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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

郁夫ちゃん、遊ぼ。

2014年01月29日(Wed) 07:54:16

あなた、なにかに憑(つ)かれてるんじゃない?
妻の貴和子に言われて、郁夫は怪訝そうに妻を見返した。
この写真、ヘンだよ・・・
貴和子が指し示したPC画像―――それはほかならぬ、郁夫自身の女装した姿が写されたものだった。
決して視られてはいけないものを、妻に見つかってしまった。
浮気現場の証拠写真などよりも、はるかに恥ずかしいものだった。

「女装なんて、浮気されるよりも恥ずかしい」
面と向かって、そう言われたこともある。
それは結婚してしばらく経って、十代のころから続けていた女装趣味がばれたときの妻の言葉だった。
言葉の棘の鋭さに苦悶する彼の心境などお構いなしに、妻はたたみかけるように言ったのだった。
「全部捨てるわよ。いいよね?」
通販サイトのページをクリックするのに二時間もためらった挙句買った、初めての婦人もののスーツ。
初めての外出のとき、ドキドキしながら身に着けたウィッグ。
思い入れのある品々は、目にするのも忌まわしい汚物として、妻の無同情な手によって葬られていった。


そのときのことを”初犯”と呼ぶのであれば、いまはもう”累犯”と呼ばれてしまうのだろう。
「まだそんなことしているの!」
妻の絶叫は、ほぼ絶望に等しい本音を帯びていた。

あなた、子供なん人いるか、わかってる?
子供がいくつになったのか、自覚してる?
絵里だって、美優だって、お父さんがそんなことしてるなんて聞いたら、どう思う?
あの子たちと同年代の服着てるんだよ?

そう、郁夫のはまり込んでしまった趣味の対象ほとんどは、セーラー服女装といわれれる、女子中高生の制服にあったのだ。
このまま家庭崩壊まで、突っ走るのか。
どす黒い矢が心臓に突き刺さり、奥の奥までえぐり抜いていくような感覚に、郁夫は声にならないうめき声をあげる。

ところが数秒して、妻の目の動きが止まっていた。
「あなた、なにかに憑かれてない・・・・・・?」
PC画像を見つめる瞳には、疑念と恐怖が渦巻いていた。

もう責めないから、ありのままを言ってちょうだい。
女装していると、どこがいいの?
いや、いちいち否定したりしないから、思ったままを言ってちょうだい。
書くほうが伝えやすい?ボールペン持ってこようか?

矢継ぎ早の詰問に、郁夫はもうなにも話したくない・・・と、胸のふさがる思いだったけれど。
妻は強いて彼にボールペンを持たせて、書くようにと言った。
抵抗あるのはわかるけど・・・一家のあるじとしての義務だと思ってちょうだい。
気がつくと妻は正座していて、大真面目に彼のことを見つめていた。

だれか優しいお姉さんのような人が、いっしょに寄り添ってくれるような感覚。

どれほど時間がかかったのか、自分でも定かではない。
しいて書いたのが、この一行だった。

妻はいままでのように気味悪がるのではなく、夫の書いた一行を、じーっと見て、なんども読み返しているようだった。

あのさ、思うんだけど。

もうこれ以上、なぶりものにするのはよしてくれ・・・
そう思った郁夫の想いとは、まるでちがうことを妻は口にした。

ここに写ってるの、ほんとうにあなたなの?
あたし、思うんだけど―――
これって、その「優しいお姉さん」そのものなんじゃない?


貴和子の祖父は、地元の大きな神社の神主だった。
会ったのは結婚の時と、ひ孫が生まれた時に一度ずつ、会わせに行ったときだけだった。
その男が、あのときよりも長く白くなった顎鬚を垂らして、いま郁夫のまえにいる。
齢はとうに、八十を過ぎているだろう。
これで四回目になる訪問のいずれもが、いかにも神主らしい、真っ白な衣冠束帯姿であった。
眉毛はまぶたに垂れ下がるほど太く、それが男の表情をよりいっそうわからないものにしていた。

あなたも知っているでしょう?うちの祖父、憑きもの落としができるの。
あなた行って、お祓いしてもらってきてください。

お願いですから・・・妻の言をむげにするという選択肢は、すでに存在していなかった。

人に向かって口にするのはもとより、ボールペンで描いてさえ恥ずかしさを覚える、その感覚。
だれか優しいお姉さんが、寄り添ってくれている という感覚。
それはしかし、女性の服装で街の夜昼を徘徊する愉しみを覚えた彼にとっては、なくてはならないものだった。
そのひとはいつも、彼に触れるばかりの距離感で、影のように寄り添ってくれていて。
なにかを話しかけたり、励ましたり、慰めたりしてくれていて。
おかげで、いままでのいろいろなこと―――会社の上司につまらないことを言われたりとか、仕事上のつまらない齟齬とか、家族との些細ないさかいとか―――ひとつひとつは取るに足らないいろんなストレスの集積が、たまりたまって自分の心と体を蝕むのを、確実に和らげてくれていた。
―――だいじょうぶ。だいじょうぶ。わたしがついているから。
「優しいお姉さん」はいつも声にならない声でそう囁いて、郁夫のことを励まし続けてくれていた。
それは母にも妻にもない、彼の全てを赦し包んでくれる、蜜のように甘く寛容な優しさだった。

「お祓いをしてもらう」ということは、その「優しいお姉さんとお別れをする」ということに直結するのだと。
宗教にうとい郁夫にも、すぐにわかった。
それは嫌だ。どうしても気がすすまない。
何度も繰り返し拒んだ郁夫に対して、しかし主導権を握っているのは明かに貴和子のほうだった。
女装をしている、ということは、夫婦の間でそれくらい、決定的な力関係を生んでしまっていた。

家族のことを、考えないの?
いつまでもそんなことをやっていて、本当に許されると思っているの?
自分の義務を果たしてください。

秘密の画像を発見したそのときと同じ剣幕に立ち戻って、妻はたたみかけるようにそういって。
さいごにぽつりと、言ったのだった。

あなたのしていることって、その「優しいお姉さん」とやらと浮気しているのと、同じじゃないの。

ひとりで妻の祖父のもとに向かう道々、なんど思ったことだろう。
お別れしたくない。
何度も自分のことを救ってくれたお姉さんを、退治などしたくない。
家庭と職場との板挟みで悩む、たった独りの道を迷いつづける彼にとってのさいごの慰めまで不当に奪われようとしていることに、どうしても納得することなど、できなかったけれど。
夫であり父親であること。
社会のなかで生きていくためのそうしたよりどころを失わないためには、彼のまえに敷かれた道は、すでにひとつしか残されていないのだった。

現れた貴和子の祖父は、孫娘からすべてを伝えられているのだろう。
十数年ぶりの面会に、どうあいさつをしたものかと戸惑う彼を、有無を言わせず社殿の奥へと促していた。
神主というよりも仙人のような白髪と白髯の持ち主は、しばらくのあいだ、孫娘の夫のことをじーっと見つめた。
なにかを見通すかのような、冷徹な視線だと思った。
妻の無同情な目と、似ているようでもあり、まるきりちがうようでもあった。

あの・・・郁夫はおずおずと、問いかけた。
なにかに憑かれていると、あなたもお考えですか?
男はしずかに口を開いた。
呟くような、表情のない声色だった。
憑いているともいえるし、そうでないともいえる。

自分に寄り添う慕わしい影とは、本当に妻のいうように、浮気のようないかがわしい関係なのか?
そうしたものを慰めとして抱きつづけることは、家族に対する犯罪行為なのか?
もしもそれを失ってしまったとき、自分はいったいどうなるのか?なにをよりどころにしていけばいいのか?

訊きたいことは、いろいろあった。
神主といえば、宗教人だろう。
人の心の悩みを解決するのだって、役割じゃないのだろうか?

けれどもそうした郁夫の想いなど無縁なように、彼はさらに奥の間へと彼を促し、正座をさせた。
有無を言わさず、「悪魔祓い」をするというのだろう。

「お祓い」は、ものの数分でおわった。
まるで、おまじないのような、他愛なさだった。
「帰んなさい」
ぶっきら棒にそういわれたとき、神主はお祓いをするのをやめたのだろうか?と思ったくらいだった。
「たぶん、だいじょうぶだろう、と、貴和子に伝えんさい」
男は訪いをいれたときと寸分変わらないそっけなさで、郁夫にそういった。
「たぶん、な」
部屋を出ていく時、ちょっとだけ振り返って、神主はそうつけ加えると、郁夫のことを玄関まで見送るでもなく、自分のねぐらへとひきあげていった。


神主の霊験は、あらたかだったのだろうか?
郁夫の女装熱は、すっかり冷めていた。
ひた隠しにしていたセーラー服を妻が捨てると宣言したときも、出勤前のネクタイ結びに熱中しながら、なんの感興もなく頷くだけだった。
彼が女装をすることも絶えて無くなり、家庭にはうわべだけにせよ、平穏が戻った。
仕事は順調とも不景気ともいえないままに、ただ淡々と進行していって、
子供たちは結婚して独立し、彼は定年を迎え、そして夫婦で退職金を分け合って、離婚した。


いったいなにが、残ったのだろう?
あてもなく散策に出かけた公園の前は、柔らかな陽射しに包まれていた。
妻は分与された財産を老人ホームに入金して、ホームで作った仲間の中心になって、第二の人生を生き生きと過ごしているという。
娘たちは孫の顔を見せにお祖母ちゃんのいるホームを訪れることはあっても、郁夫が独り棲んでいる自分たちの実家であるはずの家には、近寄らなかった。
きっと、妻からすべてを聞かされているのだろう。
子どもたちにはなにも言わない。それが夫婦の間の約束だったはずなのだが。
彼らとはもう二度と、顔を合わせることはないのだろう。
自分には、もうなにもない。
家族の望む通りの平凡なサラリーマン人生を波風なく通り過ぎて、残されたものは独りきりの生活と、古い物たちに囲まれた日々。
あのお祓いは、けっきょく妻に利用されたというだけのことだったのか?
妻にとってのみ都合のよい後半生を、夫婦が過ごすために、彼はたいせつな宝物を失った。

浮気された。
彼の胸をもっとも強く突き刺したはずの妻の嘆きは、おそらく、愛情の裏返しとしての嫉妬などではなく、自分の夫が彼女のなかに女としての値打ちを認めなかったことへの怨嗟にすぎなかったのだろう。

たしかに、体裁のよいだけの月日は過ぎた。
そして、さいごまで夫を愛することができなかった女は、老いさらばえた身をそむけて去って行き、自分の幸せだけを追いかけて、いまは彼とは別の世界で暮らしている。
気がつくと、公園の入り口の手前で、郁夫は立ち止っていた。
公園のまえの通りは、細道だった。
周囲にあるのは、数十年まえと変わらない、あるいは郁夫がまだ若い頃から変わらない、昭和のたたずまい。
ふと彼は、だれかの聞き慣れた声を耳にしたような気がした。
「郁夫ちゃん、遊ぼ」
その声には柔らかなぬくもりがこもっていて、切ないほどの優しさと甘えたくなるような深い響きを帯びていた。
「ずっと離れていたね。でももういいんだよ。よくガマンしたね。えらかったね。だから、いっしょに遊ぼ」
塀の向こうに伸びた道は、行き止まりのはず。
その塀の陰から姿を現したのは、濃紺の襟首に三本のラインの走る、古風なセーラー服姿。
三つ編みに結わえた黒髪を肩先に揺らした彼女は、白いおとがいを輝かせ、無邪気な笑みを湛えている。
「郁夫ちゃん、遊ぼ」
少女の微笑みに郁夫はゆっくりと頷くと、白く乾いた道を、少女の佇むほうへと、しっかりとした足取りで近寄っていった。
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