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妖艶なる吸血

淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・

担任の先生を同伴して、乱交の宴に参加する。

2023年01月30日(Mon) 07:27:14

僕が初めて街の秘宴に参加したのは、16歳のときした。
初体験は一年前のことで、相手は学校の担任の先生で、当時26歳でした。
広野令子という人でした。
同級生の間で、乱交の宴の練習と称するけしからぬ会をもった友人もいましたが、
たしかに僕は、どちらかというと少し年上の女性に関心があったように思います。
母には愛人がいて、その愛人さんは父におかまいなく我が家に入り浸りになっているありさまでしたし、
女きょうだいもいなかったので、初体験の相手に事欠いている――と耳にしたらしく、
ある日突然、「先生が相手をしてあげる」と、ぽつりと言ってくれたのです。
広野先生は都会育ちの人で、街の風習に染まっていなかったそうです。
それどころか、親の決めた縁談がすでに整っていて、翌年春に結婚を控えている――とまでいうのです。
「ほんとうにエエんですか?」
うちの母がさすがに先生を気遣ったのも、無理はありません。
けれども先生はなぜかキッパリと、「はい、春田くんに私の初めてを挙げようと思います」と言ってくれたのです。
「私の初めて」――そう、先生は処女でした。

処女と童貞では大変だろうということで、介添えがつきました。
介添えの役は、母が引き受けてくれました。
「きょうは先生じゃなくて、広野令子という一人の女として喘原くんに接します。よろしくお願いします」
広野先生はそういうと、いつも学校に着てくるこげ茶色のスーツのまま、我が家の畳のうえであお向けになりました。
先生は、パンストを穿いたままでした。こげ茶色のパンストでした。
脱がしても良いし、着たままでもかまわない――と、先生は言ってくれました。
僕は、ドキドキしながら先生の脛に触れていって――思わずパンストを引き破ってしまいました。
先生は一瞬、息をのんだようで、少しうろたえていました。
それが、僕の嗜虐心に、火を点けたのです。
母は、あお向けになった広野先生の両肩を抑えつけて、「もっと右」とか、「もっと強く」とか、僕を促しました。
さいしょのうちは、なかなかつながることができなかったのですが、
いちど入り込んでしまうと、先生は「ウッ」と小さく呻いて、それっきりシンとなってしまいました。
ひどく、あっけなかったのを覚えています。
母はふたりがつながるのを見届けると出て行ってしまい、父がいるにもかかわらず、そのまま愛人の部屋に籠ってしまいました。
でも、そのときの僕にとって、母の行方などどうでも良いことだったのです。
急いてきた呼吸を乱れ合わせて、先生と僕は、なんどもまぐわいました。
さいしょは「きつい」だけだったのが、快感になっていくのに、さほど時間はかかりませんでした。
昼過ぎから始まったのに、先生がうちを辞去したのは、もう暗くなってからのことでした。
母に促されて、僕は先生をアパートまで送っていき、そのまま泊り込んでしまったのです。
ちょうどその夜――虫が知らせたんでしょうね――先生のお婿さんになる人から、電話がかかってきました。
息をひそめている僕を傍らに、先生はいつもと変わらぬひっそりとした語り口で、
「きょうは職員会議が長引いたから帰りが遅くなった」
と言い訳をしていました。
人妻は浮気をしたときもきっと、こんなふうに虫も殺さぬ顔をして言い訳をするのだろうと思うと、
少し気分が複雑でした。
先生のお婿さんに、少しばかり同情の気持ちもわいていました。

初めて乱交の宴に出席した時にも、先生を同伴しました。
当時の僕にとっては、唯一肌を重ね合わせた異性であり、当然たいせつな人だったからです。
そのときの僕の相手は、従姉の春江さんでした。
春江さんは、隣町に嫁に行ったばかりなのに、
乱交の宴に参加するために、お婿さんに黙ってわざわざ里帰りしてきたのです。
「洋太くん(僕のこと)がすごいらしい」と、先生に聞かされて、いちど体験してみよう――と思ったそうです。

結婚を控えているのに教え子の僕を相手に処女を捨てた、広野先生。
新婚数か月の身でありながらわざわざ里帰りをして、乱交の場で操を汚した春江姉さん。
女の人のなかには、不可解な理由でわが身を男にゆだねてしまう人がいるようです。
もしかすると――堅苦しい日常、不慣れな日常で鬱積したものを、日常を引き裂いてしまうことで、忘れようとしているのかもしれません。

広野先生との交際は、先生の結婚まで続きました。
ところが先生が僕を相手に処女を捨てたことがお婿さんにバレてしまい、すぐに不縁になってしまったのです。
街に戻ってきた先生とは、僕との結婚も取りざたされたそうです。
でも先生は、「齢が違いすぎるのに、春田くんの将来を無にしたくない」と、頑としてその勧めに応じなかったそうです。
先生の不安定な立場は、半年くらいして解消しました。
お婿さんが考え直して、先生との復縁を希望したのです。
その半年のあいだ――ぼくは先生と始終逢っていました。
同じ学校にいるわけですから、教室だろうが、体育館だろうが、逢瀬の場には事欠きません。
先生もこのころには、セックスに慣れてきて、僕を十分すぎるほど、楽しませてくれたのです。
先生は、乱交の宴にも積極的に参加していました。
同伴するのは僕でしたが、主に年配の独り者の相手をしていました。
「お相手がいないのはお気の毒だから」というのが、先生の口癖でした。
そんな中での復縁でしたから、お婿さんはいろんなものを呑み込まなければなりませんでした。
処女を捧げた相手である、僕との関係。
年配者に対する性的奉仕の場となっている、「宴」との関係。
けれどもお婿さんは、そのすべてを受け容れることにしたようです。
「時々遊びにお出で」
今ではすっかり親しくなったお婿さんはそういって、同じ屋根の下、ふすまの向こうで、僕が先生を押し倒すのを、視て視ぬふりをしてくれるのでした。
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