強圧的にむしりとったわけではなくて、
友情の証しに進んで飲ませてあげたものだ、というのは?
さっききみは取引って言ったけれど、
きょうのことは、好意的な寄付とかサーヴィスということにしてくれない?」
「素敵なアイディアだね」
吸い出した血潮の新鮮な芳香に目を細めながら、吸血鬼はいった。
まだ彼は時おり濃紺のストッキングの舌触りを嬉しそうに愉しみながら、
毒蛇のような牙をチロチロとさ迷わせては、バラ色の血を舌なめずりしながら味わっていった。
「きみは協力的なんだね。嬉しいことだ。きみの血をもう少し愉しんだら、約束どおり放してやろう」
死の恐怖を免れた青年は、求められるままに吸血鬼と口づけを交わした。
錆びたような血液の匂いが、少年の鼻腔をついた。
「ドキドキしちゃう・・・これがぼくの血の味なんだね・・・!」
キースはむさぼりあうように、自分のほうから唇を合わせていって、二度三度と口づけを交わした。
安堵が、かれを大胆にしたらしかった。
それがじつは吸血鬼のつけ目だったことに、まだかれは気づいていない。
「美味しい・・・きみがボクの血を欲しがるのは、考えてみればもっともなことなんだね」
青年は酔ったように口走りながら、なおも舌なめずりを繰り返す吸血鬼のために、
ずり落ちたストッキングをもういちど、ひざまで引き伸ばしてやった。
制服の一部でもある紺のストッキングを噛み破らせちゃっていることは、
毎日同じストッキングを履いて肩を並べて学校通いをしているクラスメートたちまで冒瀆されてしまっているような、後ろめたい憤りに似たものも覚えたけれど、
その感情とは裏腹に、かれ自身がクラスメートたちをナイショで裏切っているような、えもいわれないくすぐったいような愉悦もまた、その裏返しとして抗いがたく感じてしまっているのだった。
そんなふたりの様子を近くの物陰から見つめる、二対の視線があった。
ひとつは好奇心たっぷりの。もうひとつは、やや躊躇をみえかくれさせたもの。
躊躇しているほうの視線の主は、あの夕闇のメイドのもの。
そして前者はもちろん、その女主人のものだった。
「あぁ、キース坊ちゃままでが・・・」
絶句するメイドの理性的すぎる反応に、まだ十代半ばの女主人は軽い不平を鳴らした。
「はやくひとを呼ばないと、リディアさま。キースさまが貧血になってしまわれますわ!」
おずおずと進言するメイドを目で制すると、リディアと呼ばれた少女は目の前でくり広げられている吸血劇から目を離さずに、ゆっくりとかぶりを振った。
「まだまだ早いわ。
あの方が、お兄さまの血をあんなに美味しそうに吸い取っているところじゃないの。
あたしが兄さまのことを呼び出して、あの方にチャンスをあげたの」
十代半ばの女主人がワクワクとした目つきで見つめている吸血の光景の主人公は、ほかならぬ自分の兄だったのだ。
「あたしのときもあんなにお行儀悪く、脚をばたつかせたり叫んだりしていたのかしら。覚えていて?」
女主人は、イタズラっぽく笑った。
「存じませんわ。あたくしはすぐに気を失ってしまったんですもの」
黒い瞳の女奴隷は、小娘みたいにどぎまぎしながら、あるじの横顔を盗み見た。
まだ幼ささえ残したノーブルに整ったリディアの目鼻立ちは、妖しい歓びに輝いている。
「あっ!また咬まれたっ!痛そう~!」
なんて、クスクス笑いを浮かべながら。
主従ながら襲われて血を吸われてしまってから。
会瀬を重ねた挙げ句、男はリディアに囁いたのだ。
「きみの兄さんが自分の血を自分だけのために使うか、渇いたものに分かち与える気になるのかは、兄さん自身の判断だ。
きみは今回の件に関してなんの責任も負う必要はない。僕に"機会"を与えてくれただけなのだからね」
リディアは恋人同士の逢瀬に酔うように、ウットリとほほ笑んで頷きを与えていた。
リディアの思った通り、兄は出し抜けで無作法な吸血鬼の訪問を受けながらも礼儀正しく応対し(結果的に賢明な判断だった)、
生命の保証を得る口約束をきちんと得た上で、相手の欲しがるものを過不足なく与えていった。
まさに理想どおりの兄さまだわ・・・リディアはウキウキとして瞳を輝かせた。
あるていど二人が満足したのを見て取ると、リディアは夢から覚めたように驕慢な女主人の顔つきに戻って、命令し慣れた声色で、年上のメイドに言った。
「さっ、きちんと拭くのよ」
女主人はメイドの首のつけ根のあたりをハンカチーフでギュウッと拭うと、同様に自分の首周りを彼女に拭かせた。
ふたりとも慣れた手つきで、相手の傷口を濡らしていた吸い残しの血を跡形もなく拭い取っていった。
「これでよしと」
リディアはハンカチーフに着いた血潮を一瞬口許にあてがって、お行儀悪くチュッと舐めると、メイドに言った。
「いいこと?あなたはなにも見なかった。何も知らなかった。しっかり口裏合わせてね」
女奴隷が頷くのを見返りもせずに、リディアは気分を入れ替えるように深呼吸をした。
そしてわざとらしく大きな声で、お兄さま!?お兄さまあ!?って叫びながら、兄を探しまわる妹を、熱心に演じはじめたのだった。
「これで良かったのかな?」
白のショートパンツの下、真新しい真っ白なストッキングに覆った脛を軽く交叉させて、キースはおどけてポーズをとった。
「気に入ってなん足も買ったのに、みんな女みたいだって笑うんだ」
キースは不平そうに鼻を鳴らした。
吸血鬼は、そんなことはないさ、よく似合っているよ、と、年若い同性の恋人を褒めた。
どうやら本音でそう思っているらしい。
好色そうに目じりにしわを寄せて目を細め、男の子にしては柔らかいカーヴを帯びた脚線美が真新しい純白のナイロン生地に輝くのを、眩しそうに見つめている。
いまが真っ昼間であるだけに、真新しい白のストッキングの生地の白さがきわだって、太めのリブの陰影が鮮やかに浮き彫りになっていた。
それはしなやかな脚のラインをなぞるように絶妙なカーヴを描いて、発育の良い肉づきを惹きたてていた。
「じつに美味しそうだ」
吸血鬼は目を細めたまま、もう一度青年の脚を嘆賞した。
「ああ良かった」
キースは嬉しそうに白い歯をみせた。
十代の青年らしい、健康な笑いだった。
取り戻すことのできた健康の輝きは、吸血鬼の禁欲のおかげだった。
「中4日も猶予してもらって、ゴメンよ」
キースは神妙な顔をして言った。
「喉からからにしているんじゃないかと思って、気が気じゃなかったんだ。
それともどこかで、活きのいい血にありつくことはできたかい?」
なにも知らない青年の善意に満ちた視線に、吸血鬼は夕べとおとといのことはしばらく黙っていようと思った。
彼の妹が密会を申し込んできて、お気に入りの黒のタイツを3足も破らせてくれたということは―――
どうやら嫉妬心とは縁の薄そうなキースのことだから、親友が飢えずに済んだと知ったらむしろ安堵の笑みを浮かべてくれそうだったけれど。
「いいこと、兄さまにはナイショよ」
と、リディアにされた固い口止めを、吸血鬼は守るつもりだったのだ。
―――禁欲は正味1日だったけどな。
吸血鬼は心の奥で笑った。
たいした禁欲とはいえなかった。
キースは自分がストッキングを履いて学校に通うのを、みんなが笑うといって、不平そうに口を尖らせていた。
「ママも、学校で笑われるくらいならやめたほうがいいって言うし、このストッキングがいいって言ってくれたのは、君ぐらいのものだよ」
キースはしなやかな下肢をもて余すように、白のストッキングの脚を伸びやかに組んで、吸血鬼に見せびらかした。
さあ!早く咬んで・・・そんなふうに誘っているように、血と情欲に飢えた視線にはそう映った。
吸血鬼はそろそろと素早く自分の影を青年の均整のとれたプロポーションに忍び寄らせると、
痩せこけてはいるが力の込められた腕を毒蛇のように巻きつけて青年の身体の自由を奪った。
「あ・・・!」
キースはみじかく叫んだが、とっさの身じろぎはつよいものではなかった。
吸血鬼の本能的な征服欲を適度にそそるていどの、絶妙なものだった。
わずか二度の逢う瀬でそんなふるまいを身につけてしまったのはやはり、かれ自身吸血鬼の良きパートナーになるための素質を備えていたからに違いなかった。
「せっかくのおニューのストッキング、どこにも履いていくあてがないのなら、持っているやつ全部をきみの血でペイントしやってもいいんだぜ?」
「か・・・考えさせてもらうね・・・」
キースはわざと口ごもってみせ、それからあっけらかんと笑って、近寄せられる牙がうなじの肉にずぶりと埋め込まれる瞬間を、ドキドキしながら待った。
昼下がりの太陽の光に鮮やかに縁どられた木陰の下で。
ちぅちぅ・・・キュウキュウ・・・
キースの血を吸いあげるあからさまな音が、だれはばかることなく洩れてくる。
覆い被さってくる吸血鬼を上に、白のストッキングをひざ小僧のすぐ下までキッチリと引き伸ばしたキースの脚だけが陽射しを浴びて、じゅうたんのように広がるグリーンの芝生のうえ、緩慢な摺り足をけだるそうに繰り返していた。
「やっぱり中4日はキケンだなぁ・・・」
吸血鬼の熱い抱擁のなかキースは照れ笑いに笑った。
自分の体内に宿した若い血潮を吸血鬼が気に入ってくれて、美味しそうに飲み味わってくれていることが、むしょうに嬉しかった。
失血のために頭がぼう・・・っとしてきて、5日まえの夕闇のなかで初めて覚えた陶酔が、ありありとよみがえってくる。
むしょうに喉の火照りを覚えて、Tシャツに撥ねたばら色のしずくを指先に絡めると、青年はそれをチュッ!と口に含んだ。
ほろ苦い芳香が鼻腔に満ちて、キースは思わずむせ返った。
「きみにはまだ、刺激の強すぎる飲みものだな」
吸血鬼は嗤った。
未成年の酒かたばこをたしなめるような口調だった。
「まるできみは、ママみたいなことを言うんだね」
会話を続けようとした青年は、なん度めか首すじをつよく吸われて、ウッとうめいて言葉をとぎらせた。
吸血される歓びに、絶句してしまったのだ。
ふふ・・・
吸血鬼は青年が自分の手中に堕ちたことに、満足そうに笑った。
血のりをべっとりとあやしたままの唇で、喘ぐ唇を吸うと、キースは夢中になって吸い返してきた。
「さぁ、いよいよお愉しみだ。
きみの履いているストッキングを、よだれがくまなく沁み込むくらい、たっぷりいたぶらせてもらうよ
―――わし流の、意地汚いやり口でね」
白のストッキングの脚に男が唇を近寄せると、青年は彼の下でちょっぴり悔しそうに秀でた眉をひそめ、それから薄っすらと微笑んだ。
「きみが陽の光を怖がるたちじゃなくって、なによりだったね。明るいうちなら、ストッキングの見映えもじゅうぶん愉しんでもらえるからね」
この期に及んでも青年が立て膝をして、吸血鬼のために履いてきたストッキングに泥をつけまいとしていることに、吸血鬼は内心ちょっと感心していた。
ひざ下丈の靴下に執心するという意味では、ふたりはいわば同好の士だった。
ひとりは身に着けることで、もうひとりは咬み剥ぐことで、ストッキングを愉しんでいるのだった。
吸血鬼は、キースの身体を思い切り横倒しにした。
脚の片側が芝生にじかに着いて、かすかに泥がはねた。
青年の気づかいを無にしたわけではなく、たんにふくらはぎを咬みたかったからだった。
吸血鬼はカサカサに干からびた唇を、厚手のナイロン生地に流れる太リブのうえから、つよく圧しつけた。
キースの履いているストッキングのしなやかな舌触りにくすぐったそうに相好を崩すと、
吸血鬼は口許の両端から尖った牙をむき出しにして、カリリと咬んだ。
あー・・・
キースは眉を寄せてせつなげな声を洩らした。
抑えたうめき声の下、しつような接吻にいびつによじれたストッキングには、赤黒いシミが滲んでいった。
うひっ・・・うひっ・・・
本性もあらわにカサカサの唇を物欲しげに吸いつけ舌なめずりをしながら、真新しい純白の生地にためらいもなく、赤黒いしずくをほとび散らせていった。
「お嬢様よろしいのですか!?」
メイドのジュリアは黒い瞳に心配をあらわにして、女主人を窺った。
リディアはしらっとした顔つきをして、かぶりを振った。
「あたしもふつか続いたのよ。
さすがにいま出ていくわけにはいかないわ。
もぅ少し、ふたりを愉しませてあげましょうよ」
無感情な顔つきをしての冷静な観察のあとには、口を尖らせての感情的な文句が、可愛い唇をついて出た。
「本当にもうっ!
あのひとったら、無作法だわ。
おニューのタイツを履いて脚を咬ませてあげたのに、
タイツを脱いで履き替えて帰ろうとしたら、また捕まえられて咬まれちゃった。
おかげで、たった1日で二足も台無しよ。おまけにどっちもせしめられちゃうし・・・
ロングスカートじゃなかったら、ママに素足なのを見つかっちゃうところだったわ」
小声でブツブツ文句をいう女主人の横顔を盗み見ながら、女奴隷はなにか言おうとしてすぐに口をつぐんだ。
うわべは相手の男の無作法に文句をいいながら、少女の口調はむしろ得意げだったから。
それを正直に指摘したらお姫様のご機嫌がきっとうるわしくなくなるだろうことに察しをつけるていどには、この女奴隷には賢明さが備わっていた。
彼女はリディア付きのメイドだったので、いつもリディアと行動をともにしていた。
したがって、彼女の女主人が吸血鬼と密会するときは必ず同行しなければならず、
女主人ともどもいずれ劣らぬ非の打ちどころのない首すじを、代わる代わる咬まれてしまうのがつねだった。
順序とすればジュリアは、吸血鬼の貪婪な渇きから女主人を守るため、自身の生き血をすすんで、令嬢が受難するまえのオードブルとして供するのが常となっていた。
リディアは、兄がおニューの白のストッキングの足許に、遠目にもそれとわかるほど鮮やかに深紅の飛沫を散らすのを、密かな共犯者の視線で小気味良く眺めていたし、
その女奴隷は自分たちがふたり揃ってかろうじて相手している吸血鬼のために、たったひとりで生き血を提供し続けるキースのことを、称賛と懸念の入り交じった目で見守っていた。
おなじサイズの歯形の咬み痕がついたうなじを並べて、身分違いの少女はふたり、それぞれ別々の想いを秘めながら、青年たちのじゃれ合いを見るともなしに見つめ続けていた。
「きみと逢うときに履いてくるストッキングは、濃い色にかぎるようだね」
自身の血潮で鮮やかに彩られた白のストッキングの脛を見おろして、キースは照れ笑いしながらそういった。
「履き替えに家に戻っても平気なのかね?」
吸血鬼はかれの家族の注意力を気にしたけれど、青年は白い歯をみせて笑った。
「大丈夫さ。これはハイスクールで履き替えてきたやつなんだ。
よかったら記念にあげてもいいよ。
これからいつもの紺のやつに履き替えるから。
でも、紺のやつまで破くのは、今日のところは勘弁だぜ?」
「こんど逢うときには、黒いのにしなさい。白のラインが二本入ったやつ」
どうやら吸血鬼は、キースのコレクションのかなりを把握しているらしかった。
キースはそのことに感心しながら、いつ見たんだい?と訊いたが、ろくな応えは返ってこなかった。
吸血鬼は耳も貸さずに、キースの足もとに夢中になってとりついていたから。
青年の問いに応えるよりは、ところどころ赤黒い血糊のこびりついた白のストッキングを、思い切り噛み剥ぐほうに夢中になっていたのだ。
「あっ、ヒドイなあ・・・っ!」
噛み剥がれてゆくストッキングの持ち主のくすぐったそうなあっけらかんとした笑い声を頭上に聞きながら、
吸血鬼はだらしなく弛んだストッキングを、なおもくしゃくしゃにずり降ろしていった。
キースはそれからも、2日か3日に一度は、吸血鬼とのアポイントメントを取るようになっていた。
その間に例の白のストッキングはあらかた、パートナーの強引な牙にむしり取られ、咬み剥がれてしまっていた。
見た目は手荒なあしらいではあったものの、ふたりの間には濃やかな気づかいが通いあっていた。
片方は親友の顔色や身体の調子の変化に敏感すぎるほどに気をまわし、
もう一方も好みが同じな同性の恋人のために脚に通すストッキングの色や柄選びに余念がなかったし、
なにかの事情で密会の間隔が開いてしまうときには、相手が耐えがたいほどひもじい想いをしないかと気を揉んでいた。
吸血鬼の立場であれば、ふつうなら、一滴でも多くの血を吸い取りたい、つかまえた相手は気のすむほどに血を獲るまでは決して放すまいとするだろうし、
キースの立場であれば、血を吸われまい、装いを辱しめられまいとして、必死の逃走や抵抗を試みるはずであった。
けれどもこのふたりはふたりながら、相手を気づかって行動したのだった。
吸血鬼は自分の相手をしてくれる青年の身体のようすを気づかいながら、吸い取る血の量を手かげんしようとしたし、
そのうら若い恋人のほうは、自分の体内をめぐる血液を一滴でも多く提供し、足許の装いを少しでも愉しませてやることで、男の寂しい渇きを癒してやろうと腐心していた。
吸血鬼は彼の恋人が自分のために、どんなストッキングで足許を装ってくるか愉しみにしていた。
彼は、焦がれるほど愛していた。
あの柔らかな首すじにジリジリと牙を迫らせたとき、年若い彼の獲物が秀でた眉をキリキリと引きつらせるのを。
足許をきりっと引き締めるストッキングをネチネチといたぶって、整然と流れるリブを脛の周りにいびつによじらせるのを。
しなやかな舌触りのするストッキングごしに牙を思うさま咬み入れたときの、若々しい肉づきのもっちりとした咬み応えを。
吸いあげるたびに喉を熱く潤す血潮のほとびを。
なによりも、彼の好みに歩み寄ろうとして話を合わせ時には家族を欺いてさえ密会を示し合わせてくれる年若いパートナーの、かいがいしい心遣いの濃やかさを。
キースはキースで、歓びに目覚めてしまっていた。
あの痩せこけた猿臂に巻かれて強引に抑えつけられるときの、絶対的なものに支配を受ける歓びに。
ハイスクールの制服である半ズボンやワイシャツに泥や草切れを撥ねかしながら、
かれの体内に脈打つ生き血をグイグイとむしり取られていくときも、
恋人から求められる熱烈さを実感して、随喜に震えあがっていた。
獣が獲物を生きたまま喰らうような食欲をあからさまにした汚い音をたてて生き血を飲み味わわれたりすると、
自分の若さがパートナーを魅了しているという実感を覚えて、ついゾクゾクとした昂りを抑え切れなくなっていたし、
そのうら若い肢体にツタのように絡みつき抱きすくめてくる痩こけた手足が人肌の温みを帯びてくると、
かれの若さが恋人の慰めになっているという充足感が、失血による苦痛をむしろ陶酔にかえていった。
―つづく―
短文:少年の母親と姉と彼女(ちょっと変更♪)
2018年12月09日(Sun) 03:25:22
その少年は、母親が父親以外の男に逢っているのを知っていた。
物陰に隠れて覗き込む少年のまえ、彼女はそうとは知らず、男に身をゆだね、不倫の逢瀬に悦んでいた。
その光景に、本能的にゾクゾクしてしまった少年は、
母親の密会を父親に対して黙っていることに決めた。
相手の男もまた、少年が自分たちの密会を覗いているのを知りながら、
これ見よがしにその母親を抱きすくめ、情痴のかぎりを尽くしていった。
やがて男は、少年の姉とも逢うようになった。
母親は、娘が男の情欲に、嫁入り前の素肌を犯されていると知りながら、その行為を黙認しているようだった。
少年はやはり、ふたりの逢瀬をドキドキしながら見守っていた。
やがて少年は、つぎの男の獲物が、自分の彼女であることを覚っていた。
さすがに彼は恋人を守ろうと身構えて、男を彼女に近づかせまいとした。
ところが案に相違して、男の次の目当ては、少年自身だった。
母親や姉と同じ経緯をたどってズボンを脱がされ、女同様に犯された少年は、
男の欲望に身をゆだねて、同性同士に歓びに耽り抜いていった。
そして、男の恋人となった少年は、自分から彼女を男に引き合わせて、
未来の花嫁の純潔を、男の愉しみのために捧げ抜いていた。
母親、姉、妻と、自分にとって大切な三人の女を愉しまれながら。
彼自身も男の恋人となって、抱かれるのを覗き、自身も抱かれ尽しながら、
歓びを深めてゆくのだった。
あとがき
少しだけ、変えてみました。
吸血鬼モノから、両刀使いモノに。
どちらも同質に感じるような気がするのは、私だけ? ^^;
短文 少年の母親と姉と彼女
2018年12月09日(Sun) 03:19:20
その少年は、母親が父親以外の男に逢っているのを知っていた。
物陰に隠れて覗き込む少年のまえ、彼女はそうとは知らず、男に身をゆだね、生き血を吸われていた。
その光景に、本能的にゾクゾクしてしまった少年は、
母親の密会を父親に対して黙っていることに決めた。
相手の男もまた、少年が自分たちの密会を覗いているのを知りながら、
これ見よがしにその母親を抱きすくめ、情痴のかぎりを尽くしていった。
やがて男は、少年の姉とも逢うようになった。
母親は、娘が男の牙に、嫁入り前の素肌を侵されていると知りながら、その行為を黙認しているようだった。
少年はやはり、ふたりの逢瀬をドキドキしながら見守っていた。
やがて少年は、つぎの男の獲物が、自分の彼女であることを覚っていた。
さすがに彼は恋人を守ろうと身構えて、男を彼女に近づかせまいとした。
ところが案に相違して、男の次の目当ては、少年自身だった。
母親や姉と同じ経緯をたどって首すじを咬まれて血を吸われた少年は、
男の欲望に身をゆだねて、生き血を吸い尽されていった。
そして、男の恋人となった少年は、自分から彼女を男に引き合わせて、
未来の花嫁の純潔を、男の愉しみのために捧げ抜いていた。
母親、姉、妻と、自分にとって大切な三人の女を愉しまれながら。
彼自身も男の恋人となって、抱かれるのを覗き、自身も抱かれ尽しながら、
歓びを深めてゆくのだった。
あとがき
いつもながらの吸血鬼バージョンです。^^