淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・
米良夫人の述懐
2014年06月29日(Sun) 08:35:52
見も知らぬ夫のライバルの名前を出されて。
あいつよりも上に行きたい・・・なんて言われたって。
そんなもの、実感が伴うわけがない。
だからどうなの?そんな反撥を、妾(わたし)は露骨に顔に出したことさえあったけど。
どうやら鈍感なあのひとには、通じていないみたい。
あとにしてみればあのころの主人は、出世欲に目がくらんでいたのかも。
あなたの夢は、わたしの夢。
そんなこと・・・
ドラマの世界のなかだけのことだって、妾はいまでもそう思う。
妻と夫はどこまで行っても、同床異夢。
あのひとは妾のことを、いったいどれほどわかっているというのだろう?
田舎に出ることになった。創立者の出身地にある事務所だ。
閑職ではあるけれど、一度経験すると昇進に有利なのだ。
はい、それはもう、わかりますとも。
けれどもそのあとの言い草は、何・・・?
その土地には淫らな風習があって、土地の男衆はむやみと人妻を抱きたがる。
転勤で移り住んだ家のものたちも、例外ではない。
だからきみも、あの土地に移り住んだら。
見ず知らずの男に、犯されるかもしれない。いや、たぶんきっと、犯される。
それも日常的に、姦られてしまう。
相手は単独ではなくて、複数のことだってある。
そのうえ相手が吸血鬼だったりしたら、血を吸い取られるかもしれない。
でもちゃんとした協定があって、致死量まで吸われることはないから安心・・・だなんて。
いったいあなた、何を考えていらっしゃるの・・・?
きみは俺が出世できなくてもいいのか?って、仰いましたよね・・・?
そんなもの。
じゃああなたは自分の奥さんが、意に沿わない相手に抱かれても平気でいられるの?
あなたの緻密な計算のなかに、妾の気持ちって、どれくらい入っているのかしら?
さいしょの相手は、もう唐突だった。
婚礼の手伝いに出たときのこと。
村長の甥御さんの婚礼だから、それなりの格好をしてきてくれ・・・主人にそう言われて。
さいしょは着物にしようかって、思ったくらい。
どうしてスーツにこだわったのか・・・そう、あの男たちの好色な視線は、妾の都会ふうの服装にまで注がれていたから。
そう。主人は妾がスーツ姿のまま襲われるのの、まさに片棒をかついだのだ。
さすがに気に入りの真紅のスーツは控えたけれど・・・
代わりに着ていったスーツは、真っ白だったはずなのに。
妾の血潮で、真紅のまだら模様に染められて・・・
新調したばかりのその一着は、そのまま妾をものにした男の戦利品として、引き渡してやるほかはなかった。
息も絶え絶えになりながら。
自宅に運び込まれる担架のうえ。
失血のあまり薄ぼんやりとなった頭は思考力を喪っていて。
不安定に揺れる揺りかごのなか・・・蜘蛛の巣みたいに他愛なく引き破かれた肌色のストッキングが、足許にまだまつわりついている感触が、ただむしょうにうっとうしかったのだけ憶えている。
二度目にお目にかかったとき。
そのひとは、おずおずと蹲るように・・・慇懃に頭を下げて。
それでも妾の生き血を、臆面もなく求めつづけた。
真っ赤なスカートの下。
肌色のパンストのうえから、くり返しあてがわれる唇は。
こないだのように、すぐに咬みつく様子はなくて・・・ただひたすら、愛撫するように、キスでも愉しむみたいにして。
薄手のナイロン生地の舌触りを、確かめつづけていた。
ストッキングがお好きなのかしら。
すこし心のゆとりを取り戻した妾が、男にそう話しかけると。
男はビクッと顔をあげて。
ちょっと恥ずかしげに目を伏せて、低くみじかい声色で、「すみません」とだけ、いった。
そのときのことだった。妾のなかに、なにか黒いものがスッと、入り込むのを感じたのは。
いいのよ。
妾の声色は、ちょっと冷ややかだったかも。弁解するように、つけ加えてやった。
お好きなように、してくださいな。このあいだみたいに、咬み破っていただいても差し支えございませんから・・・
せめて言葉を丁寧にしようと努めたのは。
相手に対する怖れとかではなくて。
せめて自分を高く持していたい・・・そんな気分があふれてきたから。
あなたが抱くのは、レディなのよ。
ですからせめて、マナーくらいは守ってちょうだい。気遣いまでは、望めなくても。
妾の願望は、男にすぐに、伝わったみたいだった。
おずおずと伸ばした手は、妾の手を取って。
まるでこわれものを扱うような慎重さで、手に取った妾の掌を、目線の高さまでおしいただいて。
まだ血塗られていない唇を、手の甲にそっとあてがってきた。
乾いた手の甲に、男の唇にほんのりと帯びられた唾液が、じわりと滲む。
首すじからでも、エエでしょうか・・・?
男の田舎言葉を、妾は初めて、好ましいと思った。
ずぶっ・・・ずずっ・・・じゅうっ。
畳のうえに仰向けに転がった妾のうえ。
のしかかってきた体重が、息苦しいほど迫ってくるのを、無意識に拒みつづけながら。
首すじに吸いつけられた唇が、ヒルのようにうごめきまわって。
鋭利に裂いたうなじの皮膚からほとび出る血潮を―――ただいっしんに、啖らいつづけてゆくのを。
妾は淡々とした気持ちで、受け入れて。
甘えるように慕い寄ってきた男の上背を、まるで母親のように、抱きしめていた。
ほとんど同年輩、いや彼のほうが妾よりも、主人よりも、すこし上―――
そんな年齢差も。都会妻に田舎の貧農というステータスの隔たりも・・・
なにもかもが、そこにはなくて。
ただあるのは、求める男と、支配を許す女。二個の肉体がはずみ合わせる息遣いがあるばかりだった。
気に入りの真っ赤なスカートの裏地を、男の精液にしとどに濡らしながら。
妾はまるで娼婦のように、そのスカートを大胆にたくし上げて。
肌色のパンストに包まれた太ももを、見せびらかしてやっていた。
男は妾の太ももを、押し戴くように両手で撫でさすって・・・
薄地のストッキングのサリサリとした感触が、すっかり敏感になってしまった皮膚に、じわりじわりとしみ込んできた。
パンストのうえから、唇を這わされて。
さっきみたいに、よだれをべっとりとなすりつけられながら、舌触りまで愉しまれて。
挙句の果てに、口許から覗いた尖った犬歯に、パチパチと音を立てて、咬み破られてゆく・・・
あー・・・
妾は両手で目隠しをして。
男に迫られる歓びを照れ隠しするのに、けんめいだった。
二度三度と、男との逢う瀬は重ねられた。
主人はさいしょのうち、満足そうだった。
妻を政略結婚の道具にしてでも・・・そんなにまで会社での地位ってあげたくなるものなのだろうか?
女の妾には、たぶん永遠に、わからない。
妾はというと、でも決して不満ではなかった。
ほとんど途絶えかけていた夫婦の営みのすき間を、男の熱烈な愛撫が―――露骨な劣情を籠めてではあったけれど―――妾の身体の寂しさを満たしてくれていた。
さいしょは主人への、仕返しのつもりもあった。
夫婦に家でいるときでさえ、迎えに来る情夫をまえに。
奥さんを連れてかれちゃって、それをぼう然と見送る主人。
部下の奥さんの素行調査だとかなんとかいって、
妾が目のまえでラブホテルに連れ込まれてしまうのを、見守る主人。
黒くテカテカと輝くストッキングは、主人の網膜を、どんなふうに染めたのだろう?
それは、法事の手伝いに招ばれたさい、なん人もの男に押し倒されたとき以来、やみつきになっていた装いだった。
貧血でふらふらしながら帰宅した夜。
主人の帰りを出迎えずに、血の付いたワンピースのままわざとリビングで仰向けに寝っ転がって、おかえりなさいを言ったこともあった。
さすがに主人はあきれ果てたような顔をして。
熱心なのはいいが、たいがいにするんだね。
ちょっとため息交じりにそういうと。
待ってなさい・・・呟くように言い捨てて。
ぬるま湯でよく絞ったおしぼりを持ってくると。
ソファのうえに妾を横たえ、ひざまくらをさせながら。
はだけたワンピースのすき間から覗く、血と汗をあやした素肌を、拭ってくれた。
ほわっとしたぬるま湯の温もりが。ごく自然な手つきで、素肌のうえをくまなく行き交っていって。
妾はいつか、深い眠りに落ちていった。
彼からプロポーズを受けたのは、そんなころのことだった。
うちにきませんか?
ご主人、夜遅いんでしょう?
貴女が夕べ朝帰りしても、気づかなかったりしたんでしょう?
たしかに貴女は、ご主人の出勤時間に合わせて、朝の支度に間に合うよう、午前4時にお帰りになったのだけど。
それならうちに、来ませんか?
いっそのこと、苗字も私の苗字を差し上げましょう。
その代わり貴女は都会妻の身分を捨てて、ご主人が栄転した時には、別れてしまえばいいんです。
そんな彼の申し出に。
きっと、抱かれ始めたすぐのころなら、迷うことなく応じていたかも。
けれども妾の返事は、妾自身が驚くくらい、はっきりしていた。
それはやっぱり、できかねます。
そうですか・・・
男はそれ以上、言い募ることをしなかった。
どうしてだか、わかる?
教えてください。
妾が主人のところにい続けたからといって、あのひとが感謝してくれるわけじゃないと思うの。
でも、妾がいなくなったらあのひと、きっとしょげ返っちゃうからよ。
自分でも思ってもみない、理由だった。
けれどもきっと、それはほんとうの気持ちなのだろう。
言ってしまった後、胸の奥から澱みやわだかまりが一掃されて、気分がすっきりしたから。
そう、ぬるま湯で絞られたおしぼりで、汗をぬぐい取られたみたいに―――
あのひとに、越してきてもらうことにしたから。
ふだんは妾のことなどなおざりな主人が、不意に声をかけてきたと思ったら。
言葉の意味が唐突過ぎて。さいしょはなにを言われているのか、まったくわからないほどだった。
きみに家から出ていかれるくらいなら、彼にいっしょに棲んでもらった方が、わたしとしては嬉しいので・・・ね。
主人はあくまでも、妾のほうには目を向けずに呟きつづける。
自分の妻がほかの男の支配を受け入れてしまった という。
男の沽券にかかわるような事実を、あくまでも認めたくないといっているように、妾にはみえた。
妾は貴男に、感謝していますよ。尊敬もしていますよ。
かたくなにそびやかされた主人の背中を包むように、穏やかな声色になっている。妾はそう感じていた。
なんとかして、失われた夫の威厳を取り戻させてあげたい。初めてそんな気分になっていた。
彼にも言いましたの。妾は主人なしには生きていけませんもの・・・って。
真っ赤な嘘に、主人はまんざらでもなかったのかもしれない。「そう?」と、はじめて妾のほうを視た。
今まで見たこともない、とぼけた味のある瞳の色をしていた。
妾がほかの男を識ることで、主人も妾も、どこかで成長したのかもしれない―――そんな気が、ちらっとした。
あのひと、きみのことが本当に、好きなんだな。
半年もここにいたら、両手の数ほど男を識ってるはずなのに・・・きみときたら・・・
みなまで言わなかったのは、主人らしからぬ気遣いだった。
そう、妾が識っている男の数は、他の奥さんに比べると、そんなに多くはない。
それはあの方の情愛の深さなのだと、ずっと前からわかっていた。
たぶん妾は、主人から得られなかったものを、此処で初めて得ることができたのだ。
でもあのかた、うちにお招(よ)びしたらきっと、妾のことをあなたの前でも抱くわよ。
それでもいいのかしら・・・?そういうときだけは、二人で出かけようか?
越してきてくださるとしたら、生活の準備もあるし・・・そんなことも、きちんと決めておいた方がいいわね?
主人が、震える声で、いった。
たぶんそれは、屈辱のあまり・・・とかではなくて。
牡(おす)の昂ぶりを抑えきれないための声色だったはず。
いいじゃないか。きみのことを彼と分け合うわけだから。お互いゆずり合えばすむことだ。
かりに彼がきみを愛しているところをぼくに見せつけたい・・・って、いわれても。
よろこんで応じる心づもりだよ。
黙っていて悪かったが・・・今までも何度となく、そうしてきたことだからね。
きみたちは、じつに相性の良いカップルだ。
彼はわたしたちのこと、さいしょから目をつけていたみたいだけど・・・適切な選択だったね、お互いのために。
最愛のひとは、ひとりである必要はないのだと・・・このごろようやく、得心がいった。
わたしは妻の貞操を奪われたけれども、それと引き換えに、妻の愛人という心強いパートナーを得ることができた。
それから、都会への栄転の打診があったけど・・・今回は辞退したからね。
これからはせいぜい、きみが彼に破らせてあげるワンピースやストッキング代を稼ぐために、一生けんめい働くとするさ。
わかったわ。
妾も艶然と、頷いている。
じゃあ彼がこの家に来たら、妾は米良夫人兼、あのかたの娼婦・・・ということで、よろしいのですね?
イタズラっぽい、かわいいほほ笑み。
新婚以来、忘れていたかも。
その妾の笑みに引き込まれるようにして・・・主人の両の腕(かいな)が、妾をゆっくりと、包んでいった。
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