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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

きみの履いているハイソックス、好い色をしているね。

2020年07月18日(Sat) 03:55:01

学校帰りのときのことだった。
授業はいつも通り退屈で、つまらなかった。
ぼくは濃紺のブレザーにグレーの半ズボンの制服姿で、家に向かって歩いていた。
途中で一人の男の人に声をかけられた。
「ぼく、ちょっといいかな?」
自分のことを「ぼく」なんて呼ばれる年頃じゃなかったから、ちょっとだけ反撥を感じたけれど。
かけられた言葉の調子の深みのある柔らかさに、なんともいえぬなつかしさ・・・のようなものを覚えて、立ち止まった。
「なんですか?」
わざと他人行儀に、接してみた。
ことさらなれなれしくつきまとうようなやつなら、たいしたことないって思った。
男の人はみすぼらしいなりをしていて、うらぶれた齢かっこうに見えたけれど。
瞳だけがきれいに、輝いていた。

男のひとは、だしぬけに、ぼくの思いもよらないことをいった。
「きみの履いている靴下、いい色をしているね」
え?と思って足許を見おろした。
毎日、制服の一部として履いている、ねずみ色のハイソックスだった。
その日に限って弛んでずり落ちたりもせず――
ぼくはそういう行儀にふだんは無頓着だったから、良くずり落ちていては先生に注意されていた――
ひざ小僧のすぐ真下まで、ぴっちりと引き伸ばして履かれていた。
そうだろうか?と思って、まじまじと足許を見おろした。
彫りの深い縦じま(リブと呼ぶらしい)が脚の形に合わせて微妙にカーブを描いていて、
それが夕陽の陽射しを受けて、彫りの深い濃淡を受けていた。
「ねずみ色だと思うけど――青みがかっているような、好い色をしているね」
男はもう一度、そうくり返した。
学校の制服なんです、と、ぼくはこたえて、制服を褒めてくれて嬉しいです、と、つけ加えた。

「お願いがあるんだ」
男の人はいった。
大人の人が声をかけてくるとき、必ずそこには意図がある。
見知らぬ人ほど好からぬ意図で声をかけてくるから注意するように――父さんがそんな風に、いつだか訓えてくれたのを、
ぼくはなんとなく、思い出した。
けれどもぼくは、訊き返していた――どんなことでしょうか?って。
彼はいった。
私、吸血鬼なんだけど・・・怖くない?

「怖くはないですよ」と、ぼくはいった。本心だった。
男の人は丁寧だったし、なによりもぼくと同じ目線で話をしようとしていた。
そして、自分の存在に、どこか負い目を感じているのが、子供心にも伝わって来ていたから。
そういう人は、一見けしからぬことをしているようにみえても、決してそうではないのだと・・・
そこまで言葉にする力は、ぼくにはまだなかったけれど、
要約すればそんなようなことを感じたのを、いまでもよく憶えている。

男の人はいった。
「きみの履いているハイソックスを咬み破って、きみの血を吸いたいんだ」
エッ、そうなんですか?痛そうですね。。。と、ぼくはこたえた。
「なるべく痛くないようにするから――何とかお願いできないかな」
ふつうなら、行きずりの男が吸血鬼で、自分の血を吸おうとしていたら、
こちらは逃げるし、向こうは追いかけてくるだろう。
間違っても言葉を交わし、相手を理解しようなどとは、しないはずだった。
けれどもぼくたちは、不思議に落ち着いた気持ちのなかで、お互い言葉を重ね合っていた。
「喉が渇いているのですか?」
「明日の朝までにだれかの血を吸わないと、灰になるらしいんだ」
人に悪さをすることしかできないのだから、そうでも構わないんだけど――と、少しばかり投げやりに言いながらも。
きみのハイソックスの色を見ていたら、身近なところにもきれいなものがあるんだなと思って、
もう少し長生きしてみたいと思ったのさ。
ぶきっちょなぼくは、大人の人と話をするときは、いつもあがってしまうのに。
そのときにかぎって淀みなく、応えていた――
「ぼくのでよかったら、どうぞ」

男の人は、びっくりしたような顔をして、ほんとにいいの?って訊いてきた。
そう訊かれるとかえって怖くなっちゃうけれど・・・と言いながら。
いちど好いって言いだしたことを引っ込めるのは、男の子としてかっこ悪いから、
ぼくは「早く咬んで、済ませて下さい」といった。
相手の男の人はゆらっとしていて、背が高くて、見おろされて見おろす関係だったけど。
ぼくはむしろにらむような強い目で、男の人を見返していた。
「良い気性の子だ」と、彼はぼくのことをほめた。
気性が良いなんて言われるのは、初めてだった。
どちらかというと、意気地なしとか、だらしがないとか、そんなふうにしか言われない子だったから。
でも、口先のおだてでそういっているわけではないのだと、直感的に思った。
もしかすると、本当は持っていた「気性の好さ」を、彼がぼくの内側から、引き出してくれたのかもしれない。

「ちょっと待ってね」
さすがに切羽詰まってしまったぼくを、
「そこのベンチに座ろうか、落ち着くから」
と彼は促してくれて。
どうやらハイソックスが好きらしい彼のために、
ぼくはすこしだけずり落ちかけていたハイソックスを、両脚ともきちんと引っ張り上げていた。
「ありがとう」
かれはそういうと、まじまじとぼくの足許に目を落として、
両手でぼくのひざ小僧と足首とを抑えつけて、
ハイソックスの上から、ふくらはぎに唇を吸いつけてきた。

すぐには咬みつかないで、男は吸いつけた唇を、ヌルヌルと這わせてきた。
ハイソックスの生地の舌触りを愉しんでいるんだ――ぼくはすぐにそう直感したけれど。
彼の無作法なやり口をやめさせようとはしなかった。
「小父さんは、ほんとうにハイソックスが好きなんだね」
ぼくがそういうと、わかってくれてうれしい、感謝すると、彼はぼくの足許にかがみ込んだまま、そういった。
大人同士の会話みたいだった。
彼は同じ高さの目線で、ぼくと話をしてくれたし、
ぼくは支配される獲物ではなくて、善いものを施し与える善意の人として、彼に接していた。

やがて彼は、「少し痛いよ」と告げて、ぼくはどうぞと応えていた。
ずぶり・・・
食い込んでくる尖った異物――吸血鬼の牙が、ぼくのふくらはぎにめりこんできた。
ちゅうっ・・・
奇妙な音を立てて、傷口からほとび出た血が、吸い上げられてゆく。
ぼくはアッと思ったけれど、口には出さずに、
自分でもびっくりするほど静かな目線で足許に執着する男の狂態を見つめていた。

ちゅうっ、ちゅうっ、ちゅうっ・・・
キュウッ、キュウッ、キュウッ・・・
人も無げな吸血の音が、夕やみの迫る周囲の景色を支配していた。
やがて頭がふらっとして、ベンチのうえからずり落ちるようにして、ぼくは尻もちをついていた。
男はなおものしかかってきて、こんどはぼくの首すじを舐めた。
そして、獣が獲物をむさぼるような貪婪さで、ぼくの首すじに咬みついた。
ワイシャツの襟首に血を散らしながら、ぼくは彼の吸血に応じていった。

ありがとう。
もう片方の脚も咬んで、ずり落ちたハイソックスをぼくの脚から抜き取ると。
男はさいしょのひっそりとした声色に戻って、礼を告げた。
気分はどう?一人で帰れそうかな?
顔色まで気遣われるのがちょっとてれくさくて、ぼくは大丈夫ですと応えていた。
きょうは母も家にいないので、ハイソックスを汚されて取られたことも、うまくわからないようにしておくからねとまで、告げていた。
つぎに逢うのは、一週間後――
そんな約束に、指切りげんまんまでしてしまっていた。

家路をたどるぼくは、学校に通うことを初めて楽しみに感じはじめていた。
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