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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

絵を描く少年

2005年11月23日(Wed) 13:13:53


何てこった。
ベッドに横たわりながら、吸血鬼は心の中で舌打ちをしている。
ここは病院のなか。
それも、相部屋である。
具合が悪くなった、と思ったときにはもう意識を失っていて、
気がついたら病院にいた。
吸血鬼が病におちるか・・・
それも、見知らぬ土地で。
つくづく、やきがまわったものだ。
不幸中の幸いに、院長は知人だった。
あり難いことに、奥さんを頂戴したこともある。
もっとも勤務医の彼は、ここには妻を伴っていないようだが。

さいしょ個室病棟に入れられた彼は、
検温や点滴にくる看護婦を手当たり次第に襲って血を吸い、犯していた。
それは困るよ、と院長は渋面をつくって、
彼のことを四人部屋に移してしまった。
さすがの彼も、これでは手も足も出なかった。
なにしろ、ひとりではベッドを五歩と離れることのできない重症だったから。

さすがにそれだけでは「治療」に差し支えるだろうといって、
一日三回、彼のベッドはついたてで仕切られた。
事情を言い含められたベテランの看護婦が数名、交代で彼に血を与える。
そろいもそろってごつごつとした無骨な脚に、もっさりとした白タイツというもてなしに閉口しながら、
もっと若い子は都合がつかないのかと院長に直訴したのだったが・・・


相部屋の三人のうち、一人は重症と診断されて、もっと大きな病院に転院した。
もう一人は、あるとき突然運び出されて、数時間後布団がきれいに片づけられていた。
退院したのか、死んでしまったのか。
誰も口を開いてくれなかった。
ひとり残ったのは、となりのベッドの十代なかばくらいの少年だった。
少年は口数もすくなく、しじゅう蒼い顔をして、終日横になっていた。
気分がよい時には、スケッチブックを抱くようにして、いつもなにかを描いていた。
「なにを描いているのだ?」
退屈まぎれにふと声をかけてみると少年は、顔色には不似合いなくらいに人懐こい微笑をかえしてくる。
人からいつも忌まれる彼にとって、すがりたくなるほど美しい微笑だった。
少年はちょっとの間ためらっていたが、やがて黙ってスケッチブックを差し出した。
ベッドに横たわって顔をしかめる男が描かれていた。
走り書きにちかいデッサンだったけれども、秀逸な筆づかいだった。
「なかなかのものだな」
数百年前、ひところ仲良くしていたレンブラントという男のことを、吸血鬼はフッと思い出していた。
「ありがとう」
少年の声がぱっと無邪気にはじけた。
世間の濁りとは無縁な声色だった。
そして、兇悪なかれへの警戒心さえも、みじんも含まれていない。
時折ふたりを隔てるとばりのなかで、どんな「治療」がなされているのか、こいつは気がついていないのだろうか。
「これ、おじさんを描いたんだよ」
えっ?
吸血鬼は虚をつかれたように、きょとんとしている。
あっはっは。
ごめんね。描くものがどうしても思い浮かばなくて。
たしかに。
ベッドのうえで思い浮かぶ画題など、知れたものだろう。
そんなことさえ察することができなくなったくらいに鈍磨した己の神経を咎める以前に、彼は絵のなかの彼自身をじいっと見つめた。
疲れた顔をしていやがる。
ちょっと、みじめになった。
しかし、大雑把なようで精細なタッチの中には、まごうことなく彼への同情が込められている。
ふん、この子は体がよくなっても襲えんな・・・
そんなブッソウなことを考えながらスケッチブックをめくっていくと、
いろいろな絵が出てきた。
病院の建物、窓辺に訪れるらしい鳥や蝶、田舎の風景、
躍動するバレーボールの情景は、学校のスポーツ大会なのだろうか。
ふと手を止めたページには、若い女性の肖像が描かれていた。
穏やかな目鼻立ちに、気品のある控えめな微笑があった。
「姉さんなんだ」
少年はいった。
両親は亡くなり、母代わりになってくれているという。
そういえば、少年に面会者が訪れるときには、用心深く帳がおろされていた。
相手が女であるのは、とばりのすき間からのぞく足許がパンプスを履いていることから知れている。
帳のあるなしはこのさいどうでもよかったのだが、
この少年のたったひとりの家族となると。
これも襲えんな・・・
ブッソウな妄想は、このさい頭から追っ払うしかないようだった。

「おじさん、吸血鬼なんでしょ?」
こっちの気分を見透かすように、少年は悪戯っぽく笑っている。
「姉さんのこと襲っちゃ、ダメだよ。証拠にボク、血を吸っているところを描いちゃうからね」
ふたりは、声を合わせて笑った。


「きれいな夕陽だね」
少年の声にまどろみからさめた吸血鬼は、いわれるままに窓辺に目を移していた。
夕陽が、灼けつくようなさいごの一片を雲に映して、いままさに姿を消そうとしているところだった。
「ほんとうはボク、油絵をやりたいんだ」
少年はいった。
「でも、ここには絵の具、ないからね。せめてデッサンだけでも書きためて・・・」
「退院したら、気にいったやつから油絵にするのだな」
吸血鬼は珍しく能弁に相槌をうっている。
少年の姉という、あの肖像も油絵になるのだろうか。
想像のなかで、デッサンに鮮やかな色彩が重なる。
この子のことだ。きっと色づかいもさばけているにちがいない。
少年はまだ、夕陽を見ていた。
そして、謡うような口調でつぶやいていた。
「消えるときには、こんなふうに。
 みんなが息をのむように輝いて、そうして消えていきたいな」
まるで老人みたいなことを言うやつだ。
吸血鬼がなにかいおうとすると、少年はこういった。
「ボク、退院することができないんだよ」


病室を移れといわれた吸血鬼は、しぶしぶ頷くしかなかった。
足腰立つようになるまでは、院長のいうなりになるしかない体なのだ。
ちくしょう、憶えていろよ。お前の妻をまた自由にもてあそんでやるのだからな。
やはりブッソウなことを思い描きながら、彼はまた個室に移されていった。
隣のベッドの少年は、診察だとかいって居所を空にしている。
お別れをいえなかったのが少しばかり、心残りだった。
個室での待遇は、まずまずであった。
応対に訪れたのは珍しく若い看護婦。
白のストッキングもツヤツヤとした光沢に彩られていた。
「当院きっての、接待用の看護婦だよ。せいぜい楽しんでくれたまえ」
どこか嘲る口調をのこして院長が出てゆくと、
吸血鬼は久しぶりに胸を躍らせて、
白衣の胸をくつろげさせてぷよぷよとした乳房をもてあそんだり、
流れるようなふくらはぎを白のストッキングのうえから唇をすうっと這わせたり、
素肌を通して彼の唾液に含まれた毒が血管に沁み込んでゆくまで彼女をあやしつづけていって、
フッと迷わせた目線に毒液の効き目をみとめると、おもむろに抱きすくめ、うなじを咬んでいった。


うふふぅ・・・
砂地に恵みの雨が降ったような刻を過ごして人心地がつくと、
吸血鬼はまたあの少年のことを思いだした。
きのうの朝早く診察のためにベッドを出た少年は、いつもより顔色が悪そうだった。
診察の結果はどうだったのだろうか。
退院できない。
そんな言葉も気になった。
いつか、弟を気遣うような気分になっていた。
こういう気分は、最近にはないことだった。
手土産ひとつないのを気にしながら、彼は少年の病室を訪れた。
少年のベッドはきれいに片づけられていて、
シーツを取り去られた無機質なマットが三つ折りにされていた。
「やっぱりここかね」
やってきた院長は、少年が死んだと彼に告げた。


個室の天井が、涙に滲んでいる。
いままでも。
血を吸っているうちに、心を通わせあったものもいた。
そういうものたちと別れるときに、いく度となく流してきたのとおなじ種類の涙だった。
一滴の血も、吸ったわけではなかったのに。

少年は日々、自分の死を見つめつつ、デッサンの筆をとっていた。
油絵をやりたいといいながら。
そんなささやかな望みのかなう日が永久に訪れることのないのも知りながら。
せめてこの世に生きていた証しを残そうと、想いのすべてを一本の筆にたくしたのだろう。

あの日の夕陽のように、息をのむように輝いて消えていきたい。

そう希いながら、少年の魂は音もたてずにこの世から飛び去った。
この世には、醜いものだけが居残るのだろうか。
そう、オレはまだまだ、ずっと独りで生き続けなければならないのだ。
「ちょっと、こたえたようだね」
いつの間にか、院長がベッドの傍らにいる。
「彼、あんたが吸血鬼だって気づいていたんだな」
―――想像したよりずっと人間ぽくて、優しい人だね。
あるとき彼は院長に、そう言ったという。
「お前が優しい人種にはとうてい思えないが」
揶揄するはずの口調が、いつもより湿りを帯びている。
「本当に優しい人は、冷酷な人間も心優しくするのだろうよ」
やっとの想いで、吸血鬼はいい返す。
ほほぅ。
院長は珍しく、感心したようだった。
「彼の遺志なんだが」
いつの間にか、看護婦が点滴の用意をしている。
「輸血をするよ。あんたに血をやって欲しい・・・そう頼まれたのでね」
主を失った少年の血が、透明なパックに赤黒く澱んでいる。
腕に貼りつけられたチューブを通して、まだ冷え切っていない熱情が彼の肌に伝わってくる。
この血を享ける資格が、オレにはあるのか?
知らず知らず、腕を引っ込めたくなってくる。
お前が死んでゆくときに不埒な愉しみに耽っていたこのオレに・・・
オレはこの世の害毒なんだぞ。
重苦しい眩暈の彼方で、少年の幻が浮び、そんな彼に静かにかぶりを振っていた。
少年の血は、病のせいでいつもよりもすぐに冷えてしまう彼の血管を暖かく満たしてゆく。
まどろみかけた意識の彼方で、少年がなにかを言っていた。
人の生命を取らないでね。みんな懸命に生きているんだからね。
無慙なオレが、どうしてこうも涙を流して頷いてしまっているんだろう?
体の芯に、にわかにパッと火がともるような感覚が訪れる。
吸血鬼は病が去るのを直感した。


「あの子のデッサンを、油絵にしていただけませんか?」
目のまえには、あのスケッチブックが置かれている。
語らいのきっかけになった絵たちが、あの日のままに紙の上にあった。
少年の描いた彼の隣に、彼が描いた少年の顔が笑んでいる。
「貸してみろ」
そういって戯れに描いたタッチに、少年は「すごい」と目を輝かせていた。
悪事のために覚えた技術。
タッチは、少年の筆づかいと瓜ふたつに似せてあった。

依頼主は、少年の姉だった。
「あの子を、元気な顔にしてくださって・・・」
少年の若者らしくない蒼白い面差しが気に食わなくて、
絵のなかだけでも、ちょっと気力をみなぎらせてやった。
「こういう、活発な子だったんです」
学校を出て働いているという少年の姉は、看病疲れのやつれも見せずに若々しい。
独りで生きていかなければならない彼女にとって、涙のための休息も許されないようだ。
「こう申し上げてはなんですが・・・」
姉はちょっとのあいだ言いよどんだが、
「私の血を絵の具代わりにしていただいてもけっこうです。・・・こう見えても丈夫なたちなので・・・」


―――こうなることまで見通していたのか。
腕のなかに、少年の姉がいた。
脱ぎ捨てられたブラウスは、血が撥ねないようにと遠くにきちんとたたまれていた。
ブラウスの主は白いスリップに血潮をあやして、夢見ごこちに目線を惑わせている。
できるだけ苦痛を感じさせないようにと、あの若い看護婦のときのように、咬みつくまえに念入りにあやしていた。
撫でるように肌を吸い、唾液にまぎれた毒液を、素肌と、素肌の奥に脈打つ血管に沁みこませ、理性を適度に喪わせてゆく。
肌を吸おうとする彼のために、少年の姉は、地味なものばかりの持ち合わせから、なるべく肌の透けるストッキングを選んで脚に通してくれた。
安物のストッキングだな。
足許に唇を這わせながら、つい値踏みをしてしまったが。
あらゆる痛みに敏感になっている胸に、彼女の心遣いがよけいに沁み入ってくる。
差し出される若い肉体に欲情のほむらをかきたてているはずが、
きゃしゃな体いっぱいに秘められた寂しさをかき消してやるのに懸命になっている自分がいた。
―――オレは吸血鬼なんですよ?
そういう彼に、
―――でも、あの子のお友だちですから。
そうこたえて微笑む彼女。
ふつうの人間と分け隔てをしようとしない目線は、弟とおなじだった。

狭いアパートの一室。
散らばる絵の具や絵筆のむこうに、描きあげたばかりの油絵がふたつ、並んでいる。
ひとつは少年の最高傑作だった、姉の肖像。
もうひとつは、彼が描いた少年自身の顔。
ふたつの絵は心持ち、まぐわうふたりとは別のほうに向けられている。

独りで生きていきます。
あの子もそうだったに違いないと思いますから。
誰かをあっと言わせて消えてゆくような才能は、私にはありません。
名もない女として、この世を終りとうございます。

さいごに語りかけてきたそんな言葉をかみ締めて、
彼は街を離れた。
妻を呼んでやろうか?
院長は悪戯っぽくそう申し出てくれたけれど、そんな気分にはとてもなれなかった。
アパートの部屋のまえで彼女と別れて。
彼女はいつものようにショルダーバックを引っかけて、勤めにでかけていく。
見送る後ろ姿に、悲しみや屈託は、みじんもなかった。
もともと明るい姉弟だったのだ。
誰にも覚られない胸の奥で、彼女は弟との対話をずっと続けてゆくにしても。
それは明るい明日を生きるための糧として。
少年の魂も案外、あの暗く仕切った部屋にもどってきて、
姉が愛されるさまをひそかにデッサンしていったかもしれなかった。
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コメント

傑作の作品、読ませていただきました。

吸血のお話なのに、涙が出て来そうなお話しですね。

人と人の出会いはドラマが有りますが、この病院でも、吸血鬼でもそんな出会いがあるんだと
感じさせられます。

子供が亡くなる話って、切なくなります。


by ゆい
URL
2017-04-26 水 21:42:40
編集
ゆいさん
お人がなくなる話は私も苦手でして、
その証拠に吸血鬼のお話なのに、ほとんど人が死にません。
仮になくなったとしても、魂はまだどこかにある・・・みたいな。

似たようなタッチのお話に、こんなのもあります。
いずれも、初期のころに描いた、しみじみモードなお話です。
そういう気分に浸りたいときにどうぞ。


「ふる里の少女」
http://aoi18.blog37.fc2.com/blog-entry-30.html

「小道」
http://aoi18.blog37.fc2.com/blog-entry-404.html

どちらもヒロインは不滅です。^^
by 柏木
URL
2017-04-30 日 16:55:28
編集

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