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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

”吸血病”

2014年01月26日(Sun) 08:19:12

”吸血病”が街に襲いかかってきたのは、ある日突然のことだった。
発生源が隣町であることは、どういうわけかだれも疑うものがいなかった。
その病が隣町を支配したのは、かなり以前のことだったはずなのに、
どういうわけか周囲には拡散することがなかったのだが、
あるときだしぬけに、なんのきっかけも認められないまま、
この街にも、入り込んできた。

血を吸われたものは、翌日別人のような蒼白い顔をして現れるから、すぐにわかった。
首すじには、ふたつ並んだ咬み痕。
それまで活発だった子も、ぼーっとするようになって、
けれどもふつうに授業を受けて、仲間と一緒に登下校をくり返すのだった。
不思議なことに、この病気で命を落としたものは、ほぼ皆無のようだった。

さいしょのうちこそ教師たちはあたふたとし、対応に追われ、
どこかに電話をしたり、書類を書いたり調査に出向いたり、
学校だよりに「吸血病が流行っています。ご注意を」なんて見出しをつけて、
まるでインフルエンザのときのように生徒全員に配布してみたり、
あまり効果のなさそうなことを、それなりにしていたようだったけれど、
しまいに”吸血病”がまん延してしまうと、もはやなんの対応もとろうとしなくなったようだった。
死者が出ていないことが、大きな理由のひとつだったのかもしれない。
僕たちですら、そのうち”吸血病”の流行を、さして深刻視ないようになっていた。


さいしょに隣町から入り込んだ吸血鬼がなん人いたのか、そんなことすらわからなかった。
というのも、血を吸うものの多くは、すでに感染してしまった周囲の人間たちだったから。
あるものは感染すると真っ先に自分の家族を狙い、家族全員の首すじを咬んでいた。
かと思うと別の家では、ひとりの知人の訪問をくり返し受けて、全員が彼に咬まれてしまっていた。
家族それぞれが別々のものに咬まれるケースも、少なくなかった。
夫は勤務先から、妻はご近所の奥さん仲間から。
子どもたちは学校のクラスメイトや、あろうことか先生から、”吸血病”を感染させられた。

症状は顔色が悪くなるのと、首すじに咬み痕が残るのと、あとは行動が緩慢になって始終ぼーっとしていることだった。
それ以上、日常生活にはまったく支障がないのが、特徴といえば特徴だった。
だれかの血を欲しがる・・・という症状すらも、出るものと出ないものがあった。
すぐに症状があらわれて、周囲にいる人間に見境なくとりつく者もいるかと思うと、
忘れたころに発症する者、かなり早い段階に咬まれたはずなのに、いっこうに発症するようすのない者もいた。

いちど吸血すると、血を吸ったものと吸われたものとの間には、新たな関係が芽生えるようだった。
というのも、いちど相手の血の味を憶えてしまうと、なん度もくり返しおなじ人間から吸血するのがつねだったから。
いちど血を吸われたものが別のものに血を吸われることもなくはなかったが、どちらかというと少数派のようだった。
というのも、吸血の要求はかなり頻繁で、複数の吸血鬼の相手をするのは、体力的に難しいからだった。
”吸血病”に罹患した者は、たいがい7~8人くらい、そうした供血者を作ると、それ以上新たな襲撃は行わない。
一定の食欲が満足されると、もうそれ以上拡大することはなくなるのだった。
つまり、”吸血病”に罹患すると、周囲の7~8人程度が感染して、
さらにそのうちのなん人かが発症して、同じ所行をくり返す・・・というわけだ。
このままいけば、街じゅうが吸血鬼化するのは、時間の問題のように思われた。
”吸血病”は、だれひとり死者を出さないという不思議な経過をたどりながら、街じゅうを蔽いつくそうとしていた。


クラスの三分の一が咬まれた段階で、僕はまだ、だれからも咬まれていなかった。
きょうふつうに接して、いっしょに騒いでいたやつが、つぎの日になると別人のように蒼い顔になって登校してくる。
さいしょのうちこそ僕たちは、そういうやつのことを気味悪がって避けていたけれど、
それが三人四人、六人七人、そして十人を超えてくると、そういうわけにはいかなくなってきた。
三分の一の人間を「しかと」していたら、学校生活が成り立たないではないか?
だんだんと、”吸血病”に対する僕たちの対応は、もっと冷静なものになってきた。
病気の流行と「同居」している という感覚が強くなっていた。
隣の席のやつが蒼い顔で登校してくると、すでに感染したやつが、「おっ、お前もか?」って声をかける。
咬まれたほうも、案外平気である。
「あー、隣のクラスの××に咬まれてさあ・・・」
なんて、咬んだやつのことを淡々と口にしている。
さすがにクラスのムードメーカーの三人娘といわれた、神田昭子、水森敦美、田所千恵子の三人が、そろって蒼い顔をして教室に入ってきたときには、だれからともなく「おー!」とどよめきが湧いたものだったが。

そのうちに、僕の中でひとつの欲求が芽生えてきた。
ある特定の女子の血を吸いたくなったのだ。
みんな次々に咬まれている。
僕も彼女にしても、いずれは咬まれて血を吸われてしまう。
彼女がそうなるまえに、僕が彼女の首すじを咬みたい。
そのためにはもう、自分の血なんて惜しくない。だれかにくれてやってしまおう。
そんなふうに想った女子・・・それは同じクラスの香坂朋恵のことだった。

香坂とは、小学校のころから同じ学校だった。
母親同士が仲が良く、だから顔を合わせることも多かった。
彼女ががらりと変わった、別人のようにみえたのは、中学に入ってすぐの頃だった。
入学して2~3ヶ月、僕は新しい友達とわいわいやることに夢中だった。
母親同士が仲が良いからといって、それが子ども同士の関係に与える影響は、そんなに大きくはない。
香坂は僕とは違う仲良しグループに属していたし、一年のときには違うクラスだったから、なおさらそうだった。
そう思い込んでいた僕の心の中身が入れ替わったのは、6月頃、彼女とぐうぜんすれ違った時だった。
濃紺の制服に黒のストッキングを穿いた彼女は―――別人のように大人びてみえた。
学年があがって同じクラスになると、僕は彼女と面と向かって口をきくのも難しくなっていた。

なんとか香坂の首すじを咬みたい。
というか、ほかのやつに咬ませたくない。
ぐずぐずしていたら、ほかのやつに香坂を取られてしまう。
彼女のまえですっかり小心になってしまった僕にとって、
吸血鬼の持つ力と欲求は、なによりの武器のようにさえ思えていた。

あるとき僕は、隣の席の水森が蒼い顔をして登校してきたのを見て、思い切って声をかけてみた。
「僕の血を吸わないか?」

水森はふしんそうな顔をして僕を見、すぐにかぶりを振った。
「オレ、男は興味ないから」
すでに母親と妹と、たまたま居合わせた妹の友だちまで咬んできた・・・という。
そう、どんなところにも、人の生き血を狙うやつはいるのだった。
香坂の周りにも・・・家族や友達にひとりやふたり、”吸血病”に感染した人間がいるに違いなかった。

父さんが蒼い顔になったのも、ちょうどそのころだった。
「僕の血を吸ってくれない?」
父さんが血を欲しがるのなら、血をあげるのも親孝行になるのかな。そんな気持ちもあったから、
当然そうしてくれるだろうと思ったのに、父親のこたえは意外だった。
「バカ、家族の血なんか吸えるか」

母さんが蒼い顔になったのは、それから数日後のことだった。
相手は、おなじPTAの役員だという。
言いにくそうにしていたが、それは相手が男だったかららしかった。
神妙な顔つきで報告する母さんに、父さんは意外なくらい鷹揚に、「それでいい」とだけ言った。
うかうかしていると、自分のなかの欲求が高まって、妻のことを咬んでしまうから。
そんな配慮もあるようだった。
そういう父さんも、勤めている会社の若いOLを三人も咬んじゃっていたというのを知ったのは、だいぶあとになってから。
母さんは僕の悪戯を見つけたときのように「まあまあ・・・」と苦笑をしただけで、
吸血の相手が異性だと知っても、それほど気にかけている様子はなかった。

そんな僕にも、やっとチャンスがめぐってきた。
体育の授業のときだった。
先週から蒼い顔になった力武のやつが、球技をしている最中に呼吸が上がってしまい、その場にへたり込んだのだ。
ダン、ダン、ダン・・・ッ
ボールのはずむ音が、体育館の広い空間を、耳鳴りがするようにこだまする。
「おい、だいじょうぶかよッ!?」
僕たちが声をかけると、力武は大柄な身体をよじらせるようにして、苦しげに白い歯をむいた。
「だれかの血が・・・吸いたい・・・」
「えー・・・」
周りの連中が、声をあげた。
すたすたと避けるように立ち去るものまでいた。
けれども力武の親友の武本は呟いた。
「しょうがねえな」
僕の隣の須々田も、無言で頷いた。
「ほかに、咬まれてもいいってやつ・・・?」
武本が周りを見回すと、さすがに尻込みするものが多かったが、僕は迷わずに手をあげていた。
「おっ」
予期していないところからの支援の手に、武本と須々田は僕の手を握り締めた。
親友の窮地を救いたいものたちの、連帯感があったのは間違いないだろう。

「ほら」
蒼い顔をいっそう蒼くして歯を食いしばっている親友のために、武本が体操着の襟首をはだけてやると、
「うぅう」
言葉にならなかったが、たぶん感謝を表したかったのだろう。
力武は武本を抱きすくめると、首すじを咬んでいった。
「あ、痛(つ)うぅ・・・っ!」
武本は大仰に声をあげたが、さほど痛そうにはみえなかった。
僕と須々田は、武本の肩や腕を抑えて、暴れられないようにしてやった。
抑えつけた腕のなか、武本の二の腕は力を失っていった。
ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ・・・
ひとをこばかにしたような音をたてて、武本の血を吸い取ると。
白目を剥いて転がってしまった武本をそのままにして、力武は須々田を狙った。
「おいおい・・・っ」
さすがに須々田があわてて、とっさに身をかわそうとしたけれども遅かった。
僕は須々田を後ろから掴まえて、逃げられないようにしたし、そうするまでもなく力武は、須々田のことを真正面から掴まえていた。
須々田も同じ経緯で、力武に首を咬まれた。

「すまねぇな」
力武は、ふたりに対する吸血を手助けした僕にそういうと、こんどは僕のほうへと近寄ってきた。
力武の口許には、吸い取ったばかりの親友たちの生き血が光ったままだった。
自分の顔がこわばるのが、自分でわかった。
「ああ、悪りぃ悪りぃ」
力武は体操着のすそをめくって、口許と頬とを大雑把に拭いた。
真っ赤な血が、体操着にべたべたと貼りついて、いっそう不気味なものになっていたが、
僕はもうそれ以上気にしなかった。
近寄ってくる力武をまえに、自分から体育館の床のうえに身を横たえた。
体育館の床は硬く、背中にごつごつときた。
目をつぶった僕のうなじに、力武の息遣いがあたった。
同級生の男子の息遣いが、まっすぐに迫ってきた。
それは、獣じみた熱気を持っていた。
数秒後、僕は自分の首のつけ根に、なにか尖ったものが埋め込まれるのを感じた。

ずずっ・・・じゅるうっ。
ほかのやつが咬まれているのをはたできくのと、自分の血を吸われているのを耳もとで聞くのとでは、ずいぶん違った。
ナマナマしい欲求が、身体にじかに伝わってくる。
尖った犬歯を刺し込まれた傷口は痛痒く疼き、けっして苦痛ではなかった。
どちらかというと、体操着の肩先に撥ねた血のなま温かさのほうが、気になったぐらいだった。

「悪りぃ、悪りぃな」
力武はそうくり返しながら、僕から吸い取った血を口許からしたたらせたまま、さいしょに襲った武本が寝そべっている足許へと這い寄った。
武本のふくらはぎは、赤と青のラインが鮮やかなハイソックスに包まれている。
「どういうわけかさ、脚を咬みたくなるんだよな」
力武は僕に言っているのか、たんに独り言をつぶやいているのか、どちらともとれない感じでそう口にすると。
武本のふくらはぎの、肉づきのいちばん良いあたり―――ちょうどラインの真上だった―――に、ゆっくりと咬みついていった。
ちゅー。
面白いような吸血の音だった。
ダン、ダン、ダン・・・
ボールの音の響きは遠ざかっていて、体育教師は僕たちを取り残して、練習場所を体育館の向こうの隅へと移動していった。

武本がほんとうにぐったりとしてしまうと、こんどは須々田の番だった。
須々田も濃紺のラインが三本走ったハイソックスを履いていた。
おなじことだった。
ちゅー。
ひとをこばかにしたような音をたてて、須々田は顔をしかめながら、血を吸い取られていった。
さいごに力武は、僕のところに戻ってきた。
「お前ぇも悪りぃな。ふだんそんなに仲良くしてるわけでもないのにな」
やつはそういった。
「構わないさ」
僕がこたえると、
「でも、まんざら関係ないわけでもないんだよな。うちの親もPTAなんだ。お前のお袋さん、うちによく来るんだぜ」
へえ・・・そんなものなのか。まあ、そんなに大きな学校ではないから、そういうこともあるのだろう。
母さんと香坂の母親も、仲良しだしな。
「咬んでもいいか?」
重ねて訊いてくる力武に、
「好きにしなよ」
僕は気前よく、そういった。
赤のラインのハイソックスは、きょうおろしたばかりだったっけ。
唇を吸いつけられるのが新品のやつで、恥を掻かずに済んだかな。
どうやら靴下破りが好みらしいこいつのために破らせるのなら、悪くないな―――そんな不思議な感情が、僕のなかに芽生えていた。
ちゅー。
僕の血も、あっけらかんとした吸血の音とともに、ずいずいと体内から抜き取られていった。

こんどは僕が、香坂を襲う番だ。
そう思っていた。
早くしないと、香坂をほかのやつに取られてしまう。
体育館で寝そべったまま血を吸われた須々田が履いていたのは、香坂がよく履いているハイソックスと同じ柄だった。
白地に濃紺のラインが三本走ったハイソックスは、かなり流行っていて、男女どちらもにも好んで履かれていたから、そういうことは珍しくなかったのだけど。
濃紺の三本のラインに赤黒いまだら模様を散らしながら吸血に耽る力武の顔つきと、
顔をしかめながら吸血されている須々田のようすとが、記憶のなかにひどく鮮明に刻み込まれていた。
そして時折、その須々田の顔が、香坂のそれと入れ替わってしまうことに、僕は苦しんだ。

体育の授業が終わった後も、
トイレに行ったとき、咬まれた同士で顔を見合わせて、お互いの顔が蒼くなったのを確かめ合って笑った時も。
吸血衝動は芽生えなかった。
下校途中でたっぷりと道草を食ったのに、それでも普段と変わりがなかった。
身体から力が抜けたようになって、よけいな気負いがなくなったようで、気分は決して悪くはなかったけれど。
かんじんのものは湧き上がってこなかった。
「あら、野見山くんじゃないの」
聞き覚えのある声が、僕のことを呼び止めた。
僕はドキッとして、ふり返った。
声の主は、香坂朋恵だった。
香坂は須々田と同じ柄の、濃紺ライン三本のハイソックスを履いていた。

いかん、いかん。
総身に鳥肌が立って、そのくせ顔がほてっているのを感じた。
血を吸い取られてしまったのに、どうして顔がほてるのだろう?
けれども間違いなく、僕の心身に訪れた変化は、気になる女子をまえに硬直してしまう、あのときの感覚のままだった。
「おう、これから帰り?」
僕はつとめてなんでもないような顔をした。
「顔、蒼いね」
香坂は核心をついてきた。
「ああ、力武のやつに、咬まれちゃった」
僕はなんでもないことのように、そういった。
香坂はそれでも怯えるどころか、目線をまっすぐに僕のほうへと向けてくる。
「そうなんだ・・・それは災難だったね」
「そうでもないさ」
きみの血を吸えるんだから・・・なんて口にする勇気は、どこにもない。
いま吸血衝動が押し寄せたとしても、果たして僕は香坂のことを組み敷いたり首すじを咬んだりなんて、できるのだろうか?
「訊きたいんだけど、血を吸われるとすぐに、だれかの血を吸いたくなるの?」
えっ?えっ?そんなこと、訊くなよ・・・
僕は戸惑った。もしそうだと僕が答えたら、香坂は僕に血を吸わせてくれるとでもいうのだろうか?
「うん・・・」僕はあいまいに、なま返事をした。
「そうなるのかなって、思ったんだけど」
案外、普段と変わらない・・・そういうと、香坂は納得したようだった。
「そういうものらしいね」
「え?そうなの?」
「うん、あたしの両親も咬まれちゃったんだけど、ふだんと変わりがないっていうし。”吸血病”にかかった人って、血を吸えるタイプとそうじゃないタイプと、両方いるみたい。野見山くんの場合はきっと、血を吸わないほうなんだよ」
えー・・・
僕は目のまえが、真っ暗になったような気分になった。
自分の言葉が僕にどれほどのダメージを与えたのか、まったく関心がないように、香坂はつづけた。
「そういう人って、心が優しい人なんだよね。野見山くんは血を吸われても、たぶんそうなるかなって思ってた」
ほめられているのか、見くびられているのか・・・
僕は複雑な気分になっていた。
「でも力武くんに咬まれるなんて、いかにもありそう」
「あいつがガキ大将だから?」
「ううん、そうじゃなくって・・・だって野見山くんのお母さんも、力武パパに咬まれちゃってるじゃない。あら、知らなかった??」


香坂が与えてくれたさいごの情報は、僕のことを決定的に、打ちのめした。
力武の親父がうちの母さんの血を吸っていて、
息子の力武が僕の血を吸っている。
まるで親子で支配されてしまっているようだった。
「気にしないでね。あたしの母さんも、力武パパの奴隷になっちゃってるんだから」
香坂はこともなげに、そういった。
ほんとうにそうなのか・・・?
だとしたら、だとしたら・・・
香坂、きみが咬まれる相手も、もしかして力武・・・?
僕の焦りや悩みなどいっこうに察していないらしい香坂の後ろ姿を、僕はただぼう然と、見送っていた。


「やっちまった。女子の血はやっぱりいいな」
力武は得意げに、自分の自慢を見せびらかしていた。
「うおー、お前だれを咬んだんだよ?」
武本が羨ましそうに、力武を見た。
「そうだそうだ。だれなんだよ?俺たちまだ、だれの血も吸ってないんだぜ~」
須々田もまた、吸血衝動に恵まれなかったらしい。
かといってお互い誰もが、咬まれる一方の境遇に堕ちたことをさほど深刻にはうけとめていなかった。
むしろそんなことにならないほうが気が楽・・・そんなことも、だんだんとわかってきた。
「うるせーな!お前えらには秘密だ、極秘!」
力武は弟分ふたりを追っ払うように、逞しい腕を振って威嚇した。
二人が「ちぇ」と言いながら立ち去り、僕も立ち去ろうとすると、あろうことか力武は、僕のことだけを呼び止めた。
「お前にだけはいっとく。俺が血を吸ったのは、香坂だ」
ああ・・・やっぱり・・・
目のまえが真っ暗になるようだった。
「けれどもな」
力武は今まで見せたこともないような、親しげな笑みを浮かべていた。
「お前えにはたぶん、勝てねぇや」
え?
問い返そうとする僕に、力武は小さな紙袋を手渡した。
「これ、香坂の履いていたハイソックス。お前にやるから」


「ふつう自分で咬んだハイソックスは、巻きあげることにしてるんだけど」
そうだったな。僕たち男子のハイソックスさえ、力武は咬んだあと僕たちの足許から引き抜いて行ったっけ。
「香坂は抵抗しなかったぞ。来たな・・・って顔して、平気で咬まれて。そのあと足許をねだったときに、言うんだ。あたしのハイソックス、野見山くんに渡してくれない?ってさ。
たぶんオレはこれからも、香坂の血を吸う。
でも香坂は俺には、なびかない。きっと。
お前のお袋さんとは、ちょっと違うな。
僕の恋敵はそういうと、あっさり負けを認めたように、僕に紙袋を差し出した。
紙袋を通して、柔らかな衣類の感覚が、指に沁み込んできた。
じいっと紙袋を見つめる僕に、力武はいつもの調子を取り戻していた。
「袋の中身は、オレ見てないんだ。入ってるのは案外、香坂のパンティかもよ」
たちのわるい冗談をひとつぶっこくと、「おいっ!」背中をどやしつけた僕に笑い声で応えて、やつは駆け足で立ち去っていった。
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