淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・
オリのなかのウサギ。
2016年01月26日(Tue) 06:56:32
ライオンとウサギがおなじオリの中に入れられたら、ウサギがライオンに食われるという結果しか考えられないように。
吸血鬼と勤め帰りのサラリーマンが夜の無人駅で出くわしたら、人間が吸血鬼に血を吸い取られるという結果しかあり得ないだろう。
その不運な若いサラリーマンは、無人駅の駅舎のなか、接続の悪いバスを待ちくたびれていた。
当地に赴任して間もなかった彼も、このかいわいで吸血鬼が出没することは知っていたので。
待合室のベンチで向かい合わせに座っている黒衣の老紳士が吸血鬼だということは、直感でわかった。
というよりも。
夜とはいえはた目にも目だつ長々とした黒マントを羽織り、顔色は鉛色で、目つきばかりギラギラ光っているやつを見かけたら、それは普通じゃないと受け取るのが常識というものだろう。
やなやつといっしょになっちゃったな・・・こっちのこと、あまり気にしないでいてくれると助かるんだけどな・・・
どんな種類の人間でも、想いは同じです。
けれども残念なことに、この吸血鬼は喉をカラカラにしているようだった。
なにかを我慢したげに、手にした水筒をしきりにいじりまわして、
ふたを開けては中身を飲み干そうとしている様子。
なかに入っているのは、携行用の生き血?
それをもしかすると、飲み干しちゃったということ?
自分がうら若い乙女なんかじゃなくてよかった・・・などと安堵するのは、早計というものだろう。
男の血なんか味気ないなんて贅沢を言っているゆとりは、相手にもあまりありそうになかった。
救いが少しでもあるとしたら――吸血鬼とおぼしきその男は、脳みその欠落したモンスターみたいなやつではなくて、いちおう理性だの知性だのも備えていそうな老紳士にみえること。
けれども見かけと中身がいっしょだなどと、このさい自分に都合の好すぎることは、考えないほうが身のためらしい。
バスはまだか。早く来ないか――この駅ではいつも、30分以上待たされる。
男は持っていた文庫本を、読みふけっているふりをしたけれど。
やはりどうしても気になるのは、向かいの男。
しかもあちらも、どうやらこちらのほうを、チラチラと窺っている様子。
そしてうっかり、目を合わせてしまっていた!
あんた、この寒いのに薄い靴下穿いているんだねえ。
老紳士は唐突に、そんなことを話しかけてきた。
え?
若い男は思わず、自分の足許に目をやった。
ああ、これですか・・・
彼はちょっと言いにくそうに、言い添える。
僕もちょっぴり、恥ずかしいんですけどね。
透ける靴下なんて穿いているの、周りにはまずいませんでしたから。
でもここに赴任することが決まると、父さんがくれたんですよ。穿いてくといいって。
父さん、いま僕が勤めている会社にいたんです。
というか、不景気で済んでのことで就職しそびれるところを、コネで拾ってもらったんです。
そういえば、父さんも若いころ、こんな靴下穿いていたんですよね。
いまどきこんな靴下穿く人いないし、意味よくわかんなかったんですが、
夏場は涼しいし、うちの事務所の男性はたいがい、こういうの穿いているんですよ。
都会では、よほどの年寄りしか、穿いているの見たことないんですがね・・・
いつになく饒舌になっている自分を訝りながら、それでも会話をしていると恐怖を忘れることに、少し安堵していた。
案外、世間話で切り抜けられるかもしれない――と。
けれども見通しは、甘くはなさそうだった。
老紳士は気の毒そうにいった。
そうそう、バスね、急に運休になっちゃったらしいよ。運転手が急病で、代わりがいないんだってね。
え・・・?
男は凍りついたように、老紳士を視た。
そういうわけで、きみはわしに血を吸われるしかないみたいだ。気の毒だったね。
えっ・・・あの・・・あの・・・そんな・・・えぇと・・・
恐怖で腰が抜けてしまったのか、若い男は身動きもできなかった。
気のせいか、ワイシャツの襟首から入り込む冷気が、スースーと肌寒い。
俺もこいつみたいに、冷たく鉛色の肌にされてしまうのか――
にじり寄ってくる老紳士を目のまえに、若い男はみじろぎもできず、拒否の意思を伝えるためにただ激しくかぶりを振るばかりだった。
首すじからは、やめておこう。
きみは初めてのようだし、暴れると血がワイシャツに撥ねるからね。
わしも、派手なまねは慎みたいんだ――
老紳士はそういいながら、若い男の足許にかがみ込むと、スラックスのすそをつかんで、ゆっくりと引き上げていった。
薄い靴下に透ける脛が、じょじょにあらわになってゆく。
濃紺の薄地のナイロン生地は、駅舎の照明を照り返して、微妙な光沢を放っていた。
男ものにしちゃ、ずいぶん色っぽいんだね。
老紳士は、フフフと笑う。
どういうんですかね・・・仰る通りですね。
若い男はかろうじて理性を保った応えを返しながら、ふと思い出す。
このあたりで吸血鬼に襲われるのは、老若男女区別がないけれど、不思議な共通点があることを。
吸血鬼は好んで、脚に咬みつくという。
襲われたのは、サッカー少年や学校帰りの女子高生。
勤め帰りのOLに、買い物途中の主婦、お通夜帰りのおばあちゃんまで。
ライン入りのサッカーストッキングに、通学用の紺のハイソックス。
肌色やねずみ色、濃紺や黒のストッキング。
だれもが老若男女の区別なく、穿いているストッキングやハイソックスを、咬み破られていたという。
この吸血鬼がその本人だとしたのなら――自分の穿いている靴下は、じゅうぶん条件に合いそうな気がした。
そんなことがきっかけで、狙われちゃったのか?
若い男の思惑などとんじゃくせずに、老紳士は薄い靴下のふくらはぎを目のまえに、舌なめずりをくり返している。
あの――血を吸われると、死んじゃいますよね?そのあと吸血鬼になっちゃうんですか?
ばかばかしい。
老紳士はほくそ笑んだ。
口許から洩れる呼気が、薄いナイロンを通して脛に当たる。
そんなことをしたら、エサはなくなる、競争相手は増える、ろくなことはないではないか――
なるほど。若い男は妙に納得した。
そういえば。
襲われた連中はなにひとつ変わりなく、なにごとも起きなかったような顔をして、いつもの通勤通学の車内で、顔を合わせているではなかったか。
迷惑だろうけど、ちょっと愉しませていただくよ。
上目づかいにこちらを見あげる吸血鬼に、もはや逆らうすべはなかった。
あ・・・よかったらどうぞ――
震える声で、思わずそう呟いてしまうと。
すまないね。
有無を言わさぬ強い語気で老紳士は呟いて、薄手の長靴下のうえから、舌を這わせてきた。
ぬめり・・・ぬめり・・・
生温かい舌を、いやらしく擦りつけられてきて。
薄手のナイロン生地はじわじわと、いびつなたるみを走らせてゆく。
気がつくと、もう片方のスラックスも、すそを引き上げられていた。
先に咬まれたほうの脚は、ずり落ちかけた長靴下に、裂け目をいく筋も、走らせてしまっている。
老紳士が愉しんだ痕だった。
なすりつけられた唾液がまだ生温かく、生地に沁みついている。
もう片方の靴下も、舌触りを愉しむようにして、いたぶり抜かれていった。
血を吸うのと。靴下をいたぶるのと。こいつにとってはどちらも、愉しいのだろう。
そう思わずには、いられなかった。
すまないね。悪いね・・・
老紳士は呟きをくり返しながらも、薄い靴下に舌を這わせ、牙をあてがい、咬みついてくる。
チクチクと刺し込まれてくる尖った異物が、いつの間にか快感を帯びた疼きを滲ませるようになっていた。
痛くないぢゃろ?
上目づかいの老紳士に、知らず知らず頷き返してしまう。
口許には、吸い取られたばかりの自分の血が撥ね散らかされているというのに。
むしろそんな光景さえ、眩しく映る。
ああ、どうぞ。こっちからも・・・
男が吸いやすいように、時折脚の角度を変えて、内ももやふくらはぎを、交互に咬ませてしまったりしている自分を訝りながら、若い男は自分も愉しみはじめてしまっていることを、いやでも自覚した。
そういえば父さんも、この街にいたときには顔色が悪かった――ふと思い出した過去の事実。
ほかに行き場はないのか?そうも訊かれたっけ。
仕方ないわねぇ。母さんが眉を寄せて父さんと顔を見合わせたのは、きっとすべてわかっていたからだろう。
この男はかつて、父さんの血を吸ったんだろうか?案外母さんも、吸われていたんだろうか?
仮にそうだったとしても、口の堅そうな老紳士が過去の交友関係を軽々と明かすようには、思えなかった。
悪いね。靴下チリチリにしてしまって。
老紳士は長靴下をみるかげもなく咬み破ってしまったことにはわびを言ったけど。
彼の血を吸い取ったことには、謝罪のかけらもみせなかった。
どうやら、オリのなかのウサギにはならずに済むらしい。
会話の通じる相手。共存できる相手。
都会の冷酷な上司や同僚たちよりも、どれだけましか、知れやしない。
父さんもそう思ったから、この土地に長くいたんだ。
僕が年頃になるまえに都会に戻ったのは、希望してそうしたんじゃない。
たぶん――僕に選択の余地を残したんだろう。
真人間として都会で生きるか。自分と同じように、吸血鬼の奴隷になり下がるのか。
でも彼はもう、いまの気持ちを恥ずかしい選択だとは感じていない。
奴隷じゃなくて――友だちってことでも、いいですか?
いつもの爽やかな目つきに戻って、白い歯をみせる青年に。
吸血鬼はゆっくりと、頷いている。
そのうち、きみの父さんや母さんも、連れてくるといい。
そうですね。それ、いいかもですね・・・
若い男は無邪気に、頷き返していた。
セックス経験のある女性とは、性交渉まで遂げてしまう――
そんな話も、わかっているはずなのに。
あとがき
長いわりに色気のない話で、ごめんなさい。(^^ゞ
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