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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

吸血マンション ~壱号室~ 住人・市間々茂樹 和代 栄樹

2019年10月18日(Fri) 09:43:28

「きみの奥さんに、黒のストッキングを穿かせたい」

男はそういって、ニッと笑った。
たちのよくない笑みだった。
「今夜かあす、黒のストッキングを穿いた脚を咬みたいのでね」
そういって笑んだ口許からは、人間離れして尖った犬歯が覗く。
彼はこの街にいくたりも棲息する吸血鬼のひとりだった。

吸血鬼と差し向かいになっているのは、背広姿の中年男性。
いかにも物堅い勤め人という身なりだった。
じつは吸血鬼もまた、まったく同じくサラリーマンの格好をしている。
この街の怖いところは、そうした吸血鬼が、一般人と見分けのつかない状態で、日常生活にまぎれ込んでいることだった。

「エ・・・黒のストッキング・・・ですか。それに・・・咬みたい・・・と?」
中年男性は、困惑しているようだった。
傍らにある彼のデスクは、ほかの者とは別格に、部屋の中央に前向きにしつらえてあって、
部下たちの横顔を見おろしながら指図する位置にあった。
デスクのうえには昔の事務所らしく、横長の名前入りのネームプレートがおかれてあって、
「秘書室 審査役 市間々茂樹」
と、肩書と名前とが二行に分かれて書かれてある。
この事務所ではナンバー・2の地位を帯びたその市間々氏が、いまはだれもいない真夜中の事務室で、吸血鬼相手に当惑している。

「きみには若い女の部下をなん人も紹介してもらって、ずいぶん面倒をみてもらっている。感謝しているよ」
吸血鬼はもの柔らかにいった。
「おかげできみの部下は一人残らず、血を吸わせてもらった。
 けれどもまだ、きみの紹介できる女で、まだその首すじにわしの牙を試しておらぬおなごがいる。
 ほかならぬ、きみの奥さんだ。わかってくれるね?」
「あ・・・はい、家内をお望みでいらっしゃいますか・・・」
「そう、それも黒のストッキングを穿かせたい」
「わたしから、よく言い含めておきます」
「それだけでは足らぬ」
「と、おっしゃいますと・・・?」
「あすの夜は、きみの通夜だ。奥さんには、本物の未亡人になっていただく」
「えっ」

自業自得といえばそうだった。
彼は職場での立場を良いことに、役目柄懇意になった吸血鬼のために、部下の女性を引き合わせ、
一人また一人と、その毒牙にかけていったからだ。
彼女たちはいまでも健在で、ただし以前よりは少しばかり顔色を悪くして、感情を消した顔つきで勤務を続けている。
市は、先年から、吸血鬼と人間との共存をうたい、両者の和合を求める政策を打ち出していた。
どこの会社も一定数の吸血鬼を引き受けて、女性社員や社員の家族の血液を、定期的に提供するようになっていた。
管理職としてはかなりグレードの高い市間々は、むしろその役割を積極的に引き受けて、
社員が退勤した事務所に独り残された女性社員が襲われる光景を愉しむのを日課としていた。
彼女たちは例外なく、声もなく追い詰められて首すじを咬まれ、
眉をピリピリとひそめながら、制服のブラウスを朱に染めてゆき、
床に倒れ伏してしまうと今度は、色とりどりのストッキングを咬み破かれながら、ふくらはぎから吸血を受けるのが常だった。
吸血鬼は、ストッキングを穿いた女性の脚に咬みついて吸血することを好んだのである。

それが、とうとうこんどは、妻の番である。
あるていど覚悟はしていたし、妻にも言い含めてはあった。
妻もまた、仕方のないことですから、なにも感じたりはいたしませんから、と、夫に応えていた。
なにも感じない――
有夫の婦人(ないしはセックス経験のある女性)が吸血されるとき、決まって性交渉を伴うことを言外に秘めていた。
すでにもうじき中学という息子がいる齢の妻であったが、まだまだ若さも色香も秘めており、
年頃になりかけた息子の目のないところでの夫婦の営みも、まだ週に1、2回は遂げられていた。
無意識にか意図的にか、市間々は職場に出没する吸血鬼の注意を自分の家族から遠ざけて、
もっぱら若い女性社員にのみ注がせるように仕向けていた。
しかしそれももう、むなしい努力におわった。
「わしのために、いちばん美味しいねたをさいごまで取っておいてくれたのだろう」
どうやら目の前の吸血鬼は本気でそう思っているらしく、良く輝くその瞳は、感謝と好意に満ち溢れていた。
もはや、逃れるすべはなかった。

けれどもーー
かれの言った「本物の未亡人」という言葉に、市間々は引っかかりを感じた。
「そろそろ交代の時期だということだよ、市間々くん」
吸血鬼はまるで、市間々の上司のような口調になって、市間々との距離をさりげなく縮めた。
市間々は吸血鬼ににじり寄られたぶんだけ無意識に身を引くと、
「いったい、どういうことなのですか!?」
と、やっとの思いで訊いた。
「言ったとおりの意味だ。きみには死んでもらう。そして明日からはわしが、きみの奥さん―和代さんだったな――
 その、和代のあるじとなるのだ」
人の妻を呼び捨てにしておごそかにそう宣言すると、吸血鬼はさらに市間々との距離を縮めた。
市間々は吸血鬼が、女だけではなく男の部下までも襲い、その妻や娘、婚約者を次々とモノにしていることを知っていた。
男の血も吸うけれど、あくまでも養分の摂取としての意味しか持たない。
そうして獲られた養分は、その妻や娘を襲ってねじ伏せるときのパワーとなって還元される。
追い詰められた壁際にギュッと抑えつけられて、この力はいったいどこから由来するのかと、市間々はふと考えた。
昨日襲われた桜井さゆり君からか。彼女はまだ新人だった。
そういえば今朝、事務所にふらっと現れたとき、ベテラン女性の鷺沼加代子もまた、別室に連れ込まれていた。
お局様でとおった鷺沼加代子が昼前に早退したくらいだ。かなりの血液を摂取されたに違いない。
やり手でっ通った加代子の、自信に満ちた日頃の笑みが、市間々の脳裏を刺す。
目のまえに迫った牙の持ち主が吸血鬼なのか、加代子なのか、ふとわからなくなった。

「お願いです、命はお助けを。いままでだれの命もお取りにはならなかったはず。
 家内との関係ですか?わたしはかまいません。家内を貴男に犯されても我慢します。黙認します。
 家内にもよく言い聞かせてあるんです。
言い募る市間々の様子を、吸血鬼は明らかに愉しんでいた。
「さすがに根回しの良いことだね、審査役殿」
吸血鬼は市間々をからかいながら、むき出した牙を市間々の首すじに深々と埋めた。
「ぎゃあっ」
背骨が折れるほどの抱擁と、牙の痛みとが、同時に市間々を襲った。

寄り目になってぶっ倒れた市間々の死に顔は、どこかユーモラスでさえあった。
吸血鬼はせせら笑いながら、呟いた。
「真面目なきみに、自分の妻を抱かれる苦痛など、与えたくなかったのだよ。
 それに奥さんだって、きみがいながらわしに抱かれるなどという芸当のできるタマではなかろうに」

――――――

慌ただしいまる一日が、やっと過ぎた。
きのうの朝は、夫の死体が事務所で発見されたという一報に驚かされて、
そのあと遺体との対面、吸血行為による失血症という診断書を見せられた。
弔いの支度一切は、夫の勤め先がめんどうをみてくれた。
「わが社で死人が出たのは初めてですな」
だれもがそんなふうに、まるきり他人ごとのようにそう言い交わしているのが、
麻痺しかかった鼓膜にも響いてきた。
一連の弔いは慌ただしく過ぎていって、夫は当地での最近の習わしとして、土葬に付された。
「そのうち、地面の下から奥さんに逢いに、起き上がってくるかもしれませんよ」
夫の上司の秘書室長は、穏やかな口調で和代にそういった。
慰めているのか、世間話をしているのか、単なる冗談なのか、よくわからない口調だった。
そして、本堂で貴女に話のある人がいると、室長は告げた。
息子さんは疲れているだろうから、先に帰らせておやりなさい、と、室長は忘れずにつけ加えた。

息子の栄樹を先に帰らせると、和代はさっきまで弔いが行われていた本堂に戻っていった。
すでにすべては片づけられたあとで、がらんどうの本堂がそこにあった。
相方が待っているというのは、本堂そのものではなく、そのわきの小部屋のようだった。
そのひとつのふすまが、和代を誘い込むように、半開きに開かれている。
その半開きのふすまの間から、黒の紋付を着た婦人が一人現れ、
悩まし気な顔つきをしながら襟足を整えると、足早に立ち去っていった。
住職の奥さんかな、と、和代はおもった。
入れ違いになるのもなんとなく憚られて、和代はひと呼吸おいてから、ふすまの向こうへと、黒のストッキングの脚を踏み入れた。
和代が気づかいしたほんのひと呼吸のあいだ。
小部屋にいた吸血鬼は、相手をしてくれた住職夫人から吸い取った血液を、
彼女からせしめたハンカチで綺麗に拭い取り、なに食わぬ顔つきに立ち戻っていた。

「このたびはまくとに・・・」
型通りのあいさつを、和代は虚ろな気分で受けた。
ご主人とは日頃から懇意にして頂いていたと称する目のまえの男とは、面識がなかった。
だから、彼の発する紋切りで長々とした挨拶から早く解放されたいという想いしか、湧いてこなかった。
男のほうでは、まるで真逆の気分だった。
たまには熟した女も悪くはない。
きのうまで女の部下をあっせんしてくれていた便利な相方の女房は、
彼の無慈悲な瞳には、ただの獲物としてしか映らなかった。
直前に住職夫人の血を味わったのも、知人の妻であるきょうの獲物を、余裕をもって長時間いたぶりたいがためだった。
決して、性急な食欲を見せつけて、初めての相手をうろたえさせまい・・・などという気づかいから来るものではなかったのである。

「ところで、ご主人から聞いていなさるとは思うが、わしは吸血鬼だ」
えっ・・・?
女がうろたえたのを、吸血鬼は敏感に察した。
そしてこの女が、自分のことをあまり亭主から聞かされていなかったのを悟った。
ゆくゆくは自分の妻の番がまわってくる・・・とは理解していながらも、まだまだ先のことだと思い込んでいたのだろう。
哀れなやつ。
土の下に埋められた男を思いながら、吸血鬼はほくそ笑んだ。
「そういうわけで、きょうはあんたの血を愉しませていただく」
女がうろたえて座布団のうえで後じさりするのと、男が腰を浮かすのとが、同時だった。

ああーッ!
半開きになったふすまの奥から、悲痛な叫びが本堂にこだました。
けれども、住職夫妻をはじめ、寺に残っているであろうだれもが、哀れな犠牲者に応じることはなかった。

初めて咬まれた首のつけ根が、じんじんと疼く。
その痺れるような疼きは、理性までをも痺れさせてゆくようだと、和代はおもった。
撥ねた血がかろうじて、喪服のワンピースの襟首を浸す一歩手前でとどまっていた。
和代は傍らに転がったハンドバッグを開けて、なかからハンカチを取り出すと、
吸い残された血潮をせわしなく拭き取った。
そのあいだに、男は和代の足許にかがみ込んでいた。
なにをされるのか。
考えている余裕を、相手は与えてくれなかった。
ぬるっとした生温かい唇が、ストッキングのうえから吸いつけられるのを感じた。
あ・・・!嫌ッ!
潔癖に吊り上げた眉がピリピリと震えるのを、やつは面白がって視ている。
それが、ありありとわかった。
男はいったん離した唇を、ふたたび足許に這わせてきた。
今度は、これ見よがしに、ねっちりと、まるでストッキングの生地の舌触りでも愉しむかのように、なすりつけられてくる。
な・・・なんてことを・・・
和代はうろたえた。
まさか、主人を襲ったのも、このひと・・・?
かすかな疑念が鎌首をもたげた。
それを封じるかのように、こんどは上体に覆いかぶさってきた男の呼気が、和代の唇をふさいだ。
うっ・・・
むせ返るような男の匂いに、嫌悪の情が電流のように身体の芯を貫いた。
「はは、そう嫌がるものではない」
男は余裕たっぷりに、きょうの獲物をたしなめた。
「おやめになってください!夫を亡くしたばかりですの」
「存じておる。ご主人とは懇意の仲であった。わしも残念でならぬ」
「まさか・・・まさか・・・主人を殺めたのは貴男様では!?」
「だとしたらどうする」
「そんな・・・そんな・・・」
「安心せよ」
男は和代の疑念を否定も肯定もせず、ただひたすらに、女の唇を賞玩した。
「おやめになってください!」
和代は唇を振り放すようにして、叫んだ。
助けは、どこからも現れなかった。
どうしても、自分ひとりの力で、この男と話をつけるしかない――そう自覚すると和代はいった。
「どうすればお気が済まれるのですか」
「いましばらく、愉しませていただく」
男はみじかくそう告げて、なおも和代の唇をいたぶり、喪服のワンピースをこともなげに裂き散らすと、
あらわになった胸元を隠そうとする手を払いのけて、乳房をもてあそび、乳首を口に含んだ。
「嫌!嫌!嫌!」
和代はあくまでも、抗った。
夫と自分自身の名誉を、なんとしても守り抜かなればならないと思った。
けれども、それを独力で?圧倒的な吸血鬼の本気のアタックを、しのぎ切れるとでも思って?
自問自答しながらのせめぎあいが、しばらくつづいた。
「ご夫人はなかなか手ごわい、貞操堅固でいらっしゃるのだな」
男は、和代を抑えつけながら、いった。
「お許しください、主人のお友達なら、主人に恥を掻かせるようなことを・・・よりにもよってこのようなところで・・・」
歯を食いしばりながらも、涙ひとつ見せない和代を、吸血鬼は立派だと思った。
たぶん、夫と同じくらい生真面目で、責任感の強い女なのだろう。
やはり、夫が存命のまま襲うわけにはいかなかったのだ。わしのしたことは正しかったのだ。
吸血鬼は独り合点でそう思い、和代を力づくでねじ伏せつづけた。
再び首すじに刺し込んだ牙が、皮膚を破り、奥深く埋め込まれ、さらに強いほとびを帯びた血潮を、どす黒く噴き上げさせる。
ごくっ、ごくっ。ごくっ・・・
40前の主婦の血液が、貪婪に摂取されていき、和代の控えめな目鼻立ちに、死相が漂いはじめた。

和代は先に家に帰した息子のことを思った。
来年は、私立の中学を受験させようとしていた。
田舎町としては名門で、そこの学校に子どもを通わせることは、当地の上流階級の親たちにとっては、ひとつのステータスになっていたからだ。
夫はその姿を見ることはできない。ことによると私も、夫と同じ目に遭わされる。
そんなわけにはゆかない――妻であることは喪ってしまったとしても、母親であることだけは・・・
和代はあお向けに抑えつけられた格好のまま、涙にぬれた瞳を見開き、目のまえに息荒く迫った男をまともに視た。
「御意に従います。ですから、無事に家に帰してください」

――――――

家に帰りついた時には、疲れ切っていた。
幸い息子の栄樹は勉強部屋にこもっているらしく、玄関にも居間にも、姿を現さなかった。
住職夫人が喪服の着替えを用意してくれた。
きちんと畳まれた洋装の喪服を両手で捧げるように携えてきた夫人は、表情を消して、
「このたびはお目出度うございます」
と、堅い口調で和代に告げた。
なにがめでたいものか、と、和代は思い、住職夫人を睨みつけた。
けれども彼女はまったくどこ吹く風で、和代に睨まれていることさえ、気づいていないふうだった。
つい先刻、和代が犠牲となる直前までの赤裸々な情事の痕跡など、さらに押し隠してしまっていた。
このひとはわたしに、吸血鬼との情事のあとのあり方を無言で訓えようとしている――
和代はなんとなく、そう感じた。
引き裂かれた喪服は、吸血鬼が戦利品としてせしめていった。
襲った女性の衣類を戦利品にして、コレクションにするのだという。
和代はその嗜好に言い知れぬいやらしさを覚えたが、住職夫人のまえでそれをあらわにすることはなかった。
無言のまま立ち去ろうとする和代に、住職夫人はいった。
「その喪服は、差し上げます」
和代がびっくりして目を見開いていると、さらにたたみかけるように、いった。
「今度お越しになる時も、着替えは用意しておきます。お代はお受けするわけにはまいりませんので、お気遣いなく」
市長夫人や院長夫人といった名流の夫人たちがこの寺を訪れるときには、
着衣は自前で用意して、お布施と称して気前よく裂き取らせている――
そんなうわさを聞いたのは、この出来事が起きてからしばらく経ってからのことである。

夫婦の寝室の畳に腰を下ろすと、疲れがどっと出た。
吸い取られた血液の量も、ふつうではなかった。
それでも気丈に、鶴のように気高く顔をあげて帰途をがんばり通したのは、女の意地でもあったのかもしれない。
けれどももう、それも底をついた。
夕餉はすでに息子といっしょにお寺で澄ませてきたので、きょうのことはもう何の気づかいも要らない――
そう感じるともう、立ち直ることができなかった。
和代はほんの少しだけ泣き、それから身づくろいを済ませて、そうそうに布団に身を横たえた。


―――

2日後。
和代の姿は、ふたたび寺にあった。
息子には、初七日の打ち合わせだと言い置いて出てきた。
夕食の用意はしてきたので、きっと息子は自分とはろくろく口も利かずに、夜更かしをするか寝てしまうかするのだろう。
気難しい年頃となった息子はもう、母親とは距離を置きたがっていた。
それはいまの自分にとっても、好都合だ・・・そう思いかけて、自分の想いのはしたなさに、和代は人知れず赤面した。
これから、吸血鬼に抱かれるというのに。
夫が亡くなった、すぐあとだというのに。

脚にまとう黒のストッキングが、どのようなあしらいを受けるのか、もはや彼女にはよくわかっていた。
あのとき舌でくまなくいたぶられて、いびつによじれ、ふしだらに波打ち、他愛なく引き剥がされていった。
その行為ひとつひとつに滲んだあの執拗な情念が、いまとなっては、いとおしく感じられる。
体内に脈打つ血液に、牙から分泌された毒をまぎれ込まされたから――
そうとはわかっていても、いまはこの「いとおしさ」を大切に考えよう。
和代はそう割り切ることにした。

「お調べが済んだそうですね」
「ああ、まったくの濡れ衣だった」
吸血鬼はおうむ返しにこたえた。
まるで夫のような口ぶりだと、和代はおもった。
「お調べ」とは、夫に対する殺害の容疑である。
身近にいた吸血鬼として一応疑われ、取り調べを受けたのだ。
取り調べそのものは簡略で、彼の言はすべて受け入れられたという。
「嫌疑が晴れて、ほっとしている。あんたも、相手が夫の仇敵では、気まずいだろうからな」
吸血鬼はにんまりと笑った。
「だいじょうぶですよ」
和代もまた、にこやかに応じていた。
夫の生前のころの快活さを、早くも取り戻していた。
「かりに貴男が犯人でも――」
和代はいった。
「私、証拠を隠滅してでもあなたのことを庇いますから。あなたのものになれて、本当に嬉しい」
和代はそう口走りながら、いまのは自分の本心なのだと感じた。
男が一昨日と同じように足許にかがみ込んできて、黒のストッキングの脚をいたぶり始めても、むしろ積極的に応じていった。
もはやそれは、夫を弔うための装いではなく、新しい情夫に媚びるための衣装になり果てていた。
夫のための喪服は、すでに一昨日引き裂かれて、情夫のコレクションに加えられてしまった。
同じように彼の情婦にされていった女たちの服と、同じように。
私はしょせん、ワン・オブ・オール。
けれどもそうだとしても、後悔はない。
いまこのときだけでも、私は娼婦として、彼の腕の中で生きる。
仮に彼が、夫の仇敵でも構わない。
あなた許して。
こんないけない私を、許してくださいね。
でも今の私は、この人に辱められることが歓び。
貴方の家の名誉を汚すことが、無性に嬉しいの――

――――――

三か月ほど経ったとき。
人々はあの日弔いがあった事実を忘れた。
和代の夫である市間々茂樹が、ひっそりと帰宅したからである。
どこから戻ってきたのか、質そうとするものはいなかった。

未亡人になって吹っ切れた妻の和代は、すでに吸血鬼の愛人となっていた。
生真面目な彼女にとってみれば、夫のいる身であるうちには、不貞など思いもよらぬことだったが、
夫の生前に忠実な妻であったこの女は、今までと同じくらい熱意を込めて情夫に仕え、献身的に尽くすようになった。
再び生きることを許された夫は、以前と同じように勤務に戻った。
表向きは謹厳な勤め人だったが、
そのいっぽうで、自分が公務のなかで懇意にしている人が妻を気に入っていることを誇りに感じていた。
夫を迎えた和代は許しを請い、夫は妻の過去の不貞を受け容れ、明日からの交際までも認めたのだ。
いまでは彼は、息子ともども、妻の情事を盗み見ることに愉悦を憶えている。

夫を一時的に死なせることで、吸血鬼は一家を従順なしもべとして作り変えたのである。

――――――

初七日のあと。
和代は参列してくれた夫の同僚の妻である丹川めぐみを家に招んでいた。
丹川家は和代の住むマンションの二号室の住人でもあった。

法事に出る前の朝。
和代は夫婦の寝室で、吸血鬼と共にしていた床から起きあがると、
恋人同士のように抱き合ってから喪服に着替えた。
「いけない、これからお式だというのに――」
制止する和代のしぐさにむしろそそられた吸血鬼は、彼女の腰に巻いている漆黒のスカートの奥を、粘液で濡らしてしまっていた。
「住職の奥さまとも、まだこんな関係を?」
やんわりとした和代の責めには乗らず、吸血鬼は訊いた。
「なにかたくらんでいるな」
「エエ、熟女の血はお好きでしょう?」
「よくわかっているだろう?」
「ではもうひとり、ご紹介しますわ。私に心当たりがありますの。お隣の奥さんです。
 きょうのお式では、私のすぐ後ろに座っていますから、お分かりになりますわ」

法事のあとの疲れをみせない和代のことを、二号室の主婦である丹川めぐみは訝しんだ。
このところの和代は、やつれを見せないばかりか、夫がいたときと変わりないくらい快活に振る舞うようになった。
決して無理をしているわけではないらしい。
けれどもその快活さの源泉がどこにあるのか、めぐみには見えていなかった。
和代の首すじにくっきりとつけられた、二つ綺麗に並んだ咬み痕は、
このごろお嬢さんみたいに肩に伸びやかに流された黒髪に、すっかり覆い隠されていたからである。

「このたびは主人のことですっかりおせわになってしまって・・・ですからきょうは貴女をねぎらいたかったの」
和代の口許に泛ぶ不吉な薄嗤いをそれと予感しないまま、めぐみはすすめられた座布団に腰を下ろした。
喪服のスカートのすそから覗くふくらはぎは、たっぷりとした肉づきを持っていた。
脛の白さが黒のストッキングの薄い生地に透けて、しなやかな筋肉の起伏を微妙な濃淡で彩っている。
――あのひと、満足できそう。
和代は親し気な笑みに隠して、ひそかにほくそ笑む。

十数分後。
「あ、あァーッ!!」
微かな悲鳴が和代の鼓膜を小気味よくつんざき、やがて語尾を弱めてかき消された。
そしてその声は、隣室で母親の帰りを待つ少女の耳には、届くことがなかった。
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