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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

吸血奏鳴曲(ソナタ)

2006年01月10日(Tue) 13:18:02

―――これはショパンですね?
そのレコードを聴いた男はそう言った。
―――アラ、何をおっしゃっているの?これはベートーベンよ。
男の妻は反論した。
―――え?そうかしら。あたしもっと今どきな曲だと思うけど。
娘はそう呟いた。
そのレコードを携えた老女が現われるのは、きまって週末の夜。
それは老女の夫の命日にあたるという。

彼女の夫は、音楽家だった。
鋼のタッチと呼ばれたピアノの腕はなかなかのもので、
地元でしばしば開かれた彼のピアノ・リサイタルは上々の評判だった。
黒のタキシードに包んだ大きな身体を揺するようにして、
鍵盤に叩きつける指は、ぞっとするほどの冷たい音色をともなって、観客を魅了し続けた。
そんな日々も、やがておわるときがきた。
いく晩も、いく晩も、男の家からはピアノの調べが響いてきた。
その旋律は、あるときは暗く熱情的、あるときはひどく重く荘重な悲愴美にあふれていた。
男が本当に志していたのは、作曲のほうだった。
そちらのほうではついに無名のまま終わることをみずから惜しむかのように。
最期をさとった彼は、心のかぎりに己の歌を謳っていたのだった。
曲が尽きるころ、男は息絶えていた。
音楽家の妻がレコードを携えて知人の家々を訪れるようになったのは、それからいくばくもたたない頃からだった。

老女はいつも、白くなった長い髪を丸めるようにうしろで束ねていた。
漆黒のワンピースに、黒のストッキング。
それはあたかも先に逝った夫を弔う喪服のようであった。
彼女は白くほっそりとした指をのべて、楚々としたしぐさでレコードを取り出す。
レコードのラヴェルは、真っ黒だった。
よく見ると銀色で文字が書いてあった・・・というものもいたが、それは判読不能であった。
あるものはラテン語のようだったといい、あるものは古代のルーン文字のようだったという。
―――夫が作った曲ですの。今宵はどうしても、聴いていただきたくて。
老女ははにかむようにそういうと、ほとんど有無を言わせぬようなそぶりで、レコードをプレーヤーのうえに置いた。
家人たちは皆、気圧されたようになって、本当は気が進まない、と言いたげに顔を見合わせて、
けれどもけっきょく、彼女をとめるものはいなかった。
黒い円盤はかすかなうねりを伴いながら、まるでみずから円舞曲を舞うように、
盤面に刻まれた溝に艶やかな光沢をよぎらせてゆく。

音楽に魅せられるように聴き入っていた家人たちはやがて、
ひとり、またひとりとくらくらと眩暈をおこしたようになって、
ソファやじゅうたんの上に倒れ込んでゆく。
誰もが身を横たえて静かになると、老女はニッとほくそ笑んで、ハンドバックのなかに手を差し入れた。
取り出されたのは、大きなヒルのような生き物だった。
大ビルはぬらぬらと黒光りしながら彼女の掌につかまれて静かにのたうっていたが、
彼女は家人たちの一人一人にかがみ込んでいって、
彼等のうなじやふくらはぎに、順繰りに大ビルをあてがっていった。

夜明けまえ。
ひとり家を忍び出る老女は、別人のように若やいでいる。
黒くつややかな髪を長く肩に流していて、
ワンピースもストッキングもきらきらしく真っ赤なものをまとっていた。
鳴り終えたレコードを老女が取りあげるとき、
繰り返し彼女の訪問を受けたあるものは、薄ぼんやりとした意識のなかで、
レコードのラヴェルが真っ赤に変わっているのを見ることがあったという。
朝になると起きだした家人たちは皆彼女のことをよく憶えておらず、
夕べ宴のさいちゅうに眠り込んでしまったことだけにばつの悪そうな顔をして、
うなじのあたりを掻き掻き日常にもどってゆく。

皆はよく知っていたという。
音楽家がこの世を去るときにつむぎ出された音楽を、
老女はわが身を包むように毎晩聴き続け、
遺作のすべてを聴きおえた晩、静かに息を引き取っていたのを。
老女の身体はひからびたようにかさかさに乾いていて、
傍らでは真っ赤なラヴェルのレコードが主のようすも知らぬげにくるくると静かな旋回を続けていたという。


あとがき
しばらく「魔」が降りてまいりませず、更新がおろそかになっておりました。
久しぶりに耳にした妖しい調べはいつもとはややトーンのことなるものでした。
すでに屍と化しているはずの老女が、さながら生けるが如く夜の街を彷徨い、知人の家の扉を叩く。
迎え入れるものたちは彼女の正体を知りながらも邸の中に彼女を招きいれ、ひと夜妖しい宴に身を浸す・・・
老音楽家が遺した魔性の調べには催眠、催淫、いずれの効能があったものか。
譜面が今に伝わらないのが惜しまれます・・・
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ひとりひとり・・・呼び入れて。

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