淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・
女事務員の血
2016年01月11日(Mon) 18:30:43
夕暮れの公園で、その男は独りうずくまるようにして、ベンチに腰かけていた。
鈴尾の姿を認めると顔をあげ、「待っていたぞ」と、低い声でいった。
鈴尾は意思を喪ったようにふらふらと男に歩み寄ると、男の隣に腰かけて、スラックスをたくし上げた。
丈の長めの薄い靴下に透けて、白い脛が浮き上がる。
男はベンチから身体をずり落とすようにして地べたに這いつくばり、鈴尾の足許ににじり寄ると、
スラックスの下から覗くふくらはぎに、唇を吸いつけた。
ちゅうっ・・・
ひそやかな音が、薄闇を侵した。
ベンチからずり落ちて尻もちをついた鈴尾の血を、男はなおも吸っていた。
服は汚さないという約束だったのに、首すじに食いついた男は、彼のワイシャツに平気で血を撥ねかしている。
ストッキング地の長靴下に広がった裂けめからは、血の気の引いた脛が露出している。
ずり落ちかけた長靴下を所在なげに引き伸ばそうと、鈴尾の指がもどかしげに足許をまさぐっていた。
「喉、渇いているんですか・・・」
うつろな声になった鈴尾に、男は「すまないね」と言いながらも、なおも鈴尾の首すじを吸いつづける。
あー・・・
鈴尾が顔をしかめた。失血が限界に来たらしい。
男は残り惜し気に鈴尾の首すじから牙を引き抜くと、長い舌を傷口に這わせて、よだれをたんねんになすりつける。
男が分泌する唾液には、失血作用があるらしい。
なすりつけられたよだれは、じゅくじゅくとあぶくを立てながら、鈴尾の血をみるみる凝固させてゆく。
「生命は奪らない約束ですよね?」
すこし切り口上になった鈴尾を軽く受け流して、男はいった。
「仕事場に案内してもらう約束のほうは、どんなだね?」
「ああ・・・いいですよ・・・内諾も取りましたし・・・」
鈴尾は声の調子を落として、言いにくそうに応えた。
夕焼けの名残りが闇に吸い込まれてゆく空に、住宅街の屋根たちがくろぐろと、うずくまっていた。
この街は、吸血鬼の侵蝕を受けはじめている。いや、ほぼ制圧されてしまっている。
うわべだけでも平穏な日常がくり広げられているのは、
応対したものたちが賢明な選択を取りつづけているから。
そう、生命の保証と引き換えに自分たちの血を自由に吸わせるという。
鈴尾は、市内にある私立高校に、事務員として勤めていた。
街に出没する吸血鬼のうわさが出はじめた最初のうちこそ、自警体制が取られようとはしていたけれど。
オーナーである学校長の一族が、実験者である会長夫人が吸血を受け容れてからというもの、学校側の姿勢は正反対に転じた。
会長夫妻にその娘、娘婿である校長、校長の息子夫婦・・・と、だれもが血を吸われてしまった今は、もう陥落寸前といってよかった。
つい先日まで職員室に掲示されていた「吸血鬼から街を護ろう!」というスローガンの描かれたポスターは、もはやどこにも見当たらない。
それどころか、堅物で知られた事務長までもが、
「生徒の血を吸わせるわけにはいかんけれども、きみたちが自主的に協力するぶんには、構わんじゃないか」
などと言い始めていた。
そんな事務長の首すじにも、赤黒く爛れた醜い咬み痕がふたつ並んでいるのを、鈴尾は見逃さなかった。
そして――ひと月ほど前からは、その鈴尾までもが、帰り道を襲われていた。
吸血鬼たちは彼らなりに、学校に侵入するルートを求めていたのだ。
咬まれた鈴尾は、強引に手繰り寄せられるようにして、蟻地獄に堕ちた。
独り暮らしの境遇も、あだとなった。
彼のアパートは吸血鬼の巣窟になり、入れ代わり立ち代わり現れる彼らのために、鈴尾は自分の血液を供給するはめになった。
ふしぎと生命の危険は感じなかったし、彼らが摂取する血の量はさほど多くはなかったので、
たたみに転がされた彼は失血でぼうっとなりながらも、咬み痕に疼く痛痒さを、けっこう心地よく受け止めていたのである。
勤めから戻り、アパートで血を吸われ、大の字になって寝そべりながら余韻に浸っている時間が、彼はけっこう好きだった。
日常的に血を吸われていることは、まだ職場には黙っていた。
けれども、同僚の佐恵子だけには、それを告げていた。
大きな瞳を見開いて、佐恵子は怯えをあらわにした。
けれども、殺される気づかいはないらしい・・・というのを鈴尾の語気から感じ取った彼女は、必要以上に怖がったりはしなかった。
「ひとりでだいじょうぶ?もし具合悪くなるくらいだったら、あたしも協力するから」
とまで、言ってくれたのだった。
ストッキング地の長靴下を穿いた脚に好んで咬みつく・・・ときいてからは、
それまでの素足をやめて、ハイソックスやストッキングを穿いて来るようになった。
ちょうど秋の入り口だったから――彼女のみせたささやかな変化に、違和感を抱くものはいなかった。
勤務先である学校の事務室に男を引き入れる約束をしたのは、先週のことだった。
ふだん感情を表に出さないその男の顔つきが色めきたったのを、鈴尾は容易に見て取ることができた。
「嬉しそうな顔してやがる・・・って、思っているな?」
男は干からびた声色に戻って、そういった。
鈴尾が素直にうなずくと、男は言った。
「仲間がおおぜいいるんだ。協力してくれるお人がいたら、女でも男でも、しんそこ有り難いのだ」
さっきまでふんだんに鈴尾の血をむさぼったはずなのに、男の語尾は渇きに震えていた。
「仕事場に案内してもらう約束のほうは・・・」
男にそういわれたとき、鈴尾はさっき出てきたばかりの事務室を思い描いた。
佐恵子が、まだひとりで残業しているはずだった。
「今からでも、いいかい?」
鈴尾がうつろな声でこたえると、男はちょっとびっくりしたように彼を見た。
「思い立ったが吉日・・・というからな」
男のつぶやきには、実感がこめられていた。
血を吸われることに夢中になった男でも、自分の勤め先や家庭を襲わせるということは、かなりの抵抗感を伴うらしい。
当然といえば当然だが、血を吸った相手の意識をある程度意のままにできる彼らが、その程度の催眠しかかけずにいるのは、ある意味街の人々への好意といってよかった。
すべてを奪いたくない――そういう思い。
けれども、人形になっていな者たちにとって、家族や同僚の血を与えることは、結果としてはかなり高いハードルになっていた。
ふらふらと起ちあがった鈴尾のあとを、男はついてきた。
「きょうは・・・あんたひとりにしてほしい」
鈴尾の要求を、男はそのまま呑んだ。
学校に勤務する事務員を引き込んだのは彼だったから、その程度の抜け駆けは、役得として認められるはずだった。
鈴尾は、事務室には若い女が一人残っているだけだと言っていた。
たぶんそれが、鈴尾にとっては自信のある獲物なのだろう――男はそう、勝手に解釈した。
事務所のドアを開くと、暖かい空気が流れてきた。
ドアの音に振り向いた佐恵子は、そこに鈴尾を認め、ほぼ同時に鈴尾の背後に影のように寄り添う未知の男を認めた。
仕事の手を止めて佐恵子が起ちあがると、鈴尾は「シッ!」と一本指を唇にあてた。
起ちあがりかけた佐恵子は鈴尾のいうことに従って、再び席に着いたが、視線は未知の男から離さないでいた。
「賢そうなお嬢さんだな」
男の囁きに、鈴尾はだまって頷いた。
「あんたたちに協力してもいいって言ってくれている」
「それはありがたい」
低い声のやり取りは、佐恵子まで届かなかった。
男の姿が流れるように、こちらの席に近づいてくる。
相手が危険な意図をもってこの事務所の扉を開けたこと。
頼りの鈴尾さえもが、男の従属下にあること。
どちらもすぐに、察しがついた。
逃げなくちゃ。逃げないと血を吸われてしまう!
佐恵子のなかの理性は、鋭い警告を発しつづけた。
でももう、だめなのよ。彼があのひとを、ここに引き入れてしまった・・・
どんよりとした諦念が、佐恵子の心を占めていた。
「あの・・・どこから吸うんですか?」
血色がよく厚みのある唇から白い歯を覗かせながら、女は目の前でそう口走った。
女の口許からかすかに発する呼気が、若々しい生気を放つのが伝わってくる。
男はごくりと、生唾を呑み込んだ。
「賢いだけではなくて、もの分かりのよいお嬢さんでもあるようだな」
男は若々しい獲物から視線をはずさずに、自分の男奴隷のほうに向かっていった。
「協力してくれるって、言ってくれてるんです」
それが彼女を必要以上に傷つけないための唯一の護符だと言わんばかりに、愚かな男はそうくり返した。
「首すじからいただくんだが・・・ここでそれやっちゃうと、ブラウスや机が汚れるね」
具体的な情景を思い描いたのか、女の顔に恐怖がよぎった。
「安心しなさい。手荒なことはしない。それは鈴尾君がよくわかっている」
男は自分の同僚を襲う機会をくれた鈴尾に引導を渡すつもりでそういうと、
素早く女の足許にかがみ込んで、説明抜きで足首を掴まえた。
ブルーの事務服のジャケットの下、佐恵子は地味なグレーのスカートを着けていた。
スカートのすそからは、健康そうな血色をたたえたひざ小僧がのぞいている。
膝から下は、チャコールグレーのハイソックス。
リブ編みの縦じまが室内の照明を受けて、肉づきの豊かな脚線を浮き彫りにしている。
「靴下の上から咬んでもいいかね?」
佐恵子は男の嗜好を、鈴尾から聞かされていた。
「・・・破けてもいいです」
必要以上に口をききたくなかったのか、与えた答えは簡潔であからさまだった。
満足そうな笑みを含んだ唇が、ハイソックスの生地のうえから、押し当てられた。
ちゅうっ・・・
呪わしい音に、鈴尾は耳をふさいだ。
けれどもその忌むべき吸血の音は、いくら耳をふさいでも、彼の鼓膜へと侵入しつづけ、しみ込んでいった。
事務机のまえに腰かけたまま、佐恵子は気丈にも、背すじを伸ばして、しつような吸血に耐えていた。
チャコールグレーのハイソックスが咬み破られてくしゃくしゃにずり落ちてゆくのを、まばたきひとつしないで、見おろしていた。
片脚だけでは、男を満足させることはできなかった。
もう片方の脚をねだるそぶりをみせる男に、佐恵子はちょっとだけ口をひん曲げると、
それでも勢いをつけてスチール製の椅子を半回転させ、まだ咬まれていないほうの脚を差し伸べた。
ずり落ちかけていたハイソックスを、ひざ小僧の下までぴっちりと引き伸ばすのも、忘れなかった。
女のふくらはぎに再び牙を沈める前に、ちょっとだけ拝むそぶりをしたのは。
たぶん、彼女をからかうためではないのだろう。
しなやかなナイロン生地ごしに刺し込まれてくる鋭利な異物が、さっきよりは緩やかに埋め込まれるのを、佐恵子は感じた。
さいしょのひと咬みは、有無を言わさず強引に。
もう片方の脚に忍ばされた第二撃は、ひっそりと忍び込むように。
さいしょの吸い方は、ゴクゴクと荒々しく。
二度目のそれは、しのびやかにゆっくりと――
咬み痕に滲むじんじんとした疼きを、軽く歯がみをして抑えると。
左右かわるがわる咬みついて来る男のため、佐恵子はスカートのすそを抑えながら、ふくらはぎをさらしつづけた。
鈴尾はとうに、姿を消していた。
立ち去ってしまったわけではない。
佐恵子を独り占めにさせようとして、男に遠慮をして座をはずしたのだろう。
ちょっとだけ開かれた廊下に面した窓ガラスのすき間から、しつような視線があてられるのを、彼女は敏感に察していた。
鈴尾が佐恵子の身に、取り返しのつかないことをさせるわけがない。
そんな確信が、彼女の理性をかろうじて支えている。
自身の失血の度合いを推し量りながら。
男の抱える渇きがじょじょに満たされてゆくのと、
獣のような劣情を抱きながらも、彼女に対してはあくまで礼儀正しく自分に接しているのと、
廊下で待ちあぐねている鈴尾がどんな想いでいるのかということと。
それらすべてを理解できたのは。
いまを少しでも賢明に振る舞いたいという想いが、いちずだったからであろう。
廊下から出てきた男は、ドアを閉める間際に丁寧に会釈をしていた。
彼女が顔色を蒼ざめさせながらもそれに応えているのが、男のようすでわかった。
こちらを振り向いた男は、佐恵子から吸い取った血を、まだ口許に光らせていた。
鈴尾は思わず、目をそむけた。
男は、そんな鈴尾の様子を無視して、いった。
「まだ仕事が残っているから、残業を続けるそうだ。仕事熱心なお嬢さんでも、あるようだな」
賢いお嬢さん。
もの分かりの良いお嬢さん。
仕事熱心なお嬢さん。
どのほめ言葉も、彼女を汚していなかった。
凌辱した女をまえに、わざとほめ言葉で愚弄する手合いとは別であることに、鈴尾はわずかな救いを感じた。
鈴尾の顔つきがすこしばかり和むのを見て、男はいった。
「あんた、えらいな。あのお嬢さんも、えらいな。
明日から遠慮なく侵入させてもらうが、あのお嬢さんは侮辱しないし、させもしないぜ?」
鈴尾は苦々しげに、やっとの思いでいった。
「彼女は、俺の恋人だ。もうじき結婚する」
わかっていたさ。だから紹介したんだろう?
自分の秘密の片棒を担ぐには、やはりそういうひとじゃないとな。
あんたの勤め先がおれたちの手に堕ちるのは、時間の問題だった。あんたのせいじゃない。
知っているだろうが、おれたちは、セックス経験のある女は、つい犯してしまうんだ。
もちろん、侮辱するつもりじゃない。おれたちなりに、その女を賞賛しているだけなんだがな。
でもあんたら特に男性たちには、評判がすこぶるよろしくない。
だから、「侮辱」という言葉を使ったんだ。
彼女、処女なんだな。もうつきあってだいぶになるってのに。どっちもウブなんだな。
だから彼女は、最悪の事態を免れたんだ。
処女の生き血は、貴重品だ。
ほかのやつらに彼女の血を舐めさせることはあるだろが、あんたの気持ちは大事にするからな。
俺が彼女をほんとうにモノにするのは・・・その愉しみは、あんたらの結婚祝いに取っておくさ。
ひと言ひと言が、胸の奥に妖しく突き刺さった。
これからもきっと自分は、恋人の生き血を吸血鬼たちに提供しつづけるのだろう。
賢くて気づかい豊かな佐恵子が、ハイソックスを咬み破られながら、足許を冒される。
いずれは首すじまでも咬まれて、白のブラウスやブルーの事務服にも、血のりをあやすようになるのだろう。
忌むべき想像に昂ぶりを覚えてしまう自分を、いぶかしく思いながら。
いっぽうで、そんな恥知らずでいびつな衝動がどす黒く頭をもたげるのを、鈴尾はどうすることもできなくなっていた。
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