淫らな吸血鬼と倒錯した男女の織りなす、妖しいお伽噺・・・
ヴィンセントの花嫁
2023年09月11日(Mon) 16:26:23
ヴィンセントは勤め先からの帰り道、アリーとタマコに血を吸われた。
二人がかりの吸血は、はたちそこそこの若さを持つ彼にとってもハードだった。
彼の体内に蓄えられた血液の量は、みるみる減ってゆく。
微かになってゆく意識のかなた、ヴィンセントは喘ぎながら、
どうして自分が死に至るほどの吸血を享受しなければならないのかを反芻した。
理由は明らかだった。
彼のフィアンセであるナンシーを、アリーが欲したからだ。
ナンシーは19歳の女子大生で、来年の6月に晴れてヴィンセントと結婚することになっている。
碧い瞳に抜けるような白い肌、そして見事なブロンド髪の持ち主だった。
しかしアリーはナンシーを見初めて、彼女の血を吸い、その若い肉体をも手に入れたいと念願していた。
アリーはヴィンセントに、ナンシーの貞操を譲ってもらえまいかと持ちかけた。
ヴィンセントはナンシーを愛していたし、家名に瑕がつくことも恐れていた。
彼はアリーの申し出を断った。
もはや選択の余地はなかった。
アリーは仲間のタマコを語らって、ヴィンセントを夜道で襲い首すじを咬んだのだ。
この街は昨年から、吸血鬼と市民との共存を目ざすために、吸血鬼を受け容れると宣言していた。
外国から多数受け入れていた留学生たちも、血液提供の対象とされていた。
血に飢えた吸血鬼がおおぜい、この街に流れ込んできて、
市民たちを片っ端から襲うようになっていた。
市の当局は吸血事件については一貫して不介入の態度を示したので、
事件の被害者は放置――つまり吸われっぱなしになるのだった。
むしろ吸血鬼の側のほうが、ヒエラルキーを発揮して、混乱を収拾するのに有効な動きをとっているありさまだった。
そういうなかで、美少女として知られたナンシーが狙われたのは当然のなりゆきだった。
刻一刻と血液が喪われてゆくのをひしひしと感じながら、ヴィンセントはひたすら、耐えようとした。
なんとしても生き延びるんだ。彼らの食欲が去れば、手荒く解放されるのだから――
体内をめぐる血液を一滴でもよけいに喪うまいとして、彼は身を固くした。
しかし、そんな努力は無意味だった。
彼らははなから、ヴィンセントを殺害するために血を喫っているのだから――
その意図に気づいたときにはもう、遅かった。
頭がふらふらだ――
うっとりとした頭で、ヴィンセントはおもった。
もう・・・なにがどうなっているのか・・・よくわからない・・・
血を吸い取られてゆくときの唇の擦れる音が、耳もとに忍び込み、鼓膜をくすぐった。
美味しいのか?美味しそうだな・・・ボクの血・・・
ふと、そんなことを想った。
すると、まるでそれを聞いていたかのように、
「美味いぞ」
そう囁く声がかえってきた。
ああ・・・そうだよね・・・ボクもそれを感じる・・・きみが美味しそうに飲んでいるのがわかる・・・
ヴィンセントはその声にこたえた。
「でもまさか――吸い尽くしちゃうつもりじゃないだろうね??」
「いやふつうに、そうするつもりですが??」
ヴィンセントは、男がふざけているのかと思った。
「ちょ、ちょっと待って!ボクまだ死にたくないんだよ!!」
声をあげようとして、自分におおいかぶさる失血の倦怠感が、思った以上に大きいことを感じた。
ヴィンセントは、はっとした。
「・・・ボ、ボクのことを吸い殺して、ナンシーを奪う気だな?」
「・・・ご明察」
男のこたえは、冷酷なくらい穏やかだった。
すまないとは思っている。
卑怯な方法なのも、申し訳なく思っている。
でも俺はどうしても、ナンシーの肉体が欲しいのだ。
あの娘(こ)があの恰好の良い脚にまとっているグレーのストッキングをみるかげもなく咬み破って、
趣味の良いブラウスやスカートもろとも血浸しにして辱めたいのだ。
服という服を剥ぎ取った末に、あの娘の若々しい肢体を、自由にしたいのだ。
白く濁った精液を、身体の奥からあふれ出るほど、注ぎ抜いてやりたいのだ。
キミだって彼女をそうしたいのだろう?
だったら俺の気持ちも、わかってもらえないか?
そこまでいうと男は、ヴィンセントの首すじに這わせた唇にいっそう力を籠めて、血潮を啜り獲った。
なんという勝手な言い草だ。
ヴィンセントの憤慨をしり目に、男はなおも彼の生き血を啜り味わう。
キュキュキュッと鳴る唇が、傷口をくすぐったく撫でた。
「若い・・・うら若い・・・実に佳い血だ・・・」
男がヴィンセントの血に心酔しているのは、もはや疑いない。
彼はこの数少ない人間の友人の生き血の味を称賛し、彼の気前良ささえも褒め称えた。
「きみならではだ。大事な血をかくもたっぷりと馳走してくれるとは・・・」
違う!違う!そんなんじゃないっ! ヴィンセントはうめいた。
なんとかこの鉄のように硬い抱擁から抜け出して、自分の身の安全を確保しなくては!
「だったら・・・だったら・・・」
ヴィンセントはあえいだ。
「そんなに美味しいのなら、ぜんぶ吸い尽くす手はないだろう?そうだろう?」
「どういうことだ?」
「もし、もしも生命を助けてくれるなら・・・ナンシーを見逃してくれるなら・・・」
眩暈に心がつぶれそうになりながらも、ヴィンセントは言った。
「ボクの血をなん度でも、吸わせてあげるから!きみの好きな時に楽しませてあげるから!」
だから・・・だから・・・
息せき切って口走るヴィンセントの唇を、男の唇がふさいだ。
「あ・・・あ・・・」
知らず知らず、吸われる唇に唇で応えながら、ヴィンセントは激しく身もだえする。
「殺さないで!殺さないでくれ!なんでも言うことをきくからっ」
「ではこうしよう・・・
わしはきみの血をほとんど吸い尽くす。全部ではない。あらかただ。
きみはいったん墓場送りとなるが、七日間で生き返る。
生き返った後、きみはわしの好きな時、ありったけの若い血液をわしに馳走する。
それから――きみが墓場にいる間だけ、わしはナンシーを誘惑することができる。
良いか、たったの七日間だ。
その間にもしもナンシーが落ちなければ、わしは二度とナンシーに手を出さない。永遠にだ。
これは賭けだ。お前はナンシーの身持ちを信じることができないのか?」
え・・・?
ヴィンセントは顔をあげた。
意識がもうろうとして来、視界が定まらない。
それでも男は、だいぶ緩慢になったとはいえ、まだ傷口に唇を吸いつけて、そこからさらに血を啜り獲っている。
これでは血の全量を費消してしまうのは時間の問題だったし、男はそれを容赦なくやり遂げようとしている。
だいじょうぶだ・・・たったの七日間だ・・・
と思ったのもたしかだった。
けれどもそれ以上に、
アリーがナンシーにどんなふうに挑もうとするのか?
その様子を想像した時にサッとよぎった妖しいときめきに、気づかざるを得なかった。
血を吸われ過ぎたのだ――と、ヴィンセントはおもった。
だから、吸血鬼ふぜいに同調する気分が芽生えたに違いない・・・彼の想いは、正しかった。
首すじに喰いつく牙の尖り具合をありありと感じながら、ヴィンセントは血を吸い尽くされてゆき、意識を遠のかせていった。
墓の中にいる間、魂は身体から離脱している――と聞かされたのを、なんとなく記憶している。
じじつ、ヴィンセントはいま、街灯の点る夜の通りを独りでいた。
目のまえでナンシーが、家の壁に抑えつけられていた。
どうやら学校からの帰り道らしい。見慣れたグレーのスーツ姿だった。
相手はいうまでもなく、アリーだった。
褐色の掌がナンシーの白いブラウスの胸に食い込んで、深い皴を波打たせていた。
アリーはいつものように、ほとんど半裸である。
襲った獲物をすぐに犯すことができるよう、余計なものは身に着けない――という主義なのだ。
赤黒く爛れて膨れ上がった唇から覗く長い舌が、ナンシーの白い首すじにからみついている。
19歳の素肌のうえ、ピチャピチャと音を立てながら、舌なめずりをくり返していた。
気の弱いナンシーはべそを掻きながら、男の蛮行を許している。
「な、なんてことを・・・・・・ッ」
自分の恋人に対するむごい仕打ちに、ヴィンセントは憤慨した。
「そう嘆くな。おとなしく舐めさせてくれれば、ひどい食いつき方をしたりはせん」
アリーは囁いた。
嘘だ。嘘に決まってる・・・ヴィンセントはなおも憤った。けれども彼の声は2人に届かなかった。
「ほんとうですね・・・?おとなしくしてれば、ひどいことなさらないんですね?」
ナンシーは頼りなげなまなざしを、アリーに投げた。
だめだ、信じちゃいけない・・・!そんな叫びも、2人には届かない。
「じゃ、じゃあ・・・どうぞ・・・」
やっとの想いでナンシーはそうこたえると、
再び首すじをヌメりはじめた舌の気持ち悪さに耐えかねたのか、静かにすすりあげていた。
「あまりなぶりものにしては、ヴィンセントのやつに悪いな」
アリーはそう呟くと、やおら牙をむき出して、ナンシーの首すじにザクリと食いついた。
白のブラウスに、紅い飛沫がサッと走った。
「キャアッ!」
鋭い悲鳴が、涙に濡れている。
なんということだ。なんということだ・・・ヴィンセントは自分の失策にほぞを噛む思いだった。
ごく・・・ごく・・・ごく・・・ごく・・・
アリーはナンシーの血を、喉を鳴らして飲み耽る。
もはや、もはや・・・とめようもなかった。
そして、ヴィンセントのなかでも、なにかが変わろうとしていた。
喉が渇いた。カラカラに渇いた。これはきっと――血で潤さないと満ち足りないのだ。
本能的に、それがわかった。
そうなると、目の前で旨そうに人の生き血を飲み耽るアリーのことが、うらやましくなる。
アリーのしていることを、肯定したくなってくる。
そうだ、やつはボクの花嫁の生き血が気に入ったのだ。
満足そうに喉を鳴らして、美味しそうに飲み耽ってるじゃないか!
悔しいけれど、嬉しいし、誇らしい・・・
ナンシーは自らの血で、アリーの渇きを癒している。
無二の親友の、アリーの渇きを。
アリーの逞しい腕に抱きすくめられながら、ナンシーは身体の力を失ってよろめき、身をゆだね、
そしてずるずると壁ごしに姿勢を崩し、尻もちを突いてしまった。
すでに意識はもうろうとしているようだった。
アリーは余裕しゃくしゃく、ナンシーの足許にかがみ込むと、
彼女の脚をおしいただくようにして、舌で舐め始めた。
ナンシーの穿いているグレーのストッキングを愉しんでいるのだと、すぐにわかった。
ほっそりとした脚を染めるグレーのストッキングはみるみるよだれにまみれ、皺くちゃにずり降ろされてゆく。
舌が躍っていた。ふるいついていた。じんわりといやらしく、ネチネチと意地悪く、這いまわっていた。
妨げる手だてもないなかで、アリーがナンシーのストッキングをあらゆる舌遣いで愉しむのを、見せつけられていた。
悔しい・・・悔しい・・・
ナンシーを無体にあしらわれたことに、ヴィンセントは当然屈辱を感じて悔しがった。
けれども彼は、自分のなかにべつな感情が芽生え始めていることを、いやがうえにも思い知ることになった。
ヴィンセントの血管からは血の気がひいて、干からびかけていた。
だから、血管の干からびた男がどれほど若い女の生き血を欲するものなのか、身に染みてわかるようになっていた。
だから、アリーがナンシーの首すじを咬んで、ゴクリゴクリと喉を鳴らし、美味そうに血を啜るの情景に、知らず知らず自分を重ねてしまっていた。
ナンシーの生き血、美味しそうだな。羨ましいな。欲しがる気持ちは分かってしまうな。
イヤだけど・・・わかってしまうな・・・
ボクだったら、もっと美味しそうに飲んじゃうだろうな・・・
悔しいけれど・・・嫌だけれど・・・ナンシーの血がやつの気に入ったことを、
どうしてこんなにも好ましく受け取ることができるのだろう・・・?
しくじった・・・
アリーは頭を抱えている。
ナンシーの血を飲み過ぎた、というのだ。
向こう三日は、立ち直れまい。
許された七日間のうちの、三日間だ。さいしょの一日も入れれば、すでに半分以上経過というわけだ。
なん度も咬まなければ、いくらわしといえども、ナンシーをたらし込むことはできない・・・
そういう悔しがり方だった。
気持ちはわかるけど・・・七日間の約束は譲れないよ。
ヴィンセントはいった。
「きみのナンシーに対する態度は、まずまず立派だった。
ずいぶん強烈に食いつかれちゃったけど、
きみはそうまでしてナンシーの血が欲しかったんだね。
彼女の血は口に合ったのかい?」
「ああもちろんだ、期待以上だ。そこは悦んでくれていい」
「嬉しくはないけどさ――」
ヴィンセントはいった。
「ぼくにとっては、大事な彼女なんだ。
必要以上に苦しめることだけはしないでくれよ」
「わかった――
わしも初めてあの娘(こ)を襲って、いまのお前の気持ちが少しは理解できたつもりだ。
チャンスは減ってしまったが、もう少しトライさせてもらうぜ」
アリーは不敵に笑った。
ヴィンセントは清々しく笑い返し、重ねられた唇にも熱っぽく応えてしまっていた。
それでも内心、自分の恋人を堕とされてしまうのではと、焦る気持ちで胸を焦がしてもいるのだった。
驚くべきことに。
四日かかるとアリーが請け合ったナンシーの容態は、翌々日には持ち直していた。
「来れるようになってからで良い。またお前の血を楽しませてくれ」
別れぎわ囁かれた約束に、ナンシーは律義に応じようとしていた。
その日は若草色のワンピースだった。脚にはあの夜と同じ、グレーのストッキングを脚に通している。
さすがにいつもより蒼い顔をしていることに、ヴィンセントの胸は痛んだ。
けれども、無理をおして出かけてきたナンシーに、目を見張る思いでもあった。
そんなにしてまできみは、あの男のために血を吸わせようとしているのかい?
心のなかでそう思わずには、いられなかった。
「あの・・・やっぱり破ってしまうのですか・・・?」
足許に唇を擦りつけようとするアリーに、ナンシーは脚を引っ込めながら、おずおずと訊いた。
「わしに楽しませるために穿いてきてくれたんだろう?」
アリーはヌケヌケとそういって、ナンシーをからかった。
「そんな・・・」
ナンシーは口ごもり、けれどもそれ以上はアリーの唇を拒もうとしなかった。
「あまりイヤらしくしないでくださいね・・・」
か細い声でつぶやくナンシーをよそに、アリーは舌をピチャピチャと露骨に鳴らしながら、
彼女のストッキングをもう、楽しみはじめている。
ぴちゃ・・・ぴちゃ・・・くちゅ・・・くちゅううっ。
聞えよがしな下品な舌なめずりに、
ナンシーはべそを掻きながら唾液に濡れそぼってゆく足許を見つめ続けている。
はた目には。
本人が意識するしないに拘わらず、
ナンシーが彼らのふしだらな愉悦に寛容な態度で接しているようにみえた。
学園のなかで、ナンシーが自分の婚約者の仇敵のための熱心な血液提供者であるとの評価が、たった一日で定まっていた。
男はナンシーの金髪に輝く頭を抱きすくめ、時折髪に口づけをした。
血に染まった唇は彼女の金髪に不気味な翳りを与えたけれど、
彼女はもうそんなことは気にかけようとしなかった。
ヴィンセントの蘇生を明日に控えた夜――
例によって墓場を抜け出したヴィンセントは、蒼白い頬をこわばらせ、ナンシーの家へと向かっていた。
3回咬まれてしまえば、ナンシーはアリーの所有物(もの)になる――
さいしょのひと咬みは強烈で、ナンシーは数日間は起き上がれないはずだった。
にもかかわらず彼女は三日目には再びアリーと時間を持ち、グレーのストッキングを咬み破らせていた。
アリーはナンシーの血を嬉し気に飲み、ナンシーもアリーが自分の血を敬意をこめて吸い取るのを感じ取っていた。
ナンシーは再び、病床に沈んでいた。
周囲のものはナンシーを吸血鬼に逢わせまいと考えた。
けれども意外にも、そうした彼らの動きを無にしたのは、ナンシー本人だった。
彼女がアリーと3回目のアポイントを取ったと知ると、ヴィンセントはもういてもたってもいられなくなった。
彼はいったん死んだことになっているので、昼間は大っぴらに活動できない。
けれども、アリーがナンシーを誘惑するのもまた夜であったから、
ヴィンセントはナンシーを引き留めることができればゲームに勝つことができるのだ。
すでに、3回目のアポイントをナンシーがアリーに許した段階で、彼の勝ち目はなくなっていたのであるが――
その晩アリーは、ヴィンセントの母ローザのもとに訪れていた。
ローザは緋色のドレスを着て、アリーの腕のなかで夢見心地になっている。
ヴィンセントの血が美味かったのは、きっと母親の血筋なのだろう――
そうあたりをつけたアリーは、恥知らずにも、息子を奪われた母親の首すじを狙ったのだ。
ローザは抗議し、身もだえし、絶叫してアリーを拒んだ。
けれども、それだけでは彼女の静脈が吸血鬼の牙を免れるには十分ではなかった。
夫のアーサー氏の嘆きをよそに、ローザは自らのドレスを血に浸して、
ドレスのすそをたくし上げられると、脚にまとったタイツの噛み応えまでも楽しませてしまう仕儀となったのだった。
ガーターをほどかれてだらりとずり落ちたタイツが脱げかかる脚を足摺りさせながら、
ローザは息子の仇敵によって、その貞操を汚されていった。
翌朝――アーサー氏はアリーの訪問を受け、アーサー夫人の肉体は夕べの訪問客を存分に満足させたこと、
ローザは今後もアリーの訪問を受ける義務を持つことが告げられた。
アーサー氏は観念したようにアリーと夫人との前途を祝う言葉を口にするのだった。
今宵もローザは、その身をめぐる血潮で、息子の仇敵を満足させていた。
「いかが――?わたくしの血がお口に合うようなら、とても嬉しいですわ」
ローザは人が変わったようにウットリとした目で、アリーを上目遣いに見た。
その目線には、艶めかしい媚びがにじみ出ていた。
ヴィンセントはやり切れない想いだった。
婚約者かばりか、母親までも堕落させられてしまったのだ。
「どうぞこちらへ」
ローザは艶然とほほ笑むと、吸血鬼を庭園の奥へといざなった。
ヴィンセント邸の庭園のもっとも奥まったベンチに、白い影が浮かんでいる。
確かめるまでもなかった。ナンシーがそこにいた。
「ああ――」
ヴィンセントは絶望の呻きを洩らした。
「賭けに負けたな、親友よ」
アリーは嬉し気に呟いた。
敗者となった親友を必要以上に傷つけまいという配慮が、そこにはあった。
そうはいっても、彼はすべてを奪われてしまうのを、いま目の当たりにする義務を負ってしまっていたのだが・・・
ナンシーは純白のドレスのすそをちらと引き上げて、つま先を覗かせた。
高貴な白のストッキングが、か細い足の甲に透けていた。
ヴィンセントは、それがナンシーのウェディングドレスなのだと気づいた。
彼との華燭の典にこそまとわれるべき衣装が、いま吸血鬼との密会の場に着用されている。
これを完敗といわず、なんと表現すれば良いのだろう?
そして、ナンシーのもとまで吸血鬼を案内したのは、ほかならぬかれの最愛の母親だった。
意を決して、ヴィンセントは脚を一歩踏み出した。
ヴィンセントの出現にナンシーは目を見張り、なにかを言おうとした。
その瞳にかすかな逡巡や、後ろめたさがあるのを、彼は見逃さなかった。
ヴィンセントは穏やかに笑って、ゆるやかにかぶりを振った。
「彼の牙はどうだい?ナンシー?」
生前と変わらぬ声色に、ナンシーは思わず涙を泛べた。
それでじゅうぶんだった。
アリーが言った。
「ナンシーはヴィンセント夫人となるに相応しい」
「式の日取りは変えないわね」
ナンシーがほほ笑んだ。
街灯に照らされた彼女の金髪がかすかになびき、夜風に流れた。
「それから――彼の牙は最高よ」
「同感だ。ボクはどうやら夢中になって、吸わせすぎちゃったらしい――」
「ばかね」
ナンシーが笑った。
「まったくだよ」
ヴィンセントはこたえた
「おかげで彼と、不利に決まっている競争をする羽目になっちゃった。
きみが、ぼくの一番の親友と仲良くなってくれれば嬉しいと心から――」
ヴィンセントの言葉は途切れた。
音もなくそう――っと近寄ったアリーがナンシーを抱きすくめ、首すじを咬んでしまったのだ。
「おいおい」
ヴィンセントは困惑顔。けれどももはやナンシーは迷いもなく、
自分のほうから首すじをアリーの顔に添わせるようにして、
ただひたすらうら若い血液を、渇いたアリーの飲用に供してしまっている。
アリーが唇を離すと、ヴィンセントは感嘆の声を洩らした。
栄えある日のために用意された純白のドレスには、一点のシミも残されていなかったのだ。
いまでも彼の家に保管されているふたりの婚礼の際に着用された純白のドレスは、
裏地が真紅になっている。
けれどもその濃過ぎる裏地は表面の白を汚すことなく、あくまでも裏側に秘められている。
未来の花婿の面前でナンシーの首すじを咬んで彼女を征服した吸血鬼は、
邸のなかにナンシーを連れ戻すと彼女をベッドに横たえてドレスのすそを掲げると、
純白のストッキングに包まれた太ももに再び、牙を咬み入れた。
ストッキングはみるかげもなく破れ、血に染まった。
ドレスの裏地が真紅に染められたのは、そのときのことだった。
ウェディングドレスをまとったまま、ナンシーはアリーの手で犯された。
血を抜かれた身体を木偶のように横たえて、ヴィンセントは花嫁の処女喪失を見届けた。
「花嫁の純潔は、きみからもらったようなものだな」
アリーがそういうと、ヴィンセントは失血にこわ張った頬をかすかに弛め、
「我が家の花嫁を、ぞんぶんに楽しんで欲しい――」と呟いた。
花嫁は恥を忘れて、ひと晩ベッドのうえで狂い咲いた。
ドレスの裏地を染める真紅には、このとき流された花嫁の純潔の下肢もいくばくか、秘められているという――
あとがき
外人さんを主人公にすることは、めったにないと思います。
ここはブロンドの女性をヒロインにしたかったので・・・(笑)
血を吸い取られた後のヴィンセントが、自分の婚約者を誘惑しようとする吸血鬼の心情にじょじょに惹かれてゆくあたりは、新機軸かもしれません。
ドレスの裏地の件は――ほぼ思いつきですね。(笑)
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