淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・
男友達に逢いに行く。
2014年07月20日(Sun) 09:05:19
「亭主にね、言っちゃったんだ。出てくるときに。”男友達に逢いに行く”って。」
紗也香さんはそういうと、イタズラっぽく、くすっと笑った。
僕は仰天して、屈託なくほほ笑む紗也香さんの丸顔を、まじまじと見つめるばかり。
「だってあたしたち、友達でしょ?だからこんなこと、しているんだよね?」
紗也香さんの首すじには、咬み傷がふたつ、綺麗に並んでいる。
さっき彼女を抱きすくめたとき、僕が咬みついた痕―――そこにはまだ、吸い残した血しおが、ほんのりと滲んでいた。
見ず知らずの男に襲われて、生き血を残らず吸い尽されてしまった後。
それでも生きているということがわかって、こみ上げてくる喉の渇きに、自分がこれからどういう生きかたをしなければならないのかをわかってしまって―――そのとき真っ先に狙いをつけたのが、紗也香さんだった。
余暇を利用して参加していた、同好のサークル。
僕を含めさえない年配者がめだつそのなかで、30そこそこの紗也香さんの若さと明るさと才気とは、周囲を圧倒するものがあった。
あの生命力が欲しい―――
そんな渇望が、理性を越えて、紗也香さんの後ろ姿に知らず知らず手を伸ばしていた・・・
吸血鬼になってからも、仕事には出ていたし、サークルにも出席していた。
帰る方角がおなじ紗也香さんと僕は、寄り道をしてよくお茶をしていたけれど―――しいて変わったといえば、そこだけだった。
僕がお茶よりももっと濃い飲み物を必要としていることを知った彼女は、自分が飲むのはあきらめて、僕だけに飲ませるようになっていたから。
「友達だよ―――ね?」
紗也香さんは人懐こい笑みを泛べた顔を近寄せて、僕の顔を覗き込む。
そう。そうとしか言いようのない関係―――血を吸ったり吸われたりしているのに、僕たちは友達。
僕がゆっくりとうなずくと。
もっと吸ってもいいんだよ、と、紗也香さんは血の滴る首すじを指さした。
明日はお仕事休みだから、と、つけ加えて。
ボーダー柄のTシャツに、デニムのスカート。軽々ウェーブした茶髪をなびかせて笑う彼女には、ラフな服装もぴったり決まる。
「女子高生みたいでしょ?」
紗也香さんはそういって、黒のハイソックスの足許を、恥ずかしがってすくめた。
僕はだしぬけに彼女の足首をつかまえて、ふくらはぎを吸っていた。
厚手のナイロン生地のしなやかな感触が、僕の舌先をスッと撫でる。
「あっ、ヤラシイ・・・」
紗也香さんは口を尖らせて抗議をしたけれど、本気で怒ってはいなかった。
逢うたびにふくらはぎに咬みつく僕のために、持っていたストッキングが全部破けてしまった彼女は、代わりに履いてきたハイソックスも、おなじように愉しませてくれるつもりらしかった。
念を入れてもう片方の脚にも咬みついて、黒のハイソックスに穴をあけているあいだ。
彼女は壁に上背をもたれかけて、窓越しに外を見つめていた。
なにか見えるの?
吸い取った彼女の血を手の甲で拭いながら、僕が訊くと。
「うん・・・ダンナ見に来てる」
紗也香さんはこともなげに、そう応えた。
「外は風強いね、寒そう」
ちょっと気の毒そうに呟く紗也香さんに、僕は思わず応えていた。
「寒いから、中入ってもらおうよ」
「奥さんに、お世話になってます」
僕が小さく縮こまってやっとの思いで、そういうと。
「いえ、家内がお世話になってます」
ご主人も僕に劣らず小さくなって、似たようなことを応えてきた。
紗也香さんは笑いをこらえた顔をして、面白そうにご主人と僕とを見比べている。
あの・・・
彼女に声をかけたのは、僕のほうだった。
「・・・面白がってます?」
とたんに彼女は笑いをはじけさせた。
「なんか、お見合いみたいー。二人とも、いつもらしくないー」
開けっ広げに笑う彼女の声が、気づまりな空気を残らず、吹き飛ばしていた。
吸血鬼が結婚している女の人の血を吸うと、その・・・セックスしちゃうって聞いたんですけど・・・
ご主人は言いにくそうに、しどろもどろに切り出した。
そう、きっと彼はそれが気になって、木枯らしのなかここまでやって来たのだろう。
男友達、という以上、相手は男なのだろう。
友達、という以上、そこには敵意は含まれていないのだろう。
どういうきっかけか、妻は自分以外の男と知り合いになって、
その男は吸血鬼なのに、逢っていて。
求められるままに血を吸わせる関係になっている。
そして多分、それ以上のことも・・・・・・・・・・・・
憶測はきっとそこまで延びて、臆病な足取りを止めたに違いなかった。
たしかに、そういうしきたりになっていた。
この街に棲み着く吸血鬼は、人を殺さない。
望んだ者以外、吸血鬼になることもない。
けれどもその代価として、女たちは貞操を要求された。
処女の生き血は尊重されたが、人妻はたいがいの場合、その場で男女の関係を結ぶはめになっていた。
たいがいの人妻たちはしっかり者で、そんな目に遭ったあとでも、びっくりするほどサバサバとしていたけれど。
僕が吸血鬼になったのは―――僕を襲ったやつが、僕の血を吸いながら、僕の心の奥まで読み取ったからに違いない。
吸血鬼になって、紗也香さんの血を吸いたい。
それが僕の、心の奥底に眠っていた強い願望だったから。
すでに彼女の血を吸うようになってから、ひと月が経過していた。
妻の行動がいつもより変わったのがその時期だと、ご主人も分かっているに違いない。
そう、サークルからの帰りが目だって遅くなっていたはずだから。
血を吸われたあと、彼女は身づくろいをして、それからご主人に顔を見られてもなにも起らなかったと言い張ることができるくらい顔色が戻るまで、僕といっしょにいたのだから。
血を吸われた女性は、セックスをすると、吸血鬼の活力を受けてほんの少しだけ、顔色を取り戻す。
彼女ももちろん、それを知っていたけれど―――僕たちのあいだには、そういう関係はまだ存在していなかった。
彼女は手の届かない人、高嶺の花。
四十を過ぎて独り身の僕は、いっしょにお茶をしてもらうだけでもよかった。
血を吸うことで彼女を愛することができるのに、このうえ夫を裏切らせることまで、どうしてすることができるだろう?
この齢になって・・・僕はどこまでも潔癖だった。
きっとこんなやつだから、女たちはだれも、僕に振り向こうとはしなかったのだろう。
けれども彼女の目線は、ほかの女たちとはちょっと、違っていたのかもしれなかった。
ご主人のいるひとに、そんなことを・・・と尻込みする僕を、
吸血鬼になったくせに、遠慮深いのは変わらないんだね。
彼女は笑ってぼくをからかって―――さいごに言った。「感謝するわ」
つまり・・・その・・・貴男は家内と・・・そういう関係に・・・?
しどろもどろの質問は、回答をじれったく待ちかねるように、おろおろと続いていた。
夫の質問を遮ったのは、またしても紗也香さんだった。
「ばっかねえ」
よどみのない、はっきりとした声色だった。
「してるに決まってるじゃない」
えっ?と驚いて振り向く僕に、紗也香さんは厳しい目線を返してきた。「なにも言うな」というように。
「それを知りたくて、ここまで来たんでしょ?だったらふたりとも、男らしくはっきりしなさいよ。
あたしとしては・・・だんなが彼氏を一発ぶんなぐって、それでおあいこにしてもらいたいんだけど。
なんならあたしのことも、平手で叩いちゃう?」
屹っとなった横顔が、窓から洩れる陽の光を受けて凛と輝いた。
「なぐってください。たぶんそれだけじゃ、すっきりしないと思うけど」
僕はご主人のまえに進み出て、頭を垂れた。
知らず知らず、平手で叩かれてしまうかもしれない彼女とご主人の間に入った形になっていた。
ご主人は僕よりも年若で、しっかりした目鼻立ちをしていた。
見るからに頭もよく、僕よりも逞しい身体つきをしていた。
決して派手な服ではなかったが、センスの良いものをこざっぱりと着こなしている。収入もたぶん、僕よりも上。
男として、あらゆる点で、僕よりも優位に立っていた。
ただひとつ、妻を寝取られている、ということを覗いては―――
「わかりました」
ご主人はむしろ悲壮な顔をして、僕をなぐろうとするためにこぶしを握り固めた。
けれどもそのこぶしが、僕に向かって振り下ろされることはなかった。
逡巡して宙を迷ったこぶしは、振り下ろされることなく力弱く彼のひざに落ちて、力を喪った。
「残念ですが、なぐれません」
人をなぐったことがないので、と、ご主人は意外なことを言う。
たしかにスポーツで、身体は鍛えましたがね。スポーツは、相手をなぐっちゃだめなんですよ。
なるほど、と、僕は納得した。男ふたりの目線が、初めて交わりを持った。
生命力のみなぎったまなこに、自信をそがれたみじめさはない。
「お友達、そういうことで理解しましょう。わたしは先に帰りますので、あとはごゆっくり」
最後のひと言は、自分の妻に与えたものだった。
玄関までご主人を送り出した紗也香さんは、さすがにひと息ついて。
「白けちゃったかな?」
やはり面白そうに、僕の顔を覗き込んだ。
「なんであんなこと言ったの?」
「え?」
ストレートに訊きかえされると、かえってこちらのほうがしどろもどろになってしまう。
「僕とやっている・・・なんて」
「あれでいいのよ」
紗也香さんはみじかくそう応えると。
「きょうこれから・・・ほんとうにしよう」
「えっ!?」
「しちゃおうしちゃおう!逢うときだけは、あたしがあなたのお嫁さんになってあげる」
あのひとのこと気にしなくっていいのよ、うちの亭主だって、外ではもてもてなんだから。
くやしいから浮気してやるんだって、ずうっと思っていた。
親友同士みたいに仲の良い夫婦。一見二人は、そう見えたけど。
案外それは、本音だったのかもしれない。
彼女はゆっくりとTシャツを脱いで、デニムのスカートのすそを、ちょっとだけたくし上げる―――
それが合図だった。
僕は獣のように、彼女を押し倒していて。
熱い呼気をはずませ合って、互いに互いの唇を、むさぼり吸った。
紗也香さんの唇は、尋常のしつこさではなかった。
このひとが吸血鬼になったら、どんな男でもいちころだろうな―――あり得ない想像をしながらも、僕も夢中になっていた。
紗也香は僕の女。紗也香・・・紗也香・・・
甘く匂う茶髪を掻きのけながら、もはや牙で酔わせる必要のなくなった首すじに、なまの唇を這いまわらせる。
ふたりは甘い言葉を囁き交わしながら、それでも紗也香さんは時々、どきりとするような露骨な言葉を口にした。
「あなた、ごめんなさい。紗也香は別の男の性欲処理に夢中なの」
「シンジさんのお〇ん○んって、あなたのよりもおっきいの!」
「あなた、見て、見てえ・・・紗也香、乱れちゃうっ!」
窓辺にたたずむ人影を、男も女も意識しながら。
熱っぽくもしつように絡みつく視線が、ふたりの”友情”を必ずしも厭うていないことを、確かめ合いながら。
帰りが遅いと夫が気をもむ気遣いを忘れて、自分のなすべきことに熱中していった・・・
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