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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

ご城下狼藉異聞

2014年01月12日(Sun) 09:35:33



雨の降りしきる作事場であった。
夜だというのに無数の人夫が、うずくまるように背中を丸め、黙々と地を掘っている。
あちらのものは、四人がかりで大石を担ぎ出し、
向こうのものは、小石を拾い集めて塚を積み上げている。
老若男女、身分の差もまちまちで、人の衣服も粗末なもの、一見して名のあるものとおぼしきもの、とりどりであったが。
だれもが人間業とは思えぬほどの素早さで、目の前の仕事を片づけてゆく。
そのあいだ雨はひと刻も止まず、人々を打ちつづけていたが。
だれひとりとしてそれが身にこたえると感じるものもないらしく、ものともせずに作事にいそしんでいた。

「あれ、幻真(げんしん)さま、お久しゅうごぜえやす」
幻真がふり返ると、野良着姿の年配の男が、目を細め眩しげにこちらをみている。
「よう、治五郎どんか。まことに久しいの。いつ以来であったかな」
「慶長のころでごぜぇますだ。あれから何度かお呼びを賜っておりやすが、なかなかお声がかけられんで」
治五郎と名乗る野良着の男は、申し訳なさそうに目じりを垂れたが、
幻真はそのようなことは気にならないらしく、手を振って男の陳謝を打ち消していた。
「それよりも、娘ごとは逢えたか」
「へえ、ここにおりやす」
傍らでうずくまっていた娘が、だしぬけに起ちあがる。
これもまた、貧しげな野良着姿。
けれども活気に満ちた笑みは、すべての顔色を鉛色に消している夜の闇を射とおすようだった。
「何より何より」
幻真は笑っている。
「そもじたちとは・・・どれほどになるかのう」
「はあ、かれこれ百五十年ほどになりますような。わしらの子孫はいまごろ・・・どこにおりますことやら」
「ここに住むもの皆が子孫であると思えばよい」
はたから聞いていると奇妙な会話であったが、だれもがそれを不思議とも思わないらしく、
ふり返るものはおろか、手を休めるものさえいなかった。




高桜藩五万石。
実高はおよそ十万石といわれ、ひなびたこの国の諸藩のなかではきわだって豊かであったのは。
藩侯の善政宜しきを得て、城下は殷賑をきわめていた。
困難を極めると予想された治水工事も、予定の半分の費えと日数で見事に仕上がりをみせたことは、
その実高をあげるのにおおいに貢献があったと言われるが、
あれほどの作事がどうしてそのようにとんとん拍子になったのかを知る者は、あまりなかった。
まして、あばれ河をみごとにせき止めているあの大きな堤防が、たった一夜にしてできあがり、
いまでも一夜堤といわれる所以など、庶民の知るところではなかったのである。




高桜のご城下は、このかいわいでも一二を争う宿場町でもあった。
痩せ身に骨張った頬をもつ、五十年輩とみえるお武家がこの宿にあらわれ、長逗留を決めこんだのはそのころのこと。
一見して旅人とわかるその風体にも似ず、男は軒を連ねる旅籠には見向きもせずに、一見の大店(おおだな)めざして歩を進めていった。
男が目指した高力屋は、このご城下でもとりわけ店構えの立派な、呉服問屋であった。

人の足しげく行き交う正面から堂々と入ってゆくと、古参の女中がひとり、目を丸めて男を視た。
どんぐりまなこに分厚い唇、置物のように恰幅のよい身体つきをした女中は、珍しい訪客に口をあんぐりとさせている。
「あんれ、まあ。お武家さま・・・もしや幻真さまではございませぬか」
「いかにも幻真である。あるじはおられるか」
「へえ、へえ」
女中が奥へと引き取ると、ほとんど入れちがいのように高力屋があらわれた。
五代目の主人である高力屋庄次郎は、四十年輩の小男で、つるりとした人好きのする面貌と如才無げな物腰の持ち主だった。
四代前のとき、長男が非道な行いを重ねていたのを斥けて、働きものの次男坊があとを継いでから、この家は代々庄次郎を名乗っているのだが、
遠祖の兄庄一郎を回心させ僧侶として生き続けさせたのが幻真と名乗るお武家だということは、代々のあるじだけが口伝えに伝える当家の秘伝となっていた。

ひとしきり久闊を叙し合うと、庄次郎は、
「おときさん、おときさん」
みずから手を叩いて、お内儀を呼びつけた。
現れたお内儀は、お勝手で御飯支度の最中であったらしい。
締めていたたすきをほどきながら現れると、身を二つに折るようにして幻真にお辞儀をした。
「おときさん、ここはもういいですから、今夜は幻真さまのお世話を頼みます」
庄次郎は手短かに告げると、そそくさと商いに戻ってゆく。
ひと言お内儀に耳打ちするのを忘れずに―――

朝まで、表には出なくてよろしいですからね。


「ご城下には、どんな御用で?」
幻真とはすでに気安い間柄であったお内儀のおときは、気さくでサバサバとした口調であった。
あるじの古いなじみであると夫から聞かされている幻真に、
遠慮もせず、狎れすぎもせず、つかず離れずの距離を保っているようだった。
それは幻真にとっても、好ましい関係だった。

「ウン、数日か半月ほど、やっかいになる。じつは女に懸想をした」
男もまた、軽々とした語調だった。内容の濃さとは裏腹に。
まるで焼き芋でも買いに来たような口ぶりがおかしかったらしく、妻女はほほほ・・・と、忍び笑いをする。
「幻真さまでしたら、どんなおなごでもすぐに、着物のすそを割りましょうほどに」
「ははは。はしたないことを言うでない。相手は武家の妻女なのじゃ」
女は目を見開いて、息をのむ。

数日か半月というのは、目当ての女を堕とすのに所要の日数なのだろう。
なんとお手の早い・・・
女が思ったことを、幻真はほぼ見通していたようだった。
「武家の作法というのは、面倒なことよ。そなたなら、宿をとればすぐさま、気安うしてくれるというのにな」
あてがわれた部屋で二人きりになったのを良いことに、臆面もなく肩を掻き抱こうとしてきた猿臂が伸びてきた。
「あらあら、おたわむれを」
お内儀はたくみに、伸びてきた猿臂を避けようとする。
「まだ昼日中でございましょうに」
けれども女のあらがいも、ほんのひとときのことに過ぎなかった。
畳のうえに圧し臥せられたお内儀は、「ああ・・・」とひと声うめいて、男の口づけに、けんめいに応えてゆく。
幻真の喉の奥に、脂の乗り切った人妻の艶めかしい呼気が、濃厚に充ちた。

しつようなくらい熱っぽく唇を重ねると。
「よろしいな?」
男は謎めいた笑みを浮かべ、念を押すようにお内儀を見つめた。
「はい、つつしんで」
お内儀もまた、男に劣らぬ謎笑いを泛べて、言葉を返してゆく。
男の唇が、結わえるように濃く重ね合わせていた女の唇からそれていき、おとがいからうなじへと、流れていった。
女は息をはずませて、その身をかすかにわななかせている。
なん度回を重ねても、このときばかりは気が張るものらしい。
男の唇は、しばらくのあいだ女のうなじを撫でるように這いまわっていたが。
一点をここと決めると、ググッ・・・と力を籠めてきた。
男の口許から覗いた犬歯は鋭利な尖りをみせ、お内儀の首すじに深々と埋められてゆく。
「ああ・・・」
お内儀は悲しげに声をたてたが、男はゆるさなかった。
見るからに値の張りそうな着物の衿足に、赤黒い血潮がぼとぼととほとび散る。
「ああ・・・ああ・・・ああ・・・」
生き血を吸われていることを実感しながら、お内儀は男の腕の中で、もはや抗おうとする気色を見せなかった。
着物の汚れを苦にするふうもなく、ひたすら小さくなって、男の欲求に応えつづけてゆく。
くちゅ・・・くちゅ・・・
生き血を啜る音が、人を遠ざけられた密室の畳を、深く静かに浸していった。


もろ肌を脱いだ着物は、帯で縛りつけられたようにして、まだ女の身体に残っている。
すその前は割られ、足袋を穿いたままの肉置きのよい脚が、太ももまで露わになっている。
男は女の豊かな乳房をまさぐりながら、乳首を吸い、唇を吸い、うなじにつけた噛み痕を吸った。
「幻真さま、お強い」
すでに男女の交わりを果たした後の女の満悦が、お内儀の総身にみなぎっている。
夫の庄次郎は、まだせわしなく商いの渦中に身を置いている時分だろう。
しかし、城下一の甲斐性とうたわれた夫の働きぶりも、迫ってきた夕暮れも、女には関心のないことだった。
いまはひたすら、夫よりも十は年上にみえるお武家の逞しい身体が迫ってくるのに身を任せ、痴情をあらわにひたすら、乱れるばかり。
夫は稼ぎ、妻は不義をはたらく。
いいじゃないの。あたしは商家の女。お武家さまとはわけがちがう。
いまはただ、ひたすらに。酔っていたい。莫迦になっていたい。
女はなおも求め、男はなん度も身を重ねた。

男の掌が、まだおときの乳房にあった。
片手間のようにまさぐる手つきが、痴情の余韻をまだやどしていて、
時おり想いを深めて素肌に迫ってくる。
こんな有様をこの大店の使用人が目にしたら、ひっくり返ってしまうだろうか。
それともそ知らぬ顔をして、通り過ぎてゆくだろうか。
あるじのお仕込みのよろしいこの店のことだ。きっと素通りしてゆくに違いない。
男はおもむろに、女に訊いた。

「おみよは幾つになった」
「ハイ、今年で十六に」
おみよはおときが嫁いですぐにもうけた娘で、男の児に恵まれなかったこの家の惣領娘だった。
あるじは働き者ではあったが、子種にめぐまれないらしかった。
なかには口さがないものがいて、あの娘もお内儀が嫁ぐまえに、実家の使用人相手にできた子だと陰口をたたくものがあったのだが、それは違うと幻真は思っていた。
つるりとした娘の面貌は、おときよりもむしろ、庄次郎に似ていたのだから。

「あの小娘も、わしと初めて契ってから、はやみとせになるか」
幻真が露骨なことをいうと、おとせもさすがに母親の顔に戻っていた。
「困りますよ、あまり軽々しく仰ると。評判になります。嫁にいけなくなります。婿も取れなくなります」
「そなたとの仲も、ご城下で知らぬ者はおらぬまい」
「妾(わたくし)と嫁入り前の娘とでは、違いましょう」
「ははは。そう申すな。あの娘には近々、婿を取って、跡取りを決めねばなるまい」
幻真はまるで、この大店のあるじのようなことを言う。
「幻真さまのお種が、いただきたかった」
女もまた、こわいことを口にした。
「わしの種ではの・・・そんなものができたら、寺に入れて坊主にするしかない」
あるじだけが知っているという、この家の長男坊の仕儀を、このお内儀は聞いているのだろうか?
「わしの部屋には、おみよも寄越せよ」
「妾しだいでございますとも」
「ということは、母娘で毎晩通うということだな」
「おたわむれが過ぎます」
「構わぬ、そなたも時には亭主と寝るがよい。娘に代わりを務めさせれば済む話」
「まあ」

今夜はつきっきりですよ、というお内儀に、幻真は悪戯心を沸かせていた。
「あるじとも一献、まいりたいの。今夜はおとき、夫婦の寝間に戻るがよい」
「え・・・?」
抱いてはくださいませぬの?と言いたげなおときのおとがいを掴まえると、男は囁いた。
「あるじの前で乱れるのも、また一興であろうが」

ははは・・・ふふふ・・・
性悪な男女の忍び笑いが、昏くなった窓辺を染めた。
あるじは幻真の、たちのよくない性癖をじゅうぶん心得ているのだろう。
今ごろ早手回しに、お銚子の支度をしているはずであった。





「ご下命を受けてきた」
河原太郎左衛門は、おごそかな顔をして、妻女の芙美に告げた。
「であるからによって、そなたも左様心得るがよい」
「は・・・はい」
瞬時でもうろたえたことを恥ずるように、芙美は茶室の畳に三つ指を突いて頭を垂れた。

仲睦まじい夫婦のあいだで、茶事は日課のようなものであった。
「ご逗留のあいだ、わしはこの茶室には足踏みをしない。人も立ち入らせない。よいな」
「心得ました」
神妙に頭を垂れる芙美は、夫の言を反芻するように、須臾の間目線を畳の上にさ迷わせた。
「名誉のことであるぞ」
「もとよりのことでございます」
芙美は初めて夫の目を見返した。
当家に嫁入って、はや二十年が経とうとしていた。
すでに嫡子の勇之進は一家をたて、夫婦とは別棟を構えている。
大身の家柄にして、初めてできることではあった。
「かえってそのほうが、好都合であろうの」
夫の言いぐさに、妻もまた肯いていた。

夫婦の間で交わされた謎めいたやり取りに、耳をそばだてるものはいなかった。
太郎左衛門は語り終えると、なにごともなかったような顔つきで、妻女にいった。
「さて、もう一服いただこうか」




幻真と名乗るその五十年輩の男は、藩では古くから、ひどく重んじられ畏れられているという。
彼の事績がもっとも古く残るのは、あの治水工事のときのことだった。
出どころ不明の人々を差配した幻真は、一夜にして堤を築きあげ、あばれ河の氾濫を防いだのである。
それがかれこれ、百五十年も前のことだった。

そのおなじ人間が、まだこの世にあって、しばしば城下に現れるという。

さいごに現れたのは、二十年ほど前だった。

藩政を壟断していた家老が驕慢のあまり家中を乱したさい、ご公儀にも知られずにことを裁くことができたのは、ひとえに幻真のおかげであったという。
秘密裏に永の暇を賜った悪家老の家の末路も、だれ知らぬものはなかった。
はばかりの多いことだったので、記録に残されることはなかったから、見聞きした者たちがいなくなったあかつきには、すべてが忘却のうちに葬られることだろうが・・・

当時四十を過ぎたばかりであった家老には、嫡子夫婦と己の妻、それに還暦を過ぎたばかりの母儀をもっていた。
永蟄居を命じられた当主が引き籠る離れからは、母屋で行われていることすべてを、気配で察することができたであろう。

嫡子は寺に入り、お家は断絶。

夫に去られた若妻は、たちまち幻真の餌食にされて、邸の広間で幻真に組み伏せられ、生き血を吸われた。
白昼の狼藉に泣き叫ぶ声が、邸じゅうに響き渡ったといわれている。

家老の妻女もまた、自らの節操を泥濘にまみれさせる仕儀と相成った。
それは離れにほど近い庭先で行われたという。
驕慢に満ちた態度もとともに謳われた城下一の美貌を悔しげに歪めながら、
豪奢な打掛姿で幻真に対し、脂の乗り切った膚をあらわに庭先で乱れたという。

年老いた家老の母儀さえも、おなじ災厄を免れることはなかった。

家老の広壮な邸は売り払われ、跡地には女郎宿がたった。
幻真がどこぞから連れてきた手練れの女将が差配する宿で、
気位と精気を抜き取られた妻女たちは、武家の身なりのままに客をとって、春をひさぎつづけたという。




「なんとか儂だけで、ご勘弁願えぬものですかな」
河原太郎左衛門は、なにごともなかったような温顔で、相手を視た。
男が唇を吸いつけたあとには、かすかにではあったが、まだ赤い血潮が撥ねている。
傷口に帯びた痺れるような疼きは、尋常のものではない。
修練を積んだ武家ですら、取り乱しかねないほどの、濃い誘惑に満ちている。
じんじんと疼く傷口に顔をしかめながら、太郎左衛門はなおも、淡々と告げていた。
「芙美にこのような目をみさせて、あれの節操を試すようなことをするのは、不憫ですでな」

幻真と名乗るこの男の、苗字すらも訊かされていない。
はたしてそれが本名なのかどうかすら、分明ではないという。
そのような素性妖しきものに、わが妻女を―――
ひとりの男として、そう思わないわけにはいかなかった。
まして、藩の権柄づくで妻女の節操を地に塗れさせるなどという恥辱を受けるいわれは、どこにもなかった。
いっそのこと・・・若者のように暴発しかけた太郎左衛門のことを制したのは、三十年来の上役だった。
「儂にも所存がある。こたびのことは、忍んで享けよ。まずは幻真どのに逢うてから所存を決めてもよろしかろう」
短慮はならぬぞ、といったその上役もまた、妻女を密通されていたと知ったのは、だいぶあとのことだった。

「貴殿を辱めるつもりは、毛頭ない。御当家の名誉を穢すつもりも、もちろんない。家老殿のことがどうやら、悪く伝わっているようですな」
幻真の言葉に、太郎左衛門は、もしやご下命の内容は僻事ではないかと思ったほど、彼の態度は慇懃を極めていた。
けれどもその見通しは、すぐにくずれた。
―――ご妻女に、懸想をしておる。見染めたのは、昨年の秋。晩龍寺に参詣されておられたであろう。
男の言い方は、直截的だった。
晩龍寺は、例の家老の嫡子が隠棲している寺であった。
遠縁でもある河原家は、しばしばこの寺に詣でて、かつての家老の嫡子とも親交があったのである。
そのときの妻女の立居振舞も、帯びていた着物の柄も、なにもかもが、芙美のそれと符合していた。
―――ご妻女をお見かけしてから、儂は狂ってしもうた。この鬱念晴らすには、ひと夜ふた夜では、とうていすまぬ。
掻き口説く口ぶりはまるで狂人のようであったが、同時に男がただ者ではないことも、太郎左衛門は知るのだった。
お城に出仕して数十年。そのあいだに見聞きしたこと、交わしてきた言葉のすべてが、この男が瞠目に足る人物であることを告げていた。
小半時も言葉を交わしていたであろうか。
さいごに力なく呟いたのは、太郎左衛門のほうであった。
「この齢で、妻女の不義を見届けることになるとは、思いも寄りませなんだよ」
「不義ではござらぬ」
幻真は言下にいった。
「ご厚誼と承りたい」





茶釜のお湯が沸き立つシュウシュウという音を耳にしながら、芙美は淡々と茶事に集中した。
傍らに居住まいを正しているのは、夫ではない。
そもそも夫以外の男を一人でこの茶室にあげたことは、初めてだった。
男女でひざを交え、差し向かいになるということが、思わぬ恥辱をもたらす・・・武家の婦女として当然わきまえてきたはずのことであった。

客間で引き合わされた幻真は、思いのほか涼やかな面貌をもっていた。
頬の輪郭が濃く彫りの深い顔立ちに永年の労苦が滲んでいるのを、炯眼なこの婦人は、ひと目で見ぬいていたのだった。
百年以上もまえに一夜堤を築かれた・・・というのも、僻事ではないような。
そう思わせる風儀が、この男には漂っていた。
それと同時に―――
この男は極端なくらいの脆さをも、兼ね備えている。
それに気づかないわけには、いかなかった。
深手を負って、息も絶え絶えな男。
それだのに、己に無理強いして、ほほ笑みしか見せていない。

永年連れ添った自慢の妻女を、いよいよひきあわせる というときに。
太郎左衛門は幾度も逡巡し、己の逡巡を恥じ、己を叱りつけて強いてこの座に自らを引き据えた。
余所着に使っている緋色の単衣に身を包んだ芙美が姿を現して、客人の視線に注視されると。
思わず、生贄を捧げるもののやり切れなさが男を一瞬浸したけれど。
太郎左衛門もまた、人の目利きでは妻女に劣るはずもなかった。

十年に一度。
節操高き武家の女を数名、懐抱せねばならない性を、河原家として受け容れる覚悟が、一瞬にしてできあがっていた。
「当家自慢の妻女でございます。ふつつかではございますが、どうぞご存分に果たされますように」
太郎左衛門は、これから芙美を穢そうとする男に、深々と頭を垂れた。
「貴殿の欲するところは、当家の名誉とするところにて候」

しずしずと去ってゆく妻女の衣擦れの音が遠ざかってゆくのを、太郎左衛門は目を細めて聞き入っていた。


育ちの良い、楚々とした立ち姿。
武家の妻女らしい、無駄のないきびきびとした立居振舞。
ふとした口吻から窺える、深いたしなみと高い教養。
そのいずれもが、幻真を惹きつけてやまなかった。
あの晩龍寺での、参詣の折そのままであった。

晩龍寺の住職は、十年前に失脚した家老の嫡子であった。
芙美との面談に応じた彼は、男子としては繊弱な細面に笑みさえ浮かべて、当時のことを語ったのだった。

わたしこそが、罰を享けねばならなかったのです。妻女にそれを追わせてしまったのは、拙僧生涯の不覚でありました。
身を淪(しず)めて身体をこわした妻女を身請けして、尼寺に入れて下さったのも幻真さまでございまする。
いまは恨みも消え果て、ただ感謝と誇りだけが、不思議と胸中を去りませぬ。
妻女の身から若妻の生き血を召されたこと、昼日中からうら若き身で幻真どのの煩悩を去らしめたこと。
妻女のしたことを、拙僧いまは誇りに感じておりまする。

はたして妾(わたくし)は、誇りを感じることなどできるだろうか。
これからなされてしまうことに対して・・・

芙美がもの想いに耽った一瞬の隙を、幻真は見逃さなかった。
気がつくともう、彼女自身の身体が男の猿臂に巻かれているのを知って、芙美はうろたえた。
「なりませぬ」
かまわず、男の唇が芙美の襟足を這い、うなじに近寄せられる。
「なりませぬ」
掻き抱いた両掌が、着物のうえから芙美の肢体をまさぐり、節くれだった指先が、えり首に忍び込む。
「なりませぬ!」
女は身を揉んで抗ったが、婦女を凌辱することに狎れた男のやり口を遮ることはできなかった。
無体な狼藉など、この身に及ぶとは、夢想だにしなかった数十年の生涯の果て―――このような恥辱を享けねばならないのか?
芙美は悔しげに唇を噛み、忍び泣きに泣いた。

男はそれでも容赦なく、手を緩めることなく芙美を責めつづけた。
解かれた帯は茶室の隅にとぐろを巻いていた。
結わえをほどかれた黒髪は背に波打って、ユサユサと揺れつづけた。
はだけられた襟足から覗く乳房の輝きに、女は恥じ入って目を逸らしたが、
下前を割られていたことには、不覚にも気づいていなかった。

ヒルのようにヌメヌメと這う唇に、グッと力が込められる。
ああ・・・
生き血を吸われてしまったら。もうおしまいだ。
女の想いとは裏腹に、尖った異物が素肌を冒した。
圧しつけられた犬歯が皮膚を破り、ずぶずぶと埋め込まれる。
首すじに撥ねた血潮のなま温かさが、濃い敗北感となって女の胸に黒い影を落とした。
夫が何日もかけて、己の血だけで満足してもらおうとしていたのは、このためだったのか。
じりじりと痺れるような、咬み痕の疼き。
そのままじゅるじゅると啜られるたびに、頭のなかが真っ白になり、魂まで吸い取られるような気がする。
それが悦びに変化するのに・・・さして時間はかからなかった。

男の掌が、あらわになった乳房をわがもの顔にまさぐりつづける。
ああ・・・
いちど受け容れてしまったら、どうして耐えることができようか。
膚を許す殿方は、夫ひとり―――つい数日前まで、そのつもりであった。
永年心を温め続けてきた想いが、いまや覆されようとしている。
その事実が、こともなげに、目のまえにあった。

しみ込んでくる指先の感触が。
あてがわれてくる唇の熱さが。
命がけで節操を守ろうとする女の手足を、痺れさせる。
「なりませぬ。な・・・なりませぬッ!」
芙美は歯を食いしばり、河原家の妻女としての務めを全うしようとした。
手足をばたつかせ、男の意図をさえぎることで。
下腹に衝きあげてくるものが、すべてを塗り替えたのは、そのときだった。
ずぶ・・・
女にも、切腹ということはあるのかもしれない。
芙美はあとから、そう思ったという。
衝きあげてくるものは硬く猛くいきりたっていて、女の秘所に乱入してきた。
熱いものを吐き散らされるのを感じ、自分の節操が好みから喪われたと知ると、
女の身体から、すべての力が去った。

なり・・・ませぬ。いけ・・・ませぬ。人がまいります・・・
女はなよなよとした声色で、甘く囁きつづけていた。
芙美は歯を食いしばり、河原家の妻女としての務めを果たそうとしている。
足袋を穿いたままの脚を大またに開いて、男の劣情を我が身に受け止めて。
河原家の妻女の貞操を蹂躙されることを、自らの歓びに変えていったのだ。

ご主人・・・さまよりも・・・いえ、太郎左衛門よりも・・・幻真さまが・・・好き。

障子一枚隔てた外では、折からの寒気に震えながら。
妻の裏切りを言葉で洩れ聞いた男は、べつの昂ぶりから、もういちど身震いをする。
つぎは、勇之進の妻女の番じゃな。
十七で嫁いできたばかりの、まだ童顔の稚な妻。
幻真どののお口に、合うだろうか―――
魂の入れ替わった男は、驚きながらも不承不承に肯いた跡取り息子が目じりに泛べた好色の翳りを、見逃してはいなかった。
救国のひとを、煩悩から救ったことで。
汚された節操は、じゅうぶんに報いを受けたのだろうか。


あとがき
珍しく、二時間くらいかかりました。A^^;
ひさびさの時代ものの登場です。
前作は、「武家女房破倫絵巻」。
このたいとるで、けんさくしてみてくだされ。^^
前の記事
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次の記事
これで三度め ですね。

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