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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

或子爵家の崩壊

2016年06月21日(Tue) 06:17:22

大きなボストンバックを両手に抱え、敏江は追われるように家を出た。
きのうまでは平穏に暮らしてきた家。
古風で気位の高い姑の、多少厳格な圧制があるにしても、自分が理屈抜きで折れることで、かろうじて家族の平安を支えることができた家。
そんな家を彼女は失うことになる。

他行先で引き留められて遅くなった帰り道を吸血鬼に襲われて、
生き血を吸いとられたばかりか、あまつさえ凌辱まで受けてしまったことが、敏江の生活を一変させた。
舅や姑の怒りをかい、夫さえかばう側には立ってくれなかった。
それどころか、報せを受けた実家までもが、体面を気にするあまり、彼女の里帰りを拒んだのだ。
帰る家とてない、行き先のない旅路に彼女は就くことを余儀なくされた。

見上げれば、鉛色をした空からは無情の雪。
その雪のなかを行き倒れるまて歩み続けるしかないのか。
悲嘆を通り越して感情をなくした彼女は、見送る人のない門出を独りとぼとぼと歩き始めた。

婚家だった家の門が、時おり振り返る視界から消えたとき。
目の前をひっそりとした人影が遮った。
この感覚――思い出した。彼のおかげで妾はすべてを喪ったのだ。
きっと睨んだ視線を軽く受け流して、男は慇懃に会釈した――奥さま、きょうはどちらまでお出かけかな?

お出かけですって?お出かけですって?
みなまで言えずに敏江は不覚にも嗚咽を洩らした――自分の操を劣情のままに奪い、こんにちの非運を招いた男にれんびんをかけられるなど、恥辱の上塗りに過ぎないはずなのに!
しかし男の態度はどこまでも変わらない。
敏江がこうして住み処を喪うことまでもあらかじめ予期していたかのように。
「奥さまがこうなった理由の大半は私にあるようだ。責任をとらせていただこう。ついていらっしゃい。ほかに行くところもないご様子だから」

あてがわれた一室は広々としていて、家具調度まで行き届いていた。
ボストンバックの中身はあたかも予定されていたかのようにすんなりと、それら調度のなかに吸い込まれていった。
滞在費はいっさい、男がめんどうをみてくれるという。
仇敵同然の男の好意など受けるわけにはいかないと言っても、聞き入れてもらえなかった。
男は言った。
「その代わり、奥さまのお情けをいただきたい」
と。
それがなにを意味しているのか、大人の女性ならわからないわけはなかった。
まして一度は「お情け」を受けてしまった身――
男がわざわざ立場を入れ替えて、献血を求める言い回しをしてきたことが、敏江の自尊心をかろうじて救っていた。
敏江は男に、無言の承諾を与えた。
夫に仕えて二年。親どうしの決めた縁組みで、さして愛情豊かとはいえない夫だった。
それでも一生添い遂げる覚悟で敬意を尽くして仕えつづけ、心の支えとしてきたはずだった。
そんな夫さえ、世間体と実母の機嫌を憚って彼女を見放した。
もはやここで生きていくしか、途はないのだ。

吸血鬼は意外なくらい、敏江に敬意をもって接した。
敏江の部屋に現れると手の甲に接吻をし、それからおもむろに首すじを咬んだ。
初めてのときのような荒々しい振る舞いは見せずに、上質のワインを賞玩するようにして敏江の血を嗜んだ。
敏江が貧血を覚え身体をふらつかせると危なくないようにと支えてくれて――それからやおらベッドに押し倒していった。
そして明け方にいたるまで、敏江を愛しつづけるのだった。

身体の調子が思わしくないときには、あえて敏江を酷使しようとはしなかった。
広い邸内には、敏江と同じような女たちが、なん人も囲われているらしい。
当面の欲求はべつのだれかを相手に選ぶことで、満たしているようだった。
むろん嫉妬など感じなかった。
奴隷ではない代わり、妻や愛人にされた実感も乏しかったから。
恐らく自分は、彼の特殊な嗜好を満足させる対価として、制約はあるものの恵まれたくらしぶりという優遇を受ける関係なのだと、敏江は理解した。

外部への連絡は自由だったし、外出を禁じられた覚えもなかった。
けれども敏江はどこにも連絡を取らなかったし、出かけようとも思わなかった。
婚家からばかりか実家からも縁を切られた女が、今更どこに行くというのだろう?

唯一違和感を覚えるのは、すっかり自らの専有物にしてしまったはずの敏江を、彼がいまだに「奥さま」と呼びつづけていることだった。
それが奇妙な背徳感を敏江に覚えさせた。
自分はまだ婚家の真名川子爵家の人間で、子爵夫人のままこの邸に留め置かれ、生き血を弄ばれ貞操を冒されつづけている――そんなあらぬ錯覚に敏江は戸惑い、そして乱れた。
吸血鬼を自室に迎えると、彼から性急にせがまれる献血行為は受け入れてもそのあとに必ず求められる淫らな振る舞いを、拒み通そうとするのがつねだった。
子爵夫人としての誇りもあらわに、凌辱という不名誉からわが身を守ろうとする――飢えた牙と同じくらい容赦なくつき入れられてくる、あのなにもかも忘れて敏江を夢中にさせてしまう淫らな硬い筋肉の棒を、股間の奥ふかくにまで受け入れてしまうまでは・・・

数ヵ月が過ぎ、敏江は意外な人の訪問を受けた。
かつての夫、真名川子爵だった。
引き合わせてくれたのはほかならね吸血鬼自身だった。
敏江のことが忘れられず、両親との縁を切り家を棄ててきたという。
子爵家は弟が嗣ぐことで決着をつけ、再び二人で暮らしたい――と。
いちでは喪った、平穏で常識的な日常の記憶が、敏江の胸を一息に満たした。
やはり妾が心から望んでいたのは、人並みな暮らしだったのだ。
「あなたのことを奥さまといいつづけた訳がわかったかね?」
吸血鬼は微笑んでいた。
血を吸いつづけていればわかる。どちらの世界が似合いなのかと。あんたはやはり、人の世界に生きるべきなのだ・・・

でもー敏江は反芻する。わたし、元どおりには戻りきれない。
吸血鬼は子爵をみた。あんたはどうなのかね?というように。
「ここの執事をさせていただこうと思うのだよ。ほかに仕事ということをしたことがないのでね。なにもかも、一から教わろうと思っている」
敏江は値踏みをするような目でかつての夫を見、そしてゆっくりと頷いた。
「このかたに召されているときだけは、子爵夫人であることを忘れてもよろしいですか?」
「お前はどこにいてもわたしの妻だ。たとえこの方の腕のなかでも・・・」
熱に浮かされたように不徳を語る夫の首すじに、ひっかき傷のような痕を認めた敏恵は、夫の真意を理解できたような気がした。
同じ痕を持つもの同士の連帯が、夫婦のあいだを初めて行き来する。
夫は話しやめなかった。彼は吸血鬼に言った。妻の生き血を吸い操を汚した、仇敵であるはずの男を相手に。
「妻が貴方のお目に留まったことを誇りに思います。
 このひとの操を初めてむしりとった、貴方の男ぶりにも敬意を表します。
 その証しに、わたしの家の名誉を汚す権利を、子爵夫人の貞操もろとも、謹んで進呈いたします。
 貴方がお望みになるのならいつでも、夫婦のしとねを悦んで明け渡すでしょう。」
世間体のすべてを振り落とすことができた夫を、敏江は眩しげに仰ぐ。
すべては決まった。
かつての夫は再び、敏江の夫としてこの邸に住み込み、自分のすべてを支配する男のために奉仕する。
おそらくは。
夫の前で抱かれる日常が、待ち受けているのだろう。
そのときには誠心誠意、汚される子爵夫人を演じるのだ。
そうすることが吸血鬼に歓びをもたらし、おそらくは夫にも・・・べつの歓びを与えるのだと。
敏江は本能で察していた。

数か月後。
子爵家は投手の不行儀により爵位を剥奪された。
どういうルートを通じてか、現当主が吸血鬼と友好関係を結びその夫人を捧げたといううわさが、上流階級の社交界に広まったのだ。
新当主である夫の弟が、婚約者である華族令嬢を伴って邸を訪れたのは、そうしたころだった。
未来の花嫁の純潔な血を捧げるために。
兄嫁の身体的負担を軽減するために。
まことしやかな文句を口にする子爵の弟の首すじにも、夫や敏江が帯びているのと同じ引っ掻き傷が浮かんでいた。
新当主の婚約者はその夜、羞じらいながらも吸血鬼の腕に抱かれていった。
花婿の面前での破瓜の儀式が厳粛に熱っぽく執り行われたのは、いうまでもない。
そして、その一週間後。
あの厳格な姑までもが、夫に伴われて吸血鬼の軍門に降った。
三人の女たちのなかで、夫のまえでの行為をもっともあらわに羞恥したのは、もっとも年配の姑だった。
すでに吸血鬼の情婦となった嫁たちは、羞じらいに満ちた姑の振る舞いを、嬉し気に見守る。
これからは、妾たちの不義密通も、黙認されるのだ――そんな安心感が、ふしだらに堕ちた女たちを満たしていた。

いま、吸血鬼館は表向き、元子爵家として近隣に通っている。
吸血鬼は家を彼らに譲り、自らはその邸の奥まった離れに棲まいながら、表向きは以前と同じ権勢を帯びた貴族の血すじを、陰で支配している。
おそらくはこれがもっとも平穏なありかたなのだと、邸に棲むだれもが自覚していた。

吸血鬼の部屋から辞去すると、敏江は姑と行き会った。
齢がらには不似合いに派手な柄の着物に袖を通した姑は、ふた回りも若く、嫁の目にも映る。
姑はにこやかに言った。
「わたくし、これからお招(よ)ばれなのですよ。貴女も――そうね、近々ご実家と仲直りできるとよろしいわね。
 その気になればいつでも、仲介の労を取らせていただきますからね。
 なにしろいちばん怒っていたわたくしが、貴女とあるじ様との仲を認めているんですもの。
 仲直りできないわけが、ございませんわ。
 貴女のお母様も、一日でもよりお若いうちに、お血を味わっていただけると、よろしいわね・・・」
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